二人の夜
台風接近による雨と風が本格的に強くなってきた。
現在宮城県に接近しつつある台風は、もともと強い勢力を誇っており、沖縄や九州でかなりの被害をだした。
始めの勢いこそ幾分弱ったものの、それでもまだかなりの雨量と強い風の注意報が出ていた。
学校側は早々に部活動停止の決定を出した。
それでも一度は部室に集まってしまうバレー部の面々。
「風も雨もだいぶ強くなってきたね。ピークは深夜って言ってたけど…。」
「台風のスピード上がったんじゃね?」
部室に全員が集まったところで、澤村から一応の連絡事項が告げられる。
「明日の朝練も停止になったからな、無理して早朝家を出てくるなよ。当然だが今日は寄り道せずに帰宅すること。」
「はい。」
「そうだ、日向。今日は自転車はやめた方がいい。」
「う。」
「そうだよ、この天気で山越えはさすがに危険だからね。バスや電車を使って帰れよ。」
「………はい。」
先輩たちに言われて、不承不承日向がうなずく。
このバレー部内で一番遠方に住んでいるのが日向だ。
普段は自転車を使い、30分ほどでかっ飛ばしてくるが。
公共交通機関を使うとなると、バスと電車を乗り継ぎ、さらにそこから結構な距離を家まで歩かなければならない。
朝は時折強い風がふいたものの雨はまだだったし、最接近は深夜という予報でもあったから『その前に帰ればいいや』と安易に自転車で登校してしまっていた。
「お前、大丈夫なんだろうな。」
「あ、うん。多分。」
遅れはあるもののバスも電車も一応動いているようだし。
駅から家までの徒歩が難題だが、自転車通学用のカッパもあるし何とかなるだろう。
「………。」
何か言いたそうに影山が日向を見た。
「何だよ?」
「いや。…その、今日、家に泊まるか?」
「へ?」
「や、お前の家の人が良ければ…。」
「いやいやいや、むしろ、お前ん家が大丈夫なのかって話だろ!」
「あの人たちは…大丈夫…じゃねえかな。」
本当かよ?
「そりゃ、お前ん家に泊めてもらえるなら…助かるけど…、や、まずいだろ、洗濯とかいろいろ。」
「どうせ俺のもあるし…平気だろ…多分。…来る気があるなら聞いてみるが…。」
「あ、うん。じゃ、オネガイシマス。」
影山が携帯を取り出し、短い言葉で確認を取る。
「はあ!?」
突然影山の声が跳ね上がった。
「あ、無理だろ、急だし。」
日向が慌てると、黙ってろと影山が目線で睨んでくる。
うひ。怖ええ。
「ふざけんな。…いらねえから。30分で帰る。」
そう言うと、通話を終えた。
「か、影山…。無理には…。」
「無理じゃねえ。テンションあがってこれから髪をセットしに行ってケーキ買ってくるから2時間帰ってくるなとか言うから、30分で帰るって言っただけだ。」
「へ?」
釈然としないながらも、日向も影山宅へ泊まることを家に連絡を入れる。
「なあなあ、バレーの試合のDVDいっぱいあるって言ってたよな。見たい!!」
「ああ、こんな時でもないと見れないしな。」
そういう影山の表情は少し笑っているように見えて、日向もなんだかわくわくしてきた。
バスで10分ほどのところにある、所謂閑静な住宅街の一角にある影山の家。
さすがに今日は時間通りというわけにもいかず、15分以上かけてようやく到着した。
それでも、日向の家に帰ることを考えればずっと安全で早い。
「でけえ。」
「そうか?普通だろ。」
確かにまわりの家も幾分大き目な家が多いが、それの中にあっても若干小洒落ているというか…、まあ、つまり『オシャレな家』だ。
「ただいま。」
「…おじゃまします~。」
影山について恐る恐る玄関に入る。
「傘はそこな。」
「おう。」
広めの玄関の隅にある傘立てに傘を立てていると、奥の方からパタパタとスリッパの音が近づいてきて。
「おかえりなさ~い!」
