やさしい気持ち 〜不安1〜

 

 

 

 …イヤだわ。

 先程の光景が頭から離れない。

 いくらハボックとリアーナが司令部内で有名なカップルだからといって、全員がそれを知っている訳ではない。

 職員や軍人の出入りは激しいし、とにかく広くて大勢いる。

 中には二人が付き合っていることを知らない者もいる。ハボックを知っているがリアーナを知らない者もいるだろうし、その逆もあるだろう。

 だから、先程のように。

 頬を染めた女性職員がハボックに告白していたからって驚くことじゃない。

 ハボックは背が高くて目立つし、人好きのする社交的な性格だ。初対面の人にも構えることなく話すし、女の子には特に優しいから。そんな彼を好きになる子が出るのも不思議じゃない。

 リアーナという彼女が居ることを知らなかったのかもしれないし。知っていて、でも構わないと思ったのかもしれない。

 それは分からないけど、誠実なハボックはきちんと断ってくれたと思う。

 その辺は信用している。

 けれどどうしても、…嫌な…というか複雑な気分になってしまうのは仕方ないだろう。

 もしかしたらいずれ、リアーナよりも好きな女性が現れるかも知れない。

 そんな心の隅にある、いつもは大して気にもしないような小さな不安を引っ張り出されてしまうのだ。

 …イヤだわ。

 昼食を終えたばかりだったリアーナは、中庭の木立が何本かあって夏場には心地よい日陰を提供してくれる茂みへとやってきた。

 ここは木の葉が死角を作ってくれる場所で、ハボックとも何度か共に休憩を過ごしたこともある場所だ。

 この季節は丁度色づき始めた木の葉が鮮やかだ。

 もう少ししたら落ち初めて芝生の上に赤や黄色の絨毯を作るのだろうが。今はまだ数枚が散らばる程度だ。

 木立の下にリアーナは寝転んだ。

 …イヤだわ。

 自分は泣いているのだろうか?

 木の枝の向こうにちらちらと見えている空がにじんだような気がした。

 …本当、イヤだわ。

 小さな事でいちいち動揺している自分が嫌だった。

 ハボックを信用してない訳じゃない。信用できないのはむしろ自分。

 いつになったら少々のことでは揺るがない恋人になれるのだろう。

 そして…もう、本当にイヤだ。

 こんな、ハボックがすぐに見つけてくれるだろう場所に逃げ込んでいる自分。

 早く見つけて慰めてくれと言っているようなものじゃないか。

 そんな自分が本当にいやだ。

 両手で目元を隠すように覆った。

 さすがに本当に泣いていたら、ハボックが心配してしまう。

「あー、いたいた。リアーナ」

 ハボックの声が近付いてきて、ガサリと茂みが揺れる音がした。

「…リアーナ?」

 起き上がらないリアーナをいぶかしむ声。

 笑わなきゃ、そう思うけど動けなかった。

「おい?」

 あろう事か横になっているリアーナの上にのしかかるようにして、ハボックはリアーナの腕をどけた。

「…っ、どうしたっ?」

 やっぱり自分は泣いていたらしい。

 戸惑ったようなハボックの顔が揺らめいて見える。

「何でも…。」

「なくて泣いたりしないだろう。」

「…ごめ…ん。」

「……ったく。一人で抱え込んで泣くなよ。」

 しょーがねーなという口調で笑ったハボックの唇がそっと目元に押し当てられ、涙を拭ってくれる。

 普段はこんな場所での親密な接触は嫌がるリアーナだったが、今は拒むことが出来なかった。

 それに気をよくしたのか、ハボックはそのまま額や頬にもキスを繰り返す。

 そして唇が重なった時、リアーナの腕がそっとハボックの背に廻された。

 外での接触を嫌がらないばかりか、こんな甘えるようにされたら…。

 口付けが深くなり、夢中で互いを求めた。

「…っ、お前っ。」

「……な…に?」

 ほんのわずかに離れた唇。

 何か苦しそうな顔のハボックが居た。

「もうすぐ休憩時間も終わるっているのに、俺の事煽ってどうすんだよ。」

「煽ってなんか…。」

「ヤベエよ。夜まで我慢できねーかも。」

 口の中でブツブツと呟くとハボックはリアーナの肩口に顔を埋める。

「ち…ちょっと……ジャン?」

 もう休憩時間も終り。とか言ってなかっただろうか?

