微熱
だめだ、こりゃ…。
銀時は溜息ひとつついて。ただでさえ、やる気なく座っていた椅子にさらに身体を沈み込ませた。
朝からなんかおかしいなとは思っていたのだ…。
なんとなくふらふらする身体。視界はいつもより定まらないし、足元も覚束ない。
教師の声は耳を素通りしていくだけで、ちっとも頭の中に入ってこない。
多分風邪だな…とは思っていたけれど。
今夜早めに寝ればいいや、というくらいに軽く考えていたのだが。
どうやら、今回銀時にとりついたウイルスはかなり生きの良い奴だったらしい。
昼休みを迎える前に、すでに気力の大半は削がれていた。
今日は確か『万事屋』の仕事は入っていなかったと思う。…と銀時は自分の予定をさらってみる。
1件依頼があったから、その詳細を昼休みにでも聞きに行くかなあ…と思っていたが、これはまだ先方に連絡を入れてないから明日以降にも回せるだろう。
食欲もないから、昼休み中どこかで寝ていれば多少は良くなるかも知れない。と思った。
不思議と寮の自室へ帰って寝ようという気にはならなかった。
あそこなら静かで、誰にも邪魔されずに寝れるだろうに…。
けど、日中あそこには誰もいない。そう、同室者も…。
入学してから8か月。
すでに銀時の生活サイクルの中に、同室者の十四郎は深く深く組み込まれていて、もはやいるのが当たり前の状態となっている。
ただでさえ体調が優れないときは心細くなるものだ。
そんなときに、静かな寮で独りで寝てるなんて…。
そう言えば…とふと思い出す。
銀時が、祖母も亡くなり祖父と二人暮らしをしていた時にも一度体調を崩した事があった。
自宅のすぐ隣に職人をしていた祖父の作業場があったのだけど。
『ちゃんと寝ていろ』との祖父の言葉を無視して、無理やり作業場の隅の方に布団を持ち込んで寝ていたのだっけ。
『まったく、どんだけさびしがり屋なんじゃ。銀の字。』
呆れたように言った祖父の声が、今も聞こえてきそうだ。
「坂田!」
「うお?」
耳元で呼ばれて、慌てて顔をあげると十四郎が眉間にしわを寄せて銀時の顔を覗き込んでいた。
「昼メシ、食わねえのか?」
「あ?…おう。」
「………坂田…?…お前…。」
「ん〜?」
いつの間にか4時限目は終わり、昼休みに突入していたらしい。
昼休みはいつも、寮で意気投合した高杉、桂、沖田、近藤たちと学食になだれ込むのが常。
案の定教室の入り口では、早く来いと他の4人がたむろっている。
なんと言い訳をしようか…?
ぼんやりする頭でそんなことを考えた時、ぴとりと銀時の額に冷たいものが触る。
「わ…。」
「坂田、お前…熱、あるんじゃねえか?」
「え、や、」
戸惑う銀時にはお構いなく、十四郎は銀時の腕を掴んで強引に立ちあがらせた。
「わ、何だよ!?」
「保健室、行くぞ。」
「へ?」
唖然としているうちに、教室から連れ出される。
「…何でぃ。旦那ぁ、具合悪ぃんですかい?」
幾分面白がっているような口調で沖田が笑った。
「あ、いや…。」
「お前に風邪を引かすとは、根性の据わったウイルスもいたもんだな。」
桂が本気で感心したように言う。
「確か昨日雨の中なんかやってたよな。」
意外によく見ている近藤がそんなことを言うと、高杉がふんと半笑いで言った。
「どうせ、ろくに体を拭きもせずに寝たんだろうぜ。自業自得だ。」
「うるせえ!」
「ああ、もう、いいから、坂田。ほら、ちゃんとまっすぐに立て。」
ぐらぐら揺れる身体を、半ば十四郎に引っ張られるような形で、保健室に連行される。
「…あれ、先生、いねえのか…?」
「……先生だって、昼飯くってんじゃねえの?」
相変わらず、ぼおっと立っていた銀時は制服の上着を脱がされ、開いているベッドに押し込まれる。
ようやく横になれた体がほっとするのが分かった。
「体温計、体温計……お、あった。」
おいおい、勝手にいじくっていいのかよ…?
呆れる銀時にはお構いなしで、銀時のシャツのボタンをいくつか外し、あっという間に体温計を突っ込む。
…なんか、手際よすぎねえ?