満面の笑みを浮かべた美人が駆け寄ってきた。
「あなたが日向くん?」
「あ、は、はい、日向翔陽です。今日は、急にすみません。」
「いいのよ~。お家が遠いんですって?こんな天気ですものね~。気にしないでゆっくり過ごしてね。」
「はい。ありがとうございます。」
「母さん。タオル。」
「ああ、はいはい。ちょっと待っててね。」
いったん奥に引っ込む。
「お前の母ちゃん美人。」
美人マネージャーにも、まったく動じなかった理由が分かった気がした。美人を見慣れてるのだ。
「そうか?…普通だろ。…っていうか…引くなよ。」
「引く?」
「多分ちょっと、母親っぽくないから。」
「ふうん?」
まあ多分。こんな天気の日に日向が帰宅したら、家では催促する前にタオルはもう出されているような気がする。
「はい、タオル。風邪ひかないようにね。」
「風呂、入れる?」
「ええ、さっきの電話で言われてたようにお風呂用意しておいたから。」
「日向の分も洗濯…。」
「大丈夫よ。日向くん、遠慮せずに出してね。」
「ありがとうございます。」
「いいのよ。うふふ、元気がいいのね!いいわ~。飛雄はなんかいっつもテンションが低いから…。」
「………はあ。」
影山に風呂場に案内されて、使い方を説明される。
部活で使う為に持ってきていたTシャツとジャージに着替え、部屋着に着替えていた影山と交代する。
『2階の二つ目のドアのところが俺の部屋だから』と言われ、恐る恐るドアを開ける。
あ、影山の匂い…。
広さは日向の部屋より少し広いくらいか。ただ、机やベッド本棚以外にあまり物が置いてないのでかなり広く感じる。
机もベッドもきちんとしている。
バレーボール雑誌などが入った本棚も整理されている。
何となく普段はもっとルーズなんじゃないかと思っていたので、ちょっと驚く。
部屋の隅の方にはトレーニング用のマットが畳んでおいてあって…。
ほんと、バレー中心の生活してんだなあ。と感心する。
落ち着かない気分で部屋の中を見回していると、風呂を終えた影山の階段を上がる足音がする。
「おい、日向、開けろ。」
ドアの向こうから影山の声がする。
急いでドアを開けると、盆の上にお菓子の盛り合わせの乗った器とコップが二つあり、さらに左手にはジュースの2リットルペットボトルを持っていた。
「ケーキでなくて悪いが………とさ。」
「ケーキ?」
「さっき言ってたろ、電話で。ケーキ買いに行きたかったのにすぐに帰ってくるから…って、すねられた。」
「あ、アレ本気だったのか!?」
「こんな天気なんだ。ケーキ買いに行ってる場合でも髪セットしてる場合でもねえだろうが。しかも、2時間後は今より天気悪くなるに決まってんのに。」
影山の言うことが一々もっともで返事に困る。
もてなそうとしてくれるのは嬉しいが、そのためにこの天気の中外出してもらうのは申し訳なさすぎる。
「このお菓子で十分だよ。…ってか、こんな高そうなクッキーとか普段家では食べねえし。」
家に来た友達に出すお菓子なんて、大体コンビニやスーパーで売ってるお菓子だし。
こんな、なんか有名どころらしい銘菓のお菓子なんてめったに食べる機会もない。
「家だって普段はこんなんじゃねえよ。多分どっかからの貰い物だから、気にすんな。あ、制服はこっちよこせ。」
「へ?」
慣れた手つきで制服をハンガーにかけると、自分の制服を掛けてあるフックの隣に並べてかけた。
「…きっちりしてんだな。」
「あんななのに、こういうのはちゃんとしねえとうるせえから。」
「ふうん?」
2つのコップにジュースを注いでくれる。
「何か、紅茶入れてくれるって言ってたけど、こっちの方が気楽だろ。」
うんうんうん。全力で頷く日向に、影山は小さく笑った。
影山の部屋にあるバレー雑誌を見ながら、あれこれと話をしているうちに辺りはとっぷりと暗くなってきた。
