運用終了した掲示板「キャベツのせんぎり」の過去ログを公開しました。「目次」の掲示板へのリンクから閲覧することができます。
※ 検索機能もついていますが、形式のことなるログをひとつのビュアーで表示させているため、あまりあてになりません。
掲示板「キャベツのせんぎり」の運用を終了しました。
ほかはあいかわらずです。今後ともよろしくおねがいいたします。
サイトの移転にともない、なにかしようと思っていたのですが、結局ほとんどそのままRimnetからbiglobeに移行しました。
ただ、古くなってリンク切れになっているページや中途半端な英語のページを削除しました。
これによって日本語のトップページのファイル名を"index.html"とでき、"http://www7a.biglobe.ne.jp/~akimbo/"というすっきりしたかたちでアクセスできるようになりました。
変更点これだけ。
あいかわらずですが、今後ともよろしくおねがいいたします。
お久しぶりでございます。
えー、このたびAkimboは春の風に誘われて、旅に出ることにしました。じゃなくて、諸般の事情でサイトを移転することにしました。
新しいサイトのプロバイダはBiglobeで、URIは"http://www7a.biglobe.ne.jp/~akimbo"とするつもりですが、まだ決定ではありません。新サイトの開設予定日は2006年04月01日ですが、四月馬鹿ではありません。ホントですってば。現在Rimnetにあるこのサイトは2006年04月21日に消滅します。これは決定です。
以上、詳細がきまり次第、またお知らせいたします。
ケータイ日記「コールスロー」内、6月29日の記事にkurinちゃんがくれたコメントへのお返事です。
kurinちゃん、コメントありがとう。
わたしは、昔のことは比較的よくおぼえているつもりだったんだけど、kurinちゃんのコメントを読んで、あのころの世の中の雰囲気をちょっと思いだしたよ。あのころはまだ近所に戦争に行った人たちや、それから戦争未亡人などというひとたちも普通にいて、ラジオでも「戦争のころは…」みたいな投稿がよくあったね。
ついでに思いだしたことを書くと、肺結核がまだずいぶんこわい病気で、サナトリウム帰りの友達は、そのことをあんまりしゃべりたがらなかったような気がします。もう治療法は確立されていたはずなんだけど、結核が死病だった昔をおぼえている人が、無用の差別をすることを恐れたんでしょうね。その雰囲気は、治療法が確立したのについ最近まであったハンセン氏病の人たちへの差別でもわかります。
そういう時代でした。
ぼくは東京オリンピックの年にうまれたんだけど、あのころは、戦後の日本ではずいぶんよい時期だったなと思います。なんといっても、飢える心配はなかったし。みんな、がんばれば絶対に昨日より今日、今日より明日とよくなってゆくと信じていました。
多分、そんな時代のなかで、縁日やお花見のにぎわいのなかにぽっかりとあいた過去の穴が、あの傷痍軍人たちだったんじゃないかという気がしている。今はね。
みんな、戦争を生きのびて、戦後なんとか生きてきて、今はちょっとした贅沢もできるし、アハハと笑って暮らせるけど、心の底では、先の戦争で死んだ人たちを忘れていなかったし、忘れることはいけないことだと知っていたんだと思う。
だから、お祭りのうきうきした気分の中で彼らを見ると、彼らがまるで遠い記憶のなかにおきざりにしてきた人々の代表で、今日なんとか幸せで生きていることは誰のおかげかすっかり忘れていたような気持ちになって、「忘れてないの。おぼえているわよ」と確認するためにお金をあげてたんじゃないかな。
「風の谷のナウシカ」に出てくる、「腐海」って、知ってる? そこは、未来の地球のうえにできた、恐ろしい瘴気がたまった死の世界なんだけど、実は、人類をほとんど絶滅寸前にまで追いこんだ戦争が作り出した毒を集めて少しずつ浄化している場所だったんだ。
傷痍軍人たち自身はどういう事情でああいうことをしていたのかわからない、多分単に生活のためだったんだろうけど、生きのこった人たちにとっては、過去の記憶をなだめる「供養」の役目をはたしていたんだろうね。