ピピッ、と電子音がして体温計が抜かれる。
「ああ、38度。微熱だな。」
「び、微熱?38度が?」
「ちょっとがんばりゃ37度じゃねえか。」
「や、良くわかんないから、その理屈。」
「食欲は?」
「…無え。」
「喉は渇かねえか?」
「あ、…渇いたかも…。」
「…何か調達してくるわ。少しでも腹に入れた方がいいしな。」
「あ、」
「ついでに先生も捜してくる。」
「そ、」
「じゃあ、ゆっくり寝てろよ。」
土方は颯爽と出て行った。
礼も詫びも言えなかった…な…。溜息をついて、銀時は体中の力を抜いた。
シンと静まり返った保健室。
一人でも寂しいと思わないのは、十四郎が必ず来てくれると分かっているからだろうか。
しばらくして、先生と十四郎がそろって戻ってきた。
再度熱を測られたり、ひえピタをおでこに張られたり、十四郎が買ってきた10秒メシのゼリーをギュッと飲んで、出された風邪薬を飲んだりしているうちに、昼休みが終わる時間になった。
「わりい、土方、メシ、食えたか?」
「ああ、桂たちがパン買っといてくれたから…。」
いつもの超早食いで、済ませたのだろう。
「放課後、迎えに来るからな。それまでちゃんと寝ておけよ。」
そう言って再び颯爽と出て行った。
「ふふ、土方くんって意外と面倒見がいいのね。」
美人というより、かわいい感じの先生が面白そうに笑う。
「はあ…。」
銀時だってまさか十四郎がここまで手際よく病人に対処できるとは思っていなかった。
「さあ、坂田くんはこの後がっつり2時間は眠ること!」
「へ〜い。」
薬が効き始めたのか?自分で思う以上に身体が疲れていたのか?
銀時はあっという間に眠りにおちた。
「坂田。起きろよ、帰るぞ。」
「んん〜?」
「だいぶ熱はさがってるみてえだな。」
ぺりとひえピタをはがされ、そこに手があてられる。
「………え?もう放課後?」
相当ぐっすり眠っていたらしい銀時は、思いもかけず経過していた時間に唖然とする。
「気分はどうだ?」
「ああ、ずいぶん楽になった。」
「ほら、お前のカバン。」
「あ、悪ぃ。」
銀時が寝乱れた制服を直したり、上着を着たりしている間に。
十四郎は先生から今夜と明日の朝の分の薬を受け取り、何やら説明を受けている。
なんか、母ちゃんみてえ。
幼いころに死んだ母親。はっきりした記憶は多くはないけれど、やっぱり、優しい人だったと思う。
「ああ、桃缶食いてえ。」
白い優しい手で、食べさせてもらったのを唐突に思い出した。
十四郎が呆れたようにこっちを見た。
「予想を全く裏切らない奴だな。」
「へ?」
「理事長からこっそり差し入れだ。」
そう言って十四郎がカバンから出したのは、まぎれもなく『桃缶』だった。
「あと伝言。『結局は身から出た錆だとは思うが、こっちも寝覚めが悪いんでね。』だそうだ。」
「あ〜。」
昨日、理事長からの依頼で裏庭の草むしりをしていたのだが。
もうすぐ終わるという頃になって雨が降ってきたのだ。
さほどの雨量じゃなかったからそのまま作業完了まで続けて、報告もそこそこに寮に帰ったのだが。
『拭いていけ』と理事長から差し出されたタオルを、寮に帰るまでにどうせまた濡れると固辞して…。
で、見事に風邪っぴきだ。……やっぱり自業自得?
「桃缶かあ、懐かしいな…。」
「お前の家は風邪ひくと桃缶か?俺んちはバナナだった。」
「ああ、お手軽だよね。バナナ。」
「まあな。寮に帰ったら桃缶開けてやる。…食欲は?夕食は食えるか?」
「いつもほどじゃねえけど、多少は食べられそうだ。」
「じゃ、食堂のおばちゃんに頼んでおかゆにしてもらうか…。」
保健室から寮へ向かいながら十四郎が笑いながら言った。
その言い方だと部屋までおかゆを運んできてくれる、ということだろうか?
いたれりつくせりだね。
そう言葉にして言えば、照れ屋で意地っ張りの十四郎のことだからなんかしょうもない言い訳をするのだろう。
その言い訳を聞いてみたい気もするけど、今はこの気遣ってもらえてるふわふわした幸福感に浸っていたかったから。
いつもよりゆっくり歩いてくれる十四郎の気配を追って、寮への道をのんびりと歩いた。
20100316UP
END