「二人とも~、お夕食よ~。」
階下から呼ばれて、影山についていくと。
広いダイニングキッチンにとおされた。
何かすごい見たこともない洋食だったらどうしようと内心ドキドキしていた日向だったが、以外にもというか案外普通の和食だった。
「そういえば、お前カレー好きとか言ってなかったっけ?」
「だからって毎日カレーの訳ねえだろ。」
「デスヨネ~。」
「あ、そうそう、お父さんに連絡したら、今日はすぐ帰るって。もう帰ってくるんじゃないかしら。」
「え…この頃残業続きだったんじゃねえの?」
「そうなんだけど。日向くんが来た話したら、すぐ帰るって。…こんな天気だもの。会社だって早く返してくれるでしょ。」
友達が泊まりに来たからって、父親が早く帰ってくるって…。
こいつ、どんだけ友達いないんだよ。
食事をしているうちにずぶ濡れの状態で父親が帰ってきた。
自分達が帰宅したころより相当雨も風も強くなっているらしい。
父親は、影山と似ていると思った。
影山が年齢を重ねたら、こんな感じになるんだろうと素直に思える。
父親の食事が終わるころ。
「父さん、DVDを見たいんだけど。」
「バレーのか?」
「そう、日向が見たいっていうから。」
父親の目線に日向がうなずくと、許可が下りた。
何でも、影山がバレーのDVDを見るときはリビングで、と厳命されているらしい。
リビングへ行くと日向の家よりも1回り大きなテレビがどーんと鎮座していた。
その前に並ぶソファセットもなんだか立派な感じがする。
テレビの隣にある大き目のラックにはたくさんのDVDが並んでいて、半分以上はバレー関係のものらしかった。
「どんなのが見たい?海外の試合のもあるけど…。」
「日本のがいいな。」
たくさんあるDVDの中から何本かを影山が取り出し、『最初はこんなとこかな』とか言いながらそのうちの1枚をセットする。
映像が始まり、これはどういう試合で…とか、選手の構成はこうで…。とか影山が説明してくれる。
ふんふんと聞きながら夢中になってみていると、だんだんと場が静かになって行くような気がする。
それぞれの選手の特徴だとか、プレイの解説だとかをしてくれていた影山の声が聞こえなくなってきた。
寝ちまったのかな?
そう思って隣を見ると、影山は食い入るように画面に見入っていた。
「日向くん。ジュースお替りは?」
「あ、はい、いえ。」
母親ににこりと笑われて焦る。
「あの、…影山は…。」
だってこのDVDなんてきっと何度も見てるんじゃねえの?今更なんでこの集中力?
すると、微動だにしなかった影山の右手がはたりと動いた。
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日向と母親が見守る中、その手はDVDのリモコンをつかみ、慣れた様子で操作する。
画面は少し戻り、セッターのプレイをスロー再生した。そしてまた戻る。
そんなことを3度繰り返すと、満足したのかそのまま映像は先に進んだ。
「ごめんなさいね。飛雄ったらバレーの映像見始めるとすぐこうなっちゃうのよ。」
「はあ。」
「もう、これがこの後何時間も続くのよ。つまんないわ。」
「…はあ。」
「小学校のころはそうでもなかったんだけど…。なんか中学の時の先輩で、バレー以外のことは色々と教えてくれるけどバレーのことは1コも教えてくれない人がいたらしくて…。」
大王様のことだ!きっと!
「それ以来、バレーのことで何か憶えたかったら自分で見て覚えるしかないって思っちゃったみたいで…。」
「………はあ。」
案外音駒のセッター研麿に声を掛けられなかったのって、本人のコミュニケーション能力不足もあるかも知れないがそれ以上に、拒否られることへの恐怖ってのもあったのかもしれない。…なんて、考えすぎだろうか?
