「それでは、よろしく頼みますな、トレーナー」
「はい。よろしくお願いします、尾花沢監督」

向かい合った状態で、はサッカーU−15東京選抜の監督である尾花沢に軽く頭を下げた。同じように、尾花沢もに対して軽く会釈をする。こうなった事の発端は、1週間前にさかのぼる。





「東京都選抜?」
「えぇ。」

の言葉に、玲が笑顔を浮かべて頷いた。その言葉に、選抜か、と呟きながら、は手に持った、この ――― よく玲との待ち合わせに使う店で評判のアイスコーヒーのグラスのストローを咥えた。

「じゃ、最近忙しそうだったのはソレなんだ?」
「えぇ。いろんなチームを見なきゃいけないもの。でも、お陰でいい選抜が出来たと思うわ」

玲の言葉に、それはよかった、とが笑う。いい選手は、強いチームにだけいるとは限らない。所属するチームによって、有望なサッカー選手が埋もれていくなんてことはにとっても残念なことだ。玲の眼には曇りはないことは知っているし、それなら、いい選手たちが集まったんだろう。そう思いながら、それで、と、が切り出した。

「俺に用事って、なに?選抜に関係してるの?」
「えぇ、そうなの。に都選抜の合宿に来てほしくて。」

にっこりと笑って玲が答える。選抜の合宿に来てほしい ――― その言葉に、がえ、と驚いたように手を止める。そうすれば、その様子に少し面白そうに玲が笑った。

「もちろん、トレーナーとしてよ?」
「・・あぁうん、まぁ、選手としてって言われても、困るとこだけど・・・」

からかうような玲の言葉に、軽く肩をすかせるようにして、苦笑しながらが答える。も、もともとはサッカープレーヤーだった。そのころには、選抜などにもよく言ったな、なんて思いながら、トレーナーとしてってことは?と、玲に促した。

「選抜には、アンダー代表の子や武蔵森の子も呼んでるの。」
「あぁ・・・合宿中に怪我をすると困るわけだね」

納得したようなの言葉に、えぇ、と玲が答える。今はちょうど全国大会の前で、部活所属でない子たちにとっても、夏休みを利用してアンダーの大会なんかも多い。それを思って、は少し考えるようにしてから、合宿っていつ?と玲に問いかけた。それににっこりと笑って、玲が日程を答える。

「3日間?」
「そう。召集人数は45人よ」

そっか、と呟きながら、が手帳を開く。
それには、主に仕事の予定がところ狭しと書いてあって、その中からその日にちを探した。その様子を、玲がじっと見守る。でなくてはいけないというわけではない。彼が忙しいということは玲もよくわかっているし、彼はいまや都の中学生選抜には贅沢過ぎるほどのトレーナーなのだ。けれど、だからこそ、誰よりも信頼している彼の腕に選抜に呼んだ子達を、一時的にでも任せたいとそう思う。
見られているはといえば、手帳をなぞっていた手を目標のところで止めた。玲から言われた3日間のうち、前の2日はその日に決まった仕事が入っているわけでもない ――― 勤務先には、休みをもらえばいいだろう。これから約一ヶ月後のこととはいえ、珍しいことだ。だが、最後の1日は、お抱えの1人の診察が入っている。

が内心でどうしようか、と唸る。この日の予約は、Jリーガーだ。Jチームの練習と含めて、ただでさえJ2は試合が多くて移動もあるのだから、予約日を変えるのは難しいかもしれない。
そう考えて、けれど、自分も同じくサッカー少年だったとすれば、選抜合宿に付き合いたいという気持ちは小さいものではなくて。

