ねえねえ、見た? 佐伯先生の首筋の傷跡!
 は? 知るわけねぇっての。誰だよそいつ。
 知らないはずないじゃん! 思い出してよ、国語の熊切の代わりに来た、髪染めてるイケメン実習生!
 あー……なんか思い出してきた。あいつだろ? いっつもハイネック着るかマフラー巻いてる変人。あいつきめぇんだよな。話しかけてもほとんど喋らないし、神出鬼没で校内うろちょろしてるし。顔と腕がいいのは認めるけど。
 そうそう、その人! なによ、やっぱり知ってるんじゃん。
 お前の説明がワリィんだろ。で、その実習生がどうしたって?
 あのね、昨日色んな部活をふらっと見にきてたんだけど、バスケする姿、ものすごく格好よかったの。
 またそれかよ。お前のイケメン調査報告にはうんざりしてんだ。さっさとあっちいけよ。
 なによ、知りたいくせに。まあいいわ、教えてあげる。佐伯先生が体育の時間に混ざってバスケしているとき、見たのよ。マフラーの下にあったの。人間の、歯型みたいな傷跡!
 は、歯型ぁ!?
 たくさん切り傷もあったし、よく見えなかったけど、あれは絶対人間の歯型だよ。なんかサキちゃんの情報によるとね、八年前の地震で津波がやってきたとき、この校舎に閉じ込められたんだって。そのときに些細な理由で仲間と殺し合いになって、そのときにつけられた傷だっていう話だよ。
 そ、それじゃあ殺人犯じゃねえか! どうして犯罪者をこんなとこに送り込めるんだよ。
 なんでも死体が一体も残っていないってことで不起訴処分になったっていうウワサだよ。
 はぁ? ふっざけんじゃねぇぞ校長のヤロー……誰が殺人犯と一緒にいると思ってんだ。
 ねぇねぇ、知りたくない? 死体が残っていないって理由。
 え? あ、そ、それはいいって、なんかなんとなく分かるから。つか言わないで。頼む、マジマジ。
 なによ嬉しがっちゃって。それはね――ここを襲ってきた人魚に、骨まで残さず喰われたっていう話だよ。


   *


 西暦2007年12月24日午後6時47分に巨大地震が発生した。震源が房総半島沖10km、深度は15km。マグニチュードは推定8.7。最大震度がテニスの町・白子町で震度6強、周辺の六角町や長生町には震度6弱。本震の振動は遠く北海道苫小牧市、兵庫県神戸市でそれぞれ震度1を観測した。余震は本震後の一週間で震度1以上の揺れが672回発生。沿岸部には最大4m80cmの津波が11回押し寄せ、全壊家屋約40000棟、死者・行方不明者合わせて1225名という未曾有の大惨事となった。津波の被害が大きかったことから、この地震は九十九里浜沖津波地震と命名され、翌年の11月29日より房総半島沖津波大震災と名称の変更がなされた。
 津波を受けた沿岸部、内陸でも家屋が倒壊した地域に住む町民で、遠方の親戚による引き取り手がなかった家族は、関東各地に設営された仮設住宅に住むことになった。八年が経過した今でも家を建てることができない人は仮設住宅に住んでいるが、町は人々の手によって誰が想像するよりも迅速に、そして着実に復興を遂げていった。人口は津波の恐怖で戻ることができない人々によって、もしくは移住した先の生活が気に入った人によってかなり削られたが、それでも人々は確実にその地域を元の姿まで戻すことに成功した。
 おかしなことに、被災者の間に、津波の海水の中に人間の顔をした魚を見たという噂が出回った。近辺の漁業関係者はそのような魚を見たことがないと証言し、人面魚の存在は数多の流言飛語に紛れた。しかしまだ幼い子供たちは口から口へ伝わった人面魚の存在を信じ、人魚だと形を変えて伝わった。あまりの噂の広がりぶりに大学の研究者までが捜索に乗り出したが結局そのような魚は発見されず、存在は都市伝説の中だけのものとなった。

