やさしい笑顔を 〜春の風〜
今日は良い天気だ。
日差しは暖かく柔らかい。心地よい風も吹いている。
けれど、私のところまでは、その風は届かない。…なぜなら、大きく開け放たれた指令室の窓と私の席の間にヘビースモーカーが座っているからだ。
先程からイライラと足を揺すり、ガシガシと頭を掻き毟り、煙草を吸いまくっている。
つまり、私のところへ来るのは春の暖かな風ではなく。ヤニ臭くむせ返るような最悪な煙なのだ。
それでも、今はそのヘビースモーカーと二人きり。
出来ることなら和やかに、笑い合って仕事をしたいじゃない?
時々溜め息を付きつつ隣を窺う私に全く気付かず。大男は短くなった煙草を灰皿に押し付けて、又新たな煙草に火をつけた。
ジャンと付き合うようになってから、前よりもっと好きだなーと思うことが多くあった。
ずっと親友で、友人として大切にはしてくれていたけど、彼女として大切にされるのは又格別だ。嬉しくってくすぐったい。
ただ、時々ふっと思うことがある。
大佐と私。両方の命の危険があるときに優先するのはどちらの命?
多分答えは大佐だろうし、そうあるべきだ。
だって、彼はマスタング大佐の護衛官も勤めているのだから。そして、大佐を上に押し上げるために付いて行くのだから。
頭では分かっているけれど、一抹の寂しさは拭えない。
けれど、じゃあ自分は?と考えた時。やはり何者にも変えられない上官が居る。
ジャンとあの人と、どちらかの命を選べと言われたら、きっと私は上官の命を選ぶだろう。
人のことは言えないか…。小さく苦笑した。
西方司令部は余所者に冷たいことで有名だけど、実はもう一つ女性蔑視でも有名だ。
士官学校でも入隊してからの研修でも、私たち女性軍人は常に男性軍人と同じだけのことを要求されてきた。
体格差もあるし個人差もあるけれど、他者に劣る部分を補うためにそれぞれ独自に色々と工夫する。(男も、女もだ)
そして、研修が終わると同時に即戦力として使われるために各地へ配属される。ある者は戦闘の最前線に、ある者は各都市の司令部に。
なのに、西方司令部へ配属された女性軍人だけがまずお茶酌みを徹底的にやらされる。
普通司令部には、接客係のようなことをする事務の子が必ず居る。勿論西方司令部にも居る。なのにだ。
別に私だって事務やお茶酌みを差別するつもりは無い。
けど、その為に雇われて給料を貰っている要員が居るのに、何故即戦力であるはずの私たちに?しかも、女性にだけ?と思ってしまうのだ。
今の職場だって、自分で飲みたきゃ皆自分で淹れる。
大佐ですら他に手のあく要員がいないときは『気分転換だ』とかって言って自分で淹れるときも極たまにだがあるくらいだ。…さすがに、そんなときは申し訳なく思うけど…。
西部ではとにかく女性の出世は遅いとされている。
理由は簡単。まともな仕事をさせてもらえないからだ。
そんな中で、脅威の出世スピードを誇るのがミリアム・ゴードン少佐。
女性である上、国家資格も持たない。なのに28歳のときに少佐に昇進。
普通、西方司令部では中尉になれれば良いほうだ。
その上、スキャンダルをでっち上げて特に女性蔑視の酷い上官を左遷させてしまった。
今や、西方司令部内であの人に面と向かってたてつける人はいないだろう。
その手際といい、行動力といい。本当に凄い人。そして、部下をちゃんと見てくれる優しい人。
負けん気が強くて司令官に目の敵にされ、ぐいぐい押さえつけられていた私をこの東方司令部へ推薦してくれたのはゴードン少佐だった。
お陰でやりがいのある仕事をさせてもらってるし、何よりジャンに再び会えた。
勿論、ゴードン少佐を信用して、そして私を信じてくれて好きにやらせてくれているマスタング大佐にもとっても感謝しているけれど…。
大佐を上にと願う指令室の他のメンバーと。元上官がそう思っているからその願いを叶えるために大佐を助けたいと思う私には、その想いにわずかに温度差がある…。
