遺 念 火 

主演:平古場凛


 中学校が始まって一年目の夏。俺は幼馴染の彼女と一緒に、首里で行われる花火大会を見に行った。
 花火大会はすごく人がいる。それこそいもあらい状態だ。俺は彼女の手を引いて雑踏を歩いた。
 遅くなると帰りの船が混む。
 花火が始まって一時間もしたら帰るのが身のためだ。
 出来るだけ裏道を歩く。
 木製の古びた橋を渡っている途中に、緑がかった青い炎が二つ一組、踊るように空を舞っていたのを見た。
 それはどう見てもおもちゃの花火じゃなかったし、糸があったにしてもあんな複雑な動きは出来ない。
 俺は正直気味が悪いと思ったが、彼女の方は、綺麗だね、素敵だね、と言って、その場から離れようともしない。
 バカあれ未確認飛行物体だぞ、とか何とか言って、俺はその場から視線も彼女も引き剥がし、帰りの船まで走って逃げた。



 後に木手に訊いた所、それはフィーダマか遺念火ではないかと教わった。
 フィーダマも遺念火も、突き詰めてしまえば人間の魂だ。
 だから学校のパソコンで調べてみたところ、昔一組のカップルが身を投げて死んだことがわかった。
 その魂を見てしまったのかと思うと、正直寒気がした。



 それ以来、俺は霊感とかいう胡散臭い感性が発現してしまったらしい。
 この前はアヒルのかたちをしたアイフラーマジムンが、石敢當を避けるようにして直進しているのを見た。
 シーサーがフィーダマを追い払う現場に出くわすのなんて日常茶飯事だ。
 しかもシーサーがいなくてフィーダマが入っていった家がボヤになった。
 見るのは百歩譲渡して許せても、原因究明しなければ例え嘘でも納得できない。
 しかし、相談するのは気が引ける。
 そんな日々が一ヶ月ほど続いた頃、知念と一緒に帰っていたときに、今度は赤ん坊の形をしたアカングァーマジムンが直進してきたのを見た。
 そのマジムンを避けて通ったところ、知念が少しだけ驚いたような顔をしていた。
 見えるのか?  知念はそう尋ねた。
 知念も見えていたらしい。俺は知念に今まで見てきた異形の話をすると、とても親身になってくれた。
 話を聞いているうちに分かることがあった。知念はどうやら、物心ついたころから既に妖怪や幽霊の類を見ていたらしい。
 その上、今年で白寿を迎えるおばあに昔噺をよく聞いていたらしい。妖怪の知識も永四郎並みに豊富だった。昔噺や妖怪を聞けば、ほとんどの確率で答えが返ってきた。
 遺念火について尋ねると、知念は思い出すように水平線の彼方を見て、語りだした。

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 首里に仲のよい夫婦がいた。しかしその仲の良さを妬んだ者が、妻はお前のいない間に他の男と遊び呆けていると嘘をついた。夫は生き恥を晒すことを苦に、川に身を投げた。帰ってきた妻はその事実を知り、後を追って川に身投げした。
 それ以来、その場所には二つ一組の火の玉、遺念火が現れるようになったという。
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 余計に意識してしまったせいか、俺は今までよりも多くの異形を目の当たりにすることになった。
 ガジュマルには赤い肌の子供がいた。海に行けばザンの親子を見た。森に行けば何処からか声が聞こえてきた。
 フィーダマが家に入ろうとしたら追い払わなきゃ良心が許さなかったし、マジムンが誰かの股下をくぐろうとするならば何かの理由をつけてでもマジムンから離れさせなければならなくなった。マジムンは股下を通らせると魂を取るからだそうだ。
 昔なら、俺はユタになっていたところだろう。しかしユタになるには原因不明の体調不良とか何らかの変化が起こった後の方が、よりユタに近づけるのだそうだ。
 それにユタになるのは嫌だった。知念の祖母はユタをやっているが、なりたくてなったわけじゃない、とぼやいていたそうだ。
 だから俺は、知念以外にはその秘密を隠し通した。
 でも女の勘ってやつは恐ろしい。
 知念に話して半月も経たないうちに、彼女にはその霊感を見破られた。
 受け入れてくれた、というのが一番ほっとした。そうじゃなきゃ、今頃は電波だの何だのと学校中に噂が広まっていたことだろう。電波は携帯電話だけで充分だ。



 高校に上がったら、俺と彼女は同じ高校に進学した。もちろん永四郎や裕次郎、知念に田仁志に不知火に新垣も一緒だ。
 インターハイ出場を目標に据えた忙しい日々の中、俺と彼女は織姫と彦星のように滅多なことじゃ会えなかった。
 だから喧嘩も絶えなかった。それでも彼女は、俺を決して見捨てようとはしなかった。俺も彼女を棄てる気なんて毛頭なかった。

 二人でずっと生きよう。たとえどんな困難が立ちふさがっても。

 高校一年、七夕の夜に初めて唇を合わせ、その時に誓った。



 そして、時が過ぎた。
 高校を卒業した後に、俺は本島でチェーンのファーストフード店に就職した。
 彼女は服飾系の専門学校に通うようになった。しかしファミリーレストランでのバイトも兼ねているので、帰る時間は夜がとっぷりと暮れた後、短針が9や10を指すような時間帯になった。
 夜道を女の子が一人で歩くのは危ない。特に沖縄では米軍基地の問題もある。
 俺は一緒に住めるように、彼女の通う専門学校の近くにアパートを借りた。交通機関も整っている。いざとなったら車でバイト先へ向かって迎えに行けばいい。
 決断してよかったと思う。
 これは同棲そのものだったが、俺たちには「一足早い新婚生活」としか映らない。実際その通りだから誰も反論なんて出来ない。
 俺たちだけ、二人だけの空間。
 俺はその幸せが、老いて死ぬまで、半永久的に続くものだと信じてやまなかった。



