ビニール傘から見た空
「うわあ。」
高校からの帰宅途中、家への最寄駅に降りたとき。
どりゃぶりの雨だった。
確かに天気予報では、夕方一時的に雨が降るようなことは言っていたが。
まさか、ここまでどしゃぶりになるとは…。
だいぶ夏が近づいてきている。
幾分遠くからは、雷の音が断続的に続いている。
夕立とか、ゲリラ豪雨とか言う部類に属する雨なんだろう。
丁度帰宅時間にぶつかったせいで、駅は次々と降りてくる人が足止めされて混乱しつつあった。
1時間…嫌、案外30分も待てば、止むかもしれない。
………止まないかもしれないが…。
ただ、その時間をしのぐ場所も無くなりつつあった。
お金に余裕のある大人は喫茶店でもコーヒースタンドでも、夕食のとれる店でも入れるが。
『この間、オールマイトの新しく出たグッズ、買ったばっかりなんだよなあ。』
お小遣い日まで、まだ結構ある。
それまでは、今ある手持ちの小遣いでしのがなければならない。
ここは、諦めてビニール傘を買うか?
けど、100均の傘は売り切れていたと、さっき女の人がスマホに向かって叫んでいた。
コンビニにある300円の傘も、先ほどサラリーマン風の男性が買ったのが最後のようだ。
そうなると、ドラッグストアにある600円の傘…。
600円は………正直、痛い。
だったら、ハンバーガーショップのドリンクで雨が止むまで粘るか?
けど、皆考えることは一緒なのか、ものすごく混んでいて、注文するのにも座るのにも時間がかかりそうだ。
コンビニの雑誌コーナーも人でごった返している。
どうしよう?
雨が降って少し気温が下がったのだろう。
夏服の制服では少し寒く感じるようになってきた。
寒いのを我慢してこのあたりで止むのを待つか、濡れるの覚悟で走るか。
二つに一つ、か。
「んだ、手前。」
「あ、…かっちゃん。」
後ろから不機嫌な声が聞こえる。
「すごい雨だね。」
「ち。」
辺り一帯を、その視線で薙ぎ払えそうな勢いで睨み付けている。
「傘ねえのかよ。」
「あ、うん。…かっちゃんは、持ってるの?」
「持ってるかよ!朝、晴れてたのに!」
「デスヨネ。」
「ち、混んでんな。」
「うん。100均もコンビニも傘売り切れちゃったみたいだよ。」
「…ドラッグストアにも売ってなかったか?」
「600円するんだ!」
「………。」
彼のお小遣いがいくらかは知らないけれど、600円の予定外出費には一瞬躊躇するんだ。
そこは、お小遣いで生活する同じ『高校生』なんだ、とちょっと安心する。
「…仕方ねえな。」
かっちゃんがボソッと呟く。
え、これはまさか、走る感じの流れ?…そう思ったとき。
「デク、300円寄越せ。」
「へ?」
「300円!」
「あ、はい!」
慌ててリュックの中から財布を出す。
見ればかっちゃんも自分の財布を出していて…。
あーなるほど、二人で300円づつで600円。…って、ええ!!割り勘?僕とかっちゃんが!?
「早くしろ、このノロマ!傘売り切れちまうだろうが!」
「あ、う、うん。」
僕がようやく出した300円をひったくるように取り上げ、ドラッグストアに入っていく。
え、なにこの勢い。
まさか、買った傘をかっちゃん一人で差して行っちゃうとか?
それなら全額僕に出させるか…。
いや、かっちゃんは僕を苛めてたけど、お金出させることはしなかったっけ。
そんなことを考えてるうちに、かっちゃんが店から出てきた。
バサっと、傘を広げると『帰るぞ』と言って歩き出す。
「ま、待って!」
慌てて傘の中に入った。
ボツボツボツと激しい雨の音がする。
600円するだけあって、普通のビニ傘より幾分大き目の傘。
けど、男子高校生二人にはさすがに少し狭かった。
くっつかないと濡れちゃうけど、くっつくのも怖い。
位置取りが難しいな…とか思っていると。
「バカデク!ちゃんと入れよ!俺まで濡れるだろうが!」
「ご、ごめん!」
気持ちかっちゃんに近づくと、甘い香りがふわりとした。
あ、かっちゃんのニトロの香りだ。
何故だかストンと気持ちが落ち着いた。
「ねえ、あのまま、雨が止むのを待つって選択肢は…。」
「無えわ。」
「…だよね。」
潔癖症のきらいのあるかっちゃんは、そういえば人ごみが嫌いだったっけ。
「あ、僕傘持とうか?」
「手前のほうが背が低いのにか。」
「う。」
そんなには変わらないのに…。
けど、鍛えてるかっちゃんのほうがずっと大柄に感じる。
「今日も自主トレしてきたの?」
「おう。」
「朝とかも良く走ってるよね。」
「……。」
あ、僕おしゃべりが過ぎたかな。
無言なのがいたたまれなくて、つい話しかけちゃったけど、煩かったろうか。
「手前はしねえのかよ。」
「へ?」
「今のままでいいのか?」
「そ、んなことは!」
「俺はぜってえ強くなる。」
強い目で言った。
ああ、やっぱりかっちゃん変わった。
自分が一番凄い。と思っていた頃のかっちゃんとは違う。
『強くなる』
ただでさえ強いかっちゃんが、本気で上を目指そうと努力をさらに惜しまなくなったら…追いつけなくなる!