けど多分。皆がみんな同じものを見ているより、一人くらい視点の違う人間が居たほうがバランスが取れて良いんじゃないかな。
一歩引いたところから見る。それが私の役目だと勝手に思っているんだけど…。
ぼんやりとそんなことを考える。
その間にも数枚の書類を仕上げた。
執務室で中尉の監視付きで缶詰になっている大佐へ、今提出に行こうか?もっとまとめてからが良いかな?と少し思案する。
何か、いつ出したって今日中にサインを貰うのは無理かなあ…。
…と、隣で又煙草を灰皿に押し付けるために手が伸びた。そして、すぐに新しいものを咥える。
それをサッと口から引き抜いた。
「何すんだよ。」
「…私を肺ガンにする気?」
あなたも吸いすぎよ。
視線が一瞬宙を彷徨い、白く煙り始めた室内を見る。
「………悪ぃ。」
「…良いけど。…少し煙草は休憩、ね。」
「………。」
溜め息をついて、ジッポから手を離す。その手に取り上げた煙草を返して、
「コーヒー飲む?入れてきてあげる。」
と、立ち上がった。
するとグイと腕が引かれ、体勢が崩れる。
「キャ。」
気が付けばジャンの膝の上で…。
「ちょ………。」
抗議するために上げた声は声にならなかった。
ぎゅっと抱き込まれ、重なった唇から舌が差し入れられる。
「……ん……。」
苦いわ、苦い!
その広い胸を押し返す。すると、少しだけ離れて。
「……もう少し。」
強請るような口調に、しょうがないなと肩の力を抜くと再び唇が降りてきた。
なにやら色々と煮詰まっていたらしいジャン。
ねぶるように舌でなぞられ思わず吐息が漏れる。
室内に響くのは服の擦れる音と、声にならない吐息と、湿った口付けの音だけ。
暫く、大人しくされるがままになっていたけど、そろそろ誰かが戻ってきてもおかしくない。
ちゃっかりと私の胸のふくらみの上に置かれている大きな手の甲の皮膚を、ぎゅっと摘んで引き剥がした。
「…いてーって。」
「……そろそろ真面目にやらないと、ジャンだけ残業確実よ。」
「………。何度やっても合わねーんだよ。」
「……そう?」
そのままの体勢で手を机の上に伸ばし、一番上の書類を取った。
「…んー……。…ああ、ほら、ここが違うのよ。」
「あ、……なんだよ、そこかよ…。」
「じゃ、間違いが分かったところで頑張って。」
「…う。手伝って。」
「サボってる人の手伝いはしないわよ。私。」
そう例え相手が彼氏でも。
「…ちゃんとやるよ。」
子供が拗ねたような表情になる。
「私の分はもうすぐ終わるから、そしたら何か手伝うわね。その前にコーヒー入れてくる。」
「ん。思いっきり濃い奴が良い。」
「うん。」
了解。の意味でチュっと唇に。
立ち上がって部屋を出ようとすると、後ろで椅子のキャスターが動く音がして、ジャンが机に向かったのが分かる。
思わず笑ってしまいそうになった時、ガチャリと扉が開いた。
「お?」
「あ、ブレダ。お帰り。コーヒー入れるけど、飲む?」
「おう、頼む。」
そして、おもむろに手にしていたファイルで空気をパタパタと扇いだ。
「あ、悪ぃ。煙草臭いか?」
「あー、いや。」
ジャンの言葉に首を振る。
「甘い、ムカつく空気が漂ってる。」
「………。」
「………。」
溜め息一つついて。
「お前ら、仲が良いのは結構だが。又、大佐に嫌がらせされたくなかったら、程ほどにして置けよ。」
「っ……おう。」
「………うん。」
恥ずかしくて慌てて部屋を出た。
ブレダのコーヒーには何時もの倍の砂糖を入れてやろうと思いながら。
20051111UP
END
初稿は大分前のお話。けど、春の話だったのでこの時期のUPとなりました。
珍しく1話丸まるリアーナ視点の話。
リアーナはマスタング組にどっぷりつかるのではなく、身体半分ずれてる場所から見守ってる感じです。
で、久々のブレダ。
この3人組の息の合った話もいつか書きたいと思いつつ…。
(06、05、10)