ROAD TO TRIATHLON Episode2 IRAGO  



   

 2005年。あの沼津の初レースから、4年が経とうとしている。この4年の間、転職・引越し等で大会に出る機会は
無く、忙しい毎日をすごしていた。

しかし、自分の周りの環境も落ち着きを取り戻し、ようやく今年に二度目のトライアスロン挑戦をすることになった。
目標を決める時は、あまり先の事を目標にするのもモチベーションを維持するのが大変なので、とりあえず3年後を
着地点として目標を立てる。

まずは、9月の愛知の伊良湖トライアスロン大会を目指す事に決めた。この伊良湖大会は距離の違いでAタイプと
Bタイプがあり、出場するのはBタイプのスイム1km・バイク40.1km・ラン10kmで、トライアスロンのカテゴリーでは
「ショート」と呼ばれるが、4年前の千本浜大会に比べると約2倍ほど距離は長い。

最初は一番短いスプリントの距離から順番に・・とも考えたが、これからのスケジュールを考えると今年にこれぐらい
の大会をクリアしないと間に合わないので、思い切って挑戦することにした。 でも、不安な気持ちより、完走できる
自信がある自分が不思議な感じだ。
決して過信ではなく、冷静に分析した上での自信というか・・この4年の間遊んでたわけじゃないという自信があった。
再挑戦の時の為に身体作りだけは怠らずにやってきたので、不安より楽しみの方が大きい。

  

 唯一不安があるとすれば、このランのパート。スイム1kmもバイク40kmも今までプライベートで経験したことのある
距離だが、2005年の4月の段階で走れる距離は、調子がよい日で12km〜15km。コンスタントに走れるとなると、
まだ5km〜7kmだった。義足からクラッチを使ってのランに変更し練習を続けてきたが、クラッチを使うランは、確かに
断端には負担がかからない反面、上半身を使うので腕や背中への負担があり、まだどれだけ走れるかは判らない。
誰も試した事が無いことは、やってみないと判らず、まだ手探り状態だ。

  

 6月に大会に申し込みをした。トライアスロンは大会によって病院の診断書の提出を求められる場合があり、伊良湖
大会は健康診断書の提出が必要だったので、近くの総合病院に会社を休んで行き、診断書をかいてもらった。
その大会によって違うが、負荷心電図を求められる事が多いようだ。大会中の事故等を防ぐ為に仕方ない事だろう。

  

 前回の大会では不要だったが、伊良湖大会のスイム競技ではウエットスーツを着用しなくてはならない。
現在ほとんどの大会はウエット着用なので、どうせ必要なら作っておこうと思い、以前お世話になったトライアスロン
用品の専門ショップ「アスリートカンパニー」の川口店長の所に相談に向かう。

オーダーメイドのトライアスロン専用のウエットスーツは、ゴム厚3〜5mmの伸縮性のある特殊なゴムで体にフィットし、
海で長距離泳いでも疲れにくい優れものらしい。適度な浮力と保温性があり、着ていない場合より1500m泳いで1〜2分
程度速く泳げるとの事。

スーツを作製する上で相談に乗ってもらったのが、切断側の足部の加工だ。左足の義足は外して泳ぐため、そのまま
で作ると左側の生地がブラブラして邪魔な上に海水が入ってくるので、スーツの生地を左足の大腿部より裁断し、防水
加工するということになった。昔と比べてかなり良い素材が開発されているので大丈夫とのこと。仕上がりが楽しみだ。

  

 ここで謎の人物U氏が登場する。U氏は何年か前に私がシッティングバレーというスポーツをしていた頃に知り合った
方で、大学の講師をされている。私がバレーをやめた後もスキーの行事等でお会いする事があり、その時に私がトライ
アスロンの話をしたら「僕もやってるんだよ!」とおっしゃって、なんと20年も前からメジャーな大会に出場されて何度か
入賞しているという。 最初会った時に「タダ者ではない」と思っていたが、やはりタダ者ではなかった。とは言っても、
まさかトライアスリートとは夢にも思わなかったが・・・

バイクやランのフォームを見てもらっていろいろアドバイスを頂いた。一本足と二本足では異なる部分もあるが、参考に
なる点もたくさんあり、大変勉強になった。今後もいろいろ教えて頂こうと思う。

  

 ウエットができあがったので試しにプールに入ってみた。浮力がすごい! プールは真水なのであまり浮かない
はずなのだが、救命胴衣を着けているような感覚だ。泳いでみると、下半身がキックを打たなくても浮いている!
こりゃ楽だ。もしスイムの苦手な人でもこれさえあれば、まぁ溺れないだろう。
少し背中の部分から水がはいるのだが、許容範囲で全く水が入らないものではないらしい。

  

