翌朝。
出久が目を覚ますと、勝己はもうベッドにはいなかった。
慌てて階下へ降りると、勝己の母親が朝食の準備をしてくれていた。
「おはようございます。すみません。寝坊しました。」
「あら、おはよう。平気よ。まだ時間前だもの。ゆっくり眠れたようで良かったわ。」
「あ、ありがとうございます。…あの、かっちゃんは?」
「あのバカ!『体がなまる』って走りに行っちゃたわ!もう!『一人になるな』って言われてるのに!」
それでも出勤時間にあたる今なら道行く人も多い。
人の目があれば多分少しは安全だろう。
「ま、あんな馬鹿でもたまには父親の出勤を見送ろうと思ったみたいねー。あの人ったら、泣き出さんばかりに喜んでたわ。」
「へえ。」
「知ってる?お父さんがライン送りまくってるの。」
「ええ、昨日聞きました。かっちゃんは既読スルーだって。」
「そうなんだけどね。送るとすぐに既読がつくらしいのよ。」
「そうなんだ。」
「日中も送ってるらしいんだけど、授業中とかは当然見られないでしょ。昼休みとか、放課後にちゃんと既読が付くんですって。それ見て、『ああ、無事だな』って安心するんですってよ。彼女かっての。」
たとえ覚悟があったって、心配はする。
それを勝己は分かってるからちゃんとラインをチェックするんだろう。
確かに自分は個性を得たという幸運に舞い上がっていた。
自分が成長することばかりに夢中で、大切にすべきことを疎かにしてしまっていた。
きちんとまわりを見なくては。と決意した時、勝己が返ってきた。
「おはよう、かっちゃん。…えと、お帰り。」
「……。おう。」
勝己はそのままバスルームへ行く。汗を流すのだろう。
出久も洗面所へ行き、顔を洗った。
夜着代わりに借りたスエットから自分の服に着替える。
朝食を終え、勝己の母親が出かける準備をしている間に、使った布団やシーツを畳む。
いつもよりゆっくりした朝。
勝己と一緒なのに穏やかな朝。
なんだか不思議な感じがした。
時間に追われているつもりは無かったけれど。
いつもやらねばならないこと、やりたいことが多すぎて、頭の中はそれらで一杯だった。
全然余裕が無かったなあ。と思う。
勿論余裕なんて持っていたらすぐに皆から遅れてしまう。
時間が少しでもあったら、何かを詰め込む日々だった。
けれど、例えば1週間に1回でもちょっと頭の中を空っぽにして深呼吸をする時間を作る。
そして、自分の周りに思いをはせる。
それだけでもきっと違うはずだ。
そういうことに気付けただけでも、昨夜勝己を話せたことは良かったと思う。
倒れるほど心配をかけてしまった母には、本当に申し訳ないと思うけれど…。
再び勝己の母親の運転する車に乗り、病院へ行く。
まだ面会時間ではないためだろう、看護師に案内されてそっと病室に入る。
「お母さん。来たよ。」
「出久。」
にっこり笑った顔は、明らかに昨日より明るくなっていた。
「ぐっすり眠れた?」
「ええ、大丈夫。」
穏やかな表情の母親の中では、今、覚悟の切り替え中なのだ。
そう思うと、身が引き締まる思いがした。
自分だけ頑張ればヒーローになれると思っていた。
けれど、そうじゃない。
一人のヒーローを作るためには周りの人の協力や努力、我慢が必要なのだ。
しばらく話をして。
明日には退院できるだろうとの医師の言葉に安堵して、勝己と雄英への途についた。
「かっちゃんは僕のことを良く見てるよね。」
通勤時間を過ぎた列車内は空いていて、二人は並んで座席に座っていた。
「あ゙あ゙?」
「あ、その、変な意味ではなく。」
不機嫌そうな勝己の声に慌ててそう言い添えると、フンと馬鹿にしたように笑われる。
「手前は透明人間な訳じゃねえだろうが。普通に見えるわ。」
「や…そうじゃ…」
「見えてねえのは手前だろ。」
「へ?」
「自分にも他人にも興味がねえ。」
「そんなこと。」
「無個性な自分をきちんと認識するのが嫌だから自分のことは見ねえ。周りにいる人間のことだって、大して興味がないからあまり個別認識してねえ。」
「…怒るよ。」
「興味あるのはヒーローのことだけ。だからヒーローのことは調べるし、詳しい。それに付随してヒーローに向いてそうな個性にも興味がある。だから雄英は手前にとっちゃあ夢の世界だ。教師はヒーロー、クラスメイトの個性も興味深い。だから全員ちゃんと認識できてる。」
「ひどい…。」
「仮定の話をしても仕方ねえけど、仮に俺の個性が分かりやすくヒーロー向きじゃなかったら、手前は俺の事を近所でよく見かける奴くれェにしか思わねえよ。」
「そんなわけないだろ!」
「そんなもんだろ。手前の判断基準は『個性』だからな。…餓鬼の頃から付き合いのある奴ら、高校どこ行ったか知ってるか?」
「……っ。」
「まあ、お前の立場じゃあ直接聞きづらかったのも分かる。けど多分おばさんは知ってるぜ。」
「本当に?」
「クソババアが伝えてっだろ。だから家で話題にすりゃ教えてくれたろうよ。」
「………。」
「気にもしてなかったろ。」
「……どこ、行ったの?皆。」
そう聞けば、勝己は数名の名前を挙げ、進学先を教えてくれた。
ほとんどはそれぞれの学力レベルに合わせた地元の県立高校だが、一人は自分の将来の夢のために越境しているとのこと。彼がそんなことを考えているなんて知らなかった。
…知ろうとしなかった…?