 黒羽春風は母校であり指定避難所となった六角第五小学校で避難者の支援に回り、一ヶ月以上の間、ずっと復興の手伝いをしていた。その半月後に遠方の親戚によって高校入学の措置を受け、三年の間六角の町を離れて異郷の高校に通うことになった。入学当初からテニスの才能を生かし、入部一年目にして硬式テニスのインターハイ個人戦で全国ベスト16に入る。高校一年生の時よりレスキュー隊員になるという確固たる意志を持ち、高校卒業後は消防学校に通って、一発合格で消防士の資格を手に入れた。そののち故郷の六角町に配属され、地域密接型の新人レスキュー隊員として職を奉じている。
 葵剣太郎は親戚が全て六角町周辺にいたのもあり、三ヶ月以上の間避難所生活を送っていた。次の十二月までは仮設住宅で暮らし、仮設住宅近くの中学校に編入した。六角中学校が復興したのは葵が三年生の一月になってからだった。わずか二ヶ月しかなかったが葵は他の同級生五人と共に再編入し、六人だけの卒業式を挙げた。その後、再建された六角高校に通い、無事に卒業して現在は茨城県にある国立大学の体育学部三年生となる。六角の地に戻ったオジイにウッドラケットの作り方を教わり、現在ではオジイの跡継ぎとして期待を持たれている身である。
 樹希彦は弟の樹望と共に行方不明とされる。友人とされる黒羽春風の証言から屋上からの飛び降り自殺とされているが、死体が発見されていないことで真相は闇に包まれている。家族は一時郷里に戻ったが、数年後に戻ってきてまた食堂の経営を再開する。父母は地震によるPTSDを患った被災者の心のケアを兼業するようになった。
 天根ヒカルは避難先の学校で破傷風を発症し、若年ゆえ病状の進行が早く四時間で病死。死因は痙攣による舌を噛んでの窒息死。まだ家に帰っていなかった姉のみが生き残り、姉は名古屋の親戚のもとに身を寄せる。その後の消息は不明。
 木更津亮と木更津淳の兄弟もまた行方不明とされている。学校の屋上で巨大な白い風船を見たという夢遊病者の男性(87)の証言は、本人が痴呆症を患っているがゆえの妄想と解釈され、これもまた真相は明らかにはされていない。父母は六角を離れ、その後の行方は知られていない。
 首藤聡は帰省していたため辛くも難を逃れた。六角町に戻ることが実質できないため、復興が終了するまで帰省先の中学校に転入措置を取り、近場の高校に通うようになる。その地で大学まで進学。
 佐伯虎次郎は半月ほど避難所生活をしていた矢先に父親の転勤が決定した。遠く六角を離れて東京にある父の本社の寮に移住した。近場であった青春学園高等部に編入し、そこで高校の三年間を暮らす。大学はミッション系の聖ルドルフ学院大学教育学部に入学した。高校、大学においても、一切の部活動をすることなく七年間を終える。大学院への進学も考えたが学歴は不要と考え、すぐに教師として歩むことを決意。教師育成プログラムに則り、教育実習生として、ちょうど欠員が出た六角中学校の国語担当非常勤講師として赴任することになった。