あの戦争のことをおぼえている人が一人でも生きていて、「忘れないよ」と思っているうちは、そういう人たちのために、傷痍軍人は、お地蔵様への通り道や、繁華街や、縁日の混雑のすみっこに、ひっそりとすわっているんだろうね。そしてそのうち、ひっそりと消えてゆくんだろうね。
それでまた思いだしたことがあります。昔小説で読んで、よく引用もされるんだけど、よく理解できなかった文章があるんだ。それがね、昨日、今書いたようなことを考えて、やっと腑に落ちて、自分のものになった気がしたよ。
満開の櫻の樹の下には死体が埋まっているんだ。
風のうわさ。「姫の水中写真」の撮影者、姫が結婚したらしい。
めでたいけど、あのさわやかな名前がうしなわれてしまったかと、ちょっとさみしい気分。もう「姫」じゃないんだね。
昨日、通勤電車のなかでケータイ日記「はてなダイアリー - コールスロー」を更新すべく、結構気合いをいれて文章を作成した。気合いを入れすぎてケータイのメール長制限である1000バイト(500文字)を超えそうになり、さんざん推敲して「メール送信」を押した瞬間にケータイがフリーズ。…「へこんだ」という語はこういうときのためにあるものだと思った。
気をとりなおして再度作成しようとしたが、もう親指ドランカー状態。あきらめました。
あのまぼろしの文章にはおよばないが、思いだして書いてみる。
週刊文春平成16年6月10日号(6月3日発売)に掲載されている山本一力の連載エッセイ「にこにこ貧乏」に引用されている三菱自動車の不祥事についてのある人のコメントが面白かった。
新作の取材中である山本は金沢の老舗旅館の次男で料亭を経営している浅田氏に出会った。金沢藩を舞台にした小説なんでしょうね。いろいろと聞いているうちに、三菱をおこした岩崎弥太郎がいくつもの大名家を没落の窮状を救ったというエピソードから例の不祥事にはなしが移り、浅田氏はいう。
「日本を代表する企業グループは、常に横綱相撲を取る責任があります」
横綱相撲。うまいなあ。正々堂々とやれ、ということでしょうね。
大企業は、知名度とそれに比例した期待で存在している。その期待にこたえるのが大企業たるものの使命である。
そして、もしなにかあやまちがおこったら、それに対し真摯に対応するとともに、その問題を起こした背景や構造的欠陥を徹底的に追求し、是正につとめる必要がある。
大きな組織で問題が発生した場合、それは「たまたま」や「運がわるかった」のではない。それを発生させた構造的欠陥はかならず存在する。
そして、顕在化した問題はピンチであるが、チャンスでもある。約十年前から断続的におこっている不祥事のかずかずは、三菱自動車がそういった是正をまったくおこなっていなかったことをしめしている。本来ならば、最初のクレームかくしが発覚した時点で、経営、技術、営業その他各部署でそのあやまちを未然にふせぐ対策が検討なされていなければならなかった。多分、「運がわるかった」、「俺は関係ない」と思う人間が大半だったのでしょうね。
エラー訂正機能のない大組織は容易に人を殺す。二十世紀に発生した某国や某国や某国(日本も含まれるかも)の事例をはじめ、組織の問題管理について、我々は学んではいなかったのか。
多分学んでいないのです。といきなり腰くだけ口調になりますが、その構造的な問題は、人間集団が本来もっているものであるという可能性もありますよね。その場合、どうやって是正しましょうか。
人力検索サイト「はてな」が提供しているいろいろなサービスの便利さに負け、サイトの構成に取り入れてしまいました。以下変更点を。
Webサイトの更新情報を知るためのツールに、「アンテナ」というものがあります。今回、「はてなアンテナ - キャベツ畑」を作成しました。
これで、AkimboのサイトおよびAkimboたちより先のサイトの更新状況が一覧できます。ぜひご活用ください。
携帯で投稿できる日記をはじめました。「はてなダイアリー - コールスロー」です。
日々の雑感をしるしてゆきます。おヒマなかたはどうぞ。
使いにくくなった等、ご意見は、キャベせんでもAkimboへのメールでも受け付けております。お気軽にお知らせください。
では、今後とも「ほんとなんせんす」をよろしくお願いいたします。
皇太子殿下が訪欧前におこなったインタビューを読んで、「なかなかやるじゃん」と思った。
皇太子妃殿下の病気の原因は心労であろう。そしてその心労のみなもとは、皇族としての公務や世継ぎ問題のプレッシャーというよりは、皇族なのか宮内庁なのかわからないが、妃殿下を見下した人々によるイジメであることが今回のインタビューでわかる。