それに勝己にしたって、そうやって他人の進学先をきちんと把握するような人だとは思っていなかった。
自分が雄英に入れれば他人は(モブは)どうでもいい。そう思っているのかとばかり思っていた。
けれど、思い返してみれば、彼は意外と面倒見の良い人でもあった。
幼いころから仲間を集めては自分がリーダーとなり率先して導くような。そして一度仲間と認めたものが他のグループから嫌がらせをされれば、自分が出て行って戦った。
彼のプライドの問題でもあったろうが。そんな彼だからこそついていく者もいた訳で…。
たしかに自分は彼自身を見ていなかったかも知れない…。
家族以外では自分に一番近い存在かもと思った時もあったのに…。
「乗り換えだ。」
「あ、うん。」
昨日、手を引かれて歩いたルートを逆にたどる。
寮生活が始まるまでは通学で毎日歩いた駅。
少し懐かしいような気がするから不思議だ。
雄英への路線のホームで電車の到着を待つ。
通学の時は一人だったけれど、こうして勝己と二人並んで待っているのも不思議な感じがする。
「手前の中で俺の設定がどうなってるのか知らねえけど。俺は手前が刃向ってきたとき以外は手を出してねえからな。」
「え?」
出久が聞き返したとき、電車がホームに入ってきた。
勝己に続いて乗り込みながら、出久は首を傾げる。
そもそも、同じ年の幼馴染に対して『刃向う』という単語が出てくる時点で勝己はちょっとどうかしていると思う。
が、幼いころの彼が、自分を頂点とするヒエラルキーの、末席にいるのが出久だという認識であったのなら分からないでもない。
つまり、町の下っ端チンピラがヤクザの組長に異を唱えた…と、多分そういう感じの受け止め方をしたのだろう。
「僕、刃向ったりしたかな。」
再び隣に座りながら言う。
「小一の時。」
「え、だってあれは君が弱い者苛めをしたから…。」
そう言えば、肩をすくめる。
「あのクソモブは小学校に入って初めて見る無個性の木偶の坊に興味津々で、ちょっかい出そうと狙ってたんだ。」
「え?」
「1対1ならともかく、自分の兄貴やそのダチを何人も引き連れてやらかそうとしてたから、やめさせようとしてた。」
人口の2割は無個性と言われているが、それは全年齢を合わせてのことだ。
出久たちの年代になると無個性の割合はさらに低くなる。
生徒数にも寄るが1学年に1〜2人いるかいないか。地域によっては0という所もあるくらいだ。
勝己たち幼稚園から一緒の者にとって出久が無個性というのは当たり前の事であったが、他の幼稚園や保育園から来た者にとって出久は初めて見る無個性の人間であっただろう。
からかうなり、苛めるなりしてやろうと思う者がいてもおかしくない。
「………嘘。」
「後になって兄貴たちが仕返しにきがやった。兄弟そろって腐ってるぜ。返り討ちにしてやったけどよ!」
クっと笑う。
あ、あの4年生と喧嘩していたのはそれか。
「言ってくれれば…。」
「………。餓鬼の頃はそこまで難しく考えてた訳じゃねえけど。死柄木が言ってたろ。仲間を助けるための暴力は称賛される。」
「………。」
「俺は正しいことをしているつもりだった。けれど、お前は『弱い者苛め』だと言う。理解出来なかった。ムカついたし気持ちが悪かった。何言ってんだこいつと思った。お前あの時事情を知ってたら、意見を変えたか?『それならその暴力は良いことだね』って言ったか?」
「………。」
「俺もお前もヒーローになるって目標があった。俺が正しいと思ったことをお前は間違ってると言った。だったらお前はどうするのか見てやろうと思った。それで俺は手前から手を引いた。」
彼の守るべきグループから外したという事か。
「本気でヒーローになりてえなら自分に降りかかる火の粉くれェ、自分で払えと思った。」
勝己はそうしてきたから。
はっと出久は気付いた。
過去に何度も言われたことがある。
『お前がヒーローになれる訳がない。』
それはきっと勝己の定義の中で出久が『刃向った』時なのだろうけど。
そう言われて出久は悔しさに唇をかんだ。無個性である自分がもどかしく身悶えた。
けれど、勝己だったらどうだ?