 一年生の生徒が無言で漢字のプリントにシャープペンの先を走らせる、六時間目の夕刻。三時を五分程度過ぎ、もうすぐウェストミンスターの鐘が校内放送で流される時刻だった。佐伯はパイプ椅子から腰を上げ、ガラス越しの夕日を眺めた。いや、秋の中頃では夕刻といえ、まだ太陽の光は強かった。
 本当は、二度とここへ戻ってくるつもりはなかった。
 この校舎にいる度に思い出す。一年A組に敷かれた木目のタイルはところどころ変に真新しいものに変わっている。図書室の本は最後に見たときよりも少しだけ少ない。奥上はフェンスこそ新しいものに替えられていたがドアの五つのへこみは隠すには案外骨な疵のようで、そのまま放置されていた。
 あの地震の後には日本や世界の各地から義援金が贈られてきたが、その多くは被災者の生活に消え、残しても構わないものについては極力残しているようだ。天根の吐血、樹の出血の跡は流石に残せずにタイルを張り替えていたが、それ以外はほとんど以前と変わりがなかった。
 これだから、戻りたくなかった。多分、去年までの自分ならここに赴任することだけは絶対に拒否したことだろう。それでも、曲がりなりにも、教師という道を選んだ。教師は数年ごとに転勤する。ひとつところに長くいて、愛着を残すことのないような職業に就きたかった、という理由は少なからずあったが、その理由は些細なものだった。
 ただ、ずっとテニスに関わっていたいからだと思う。もう一度、六角のメンバーでテニスをしたかった。今ではそれも叶わない夢となった。願いを因数分解していけばいくほど、元の形がなくなっていく。ただ漠然としか、ものごとを考えられない。頬に当たる夕日も、教室のあたたかさやチョークの粉のにおいも、壁を隔てて聞こえてくる教師の声も、なにもかも自分の感覚ではないように感じる。
 生き残った仲間とも音信不通になった。六角町に来ても、誰が話をするわけでもないから、黒羽と葵がここに住んでいるとは知っていても、どこにいるかまでは分からない。
 もう一度、テニスをしたかった。かつての現在の仲間と。その淡い願いも、実行に移せずに終わってしまう。
「先生? 佐伯センセー?」
「……え? どうしたの?」
 突然話しかけられて、佐伯は思わず微笑み返した。自覚できるほどのペルソナじみた笑みだった。
 スピーカーから流れる、電気的にひび割れたチャイムをそのときになってはっきりと意識した。慌てて教卓に戻った直後に最後の一小節さえ終わった。佐伯は生徒にプリントを集めるように指示を出す。私語が戻ってきた教室の中で、プリントを集め次第ホームルームを始め、明日の伝達事項を黒板の隅に筆記した。さよならの挨拶をするかしないかのうちに生徒は椅子を上げて後方へ引きずる。目に見えない埃が夕日を浴びてきらきらと光る。ダストを乱した生徒の波は、てんでばらばらに己の用事を済ませに教室を離れていく。
 教室掃除をする生徒がまじめにやらないのを苦笑気味にたしなめながら、こうして一日の授業が終わる。
 この生活が始まってもう一週間も経った。生徒は佐伯が在籍していたころからの優しさを失っていないし、先輩の先生たちは優しく厳しく指導してくれる。一部を除いてあの地震と、そのあとに起きた出来事のかけらも残っていない。それが僅かな寂寞を漂わせるとともに、それ以上の安心感が全てを柔らかく包み込んでいる。
 放課後の短い時間には生徒との雑談につきあい、テニスの練習試合を申し込まれたり、時にはラブレターを渡されたりもした。中学校生活とまったく同じだった。一番楽しかった中学校生活はもう二度と帰ってこないものだと思っていたのに、今は次から次へとやってくる生徒たちに励まされて生きている。自分たちだけが生き残ったというサバイバーズ・ギルトにはずいぶんと悩まされたが、生徒の影のない笑顔を見ているたびに、生き延びた罪悪感が水に溶けて消えていくかのような安心感を覚える。
 四百年もの時間を生きているオジイも、こうやって次世代の子供たちに励まされたのだろうか。だから、子供たちを遊ばせるためのアスレチック場を造ったのだろうか。
 アスレチック場。久々に思い出すと、また行きたくなってくる。あの時の俺たちが、初めて出会った場所。オジイの永住の地。
 外に出よう。太陽の光を浴びよう。夕日はまだ熱い。
 玄関で靴を交換して、佐伯はアスレチック場へ向かった。
 オジイの家はまだ簡単な設計のプレハブだったが、個人で所有している土地にはもう新しい遊具が半分ほど再建されていた。公園の隅にいた佐伯の足元へと遊具の影が伸びてくるほど、時刻はもう夜に近づきつつある。トンボが風にまぎれるように飛んでいく。
