朝。いつものように目を覚ましたら、いつもよりも意識がはっきりしていた。そのくせ動くのは億劫で、瞬きを繰り返すうちに、自分の目から涙が伝っていることに気がついた。けれど、それを拭う気がおきなかった。なにか、夢でも見ていたのだろうか。それもあまり覚えていない。いや、そういえば、サンが ――― サンが、泣いていたような気がする。それから、ボールが転がっていて。 あぁ、そうか。昨日の夢だ。昨日の ――― 昨日、の。
届かなかった夢の向こう側 がたん、と音を立てて椅子に座った。その音は静寂を保っていた図書室に響いて、遠くの席にちらほらいる何人かが俺に目を向けたのがわかったけど別に気にしない。視線を集めるのに、なれていないわけじゃない。自覚はある。俺は、この桐青のピッチャーなんだ。それなのに、どうして図書室なんかにいるんだ?今日は、休養日だからだ。この夏の時期に?それは、俺たちが昨日、負けたから だ。 また目の奥が熱くなってきて、俺は唇を噛んだ。くそ、こんなとこでなんか泣けるわけがない。俺がこんなところで、泣いていいわけがない。泣いていいのは、三年生だ。泣くべきなのは、引退になった、三年生たちだ。俺の、俺のせいで。 「準太?」 後ろから、聞きなれた声がした。図書室だからか、いつも聞いている声よりだいぶ小さいけど、(そりゃ、いつもの声はグランドで叫んでる声だとかばっかだし、)だけど、この声は。 「・・・サン?」 振り返ったら、やっぱり予想通り、サンがいた。うちのマネージャー。・・・・じゃない、元・マネージャーだ。昨日引退したから。負けた、から。もうこの人をグランドで見ることはないんだ。・・・よかった、今日の部活がなくて。今グランド行って、和サンとか慎吾サンとか、サンとかがいなかったら、泣いてしまったかもしれない。 「うわー、図書室とか似合わないねー」 「・・・サンこそ。何してんスか?」 「ちょっと、資料集めにね」 「資料?」 「そ、受験用のね」 面倒くさそうにさんが言った。そういえば、今はもう7月。3年生にしてみれば、とっくの昔に受験体制に入っていなくちゃまずいところだ。三年生たちも部室とか休憩中とかそんな話をしてた気がする。予備校がどうだとかオープンキャンパスがどうだとかなんだかんだ。でも夏は部活あるし夏期講習は無理だよなぁ、って。あぁそっか、夏期講習、参加できるんだ。(もう、引退だから)(・・・だめだ、こういうことばっか考えんなよ)(でも、だってつまり、そういうことだ) 「で、準太はなにしてんの?」 「いや・・特に用はないんスけど」 「・・準太、目の下にクマできてる」 「え」 まじ?そう思ってとっさに俺は目の下に手をやった。もちろん、わかるわけないけど。そしたらサンは苦笑みたいに笑って、昨日あれだけ動いたのに、寝れなかったの?って聞いてきた。・・あぁ、なんかこんな会話、前にもした気がする。(たしかアレは合宿のときで)(なんか知らないけど、俺たちの部屋で幽霊騒ぎが起きて)(そんなんじゃ倒れるよー?って、サンは洗濯物抱えながらため息ついてたんだ)(・・・あれは、4ヶ月前の春の合宿だった)なんかもう全部に泣けてきて、俺はなんとか誤魔化そうと思って、サンだって って話を振った。 「目、赤いっスよ」 「・・・え、うそ。」 俺が言ったら、サンはびっくりしたみたいに目に手をやった。もちろん、わかるわけないのに。でもそれがいかにもサンらしくて、ちょっとっスけどね って今度は俺が笑った。(苦く、だけど。) 目が赤いなんて、そりゃそうだ。俺たちの負けが決まったときに、唇を噛んで、サンは堪えるみたいにして、でも、泣いてた。 俺がサンに、すみませんって言ったときは(俺も、すげー泣いてたけど、)、「な、で、準太が、あやま、・・の、ばか」って、ぼろぼろ泣きながら、俺の頭を撫でた。 和サンとか、三年生みんなが、「今までありがとう」ってサンに言ったときは、座り込んで、すっげー泣いて、「あたしこそ、ここに連れてきてくれてありがとう」って、途切れ途切れに、小さい声で言って、それで三年生もみんな泣き出して。打ち上げではみんな明るくやってたからきっと泣いてないだろうけど、でも、きっと夜、一人で泣いたんだと、思う。 「・・・サン。」 「ん?」 「昨日も、言ったけど・・」 「こーら」 ある意味覚悟を決めて言い出したのに、俺がちゃんと言い切る前にサンはため息をついた。全くもう、謝るとこじゃないでしょ って言って、呆れたような、ちょっと崩れたような、そんな感じに笑った。思ってみれば俺たちは本当に部活で一緒にいた時間が長くて、だからかもしんないけど、サンはちゃんとご飯食べなさいとか洗濯物出しなさいとか、ちゃんと寝てなきゃ身体壊すでしょとかって世話焼いてくれて、監督が言ってた、「いいマネージャーは母親みたいなもんだ」っていうのの意味がよくわかった。でもそんなサンは、もう、グランドにはいない。 「でも、」 「あのねぇ準太、昨日は言えなかったけど、あたし、準太にすごく感謝してるんだよ」 負けじと俺が言ったのにかぶせるみたいに、サンが言った。正直、え って思った。だって、感謝してるって、俺に?俺が、俺が打たれなきゃ、桐青は負けなかったのに? たぶんすごい信じられないって顔してた俺に、サンは苦笑して、ホントだよ って言い聞かせるみたいに言った。 「準太の代じゃなくて、あたしたちの代だったのに、準太は一年間、すごくがんばってくれた」 「そんな・・俺、そういうつもりなんかないっスよ」 「うん、わかってる。でもね、嬉しかったよ、あたし。みんなが、三年のために、がんばってくれて」 三年ががんばってたのは、もちろん知ってたから。昨日の最後、後輩もみんな、あんなに必死になってプレーしてくれて、応援してくれて、あたしたちの代にはいい後輩がいてくれたなって、そう思ったんだ。 そう言って、サンが目をこすった。言葉も途中で涙声になってたけど、俺はそこには触れなかった。俺だって、同じ状態だったから。泣くなよ、俺。泣いていいのは、三年だ。サンだ。俺は昨日あれだけ泣いて、もう切り替えて、チームを引っ張んなきゃいけないんだ。それが、負けた俺たちの仕事だろ。泣くなよ、俺。 「準太」 「っ・・はい」 「来年は、準太たちが、勝ってね」 負けたら、差し入れなんて持ってってあげないからね って、サンが笑った。ちょっと涙声だったけど、それでも、いつものサンの笑ってる顔。今までずっとお世話になった、サンの。 「・・・はい!」 |