 大会の一週間ほど前から、眠れない日が続いた。仕事の後、トレーニングをしてクタクタのはずなのに気持ちが
昂ぶって心臓の鼓動が早くなる。   おかしい・・緊張しているんだろうか・・・
心のどこかに不安な気持ちがあるのかもしれない。でも、こんな緊張感もトライアスロンの楽しみの一つだと
気持ちを切り替えて眠る事にした。

  

 大会は9/11(日)だが、前日の土曜日に現地で「バイクチェック」と「カーボパーティー」という催し物がある。カーボ
パーティーとは、レース前日に炭水化物をたくさん摂取して翌日の大会に備える食事会みたいなものらしい。
伊良湖大会も参加者の人数がA・Bタイプ合わせて1000名近くの大きな大会なのでこういう顔見せ会がある。
通常はレースの参加費には、このパーティーの飲食代も含まれる。

スケジュールは10日の朝に現地入りして受付、コースチェックしてからカーボパーティー参加。その晩はペンションに
一泊し、11日にレース、おそらく次の12日は会社に行ける体力は無いと思うので、有給をとってゆっくり休むつもり。
問題は11日のレースのゴール後に運転して大阪まで帰れるかどうかである。まあ・・なんとかなるか (^0_0^)
自分で言うのもなんだが、こういう所はA型の几帳面さは微塵もなく、けっこうアバウトな性格である。

  

 9/10(土)午前8:00。出発の朝が来た。昨年クルマをトヨタのスープラに買い替えたので、自転車を積み込むのに
一苦労する。こういう時はやはりワンボックスカーがいいと思う。なんとか荷物を押し込み、阪神高速→近畿道→
名神と乗り継いで名古屋方面へ。途中、事故渋滞があり目的地の伊良湖岬に着いたのは、PM1:30過ぎだった。

現地では、受付時にバイクチェックを行う。これは簡単な車検みたいなもので、違法な改造をしていないかを担当の
人がチェックをするのだ。バイクチェック後に前日受付を行い、ゼッケンやTシャツなどの支給品を受け取り予定終了。

宿のチェックインの時間までに少し余裕があったので、コースの下見をすることにした。スタートとゴール地点、それと
バイクラック(自分の自転車を置く場所)の確認をしたが、問題点はスイムをゴールしてからバイクを置いてある位置
までの距離が遠いことと、ランコースのアップダウンが思ってたよりキツイこと。
しかし、ここまできたらもうやるしかない!半分開き直った気持ちで宿へと向かった。       コース全景はこちら

  

 宿に車と荷物を置き、カーボパーティーの会場の伊良湖ガーデンホテルまでは近いので、歩いて行くことにした。
パーティーは手ぶらでよいので、義足は外してクラッチで行くことに・・・しかし、これが失敗だった・・・
会場は、ホテルの中庭みたいな所の周りにたくさんの食べ物の置かれたテーブルがある立食パーティーのような
感じだった。

続々と全国から参加する選手達が集まってきた。みんなさすがに体育会系と想像してたのだか、意外と身体はスレ
ンダーな人も多い。でも皆、筋肉の付き方に無駄がなく、いい身体だ。

最初に招待選手の紹介があり、それから地元の特産品のメロンの説明があった。伊良湖のメロンはかなりのものら
しい。テーブルのメロンを見ても確かに旨そうだ。この時まではメロンが食べれると信じていた。そう、この時までは・・

私はこのパーティーをトライアスリートの集まりだという事を忘れていた。食事開始とともにお目当ての食べ物の前に
群がるアスリート達。「なに!は、早っ!」  取り皿に自分の好きな物を取るのだが、クラッチは両手が自由に使えず
少量しか持てない。「くっ、既に戦いは始まっていたのか!」・・・それに気付いた時には、メロンはもう食べ尽くされて
いた・・・(ToT)/~~~

それ以外の食べ物は食べれたが、メロンだけは一口も食べれなかった。
宿に帰ると、ペンションのおばさんが「もうすぐ花火が見えるよ。」と教えてくれたので、リビングの窓から海岸の方を
眺める。しばらくすると前夜祭のイベントの大きな花火が打ちあがった。宿に泊まってる人達と一緒に花火を楽しんだ。
「なんか花火を眺めるのも久しぶりやなぁ。これ見るだけでも来る価値があるよね。」と去り行く夏を堪能した夜だった。

その夜は緊張する事もなくぐっすりと眠れたが、やはりメロンの夢を見た。

  

 当日は9:15に競技スタートなので、6:00に早目の朝食を取り、軽く身体をストレッチしておく。6:00〜8:45までに
当日受付を済ませ、腕にナンバリング(油性マジックで番号を書かれること)とタイム測定用の足に装着するチップを
受け取る。天気は晴れ時々くもりといった感じ。風も無風に近い。こういう天気が一番競技しやすいのかもしれない。
今回は天候には恵まれたようだ。