『お前にヒーローは無理だ』と言われたら『ふざけんな。ヒーローぐれェなり殺してやるわ!』と立ち上がるのが勝己だろう。
そこに個性があるとかないとか、実際になれるかどうかとかは関係ない。
もしかして、それを出久にも期待した?
『言われて悔しかったら立ち上がってこいよ。無個性だってやれることはあんだろ!』と。
そして、その度に出久は彼の期待を裏切り続けた。
石っころと思われても仕方がない。
クソナードと言いたくもなるだろう。
お前のやっていることはただのオタクで、ヒーロー志望者のやることじゃない。
そして次第に『やはり自分が正しかったのだ』と思う様になったのだろう。
勝己の肥大しすぎた自尊心。その理由の一端には出久が関わっていたのかも知れない。
雄英の最寄駅に着いた。
一度寮に戻り、制服に着替えて登校することになる。
「…4限目から…ってとこだな。」
勝己が腕時計を見ながら言う。
「うん。」
昨日は急いで歩いた道を今日はゆったりと戻る。
思い返してみれば、勝己から直接暴力を受けた数はそれほど多くはない。
ただ、他の者から苛められている時に勝己がそれを見かけても、助けてくれることはなかった。『手をひいた』からだろう。
遠くからじっとこちらを見ている勝己の姿が、苛めを容認しているかのように感じた。そう、勝手に出久が『感じた』だけだ。
個性がないことで自分を卑下し、強い個性があり言動が乱暴な勝己を『苛めっ子』だと設定してしまっていた。
勿論勝己の言動や考え方に悪い点がなかったわけではない。
何しろ彼は聖人君子とは対極にいる人間だ。
けれど、彼の個性を観察していたように、彼自身を良く知ろうとしていたら。もっと違うう面が見えていたかもしれないし、彼の言葉の本当の意味をきちんと受け止められていたら、自分も変わっていたかも知れない。
そうなっていたら、これほど二人の仲がこじれることもなかったのではないか。
勝己のことを嫌な奴だと思ったこともあったけれど…やっぱり。
「かっちゃん。」
「あ゙あ゙?」
「僕かっちゃんのこと、ちょっとは好きかも。」
「はあ!?」
思わずといった様子で勝己は立ち止まり、出久をまじまじと見る。
「僕、今までかっちゃんのこと、好きとか嫌いとかそういう風に考えたことなかったんだよね。…なんて言うか『かっちゃんはかっちゃん』って感じで…。」
そんな言い方で伝わるだろうか?何かもっと言葉を重ねないと伝わらないのではないか?そうは思ったが上手い言葉が見つからなかった。
「…まあ、そうだな。『デクはデク』だと思ってたわ、俺も。目障りだし見てるとイラつくとは思ってたが、好きとか嫌いを考えたことはなかったな。」
「…ちょっとは好きかな?」
「………。」
むうと黙りこむ。
「…お前人当たりは良いくせに、意外と性格悪いし、自己中だし、成績ほど頭が良いわけでもねえし…。」
「…ひどい。」
「オールマイトから個性の話を聞いた時もなあ。『こいつ個性が手に入るって保障がなけりゃあ、トレーニングしねえのか』と呆れもしたし。」
「う。」
「時々俺には理解できねえ言葉しゃべるから不気味だし…。」
「………。」
「…あんまり好きじゃねえな。」
そういって寮への道を歩き出す。
それはちょっとは好きってことで良いかな?良いことにしておこう。
勝己が素直に好きという訳はない。
嫌いという単語が出てこなかっただけマシと思わなければ。
「かっちゃん。」
「うるせえ。」
「お母さんのお見舞い、一緒に行ってくれてありがとう。」
「クソババアに言われて仕方なくだ。」
「うん。でも一緒に行ったのがかっちゃんで良かった。」
勝己と話せていなければ、出久のことを心配しすぎるほど心配する母親を鬱陶しく思ってしまったかも知れない。
母の立場になって考える。なんてことしたことがなかったから。
きっと勝己と出久の母は、とっても近い視点で出久を見ていたのだろう。
だから、勝己は出久の母親の葛藤に気付けたのだ。
という事は勝己の中にも、出久に対する葛藤があったのだろう。
『無個性の幼馴染とどう関わっていくか』から、『ヒーローを目指す仲間としてどう向き合っていくか』へ。
それが1学期の度重なる衝突と少し前の大喧嘩で概ね修正された。そんな感じか。
「やっぱり僕、かっちゃんのこと結構好きかも。」
「は、やっぱお前変態。」
「何でそうなるんだよ!」
「ドMだろ。」
「ちょっ、違うからね!」
20170616UP
END