皇室は日本国民統合の象徴であり、戦前は国家自身を、戦後は国民大多数の希望をささえてきた存在である。皇室内部の不協和音をあきらかにする皇太子殿下の発言はそれをおびやかすものだともいえる。
そして、このインタビューの質問に対しては、いつもの「雅子の一日も早い回復と公務への復帰をのぞんでいます」云々といった、予定調和の、毒にも薬にもならない、すかしっ屁のような返答をすることが期待されていたはずだ。皇太子殿下という立場からいえば当然そうすべきであったろう。
しかし、皇太子殿下には、皇室の尊厳に一穴をあけてでもこの発言によってだれかを牽制する必要があったのだ。家族をまもるために。わたしはこのインタビューを読み、「自分が皇太子殿下ならこういえたか」としばらく考えてみた。いえないだろうなあ。
ひとはだれもただひとり旅にでてうまれてくる環境をみずからえらぶことはできない。ただそのなかでベストをつくすことはできる。皇太子殿下は自分の力のおよぶ範囲で女房をまもろうとしている。以前は、ただ育ちがいいだけの、のっぺりとした顔をしたトッチャン坊やだとおもっていたが、なんだか男らしくなったよ。がんばれ。
我々が日々こなす仕事には専門的側面と事務的側面がある。
このうち、仕事の専門的側面については、専門教育やOJTで積極的に研鑽していると思うが、事務的側面については入社以来教わってもいないのではないか。
しかし、実は、我々の仕事の品質は、どちらかというと、「専門的な事項をどのくらい深く理解し、判断できるか」ということよりも「目の前の書類を1分で処理できるか、それとも5分費やしてしまうか」に大きく関わっているのだ。
本書は、私が数年前に読んで大変感銘を受けた本である。それはつまり、その時まで普通のビジネスマンなら意識しないでもできていることが私にできていなかったということであった。そのことで結構落ち込んだりもしたが、考えてみると、「普通の人」ならあたりまえのこととして日々実行しているが、意外と全員に知られていない仕事のコツというのは結構多いのではないかと思う。
「いくら働いても仕事があとからあとから迫ってくる」、「仕事は好きだが余計な処理が多くてまた休出してしまった」というような実感をもっている人ならば、まだまだ仕事の能率をあげることができる。本書を参考に自分なりの事務処理および案件消化のノウハウを模索し、貴重な人生の時間をもっと創造的な仕事に割り振れるように工夫してほしい。
そして、「すぐにやれ」について。
「すべき事」は次々と発生する。これを毎回「選択」していれば、どうしてもやって面白いもの、簡単にやれるものに手をつけてしまう。あげく、大して重要でなかった案件も日がたつうちに緊急案件に成長し、他の案件を圧迫して全体的な仕事の品質をさげてしまう。
これが、「やってきた案件はすぐ処理せよ」というゆえんである。
この考え方は、原則としては全く正しい。つまり、案件に緊急度による割り振りが存在しない場合には、来た順に着実に処理するのが正しい。もちろん、刻々と変化する状況の中では作戦変更を余儀なくされることも多いが、その際にはこの原則をなぜ曲げるのかという理由を明らかにし、自分なりに納得してから実施すべきである。
さて、それでは、本書に書いてあることをすべて実践すると、仕事の能率を極限まで高めることができるのかというと、答えは否である。本書は結局、我々とは仕事のスタイルの違う、アメリカやヨーロッパのビジネスマン達のために書かれたことを忘れてはいけない。本書が我々に与えてくれる一番大きなものは、改善のモティベーションとそのヒントである。そして、それだけでも本書を購読する価値があるのだ。さらにいえば、そうやって身銭を切って本を買い、自分の仕事を向上させようという意志、そして、購入した以上は元を取らずにおかないという気持ちも重要なのだと思う。
本書は「準拠すべき『バイブル』」ではなく、「自分の仕事を見直すための『水準器』」として使用していただきたい。健闘を祈る。
近況のページ構成を変えました。
あ、忘れるところでした。今年もよろしくお願いいたします。
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