やさしい笑顔を 〜煙草のけむり〜

 

 

 

 けだるい身体に夜着を着けていく。夏場はともかく冬の夜は、これ以上は無い程火照った身体も、すぐに冷えてしまう。

 手早くパジャマを着込んだリアーナがベッドの中へ潜り込んだ時。

 チンとジッポの蓋をはじく音がした。

 ここはリアーナの部屋だというのにいつの間に持ち込んだのか、ちゃっかり自分用の夜着を着たハボックが、煙草に火をつけたところだった。

 この人が、煙草なんて似合わなければ良かったのに…。

 何度リアーナはそう思ったか分からない。

 似合っていなければ、身体に悪いからと早々に禁煙をさせただろうし。仮に喫煙を許したとしても、きっと1日の本数を極少ない数に決めたと思う。

 けれど、なまじ似合っているから…。ついうっかり見惚れてしまうこともしばしばあるので…。どう考えても体に悪い吸い方だと思うけど、強く言ったことはない。

 ただこの頃は自然と本数が減っているようなので、本人の身体にも良いと少しほっとしているところだ。

 そんなハボックには、どうしても吸いたい時というのがあるらしく。

食事の後だったり、風呂に入る前だったり、1日に何回かは決まったタイミングで煙草を取り出す。

 そして、今。

 情事が終わり、さあ寝ましょうというときに、必ず1本口にする。

 始めのうちはそれほど気にもしていなかったが、この頃このタイミングの1本がどうしても気に入らない。

 一応リアーナの方へ煙をやってはいけないと気を使うらしく、足を床に降ろしベッドに腰掛けた姿勢で煙草に火を着ける。

 つまり、こちらに背を向けて。

 つい先程まで抱きしめていた女に背を向けて、美味しそうに煙草を吸うってどういうことよ?まるで『この女では満足できない』って言ってるみたいじゃない。

煙草の方がずっと美味いと。

 そう考えながら、込み上げてくる感情が『怒り』ではなく『不安』なのはリアーナの性格だろう。

 そっと身体を起したリアーナはベッドの中で膝を抱えて座り、美味そうにタバコを吸う大きな背中をぼんやりと見つめた。

 

 ハボックは、リアーナと始めて会った軍の新人研修の時にはすでに煙草を吸っていた。

 その当時は今ほどヘビースモーカーだった訳ではなかったと思う。

けれど、それまで自分の周囲に喫煙者が少なかったリアーナにとって、脱いだ後の上着から煙草の香りがするというのはかなり新鮮な驚きだった。

 二人別々の地に配属されてからも、時々誰かが吸う煙草の香りから連想するのはハボックで、好きだという気持ちに気付いたのもそんな自分を自覚した時。

 もっともその頃は、その想いをまさかここまで引き摺るとは思っていなかったのだけれど。

 何度か男性と付き合ってみたりしたけど、そのたびに記憶の中のハボックと比べてしまっていた自分は最低だったと思う。

 そのうちハボックへの想いはどうにも誤魔化せないのだと諦めて、恋人を作ることなど考えなくなった。

 それでも。どうにも淋しい時、ハボックへの想いが溢れてしまう時。

 リアーナは自室でそっと煙草に火をつけた。

 吸いたいのではなく、その煙の香りに包まれていたかったから。

 口に含みふうと煙を吐き出し、ゆらゆらと形を変える煙を眺めてぼんやり過ごす。

 女性であるというだけで、苛烈な待遇を強いられる西方司令部勤務の中で。唯一その時だけが、リアーナがほっと出来る時間だった。

 だから当時の寮の自室には、いつも煙草が1箱だけ置いてあった。

 東方へ来てハボックと再会し、もう煙草はいらなくなったと思った。だから、すぐにハボックに上げてしまった。『荷物の中に紛れていた』と言って。『サンキュ』と笑って受け取ったハボックはそんなこと覚えてもいないだろう。

 リアーナの意識の中でもハボックと煙草はもう1セットなのだけど。

それにしたって、この期に及んで煙草にヤキモチを妬くことになろうとは…。

 

 

 煙草に火をつけ、吸い込んだ煙を吐き出したとき、後ろでさらさらと布の擦れる音がした。

 リアーナが寝返りでも打ったかな。

 何気なしに振り返ったハボックは、思いのほか自分に近い位置にあるリアーナの瞳に驚いた。

「何だ、寝ねーのか?」

「………ん……。」

 膝の上に顎を乗せてじっとこちらを見ている。ハボックを…というよりは、煙草を…?