ウエットを着てスイムスタート地点に向かう。緊張など全然なく、心は不思議なほど落ち着いている・・・
早くやりたいという、わくわくする気持ち。トライアスロンは二度目だが、今までいろんな競技大会に出場してきたので
勝負度胸だけはついているようだ。

スタート地点は伊良湖海水浴場で、砂浜から430人が一斉スタートとなる。スタートチェックを受け海に入り、軽くウォ
ームアップする。9月という時期だが、ウエットを着ているせいか水温はあまり冷たくは感じない。

スタート5分間。選手は全員海から上がり、砂浜に並ぶ。皆真剣な顔つきになっている。ザワついていた周囲の音が
消え、全員がスタートの合図に集中している。沈黙の時間が訪れた。このピリピリした緊張感がたまらない。

  

「ドーン!ドドン!!」花火の合図がスタートだ。いっきに選手が海に向かって駆け出していく。私は義足を外して走れ
ないので、邪魔にならないよう少し待って、端の方から海に入る。スイムはスタート直後は「バトル」と言われる混乱
状態になる事が多い。どうしても集団ができるので腕や足がぶつかったりするのだ。このバトルを避ける方法も
あるのだが、私は後方の集団のバトルにあえて参加してみた。けっこう楽しそうだったし、トライアスロンをするなら
全てを経験しておきたかった。

身体がぶつかり、ナイスパンチと延髄蹴りをくらう。「痛えな、クラァ〜!(-_-メ)」と、一撃必殺のエルボーで二人を
沈める。余計な体力は使ったが、バトルの激しさが経験できて面白かった。

時間が経つにつれて、徐々に集団がバラけてくる。トライアスロン(長距離)を泳ぐ時は、後に控えるバイクとランが
足を使う種目の為、あまりキックは使わないで腕を主体にして泳ぐのがセオリーだ。

レースに出る前に考えたシュミレーションでは、このスイムを20分でクリア。バイクを1時間50分。ランを2時間。二回の
トランジット(着替え)で10分として、合計4時間20分という目標タイムを立てた。大会の定める制限時間が5時間15分
なので、55分の余裕を持ってゴールできる計算だ。しかし、レースでは何が起こるかわからない。

以前からオープンウォーターと呼ばれる海で行われる遠泳大会に、何度か出場し3km以上の距離を経験している
ので、この伊良湖の1kmのスイムは全く問題は無い。でも、このあとバイクとランが控えているのでペースを抑え
気味にして泳ぐ。他の選手もペース配分を考えているのか、スイムは序盤からかなりのスローペースに感じた。
最後尾の方からのスタートだが、かなりの選手を抜いたように思う。
泳いでいるとすぐ前の集団がつまるのでかなりタイムロスをし、スイムを予定より5分ほど遅い24分でクリアした。

後日送られてきた大会の記録を見てわかったのだが、この時実は150〜180人は抜いていてスイムを終わった
時点の私の総合順位は420人中223位だった。3種目の内で水泳だけは上半身を主とした種目なので、片足でも
あまり健常者とは差がない。

  

 問題はここからだ。スイムのゴール地点からクラッチで300Mほど先の自分のバイクを置いてあるトランジットまで
走る。ここが予想してたよりしんどかった。ウエットスーツを脱ぎ、ヘルメット・バイクシューズを着けてバイクのス
タート。このトランジットでも約7分のタイムロス・・・

ここであせると自滅すると思ったので、バイク前半は押さえ、後半からペースを上げる作戦に変更。さすがにバイク
はどんどん後続の選手に抜かれるが、あせらずに自分のペースを守って走る。
バイクのコースは松林に囲まれた農道だが、道はアスファルトでほぼフラットな周回コースだ。日差しは強くなって
きたが風は無く、快調にラップを重ねる。コースのあちこちに地元の人が応援で来ていて、「ファイト」「頑張って!」と
声を掛けてくれる。こういう声もやっている選手はよく聞こえていて、とても励みになるものだ。

10km、15km、20kmと快調に走り、バイクの後半に差し掛かるが、右足はまだ元気だ。少しづつペースを上げる。
前半で数百人に抜かれたが、後半で何人かを抜き返した。片足の人間に抜かれるのはショックだと思うが、この
悔しさをバネにまた頑張ってもらいたい(笑)

バイクのゴールを迎え、タイムは1時間39分で6分ほど目標より早く、少しだけ遅れを取り戻していた。トランジットで
ランニングシューズに履き替え、ロフストランドクラッチでのランのスタート。身体はまだ軽く、足も余力を残してランに
入ることができた。コース図でもわかるが、このBタイプのランコースはアップダウンが激しく、フラット部分がほとんど
ない難コースだがここまできたらもう関係ない。「なんとしてでも完走してやる!」