「ぼ、僕もやる!」
「へっ、」
「朝、一緒に走ってもいい?」
「ダメだ。つうか、どうせ手前は朝起きれねえだろうが。」
う、どうせ、朝弱いですよ。
それに多分走るスピードも全然違うんだろうな。
思いのほか穏やかな傘の中。
もう少しで僕が住む団地。というところで、急に雨脚が弱くなった。
あれ、と思っているうちにポツリポツリと止み始める。
「…止んできた…ね。」
「ち。」
ビニ傘越しに空を見上げれば、雨を降らせていた黒い雲が物凄い速さで動いていく。
団地の敷地内を歩き、僕の家へ上がる階段の前まで来た時にはほとんど雨は止んでいて、一部青空さえ覗いていた。
ため息一つついて、傘を畳んだかっちゃんは、僕にその傘を押し付ける。
「え、けどかっちゃんだって300円出してるのに。」
「いらなくなった傘を持たせる気か!」
「そういう意味じゃないよ。」
だって二人で半分づつ出したんだから、どっちかの物ってするのはおかしくない?
「だったら学校の置き傘にしろ。」
「あ、そうか、うん。そうだね。」
それなら僕らだけでなく、A組のみんなが使える。
さすがかっちゃん。
「手前が持って行けな。晴れて天気の良い日にな。」
「うう。」
にやりと笑う。
もう、本当嬉しそうに、意地悪言うんだから。
でも、その『いい顔』が結構好きだったりするんだよね。
う、救われない。
じゃあ、ね。と手を挙げて。
かっちゃんはすぐに帰ってしまうだろうから、その後ろ姿を見送ってから僕も帰ろうと思っていた。
すると、真剣な顔をしたかっちゃんが一歩僕に近づいて背中に腕を回してくる。
へ?
かっちゃんのニトロの甘い香りがふわりと僕を包む。
ドドドドドと物凄い勢いで体中を血が駆け巡る。
ぼ、僕。かっちゃんに抱きしめられて………無い?…アレ?
カチャカチャと聞きなれた音がして…。
「か、かっちゃん!?」
「うるせえ、耳元ででけェ声出すな。」
うわうわうわ。
抱きしめられてるわけじゃないけど、ほぼ、抱きしめられてるのと変わらないんじゃないの?この体勢は。
かっちゃんは僕のリュックに手を回し、中からタオルを出してくれていた。
「これで拭いとけ。」
と、広げて頭にかぶせられる。
………ってか、何か、優しい?
『何で』という顔をしていたんだろう。
「風邪ひかれちゃ寝覚めわりいからな。」
そ、…そうか。
もしかして、こんなに早くやむなら、あのまま駅で待ってても良かったとか思ってたのかな?
で、付き合わせた僕にちょっと悪いと思ったってとこ?
みみっちい。
良いのに。
だってなんかかっちゃんと穏やかな時間をすごせて、僕は凄く得した気分なんだから。
「あ、かっちゃん。」
「ンだよ?」
「左肩。びしょ濡れじゃないか!」
僕の方に傘を傾けてくれてた?
あのかっちゃんが?
「かっちゃん拭いて!」
僕は慌ててタオルでかっちゃんの濡れた腕を拭いた。
「いい。」
「ダメだよ。風邪ひいちゃう。」
「手前とは鍛え方が違げえわ。」
「そりゃ、そうかもだけど、でも1年に1回くらいドカンと高熱出すだろ。」
そんな言い合いをしながらだったけど、濡れた左側を拭く僕の手を素直に受け入れてくれる。
何だろう。
今日のかっちゃん、本当、優しい。
あらかた拭けたかな、と思ったころ、かっちゃんはそのまま踵を返して歩き出す。
その背中に声をかけた。
「かっちゃん、ありがとう。また、明日ね。」
小さく肩をすくめるかっちゃん。
見えないけど、きっと小さく笑って『おう』なんて言ってくれたんじゃないかなって想像して嬉しくなった。
弾んだ気分で階段を上がり自宅へと帰る。
玄関にある傘立てに、ビニ傘をトンと立てた。
かっちゃんと300円づつ出して買った傘。
クラスの置き傘にはするけれど。
後ちょっと、何日かは家に置いておこうかな。
20171115UP
END