 思いのほか真剣な目で、煙草を見ているので。

「吸うか?」

 と、何気なく聞いてみた。

「…うん。」

 いらない。と言うかと思いきや、素直に頷いたのでハボックの方が驚いた。

 リアーナが煙草を吸う姿など見たことが無い。

 ハボックが煙草を吸った直後にキスすれば『苦い』と文句を言われる。

 だから今回も『苦い』『不味い』と1口で突っ返されるか、ケホケホと咳き込むかのどちらかだろうと思っていたのに。

 吸いかけの煙草を差し出すと、意外と慣れた手つきで受け取り、1口含んでふうと煙を吐き出した。

 肺まで吸い込んでいないので、何となくほっとしながらも。突っ返すのでもなく咳き込むでもない様子に唖然となる。

「お前、煙草吸うのか?」

「吸わないわよ。」

 そんなこと知ってるでしょう?と言う口調で言われる。

「…一度も吸ったことが無いとは言わないけど…。」

 まあ普段吸わない者が、好奇心で試しに一度くらい口にすることもあるだろう。

 特にハボックは本当に美味そうに吸っているらしく、そんな様子を見ていた友人が1本試したいと言い出したことも過去には何度かある。

 けれど、これは…。

 過去に1・2度試したことがあるという様子じゃない。

 ゆらゆらと上がる煙をじっと見つめるリアーナ。それが薄くなると再び一口吸う。

 その時リアーナは西方にいた頃を思い出していたのだけれど、ハボックにはそんなことが分かる訳も無く。

 煙草を挟む指先や煙を見つめる瞳など、普段のリアーナと雰囲気が違って『大人の女』のような感じがする。

 別に普段だって子供っぽいなどと思っていた訳ではないが、なんだか自分よりずっと年上のような気がした。…同じ年のはずなのに。

 それに煙草を吸っている間のリアーナは、まるでハボックなどこの場にいないかのように真剣に煙のほうを見ていて、なんだかそれも面白くない。

 リアーナの手から煙草を取り上げ、灰皿にぎゅっと押し付ける。

「?」

 首を傾げてこっちを見ているリアーナを抱き寄せて、強引に口付けた。

「!?」

 その口内に煙草の気配が残っているのも嫌だ。

 舌を差し入れ、その気配を消すかのように掻き回す。

「……んん……。」

 苦しそうに声が漏れるが、気にせずそのままベッドに押し倒し、押し付けた。

「んっ。」

 苦しそうに逃れようとするリアーナの様子に、仕方なく少しだけ力を緩めた。

「…ジャン…何?」

 どうしたの?目がそう聞いてくる。

「取られたと思ったんだ。」

 ボソリと呟く。

「…吸うかって聞いてきたのはジャンでしょ。」

 自分で煙草を薦めておいて『取られた』と怒るなんて、理不尽だ。

「違げーよ。煙草に、お前を取られたと思ったんだよっ。」

「? 文法間違ってるんじゃない?」

「間違ってねえ。」

「………。…そんなの、私いっつも思ってるけど…。」

「………。」

 確かに、いつも煙草を吸っているのは自分の方だけど。

「取られたってなんだよ。煙草とお前と比べられるわけ無いだろ。」

「あなただって、今そう言ったじゃない。」

「はあ〜。何だよ、もう。」

「…何なの?」

 そのままリアーナを抱き込んでベッドの中へ潜り込む。

「お前は、俺のもんだからな。」

「?…うん。」

「ああ、もう。そこは『ジャンは私のものよ』と返すところだ。」

「?私のもの?ジャンが?」

「そうだろうが。」

「ええ!?」

 驚いて見返してくるリアーナ。

 じゃあ、今まで何だと思っていたんだ。とか突っ込みたい気持ちはあったけど。

 意外と早く意味を飲み込んだらしいリアーナが嬉しそうに擦り寄ってきたので、その身体を煙草にも誰にも取られないように、さらにぎゅっと抱き込んで。

 ゆっくりと眠りに着いた。

 

 

 習慣になっていた『寝る前の煙草』をたった一口しか吸えなかったことになど、その時ハボックは全く気付かなかった。

 

 

 

 

 

20060224UP
END

 

 

 

お互い煙草にヤキモチ…。
しょうもないな…。二人とも。
リアーナが一人でハボックを思っていた頃の切ない感じが出ているといいんですが。
いかん。「月の女王」と同じシュチエーションだ…。
(06、02、27)