  

 ランのスタート直後より、いきなり上り坂が待っていた。下見で見るよりも走ってみるとかなり斜度がありキツイ・・
それが1km続きいったん下って、次は約2kmの上り。そして1kmの急斜面を下り、5kmの折り返し地点を今度は逆に
戻って来るコース。

上り下りでどんどん体力は削られていき、身体は徐々に重くなっていった・・・
ランコースは1km毎に「●km地点」と書いた看板が立っているので、今どの辺を走っているかがわかる。途中、
エイドステーションと言われる休憩所があり、そこでスポーツドリンクやバナナなどの飲食物があって水分を補給
できるようになっている。
スタートから3.5km地点。エイドステーションで水分を取り、肩と背中が熱を持ってきたので水をぶっかけてもらう。
「よし、まだいける。」と再び走り出すが、少しづつ足が動かなくなっていくのがわかる。

  

 5kmの折り返しの後の急な上りに入って、ついにふくらはぎの筋肉がつりはじめる。足が悲鳴を上げ始め、
クラッチをついた時に肩も痛み出してきた。一歩足を出すのがつらい・・・前回の大会の時もそうだったが、こう
いう窮地になった時に自分の弱い部分が出てくる。

『もうええやん。お前は充分頑張ったよ・・・』 『そこまでして走らんでもええやん』 『棄権したら楽になるで・・・』と
言うもう一人の自分の声、悪魔のささやき≠ェ聞こえてくる。

でも、このささやきが来る事は今までの経験からすでに分かっていた。こんな時には今までの苦しい練習を思い
出すようにしている。「この五年間、完走する為に頑張ってきた。完走できなきゃ意味は無い!邪魔すんな。」・・・
弱い自分を押し殺す。

それともうひとつ、「絶対ゴールしないと。」と思わされる事があった。それは追い抜く他の選手や、折り返しての
すれ違いざまにほとんどの選手が声をかけてくれた事だ。「ガンバ!」 「あと少し。」 「先にゴールで待ってます。」
・・・と。ここまで言われて完走しなきゃ男じゃない。這ってでも完走してやると思った。そして、自分も苦しいのに
元気づけてくれた皆に感謝の気持ちを込めて。

  

 それから足がつりながらもしばらく走り続け、右カーブを曲がった先に看板が立っていた。「ゴールまであと1km」
と書かれたその看板を見た時、「ゴールできる。」と確信した時だった。同時に目から水が溢れてきて、半泣きで
ゴールするのは恥ずかしいなと一瞬考えたが、もうどれが汗か涙か鼻水か分からん状態なので立ち止まらずに
走り続けた。

完走できると信じてやり続けて良かった・・・。今までの苦しかった事が思い出され、「無駄にならなかった。これで
報われた・・・」

  

 最後の長い下り坂を降りるとゴールまでの最後の100m。ゴール前はたくさんの人達が集まっていた。
周りはすごい声援だったらしいのだが、この時はもう何も聞こえず私にはゴールテープしか目に入らなかった。
そして・・・最後の一歩を踏みしめるようにゴール。応援してくれた地元の方や他の選手達からも力をもらって、
最後まで心が折れる事はなかった。

タイムは3時間52分4秒。目標より30分も早いゴールだった。完走した者しか味わえない感動で胸が一杯になった。
これがあるから皆やめられないんだ。

ゴール地点では、愛知県から参加の内藤さんが私を待っていてくれて、「おめでとう。」の一言をもらった。
内藤さんとは泊まっている宿が一緒で、昨晩知り合ったばかりである。奥さんも応援に来られていて、とても仲の良い
ご夫婦だった。記念にと内藤さんと一緒にゴール前で写真を撮ってもらった。昨日初めてお会いしたのに、苦しみを
分かち合った戦友のようである。見知らぬ人達と意気投合できるのもトライアスロンの魅力のひとつだと感じたひと
ときだった。

ゴール地点でしばらく休憩したあと、帰る準備にかかる。夕方から表彰式と閉会パーティーがあるのだか、あまり休む
とこのまま動けなくなってしまいそうなので、パーティーはパスして大阪に帰る予定だ。

スタートから5時間15分後、タイムアップの花火の音を聞いたのは、宿で帰り支度をしている時だった。
「俺、ついに完走してんなぁ・・・」その時、あらためて実感していた。お世話になった宿のお母さんに挨拶し、クルマに
乗り込んだ。

帰りのクルマの中で、もう来年の佐渡の大会の事を考えている自分がいた。

「今までやってきて良かった。この伊良湖に来て良かった。」

言葉にできないくらいの充実感と心地よい疲れを感じながら、夕暮れ迫る伊良湖岬を後にした。






完走証