「ただ映像を見るだけでつまらないかもしれないけど…。」
「いえ、俺こういうの見たことないから、面白いです。勉強になります。」
「そう、日向君、いい子ね。」
うふふと笑われる。
ああ、確かに何か『母親』っぽくはないかも。けど、可愛い人だ。
「お、飛雄はまたトリップしてるのか?」
風呂を終えたらしい父親が顔を出す。
「つまらんだろう。」
苦笑するように言われて、いいえと先ほどと同じようなセリフを繰り返す。
「これだから自室で一人では見せられないんだ。止めに行かないと、いつまでも見てるからね。」
「………。」
『先に休む』という両親から、適当な時間で無理矢理にでも切り上げさせるようにと影山のことを託される。
DVDを3本見終えたところで影山の肩を揺さぶった。
「………あ…?」
「おい、もう、寝るぞ。」
「日向?………あ、悪い。」
こいつ、俺の存在忘れてたな!…けど…。
「いいって、DVD面白かったし。でも、明日も学校あるからもう寝ようぜ。」
台風のせいで思いもかけずに学校以外の影山を見る機会を得ることが出来た。
意外と思うこと、らしいと思うこと、いろいろあったけど、そういうのが全部合わさって影山になってるんだなあと思うと、なにやら心の中がほっこりした。
あれから数か月。
再び影山の家へ泊まりに行く。
今回は前回のように突発的なことではない。事前に約束をして訪ねるのだ。
「今回はケーキがあるから…。」
ため息混じりの影山のセリフに、はははと力なく笑って玄関をくぐった。
入るや否や、待ち構えていた母親にリビングに通されケーキと紅茶をいただく。
何とか引き留めようとする母親を振り切るように影山の部屋へあがり、前回と同じようにバレーの話をして過ごした。
夕食に呼ばれるころに父親も帰ってきて、前回よりも何やら豪華なメニューに呆れていいんだか緊張すべきだか悩みながら食事を終える。
そこで交代で風呂に入り、またしてもDVDを見ることに。
「日向くん、後、よろしくね。」
母親ににこりと笑われる。
「はあ。」
「すまんね、相変わらずで。」
父親には苦笑される。
「いえ。」
二人きりになったリビングには、DVDから聞こえるボールの音や客席の歓声や審判の笛の音が響いていた。
この間と同じように、はじめのうちはぽつぽつと解説してくれていた影山の声も途切れがちになってきた。
相変わらず目は食い入るように画面を見つめていて…。
は~あ。
呆れるようにため息をつきながらも、そこまで熱中できる影山を凄いと思うし、好きだなとも思う。
そして影山の左手がはたりと動いた。
またリモコンか?
テーブルの上にあるリモコンを影山のほうに寄せてやろうとして、あれ?と思う。
影山の左手はテーブルのほうにではなく、日向のほうに伸びてきて、グイと抱き寄せられた。
「かげやま…?」
影山の目は相変わらず画面を凝視しているが、その左腕は日向をギュッと抱きしめていて…。
その腕の中で、日向はふわりとほほ笑んだ。
前回泊まった時とは、大きく変わった二人の関係。
所謂恋人同士というやつになったのだ。
バレーは大好き、DVDを見るときは他のモノに意識が行かないくらいに集中する。
けど、日向のことだって忘れてるわけじゃない。
日向に回された腕は、そういう影山の気持ちを代弁してくれているみたいでなんだかくすぐったい。
少しだけ影山のほうに寄りかかりながら、日向もDVDを楽しんだ。
そろそろ3本目のDVDが終わる。
影山の体をゆすろうとして、ふといたずら心が芽生える。
だって。
日向に『泊まりに来るか?』と誘った時の影山は、勇気を振り絞ったはずだった。
だからこそそれに『うん』と答えた日向だって、しっかり覚悟を決めてきたのだ。
画面を見つめる影山にそっとキスをした。
「………。」
一瞬ピクリとした影山だが、するに日向の頭を抱えて深く唇を重ねてきた。
「んん。」
はあ、と熱い息が漏れる。
日向を見る影山の目が、ちょっとだけ申し訳なさそうに細められる。
影山は、後もう少し残っているはずのDVDを止めた。
「部屋へ、行こうぜ。」
「うん。」
日向だってバレーは大好きだけど、今夜は影山を取られるわけにはいかないのだ。
伸ばされた手をギュッと握って、階段を上った。
20140812UP
END