発熱
その日、僕はいつもより少しだけ寝坊をしてしまった。
だから、寮を出たのは一番最後だったし、遅刻寸前…というほどではないけれど、いつもよりギリギリの登校となった。
教室に入るともう皆揃っていて何やら騒がしい。
ワイワイやっているのは切島君とか上鳴君で、…あれ、あの席かっちゃんの席?
ひとだかりで本人の姿は見えないけれど、人が集まっているのはかっちゃんの席の場所だ。…ってことは僕の席のすぐ前なわけで…。
うう、席に着きづらい…。
「だーかーらー。今日はどうしたんだ?ご機嫌斜めか?」
「うるせえ!」
「イヤイヤイヤ、いつもより目つきと態度悪いぞ。」
「そうだぞ。ただでさえ悪いのにさらに悪いとか、救えねえだろうが。」
「うるせえって言ってんだろ。ピーピー喚くな!」
「爆豪の声の方がでかいわ!」
喧嘩というほどではないにしろ、かっちゃんの声は超絶不機嫌な時のトーンだし、切島君たちも段々険悪になっていくようだった。
「おはよう。何があったの?」
扉の近くにいた飯田君に聞いてみた。
「いや、特に何があったというわけではないようだが…。」
「爆豪君の受け答えがいつもよりさらにひどかったらしいんよ。」
「アイツ普段だってひどいのに…それよりって…すごいな。」
喧嘩に至ってないせいか、麗日さんも轟君も穏やかに教えてくれた。
ふうん…?
喧嘩ってわけじゃないなら僕も席に着こうかな。
授業開始までもうあまり時間もないことだし…。
自分の席に近付くにつれて、人の間からかっちゃんの姿が見えるようになってきた。
……あれ?かっちゃん?
普段女子たちから『女子よりきれいな白い肌クソウラヤマシ』と評されている肌がさらに色が抜けたように白くなっているかと思えば、頬のあたりだけ少し上気してて、何か目も潤んでる…?
呼吸も少し荒くて…ちょっと!色っぽさに拍車がかかってる!?
「か、かっちゃん!!」
こ、これは、アレだ!
僕は慌ててかっちゃんに駆け寄った。
額にピトリと手を当てると『さわんじゃねえ!』って叩き落される。
けど、一瞬だけでも分かった。
「かっちゃん、熱有るね!」
「うるせえ!」
しかも結構高かった。
「飯田君。大至急相澤先生に伝えて!『かっちゃんが熱出した』って!」
「何?爆豪君具合が悪いのか?」
「いいから早く、ダッシュで!」
「お、おおお。」
「八百万さん。大き目の耐火シート出してくれる?できれば性能良さげな感じで。」
「……?分かりましたわ。」
「お、おう、おう、緑谷。何だ、どうした?」
僕がいきなり慌てだしたんで、みんながびっくりしている。
僕は自分の制服の上着を脱ぐと、かっちゃんのも脱がせにかかった。
「やめろ、離せ!」
「いいから、かっちゃん。制服駄目になっちゃうよ!」
はぎ取るように上着を脱がせる。
「切島君も上着脱いで!」
「お、お…お、…おおお。」
僕の迫力に押されるように切島君も上着を脱いだ。
「かっちゃんを保健室に運ぶから、一緒に支えてくれる?」
「それはいいけど。」
「八百万さん。出来た?」
「はい。こんな感じでよろしいかしら?」
腕からブヨっと耐火シートが出てくる。
「ありがとう。」
それを僕は被ってかっちゃんの右腕を引っ張った。
「かっちゃん、保健室に行くよ。」
「触んな。」
「大丈夫、耐火シート作ってもらったから!左側は硬化の切島君だから。ちょっとやそっとじゃ火傷しないから。」
僕の声に切島君が慌てて左側支えた。
「歩ける?」
「………。」
ギリっとかっちゃんが歯を食いしばった音がした。
僕なんかに世話を焼かれるのが嫌なのか。思うように動かない身体が悔しいのか…?
両方なのかもな…。
まともに一人では歩くことが出来なくなってるかっちゃんを、両方から肩を組むように支えて保健室まで連れて行く。
「なあ。緑谷、何慌ててんだ。何か変な病気か?」
「ううん。症状自体は多分風邪?…じゃなくても熱が出てるくらいだから…。」
「だったら何深刻に…。」
バチィ!
