やさしい笑顔を 〜犬も喰わない〜

 

 

 

 喧嘩の原因なんて、覚えていない。どっちが悪かったのか…なんて今となっては分からない。

 ただ、怒りと気まずい空気と、ほんの少し悲しい気持ちだけが残っていた。

 それでも二人は同じ職場の同僚だ。

 仕事上どうしても話をするし、協力していかなければ成り立たない。

 硬い声に引きつった表情。ぎこちない態度で周りをやきもきさせながら、何とか仕事をこなしていた。

 

 

「トウエン少尉。」

 指令室で仕事をしていると、ホークアイがリアーナを呼んだ。

「はい。」

「今日、ゴードン少佐がいらっしゃるわよ。」

「え?本当ですか!?」

「今日の午後ね。イルファ中尉とお二人でいらっしゃるそうよ。」

「うわー。」

「随分久しぶりでしょう?」

「はい。楽しみです。」

 にっこりと笑う。

「ゴードン少佐って?」

「ああ。西方司令部………で、私の上司だった…人。」

「……ヘエ。」

 いつもの調子で口を挟んだハボックに、いつもの調子で答えたリアーナ。互いに途中で“ん”と顔を見合わせ、後半の口調は不自然にぎこちなくなる。

 仲直りか?と見ていた皆も『はぁ』と内心溜め息を付いた。

 付き合う前も時々喧嘩をすることはあったが、もっとカラリとしていたように思う。

友人と恋人ではこうも違うものかと、感心するやら呆れるやら。

 それでも、元上司が来るということで、リアーナの機嫌は格段に良くなっていた。

 

 

 それに対して。

「お前。うっとうしいから巡回へ行け。」

 相変わらず鬱々としていたハボックは、マスタングにそう言われて無理矢理外へと追い出された。

 そして今、ようやく街を一回りして戻ってきたところだ。

 確かに気分転換にはなった。

 けれど、すぐに指令室へ戻る気にはなれなくてとりあえず休憩室へと足を運ぶ。

 煙草をふかし、ふうっと溜め息。

 原因も覚えていないような喧嘩に意味があるとは思えない。けど、覚えていないだけに謝っても下手に出ても誤魔化しても、説得力が無いだろうことはさすがに分かる。

 中途半端な時間で、休憩室は無人。その上、廊下にも丁度人が居ないらしい。

シーンと静まり返っていた。

 だからだろうか?少し離れたところから徐々に近付く声。

「…イルファ中尉。資料、少し持ちましょうか?」

「いや。大丈夫だよ。」

 リアーナの声?『イルファ中尉』って言うと確か西方司令部から来るっていう…。

 もう着いてたのか。挨拶をしに行かなきゃマズイだろうか?

「君が東方司令部に来たのは良かったようだね。楽しそうだ。」

「はい。おかげさまで。」

「君をマスタング大佐に推薦したのは俺じゃなくて、ゴードン少佐だよ。

しかし、トウエン少尉。久しぶりに会ったら随分きれいになったんじゃないのかい?」

「ふふふ。イルファ中尉はお口が上手になったみたいですけど?」

「いやいや、本当だよ。」

 気安い人なのか、軽口を叩いて笑っている。

 偉そうにふんぞり返る人じゃ無くて良かったかも…。そういう人種がとことん苦手なハボックは少しほっとする。

 しかし。

「なあ、リアーナ。」

 丁度、休憩室の前を通り過ぎたあたり。親しげに呼ぶファースト・ネームに煙草の灰を落とそうと伸ばした手が灰皿の上で止まる。

「もう一度、付き合わないか?」

「イルファ中尉。」

 戸惑うリアーナの声。そして…。

「…どうして私が今、フリーだって……。」

 遠ざかってしまったために肝心の部分が聞き取れなかった。

 『どうして私が今、フリーだって……』…知ってるんですか?…と続いたのだろうか?そうすると、彼女の中ではもう別れたことになっているんだろうか?