 背中に廻していた腕を動かし、ハボック越しに腕時計を見た。

「きゃ、本当に時間無い!」

「んー、リアーナ。もうちょっと。」

「…って、ジャン!……んん。」

 口内を深く探られ息が上がる。

「…ん、…もう。……時間…。」

「……うう。」

 名残惜しげにハボックが離れる。

 ハボックだって、仕事とプライベートはきちんと分ける方だ。職場でここまで粘るのは珍しい。

「どうか、した?」

 リアーナが体を起しながら訊ねる。

「今朝更衣室でさ。」

「うん?」

「お前に告るって言ってる奴がいた。」

「え?誰?」

「わかんねえよ。顔見えなかったし。」

「…そう。」

「そりゃあ、お前はいい女だから。惚れる男がいるのは分かってるけど。面白くねえ。」

「…?は?」

「え?」

「何?『いい女』って?」

「だから、お前。」

「やだ、何言ってんの。」

 私がいい女のわけ無いじゃない。と、リアーナはケラケラ笑う。

「あのなあ、ちょっとは自覚してくれよ。お前を狙ってるヤローは多いんだぜ。」

「そんな訳。」

「ある。」

 その多くがハボックと付き合っていることを知っているから、表立った行動を起さないだけで。

「でも、仮に告白されたって…私にはジャンがいるし。」

「それでも、面白くねえもんは面白くねえんだよ。」

「え?ジャンも?」

 思わず上げてしまった声。慌てて手で口を押さえるが、後の祭りだ。

「…もしかして。さっきの、見てた?」

「…ごめん。」

「断ったぜ。」

「うん、分かってる。」

「でも、面白くない?」

「うん。」

「良かった。ヤキモチ妬いてんの俺だけじゃなかったんだ。」

「………。」

…良くなんか無い。

「もしかして、さっき泣いてたの…って。」

「………。」

 うつむいてしまったリアーナをぎゅっと抱き寄せる。

「うわー。何だ、お前。可愛すぎる!」

「え?何?」

「マジ夜まで我慢できねーかも。」

 興奮気味のハボック。対するリアーナは『?』が頭の中をぐるぐる回っていた。

「だって、お前。つまりさ。」

 一人で落ち込んでんのに、隠れた場所は俺がすぐ分かる場所でさ。んでもって普段は嫌がるのに外でキスしても拒まねーし。可愛くしがみついちゃってくれるし。それって俺を待ってくれたってことだろ?お前を慰められるのは俺だけってことだろ。あーもう、本当なんて可愛いんだ!畜生!

 まくし立てるハボックを唖然と見る。

 リアーナはそんな甘ったれた自分がいやだったのに。まるで慰めてもらおうと計算したように行動した自分がいやだったのに。ハボックはそれが可愛いという。

「変なの、ジャン。」

「男と女じゃ見てるものが違うんだよ。多分な。」

「ふーん?………あ!時間!」

「ヤベ!」

 二人は慌てて走り出した。

「なあ、今日は早く上がれるか?」

「え?うん。今のところ急ぎの仕事はないけど…。」

「じゃ、とまりに行くから。」

「ふふ、うん。」

 とても『可愛い』なんて思えないけど、この人がそれで良いと言ってくれるのなら、自分はこのままでも良いのかも…。

 リアーナは、少しだけスッキリした気分で仕事へと戻った。

 

 

 

数日後。

 

「ねえ、ジャン。」

「うん?」

「私に告白する人がいるって言ってたけど、別に誰も言ってこないわよ?やっぱりジャンの聞き間違いだったんじゃない?」

「ああ、それ。」

 プカリと煙を吐いた男は何でもない事みたいに言葉を続けた。

「相手突き止めて、軽くシメといた。」

「え゙!?」

 

 

 

 

 

 

20061201UP
END

 

 

誰にでもある不安。
癒す事が出来るのは、きっと大好きな人だけです。
(06、12、04)