一方、並んで歩く2人の間にあるのは沈黙であった。夕暮れ時、用事のない生徒が帰るには遅く、部活のある生徒が帰るには早いこの時間帯のため、道には2人と同じく制服姿の生徒は見られない。話したいことがあります、僕の家に来てくれませんか、と言う古泉に頷いてから、は口が開けないでいた。この状況が呑み込めていないということもある、彼は確かに古泉一樹なのに、自分の知っている一樹とは違うからでもある、けれどそれよりも、何かが今ここで口を開いてはいけないと忠告するのだ。聞きたいことはたくさんある、けれどそれは、そう、古泉の家についてからでいい、と、はまだ慣れていない土地を、古泉の案内で歩いていた。その時間がどのくらいだったのかはわからない。長いようで短かったのかもしれないし、短いようで長かったのかもしれない。けれど、ここですよ、と声をかけられてマンションの一室へと足を踏み入れれば、そんなことを考える暇などなかった。



気づけば、は古泉の腕の中にいた。掻き抱くようにして収められたは、改めて耳元で聞こえる声と、見える髪と、その腕の感覚に、ひとつ涙が零れた。驚くことばかりで、信じられないことばかりで、全く実感が湧いていなかったけれど、彼は、会いたくて会いたくて仕方が無かった、彼なのだ。それを感じてしまえば、今までどうにか胸の内に押し込めていた思いが濁流のように溢れかえる。

「いつ、き、」
・・・

震える声で紡がれる自分の名前に、古泉はを抱きしめる力を強める。3年前に突然変えられた世界の中に居なかった彼女。けれどあの日までの自分にとって、 ―― あの日からの自分にとっても、大切で大切で、かけがえのない存在であった彼女。また会えるなんて思ってもいなかった、抱きしめることが出来るなんて思ってもいなかった。

「一樹、ねえ、なんで、どうして、」

どうしてあの日、いきなり消えてしまったの。どうして何も言ってくれなかったの。どうして今ここにいるの。どうして、どうして。疑問は降っては湧くほどにあるけれど、それが上手く言葉に出来ない。そんなに、少し落ち着いたらしい古泉は、腕を緩めることはないままで小さな声を発した。

「すみません。謝らなければいけないことはたくさんあります。説明しなければいけないことも」

その通りだった。突然彼女の前から消えたこと。何も伝えられなかったこと。今こうしてここにいること。そうして、それでもまだ、いや、以前以上に、彼女への気持ちが強くあること。話さなければならないことは山ほどある。けれどそれよりも先に、が本当にここにいるのだということを感じたかった。

「今の僕にとって、涼宮ハルヒの言うことは絶対です。けれどそんな環境の中で今僕は初めて、こんなに幸せを感じています」

なぜだかわかりますか?そう問う声は穏やかで、けれど余裕があるわけではない。ようやく緩まった腕の中でが顔を上げれば、古泉は嬉しそうな、けれどどこか泣きそうな顔でを見ていた。そうしてふわり、古泉の掌がの頬へと触れる。

「・・・こうして・・またお前に触れることができるなんて、思ってなかった」

その言葉に、の瞳からまた溢れた涙が、古泉の手を濡らした。県立北高校の生徒からしてみれば「らしくない」古泉一樹の言動は、間に一枚被さっていたベールの向こうで彼女の知る「一樹」と重なる。あぁ一樹だ、と、その事実がの心がすとんと納まった。

「いつき、」
「・・

明確な言葉が紡がれるわけではない、けれどその気持ちは音となって届くには十分すぎるほどにその名前に乗っていた。



もう呼べると思っていなかった名前。もう紡げると思っていなかった音。もう届けることはできないと思っていた想い。どうしようもないほどに2人の中で溢れ返っていたそれが、たった一人の気まぐれによって再び形をつくる。







果たしてこれがいつまで続くのかなんて、誰にもわからないけれど。