「・・・ちょっと、席外していい?」

パタン、と手帳を閉じて、携帯を取り出して、が言う。そうすれば、意味を理解した玲がいいわよ、と答えて、ちょっとゴメン、と、が席を立った。
予約時間からすれば、1時間くらい遅めにしてもらえば、大丈夫かな、なんて思いながら、携帯のメモリーを開く。仕事柄、膨大な数となったメモリーから目当ての人物 ――― 周防将大の名前を見つけて、この時間なら大丈夫か、と、ダイヤルボタンを押した。数回の呼び出し音の後に、一瞬ノイズが入ってから、声が届く。

「はい!」
「あぁ、将大くん?突然ごめん、だけど」
「いや、平気ッスよー。それより、どうかしたんスか?」

携帯越しに聞こえてくる、相変わらず元気な様子の周防には軽く笑みを浮かべた。
周防とは、もう何年も前、彼が学生だったころからの付き合いだ。そのころから、彼の身体に関してはが担当している。彼のチームドクターとも顔なじみだ。年齢差もあいまって、翼とはまた少し違う、弟のような存在である周防に、悪いんだけど、と、が言葉を紡ぐ。

「来月の予約の時間、1時間くらい遅めてもらえないかな?」
「あ、いいっスよ!」

言えば、周防はあっさりと了承の返事をする。1時間くらいのことは、あまり深くは考えていないのだろう。彼の性格上納得がいくことではあるけれど、なんとなく、苦笑のようなものが零れた。そうすれば、何笑ってんスか!と、周防の言葉が聞こえて、いや、ありがとう、とが返せばいえいえ、と、電話の向こうで周防が笑う。

「でも、なんかあんですか?さん、こーゆーの珍しいですよね」
「あぁ・・うん、ちょっとね、中学生の選抜合宿の話が来てて」
「へー、って、マジすか!うっわ、いーな!俺も出たい!」
「10歳差を押しのけて?」

騒ぐ周防にからかうようにが言えば、少し口篭ってから、いや、それくらい!と、周防が大きな声で答える。そんな様子にもう一度笑ってから、ごめん、助かったよ、と、が言葉を紡いだ。

「や、ホント平気だから!むしろお世話になってんの俺だし・・・」
「いや・・ありがとう。そういえば、昨日ゴール決めてたね。おめでと」
「あ、見てくれたんスか?へへ、どーも!」

慌てたように言う周防にもう一度感謝の言葉を口にしてから昨日みたJの試合のことを付け足せば、嬉しそうに周防が返す。そんな反応は学生のころから、いつまで経っても変わらないな、と、が周防の学生時代のことを思い返せば、電話の向こうから、周防ー、と、周防を呼ぶ声が小さく聞こえた。

「あー、今行く!ちょい待て! すいませんさん、俺今フットサル来てて」
「や、俺のほうこそ、突然で悪かったね」
「だーいじょうぶですって!」
「あ、それから。」

明るく言った周防に、思いついたようにが呟く。そうすれば周防は律儀に何スか?と返して、はフットサルはほどほどにしておきなよ、と告げた。その言葉に、え、と、きっと無意識に呟いてから、やべ、と、これまた無意識だろう周防が言う。それに小さく笑って、今はやめろとは言わないけど、といえば、すいません、と周防が苦笑を浮かべながら答えた。

「ただし、やりすぎないこと。いいね?」
「ハイ。肝に銘じておきます。」

わざとらしくはっきりとした口調で言った周防に、それじゃぁ、と言葉をかけて、はい、じゃぁまた!と返ってきた言葉を聞いて、が携帯を閉じた。なんだか世間話をしてしまったような気もするけれど、本題であった時間変更は出来たから、これなら選抜合宿にも出られるだろう。そう思いながらが玲の正面の席へと戻れば、どう?と玲が口を開いた。

「うん、大丈夫。」
「そう。よかったわ」

の言葉に、玲が嬉しそうに笑う。そんな表情を見てしまえば、も自然と頬が緩んで、それじゃぁ詳しい説明だけど、と、持っていたバッグからファイルを取り出した玲を見ながら、そうすると玲と3日一緒なんだ、なんて、は今更に考えた。