 十数人もの小学生が我先にと遊具によじのぼり、ぶらさがり、滑り降りてはまた這い上がる。悔しいと地団太を踏む男の子はまたジャングルジムにのぼりはじめ、勝った方が一瞬遅れたものの着実に追い上げる図式が繰り返され、覆される。
 このように楽しんでいた時期もあった。それがいつから、消えてなくなったのか。
 テニスコートではたくさんの小学生が黄色いボールを追いかけてラケットを振っていた。フォームもしっかりしているし、球にもブレがない。ちゃんとスイートスポットに当たっていて、変な音がしなかった。もともと良かった動体視力は、こんなところでも能力を発揮している。いっそいらないくらいだ。
 カラスが家に帰る。世界がオレンジ色のフィルムに覆われている。ひゅう、ひゅう、と風が啼く。ポケットに両手を押し込み、関係ないことだと割り切ってテニスコートに背を向ける。
「あ、おにいちゃん危ないっ!」
 その言葉に触発されてその方向に首を向けた。なにかが飛んでくる、と神経が反応した瞬間、佐伯の手は黄色のフェルトを生やしたボールをキャッチしていた。
 何年ぶりに触れただろう。土のコートで使い古されて繊維が膨らんだ、テニスボールが手の中にあった。
 飛んできたから思わず掴んでしまった。
 すると、ウッドラケットを持って小学校一年生ぐらいの男の子が佐伯に向かって走ってきた。佐伯の目の前まで来ると、疲れているのか男の子は背中まである長髪をくたりと垂らしたまま息を切らせていた。佐伯はしゃがんで目線を同じ位置に下ろす。とぎれとぎれに少年は言う。
「お、にいちゃん、それ、ぼくたちの、」
「あ……ごめん。このボール、君のだったんだ」
 はい、とボールを差し出した。その瞬間、顔を上げた少年を見て、佐伯は思わず息を呑んだ。
 長く乱れのない黒髪。額に巻いた、長く赤いハチマキ。整った中性的な顔だちを、こころなしかほころばせて、少年は小さな手でボールを受け取る。
 少年はボールを受け取ってから、佐伯を真正面からじっと見詰めた。
「どうかしたの?」
「おにいちゃん、テニスできる?」
 テニス? と聞き返すと、少年は顎が胸に当たるほど大きくうなずいた。宝探しをしていて本当に財宝を見つけた子供のような目をしていた。
 佐伯は少し考えて、
「そうだね、昔はやってたかな」と苦笑ぎみに返答した。
「じゃあやろうよ!」
 少年は佐伯の手を取ると、
「キー坊、ミケ、このおにいちゃんテニスできるって!」
 と、テニスコートに立つ二人の少年に向けて叫んだ。背の高い方が、子供の背丈で考えても長いラケットを大きく振った。
「ミケもよんでるよ、はやく行こ!」
「あ、俺は今ちょっと……」
 怪我しているから、と返した。もちろん嘘に決まっている。今の佐伯はコートに入ることができない。コートに入るたびに思い出すのだ。懐かしい記憶と忌まわしい記憶が混ぜ合わされて、今でも狂いそうになる。息ができなくなる。ボールを追えない。ほかの被災者に比べれば比較的軽いPTSDだったが、それゆえにトラウマは深く、テニスに対してだけ、愛着と後悔が記憶とともに煮えくり返る。
 しかし少年は嘘を嘘と見抜けぬ純粋さを失っていないようで、「そっか」とはた目から見ても可哀そうなほど肩を落とした。しかしすぐに顔を上げると、「じゃあ治ったらテニスしようね!」と、ひまわりのような笑顔を取り戻した。
 そしてミケと呼ばれた少年が、少年の名だと思われるあだ名を大声で呼んだ。少年は、今行くー、とラケットを振り、コートの方へと走って行った。
 この少年も、数年後には六角中のテニス部を支える柱の一本になるのだろう。
 そう思った瞬間、少年は走りながら振り向いて、佐伯に手を振った。

「コートで会おうね!」

 少年の背中が遠ざかっていく。友達とコートに入って、遅ぇよ、ごめんごめん、テニスしよ、と言葉を交わしつつ配置につく。
 佐伯は、何度か、少年の言い残した言葉を反芻した。
 ――コートで会おう。
 テニスをしていた時期、毎日のように「さよなら」の代わりに交わした。その言葉をもう一度、聞くことになるとは思わなかった。
 太陽がさらに傾くサンセットウェイの中で、佐伯はコートを眺めていた。

 夕陽の中を、トンボが飛んでいく。
 水の中を泳ぐように、一匹につながった二匹のアキアカネが、夕暮れの空を横切っていく。







fin






















もう一度、逢えるよな























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