平成26年10月吉日
                御 礼
ご来場者各位様
 先日はお忙しい中、第10回秋田ダルクフォーラムに御参加いただき、心より御礼申し上げます。
 今回のフォーラムは4月の法人化、9月のグループホーム指定にともなう準備不足などもありましたが、多くの皆様のご支援や励ましによりスタッフ、入寮者一同と力を合わせ、何とか開催にこぎつけ、150名という多くの皆様方に、足を運んでいただき大盛況の内に幕を下ろす事が出来ました。
 後援をいただいた
・秋田保護観察所・秋田県精神保健福祉センター・秋田県保護司会連合会・秋田県更生保護女性連盟
・全国薬物依存症者家族連合会・アディクション問題を考える会・NPO法人秋田就労支援事業者機構
様には深く感謝申し上げます。
そして、私達の活動を理解し足を運んでくれた医療、福祉、行政、関係の方々、いつも温かくご支援して下さる教会関係の皆様、各地のダルクから駆けつけてくれた仲間達、本当に有り難うございます。あらためて、私たちはたくさんの方々に支えられていると実感する事が出来ました。
 フォーラムの一日を皆様と共に過ごせました事、心より感謝申し上げます。
この感謝の気持ちを忘れずに、これからも回復の道を歩んでまいりますので、どうか皆様、これからも秋田ダルクにご理解とご支援の程、宜しくお願い申し上げます。                                          神に感謝…。
     
                    一般社団法人 秋田ダルク 代表・平原 薫
                               スタッフ 入寮者一同








再々出発

依存症のムドウ

26年6月16日に秋田に受け入れてもらいました。

それまで高知ダルクでプログラムを受けながら、施設の役割もやらせてもらってはいたのですが、    

2年前と同じ女性問題を起こしました。

女性ハウスの入寮者の女性に自分から声を掛け、去年の暮ぐらいから女性が薬を使いはじめているのに気づいていたのにもかかわらず今年の初めに、一緒に施設を出て暮しはじめました。

アパートの名義、それにかかるお金や全部彼女に、おんぶにだっこ状態でした。

僕自身は生保にお世話になりながら仕事探しをはじめ、仕事は決まったのですが、持病の腰が悪くなり入院し手術をしたりしていて、その頃から、彼女も薬を飲む回数が増えて来た頃でした。

ゴールデンウィーク頃までは彼女はパート勤めし、その後の仕事も決まったのですが、施設を途中で出た事で家族関係が途絶え常に薬を飲むようになりました。

自助グループへと思いましたが行動には移りませんでした。一人でアタフタしていました。

彼女には、病院へと言ったのですが、彼女は「イカヘン」の一点張りでした。

病院のワーカーさんや先行く仲間に相談をさせてもらいました。

その時、僕が県外へとの提案をもらったのですが僕自身彼女から離れたくなかったのが正直な思いです。

先行く仲間から「彼女から離れる事が責任やで」と言われ決心がつきました。気持は辛かったです。

僕自身何回同じ事をやっているのだろうと

思い、今回も仲間を裏切り、高知ダルクを勧めてくれた茨城の仲間まで裏切ってしまいました。すいませんでした。今すごく重く感じています。

自分が施設の役割のやらせて貰っているにもかかわらず彼女を施設にとどめとけず一緒に出たと言う事。

しかしそんな僕に沢山の仲間に声を掛けて頂き、ほんまに有難いと感じました。

毎日彼女の事を祈る事仲間の人達の言葉を信じてそれと裏切ってしまった仲間の皆さんすいませんでた。

どうか生きていて欲しいのが正直本音で自分勝手な僕ですみませんでした。

ありがとうございました

聖体奉仕会で歌の発表

鶴岡のヨシ

何度か聖体奉仕会で歌の練習を行い幾度も歌を歌いました。練習の時もなかなかうまく声が出せなくて不安な気持ちだった。

でも仲間と一緒に練習をして気分転換にもなったし楽しむ事も出来ました。

ここ何年間はこの様な行事はやった事がないので上がってしまい声が美味く出ませんでした。自分一人の為に仲間に迷惑かけてはいけないと思良自分なりに努力をしました。

発表会の時もいつもと同じく歌を歌ったがなかなかうまく歌う事ができませんでした。何曲か歌を歌って疲れを感じた。

自分は元々歌を歌う事は不得意で、聞く事は

嫌いではなかった。

地元に居る時は自宅で音楽を聴きながら大好きなアルコールを飲み気分転換していた。

でも自分は歌を聴くだけで満足していた。

カラオケとか幾度と足を運んだが自分は元々音痴で人に聞かせる事も無かった。

今回の聖体奉仕会の歌の発表会で何とか歌う事が出来て自分自身に元気をもらった様に思っている。

ありがとうございました。


老人ホームの慰問に行きました

鶴岡のシモ

私達は老人ホームの誕生祭に行って歌を唄ったりダンスを踊ったりと披露しました。

私達は10曲の歌を唄いました。

歌を歌っている時ふと母の事を思い出しました。わたしの母と同じ位の年齢で8年ぐらい前に一人暮らしをしていて左手が少し不自由で今も連絡を取っていないので心配ですが老人ホームの皆さんの笑顔見て僕達も

元気をもらいました。

老人ホームに行く道中は仲間達と釣りが出来そうな池を探しながら老人達を楽しませる事を考えながら、ダンスを取り入れれば喜ぶだろうとダンスを踊ったりして僕達も楽しい一日を過ごす事が出来ました。

そんな私がダルクに繋がるようになったのは48歳の時にアルコールで3回目のトラ箱に入った事です。

理由は自分の息子と殴り合いの喧嘩が原因で3回とも同じ事でトラ箱に入りました。

息子達と別れた妻でダルクを探してくれてダルクにつながりました。

ダルクの生活は税所はなじめずにいました。私は人みしりが激しいので悩んでいました。

そんな時先行く仲間にダルクに居る間は楽しんだほうが良いよとアドバイスをもらい最初の冬にスノーボードをする事、最初は滑れませんでしたが毎年行くようになり少しは滑れるようになり今では楽しくなりました。

そして若い仲間に誘われて羽黒山石段マラソンに参加するようになり行動的になり16歳の時から飲み続けて来たアルコールの事を忘れて楽しむ自分がいたり今は釣りに夢中になっています。

釣竿を買い、ルアー、ワームと道具を揃えてつり吉の仲間入り気分を味わっています。

私は若い頃に覚せい剤やシンナーもやった事もあります。

しかし社会に居る時は誰にも言えませんでした。それは非合法の薬物で警察に捕まるからです。

そんな私達の歌やダンスに拍手をしてくれたりして又私達に歌の指導をしてくれた聖体奉仕会のシスターに感謝すると共にダルクの生活はフォーラム、ギャザリングといった行事を行い仲間と毎日楽しく生活をして

回復したいと願っています。

ありがとうございました