 どれくらいそうしていたのだろう。

「…あっちっ…。」

 煙草の火が手元まで来ていて、慌てて消す。

 ぼんやりと休憩室を出て。

呆然自失。

そんな言葉がピッタリな様子で、力なく指令室までの廊下を歩く。

 …と、手前にある給湯室にリアーナの背中が見えた。多分大佐たちにお茶を出すよう頼まれたのだろう。

 ……あいつ…にもか……?会ったことの無い声だけの男。

 お湯が沸くのを待っているのか、動かない背中に近付いた。

「っ。」

 気配に気付いて振り返ろうとしたリアーナを押しとどめて後ろから抱きしめた。

「………。ごめん。」

「………。」

 少し押し黙ったリアーナは、ふぅと小さく溜め息をついた。

「それは、何に対して?」

「う……。」

 やっぱ誤魔化されちゃくれないよな。次の声が出ないハボックの腕を外して、リアーナは振り返った。

 呆れられているんだろう。余計に怒りの炎に油を注いだかも…。

 と。リアーナがきゅっと抱きついてきた。

「ごめんなさい。本当言うと私もよく覚えていないの。」

「何だ。」

 ほっと肩の力が抜け、リアーナの背を抱き返した。

「じゃ、これで仲直りな。」

「うん。」

 探るように顔を寄せると、リアーナは素直に目を閉じた。そっと唇が重なった時、ピーーーッとやかんの湯が沸騰した。

「ちえっ。」

「ふふふ。司令部ではちゃんと仕事をしなさいってことね。」

 クスクスと笑いながらも、リアーナは手際よく紅茶を入れていく。

「ゴードン少佐、もういらしたのよ。」

「へえ。」

「凄い人だから。」

「…へえ。」

「大佐が大総統になった時、陰の大総統はあの人ね。」

「…ヘ?」

「表のファースト・レディ?」

「…少佐って…女性?」

「そうよ。」

「…大佐の…?」

「…だと勝手に私は思ってるけど…。違うかな?」

「…なんだ…。」

「はい、ジャンにも。巡回ご苦労様。」

「おう。サンキュ。」

 一口すすって。

「お前、紅茶入れるの上手いよな。」

 軍支給のお茶なんて不味いことで有名なのに、リアーナが入れるとそこそこ飲めるお茶になる。

「西部は茶葉の産地だしね。子供の頃、一番に覚える手伝いはお茶淹れだもの。」

「へえ。」

「今日のお客様は二人とも西部から来てるから、そう美味しいと思わないかも知れないわ。」

 仕方ない、と肩をすくめて苦笑する。

「…お前…さ。」

「うん?」

「さっき……。」

「?」

「…もう一人来てるだろ?」

「イルファ中尉?…ええ、いらしてるけど…。」

 合点がいったように眉を顰める。

「…盗み聞き?」

「休憩室にいたら聞こえたんだよ。」

「じゃ、私が何て答えたのかも知ってるわよね。」

「…聞こえなかった。」

「…ジャン?」

「…おう。」

「疑われてるの?私。今、お付き合いしている彼氏がいるような気がするんだけど…気のせい?」

 少し怒りを含んだ表情。やべ、せっかく仲直りしたのに。

「や…そのな。喧嘩してたから…。」

「喧嘩することと、別れることは違うでしょ!」

「はい!すいません。」

「ハア…。」

 溜め息をつくリアーナ。

よくよく聞いてみれば、『どうして私が、今フリーだって思うんですか?』と答えたのだという。『この幸せそうな顔が見えませんか?』と自分のほっぺたを摘んで見せたらしい。

 カップが4つ乗ったトレーをわたされる。

「指令室の皆の分。1つ私のだから。」

「はい。」

 自分ももう1つトレーを持って歩き出す。するとそれは上司たちの分か。

「リアーナ、ごめん…って。」

「いいわよ。もう、怒ってないわよ。」

「本当か?」

「本当よ。ちょっと、呆れてるけど。」

「………。」

「私を。あなたの今まで付き合ってた人たちと一緒にしないで。」

「…はい。」

 一緒にしたつもりは無いけれど、確かに二股掛けられたことも、喧嘩してあっさり別れられた(捨てられた?)こともあって…。多分そんなことがあったから不安になったんであって…。

 しょげた顔をしていたのだろうか。立ち止まったリアーナが背伸びをして手を伸ばし、ポンポンと頭をなぜる。

「大丈夫よ。私から捨てたりしないから。」

「!」

 くるりと振り向き前を歩いていくリアーナに慌てて追いつく。

「そんなの、俺だって。」

「そうかしら?」

「そうだよ。」

「じゃあ、ずっと一緒ってことね。」

「っ、ああ!」

「…うんざりだわ。」

「こら。」

「冗談…っちょっ…零れるって。」

 お互いにお茶の入ったトレーを持っているから、抱きしめたりは出来ないけれど…。

 さっきまでの重苦しい空気はどこかへ行っていた。

 

 