かっちゃんの手から火花が散る。
「うわ。」
「切島君、硬化、してるよね!」
「お。」
「かっちゃんニトロみたいな汗出してそれ爆破に使ってるでしょ。高熱が出ると汗が沢山出て、個性のコントロールが難しくなるんだ。」
「へー。」
「熱が高くなると、意識も朦朧としてくるしね。余計だよ。」
「慣れてるなー。今までも何度かあったわけだ。」
「うん。1年に1回くらい高熱出すんだよね。今までは家にいたからおばさんが早めに気づいて対処してきたけど、今は寮だから。」
「なるほどな。」
「多分入学の時に個性に関する資料で注意事項として書いてくれてるはずだから。学校側も何か対処方法は考えてくれてると思うんだけど…。」
そんな話をしているうちに保健室についた。
中に入るともう相澤先生も来ていて、リカバリーガールと何やら話していた。
「おう。ご苦労。」
そんな間にもかっちゃんの手からはパチパチと火花が散っている。
相澤先生が一時かっちゃんの個性を消し、奥のベッドに寝かせた。
そこは黒いシートで覆われていて……。
あ、これ色がちょっと違うけど八百万さんに作ってもらった耐火シートと同じようなものだ。
ベッドの横では大き目の加湿器がフル稼働している。
なるほど湿度が高くなれば火は着きづらい。
リカバリーガールが熱を測ったりしていたが、『怪我』ではない以上は解熱剤を飲んで後は自力で熱を下げるしかないようだ。
氷枕や、脇の下を冷やすなどいろいろやっているうちに、またパチパチ始まった。
相澤先生のドライアイの限界か…。
「ほら、あんたたちも教室に帰んな。」
リカバリーガールに言われて渋々かっちゃんに背を向けた。
ゴトン。
後ろで大きな音がしたので振り返ると、相澤先生がかっちゃんが寝ているベッドの周りに黒い衝立を立てていた。
防火壁…。
僕はまだ閉じられ切っていないその隙間をすり抜けて、かっちゃんの所へ走り寄った。
「こら緑谷、外に出ていろ!」
「かっちゃん!」
苦しそうに息をしていたかっちゃんの目がぼんやりと開いた。
…けど、こちらを見る気力はないようだ。
「…デク…?」
「かっちゃん!お昼休みにまた来るからね!いっぱい寝て早く熱下げてね!」
本当は手を握ってあげたかったけどバチバチ言ってるから無理だったので、頭をそっとなぜた。
すると、なんだか少し安心したような表情でまた目を閉じた。
具合が悪い時は心細くなるし。
ましてや個性が制御できないなんて、プライドの高いかっちゃんにとって物凄く辛いと思う。
だから声をかけたのが僕なんかでも、一応事情を知ってる人間だからってだけで安心したんだろう。
「ほら、緑谷、もう出ろ。」
「あ、はい。」
僕が出ると先生はベッドの周りを何枚かの防火壁で囲んだ。
とは言っても中の様子が全く分からないのもダメってことなのだろう、結構隙間もある。
衝立の隙間や天井との間からバチバチと音や光が漏れる。
後ろ髪惹かれる気持ちはあるものの、切島君と教室に戻ってすでに始まっていた授業に合流した。
休み時間になって、クラスの皆が僕の周りに集まってきた。
切島君にした説明をもう一回して、『熱が下がれば大丈夫。』と言えばほっとした空気になる。
普段かっちゃんあんななのに、皆心配してくれて…。良い人達だなあ。
「けど、具合悪いんなら寮の部屋で休んでればよかったのによう。」
と上鳴君が言う。
「あ、それダメなんだ。」
あっさり言う僕に皆が『?』となる。
「個性出てすぐの頃、やっぱり熱を出してね。おばさんもまさか個性がコントロール出来なくなるとか思いもしなかったから、かっちゃん寝かし付けて買い物に出たんだ。15分とか20分くらい。」
子供が眠ってる間に買い物なんて普通に良くあること。
ましてや子供が具合が悪いからと、速攻で帰ってきたおばさんはいいお母さんだ。
「そしたら、手から飛び散った火花で布団が燻り始めてたらしくて…。」
「え、嘘。」
「マジかよ。」
「当時は個性の威力も大したことなかったから、かっちゃん自身の火傷も大したことなかったけど、今の威力で布団で寝てたら、多分今頃寮は全焼だよ。むしろ登校してくれて助かった。」
かっちゃん、きっと必死で登校したんだ。
「うわあ。迷惑な…。」
「え、じゃあ、今までどうしてたんだよ?」
「個性の相談所ってあるでしょ。カウンセリングとかもしてくれるとこ。」
「ああ。」
リカバリーガールのような能力ではないにしても、治療系、癒し系の個性を持つ人が、個性の診断や、個性トラブル等の相談に乗ってくれる相談所が全国にある。
「うちの近所にもそれがあって、具合悪くなるとそこに行ってた。熱が下がるまでそこにこもってるんだ。」
そう言って、僕は小さくため息をついた。
診療所の奥の…多分普段は物置みたいに使ってる小さい部屋。
そこの壁やベッドも防火シートで覆ってそこに熱が下がるまでいるのだそう。
仕様としてはさっきの保健室と同じような感じ。
ただ、加湿器とか氷嚢もなかったし、保健室で感じたような『ちゃんと様子を見ますよ』という温かさは全くない。
