<暮らしのTips> −何と第二回!− 

おじさん、おあいそ」追放運動 

居酒屋で、寿司屋で、「おあいそ」と言えば、「お勘定」を意味する言葉です。「じゃ、そろそろ帰ろうか。」、「おじさん、おあいそ」、「はい。5170円です。」などという会話は、多分二時間もそういった店に居れば何回かは耳にする会話だと思います。しかし、このような台詞を聞くたびに、私は非常に恥ずかしい思いをします。で、今回はなるべく多くの人にこの理由を知ってもらい、恥ずかしさを共有してもらいたいと思った次第です。 


1.なぜ、「あいそ」なのか

さて、まず、語源から考えてみましょう。「感情」で「愛想」なら洒落にもなりますが、「勘定」とはこれいかに? 話は結構昔にさかのぼります。

まだ人々の生活圏が歩いていける範囲であったころには、なじみの店の勘定は少し残して払うのが常識でした。つまり、「つけ」を残させることによって、次にまた来る口実を作るわけです。うーむ、昔はのどかだったんだなあ。今なら、「つけ」が溜まるのは、来ないことの口実にしかならないと思うけど・・・。

しかし、人間というのはきっちりしたいものなので、時に勘定をきれいに払って帰ることがあります。お店の方はきっちりしてもらって嬉しいかというと、さにあらず。勘定を全額払うと言うことは、先ほどの論理から言うと、「もう来ない」という意思表示になるわけです。

そこで、「もうこの店に愛想尽かしして、来ない気でいるな」という感じで、すねるように、「おや、***さん、お愛想だってよ」という台詞が、「店の側から」出てくるわけです。

2.客が使うと、どうなるか

つまり、この台詞は、店側が使う符丁で、客が使うものではないのです。これを、客の側が使うと、いったいどういうことになるのでしょうか。飲み屋さんなどに久しぶりに行ったときに、「あら、お見限りね。」などということを言われたりしますが、それを客の側から言うようなことになるような気がします。「いやー、近頃忙しくてお見限りなんだよ。」

3.言語は常に変わっているのだから別に気にしないでいいのではないのか

もう現代では、「おあいそ」というのは、「お勘定」を表す記号として定着しているような感じもしますが、本当にそうでしょうか。

「お勘定」と「おあいそ」が真に交換可能ならば、「お勘定書き」が、「おあいそ書き」になっても違和感はないはずです。しかし、少なくとも私は、そんな「お勘定書き」が出てきたら、嫌です。「支払明細」が「おあいそ明細」になっても嫌ですし、「精算書」が「おあいそ書」となっていたら、多分精算はしたくないでしょう。つまり、「おあいそ」という言葉は、飲食店の精算時にのみ使われる「符丁」なのです。

4.別に符丁を使う客がいてもいいのではないか

ここで私の提唱する、「行動の指針」をお教えしましょう。それは、「知ったかぶりはしない」ということです。これを飲食店関係に演繹すると、

「店側の符丁は使わない」

ということです。「ガリ」、「アタリッパ」、「アガリ」、「シャリ」、「イエンザキー」、「イーガー」、店の符丁を知った後、喜んで使うような人は、「半可通」と呼ばれます。たとえば、いくら女子高生の間で流行っているからといって、ガキの略語を喜んで使うような人は「流行に敏感」なのではなく、「自分の使っている言葉に自信がない」だけです。大体、わざわざ他の世代やグループに通じないように作っている隠語を週刊誌などから拾ってきてことさらに使ってみせるのは、ガキの顔色をうかがい、おべっかを使う態度です。(もっとも、私も近頃「チョーかっこいい」などといってしまうこともあります。自分の中で違和感の無い単語になってしまって、困っています。)

閑話休題

店側の隠語は、店の人間が使ってこそ決まるものです。客に、「あがり、さしかえて」などと言われた日には、寿司屋の板前さんは、「おーい、お客さんにお茶、お替り」というしかなく、どちらが客だか分からなくなってきます。つまり、「知ってて使わない」のがイキであり、ダンディであるわけです。

5.本当にそれだけで世の中渡って行けるのか

もちろん、日常の用語問題はこれだけではなく、呉智英氏が追求していた、「すべからく」シリーズ、東京オリンピックの後に生まれた世代位から意味が全然変わってしまう、「にやけた男(これに関しては一度辞書を引いてみることをお勧めします。うろ覚えで使っていた人は、赤面することうけあいです。)」問題、また、「おもむろ」、「おっとりがたな」、「天地無用」問題など、枚挙にいとまがありません。各論のみを学んでも、しょうがないという考え方もありますが、こういう阿呆な間違いを避けて生きるには、「うろ覚えの知識は使わない」という事が、とても重要になってきます。さらに一歩踏み込んで、「自分が使いたい表現はちゃんと調べる」ということも重要です。言ってみれば、実に簡単なことのようですが、難しいですね。本当。実は、私はこの間まで「提灯に釣り鐘」の「つりがね」とは、提灯を吊るすための留め金の事だと思っていました。つまり、私はこのことわざを、「おんなじ働く仲間であるが、仕事の重要さは随分違うのだ」という意味だと思っていたのです。このような間違いはなかなか修正しにくいですが、一生の中で一回でも辞書を引くと、たちまち訂正することができます。ま、辞書が間違っている可能性も否定できませんが。

6.だからどうしろというのだ

つまり、今回の提言は、

という、まあ、言ってみれば当たり前のことです。自戒を込めて、「あやふやなことは、ちょっと調べてみる」ことをお勧めしておきます。「おあいそ」問題のように、通ぶって間違うのが一番かっこ悪いですから。

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