 その日の夜は、『お近付きの印に』と皆で飲みに行くことになった。

 そこで初めてハボックはミリアム・ゴードン少佐と話す機会を持てた。

 物凄く切れるのにカラリと嫌味じゃない。

マスタングやヒューズと士官学校からの同期だそうで。マスタングの話では、自分もヒューズも彼女には適わないのだとか…。

 マスタングが『適わない』とあっさり認めるのも凄いが、何よりあのホークアイが尊敬し目標にしているというのだからまさに天下無敵という奴だろう。

 『私は裏で糸を引く方が性にあってるのよ』と悪びれずに笑う。

恐らく糸を引くターゲットの中にはマスタングも入っていて…成程『陰の大総統』だと納得するしかない。

ハボックは心の中で上司に言った。

 『あんた絶対に尻に敷かれる』

 そして、イルファ中尉も。話してみると結構いい人で…。

 リアーナやハボックより1年先輩なんだとか。声だけでは分からなかったが、すらりと背が高く、笑った顔が親しみやすい感じの人。

 西方司令部にいた頃、リアーナと半年位付き合っていたのだそうで…。面白くは無かったけど、ハボックだってリアーナの事をどうこう言える立場ではないので、とりあえず黙っておく。(ついでに、盗み聞きしていたことも黙っておいた)

 皆はまだ盛り上がっていたが、『せっかく仲直りをしたんだから』という訳の分からない理由で。リアーナとハボックは、店を追い出された。

「いつもんとこ…行くか。」

「うん。」

 二人が気に入っているバーへ入る。カウンターに座って…。

「ソルティドック」

「ジントニック」

 いつもの気に入りのカクテルを頼んで…。

「「あっ!」」

 思い出した。喧嘩の原因。

「くだらな過ぎるわ。いくらなんでも。」

 リアーナががっくりと肩を落とした。

 『ソルティドッグとジントニックのどちらが美味いか』

………。

「阿呆か、俺らは。」

「うー。」

 凹む二人に、馴染みのバーテンがにっこりと笑いかける。

「仲直りなさったようで、良う御座いました。」

「ウウ。」

 店を出るときは相当険悪で、気をもんでいてくれたらしい。

 知らないうちに色々な方面の人に心配をかけていたのだ。

「もう、喧嘩は止めような。」

「うん。喧嘩する前に、深呼吸しようね。」

「ああ。それ、いいな。」

 ハボックが頷くと、リアーナはにこりと笑った。

「…ねえ、ジャン。例えば大佐が大総統になって、ゴードン少佐が陰の大総統になったあかつきには…さ。」

「うん、あかつきには?」

「私たちも、一緒に傍にいられたらいいね。」

「ああ、そうだな。」

 その為に、今。自分たちはここにいるのだから。

 

 

 

  〜おまけ〜

 

「そういや…さ。」

「ん?」

「なんで、喧嘩してて『幸せ』なんだよ?」

 イルファ中尉にそう言ったんだろ?

 本当に分からない様子でハボックが聞く。

 『この鈍感男!』リアーナは心の中で毒づいた。

「…教えない。」

「教えろよ〜。」

「イヤよ。自分で考えて。」

「分かんねーから聞いてんだろ。」

「じゃ、分からないままでいて。」

「おい〜。」

 理由も覚えていないくらいの下らない喧嘩なんて、付き合ってなきゃ出来ないでしょ。

こういうのを世間じゃ『犬も食わない』『痴話喧嘩』って言うのよ。

 そんなの出来る日が来るなんて思ってもみなかった。

『幸せ』以外に何て言えっていうの?

 分かってないわ、本当。分かってない。

 隣で往生際悪く『教えろよ』とまだ言い続ける大男を横目でチロリと眺める。

 そのニブさで辛い思いもしたけど、そこが又可愛いのよね。

 にっこり笑ったリアーナに、ハボックの表情もぱっと明るくなる。

「教えてくれんのか?」

「ふふふ。…いや。」

「リアーナ!」

 そこでちょっとは頭を使いなさいよ。

 

あなたにしか使えない。

私を思い通りに出来る手段を あなたは沢山持っているんだから…。

 

 

 

20050922UP
END

 

 

ちょっと、喧嘩させてみました。
月子は喧嘩は苦手なので…、(頭が悪いので、とっさに口も手も出ない)喧嘩中のシーンは割愛しました。
そして!出ました。「ミリアム・ゴードン」!
この人が当サイトでの(除く「年上の彼女と年下の彼氏」)大佐のお相手です。
ですので、今後他作品でも色々な場面でちらちらと顔を出すと思いますのでどうぞよろしく。
本当はもっと詳しくご紹介したかったんだけど、そうすると無駄に長くなっちゃうし、
この話はリアーナとハボックの話だからね。
今回は顔見せだけということで…。
(05、11、09)