むしろ『隔離室』といった様子の冷たい部屋だ。
…って言っても、僕は直接見たわけではない。
かっちゃんのおばさんが僕のお母さんに話しているのを聞いただけだ。
そういえば部屋にこもるときは、いつもはタンクトップに短パンくらいの恰好らしいけど…。
今日着てた制服はもうダメかもなあ。
「手を覆うっていうのは?」
「周りに被害は出ないけど、かっちゃんの手が大火傷だよ。」
「あ、水風呂とか。」
「少しの間は良いみたいだけど、体冷やしすぎると熱が逆に上がっちゃって長引くんだ。」
「はあー、今までに色々試しては見たんだ。」
「うん。1年に1回くらいドカンと高熱出すから。」
きちんと数えたわけじゃないけど10回とかもうちょっと位か。
小さい子供っていうのは結構頻繁に熱を出したりするから、僕が覚えてないだけで、回数はもっと多いのかも。
その度にかっちゃんのご両親や周りの大人は色々と試行錯誤したけれど、結局今の方法が本人にも周りにも一番負担が少ないってことになった。
1回なんて、かっちゃんに薬を投与して、強制的に気絶に近い状態にするなんて方法も試したらしい。
結局『なるべく薬には頼りたくない』とご両親が言って1回きりになったけど…。
それを聞いた時、薬で意識の無くなったかっちゃんを想像して僕は怖くて泣いてしまった。
「僕んちの側、大きなヒーロー事務所とかなくて…。なんて言うか…かっちゃんみたいな強い個性に対応出来る人がいなかったんだよね。」
相談所にしたって、『いろいろ試す』とはいえ子供に強制的に薬を投与したりするくらいだから、割と雑な対応のところだったらしい。
かっちゃんのおばさんがうちのお母さんに悔しそうに愚痴をこぼしているのを聞いたことがある。
隔離室に放り込んだら、ほとんどそのまま放置状態だったらしい。
けど『他に頼れるところもないから…』って泣いてた。
いつも前向きで元気なかっちゃんのおばさんが、息子の無個性で悩んでいる僕のお母さんに子供の個性の愚痴を言うなんて、相当辛かったんだろうと思う。
普段だったらそういう気遣いは普通にできる人なんだから。
かっちゃん自身が『ヒーローになる』って言い続けてたし、学校の成績も良かったから、異端視はされずに済んでいたけれど。
あれで、素行が悪かったら途端に爪弾き者になっていただろう。
かっちゃん口と態度は悪かったけど、みみっちい性格が幸いして、内申は良かったし、所謂『不良』ではなかったから。
けど、たとえば飯田君や轟君のように、実家がヒーロー事務所だとか、身内にヒーローがいるとかだったら、対処はもっと違ったんじゃないだろうか?
もうちょっとこう、理にかなったような、ちゃんとかっちゃんの個性に合わせた対応ができたんじゃないだろうか?
今まで、『かっちゃんが熱を出したら相談所でこもる』。
僕らにはこの一択しかなかったけれど、環境が違ったら、あんな冷たい部屋にかっちゃんを一人放り込まなくても良かったんじゃないだろうか?
そう思うと、なんだかもどかしい気持ちになる。
ただ、普通の会社員の親の家に生まれただけなのに。
ただ、知り合いにヒーローがいなかっただけなのに。
ただ、近所に大きなヒーロー事務所がなかっただけなのに………って。
昼休みに、保健室へ様子を見に行くと、バチバチが小さくなってるみたいだった。
「朝は相当高かったけど、幾分熱も下がったみたいだねえ。」
リカバリーガールも笑う。
「様子を見てた限りじゃ、眠りが深い時は個性はほとんど出ないようだねえ。眠りが浅くなったり、熱で魘されてるようなときは結構ドカンドカン言ってるよ。」
「そうなんですか…。」
『具合が悪そうに見えたらすぐ大人に知らせる』僕たち子供の役目はそこまで。
危険だからと、こうなったかっちゃんに近付かせて貰えなかった。
だから、隔離されてる時のかっちゃんの様子なんて初めて聞いた。
「あの。ちょっと見て行っていいですか?」
「今は比較的静かだねえ。よく眠ってるんだろう。様子を見るくらいならいいだろう。
ただ、音や光が激しくなるようだったらすぐに出てくるんだよ。」
「はい。」
衝立を少しずらして、そっと中にはいった。
本当だ。
火花は手の中で小さくバチバチ言ってるだけだ。
さっき、八百万さんに作ってもらった耐火シートがお腹から膝のあたりまで、お昼寝の時のタオルケットのようにかけてあって。
ああ、これならいつもみたいに足の側面やお腹の辺りが火傷することもなない。さすが、リカバリーガール。
そっと近寄って額に手を当てると、朝よりは熱が下がっているようでほっとした。
「これならきっと、明日にはここから出られるね。」
小さく呟いたつもりだったのに、かっちゃんには聞こえたのか薄っすらと目が開いた。
それに伴って、パチパチが少し大きくなる。
「……デク…?」
「うん、かっちゃん。だいぶ熱下がってるよ。後、少しだからね。」
「………。」
ぼんやりと僕を見たまま、かっちゃんが僕に手を伸ばしてきた。
…ね、寝ぼけてるのかな…?
けど、その時また、パチンと火花が爆ぜて。
「わっ。」
「………。」
かっちゃんは自分の手を、なんだか、少し寂しそうな目で見て寝返りを打った。
僕に背を向けたのは、火傷をさせたくなかったから?
かっちゃん、かっちゃん。早く良くなって。
そんな間にも、パチパチが激しくなる。
かっちゃん、目が覚めてるのかなあ?
けど、この呼吸の感じは寝息だし…。
「…んん。」
…嫌な夢とか見てるのかなあ。高熱出したるすると変な夢見るもんね。
「………出久は 俺が 守ってやんねえと…。」
小さくつぶやいたかっちゃん。
小さい頃の夢見てるの?
まだ僕を『出久』って呼んでた頃の…?
いつも一緒に遊んで。
『お前が何にも出来なくても、俺がなんでもできるから大丈夫だ。』って笑ってた頃の…?
何も出来なかった僕が、ただ、かっちゃんに守られてるだけで満足していれば、僕達の関係はこんなに拗れなかったのかな?
けど、ごめんね、かっちゃん。
僕だって男で。
ただ守られてるだけなんて嫌だったんだ。
かっちゃんに認められて、かっちゃんと一緒にヒーローになって、かっちゃんの隣に立ち続けていたかったんだ。
そろそろ昼休みが終わる。
「かっちゃん、放課後にまた来るね。」
朝の時のように、そっと頭をなぜた。
熱のせいで汗が多いのだろう。しとっと手が濡れた。
顔を近づけると、途端にニトロの甘い香りが強くなる。
衝立の内側に充満した焦げたような煙臭いような匂いに隠れて分かりづらかったけど、そうだよね。
いつもより汗かいてるからニトロの香りも強いんだ。
『甘いニトロ』の香りはかっちゃんの香り。
このニトロがかっちゃんの爆破の源で強さの根源。
…なのに、今はそれに苦しめられてる。
小さいころからこうやって一人耐えてきてたのかなあ。
かっちゃんは、勉強もできるし、スポーツも万能。
個性も強いし、それをさらに強くするための努力も怠らない。
いつも胸を張って立っている、強くてかっこいいかっちゃん。
そんなかっちゃんの背中にあこがれてずっと見続けてきた。
だから…なんだろうか?
こうやって1年に1回位ドカンと出る高熱は、なんだかかっちゃんの悲鳴みたいに思えるんだ。
いつも頑張っていて、周りに弱いところは絶対に見せない。
キリキリと張りつめて、張りつめすぎて、あるときプツンと糸が切れる。
そんなイメージ。
だから、僕よりずっと強くって、僕なんかが心配なんかする必要ないのに、…つい、心配してしまう。何となく危うくて目が離せない。
………僕がそんなだから、かっちゃんは怒るんだよなあ…。
はあ、とため息をついた。
いけない、もう昼休み終わっちゃう。
「かっちゃん、早く良くなって。」
そっと米神に唇を落とした。
―大好き―
衝立の外に出ると、リカバリーガールが丁度様子を見に来た。
「お前さん、そろそろ昼休み終わるよ。もう行きな。」
「はい。」
「…なんだい、お前さんまで赤い顔して。」
「あ、は、いや。」
「…おや、爆豪は眠ったようだね。」
振り返るとバチバチが収まって穏やかな寝息が聞こえてきていた。
ゆっくり眠って早く良くなって。
ちょっと弱ったかっちゃんも愛おしいけど。
やっぱりかっちゃんは『クソデク』って怒鳴ってまっすぐ僕を睨み付けてくれないと。
20171130END