 そしてそんな幸福が続いて二年ほど経過した、星祭りの夜。
 俺と彼女は橋の上で、遺念火と天の川を眺めていた。
 あれが織姫、あれが彦星。指差して示しながら、俺は語りかけた。彼女は目を輝かせて、俺の話しに聴き入っていた。
 星の勉強をしていてよかったと心底から思う。なかなか格好いいところを見せられない俺が、いい所を見せられるのだ。俺は一人心の中で、星空の家庭教師になってくれた裕次郎に感謝をした。

 しばらく川面の音を聴いていると、夜空を割るようなバイクのエンジン音が聞こえてきた。うるさいやぁ、そう呟くと、まるでその声も聴きつけたかのように、一台のバイクが橋を渡り、あろうことか俺たちのすぐ近くで止まった。
 バイクから降りた、二十代前半の卑しい男はおもむろに彼女に近づくと、おおべっぴんさんやないけ、とどこぞの方言で安いナンパをしかけてきた。
 ふさがるようにして前に立つ。不快を敵意に、視線を刃に、男を睨む。すると次から次へとバイクが押し寄せ、辺りは大小の不良たちに囲まれた。茶髪にロン毛、ゴス趣味に髑髏、チャラ男から屈強な男ども。この人数相手は不利に決まっていた。そしてその中の一人二人が光り物をポケットからちらつかせ、その顔をニヤケさせている。
 ここで喧嘩をしかけるよりも逃げるのが得策だ。一度思いっきり暴れてみたいところだか、こちらには武術の心得もない大切な人がいる。喧嘩をしているうちに奪われてしまったら元も子もない。
 逃げ道を模索して視線を彷徨わせていたその一瞬の間に、背後で悲鳴が聞こえた。俺は思わず名前を叫んだ。助けて、助けてと必死に手を伸ばされる。しかしその前に屈強な男が立ちふさがった。
 周りが見えなくなった。その男の鳩尾に一発強烈な蹴りを食らわせた瞬間、取り巻いていた不良どもが雪崩れ込むように、最初の小さな競り合いに乗じ始めた。瞬く間に、橋の上は修羅場と化した。
 大切な人を取り戻すために、前に立つ不良の顔に拳をめり込ませ、アバラを蹴り折り、ただひたすらに彼女の元に向かった。
 再び悲鳴が上がる。俺は無我夢中になって不良を薙ぎ倒し、寸でのところで彼女を下劣な不良から取り戻した。
 女を取られたとあって、不良どもは今までよりもなおいきりたって襲い掛かってくる。俺は彼女を腕のうちに守りながら、殴る蹴るを繰り返した。しかし頭数は一向に減らない。そしてじわじわと焦りが生まれてくる。橋の上という、逃れられない状況も焦燥に一役買っていた。
 どうすればいい、どうすればいい。逃げ道は何処にもない。薙ぎ倒して進むしか方法はない。
 その考えが脳裏によぎった瞬間、一人の不良がナイフを逆手に持ち、一直線に振り下ろしてきた。刃の先が、星明かりを弾いた。
 瞬間、やめてっ! と彼女が叫び、同時に俺の前に立ちふさがった。
 一瞬だった。
 白兎の目を連想させる赤い液体が、彼女の細いうなじから、それこそ噴水のように吹き上がった。


 目の前で。止められなくて。手を伸ばしても、届かなくて。


 傾いでいく彼女の身体が、やけにスローモーションで見えた。そして苦痛を訴える目と目が合って、白い光条を夜闇にくっきりと残して、そして……その瞳が幽かに笑った。
 よかった、と。
 唇を幽かに動かし、音にならぬ言葉を発して、彼女の身体は柵を乗り越えていった。
 そして激しい水音が、聴覚を塗り潰した。
 慌てて柵にすがりついた。水面では、浮き上がった彼女が川のせせらぎに乗り、水を赤く染めながら、あたかも舟のように流れていく光景が広がっていた。
 視界が狭まり、彼女だけしか見えなくなった。世界が赤く暗くなる。柵を掴む指が、肉体の限界を知らないように力を目一杯込める。周囲の空気から、ヤベエよ、という声が漏れ聞こえてきた。
 呼吸が出来なくなった。息を止めたまま、ただまぶたをカッと見開いて、俺は遠ざかっていく彼女の姿を追っていた。
 そしてその数瞬後、意識が吹っ飛んだ。大切な人のうなじに刃を突き立てた男の顎を拳で砕き、その身体がもんどりうって倒れた直後に全霊の力でアバラを踏みつけた。クレヨンが数本一気に折れるような感触が靴底から伝わってきた。助けてくれ、と男は手を伸ばして命乞いをする。しかし、俺はもう己を抑えられない。
 サッカーボールのように頭蓋骨を蹴った。男は、あが、と叫ぶ間もなく転がった。頚椎を折った。手加減など川に棄てた。もう長くは生きられまい。
 その顔を、容赦なく踏みつけた。一回、二回、三回、四回、五回、六回、七回、八回、何度となく踏みつけた。潰れた鼻は既に原形をとどめておらず、眼球は潰れ、透明な液体が男の顔面を濡らした。それが涙なのか眼球を満たす液体なのかは知る由もない。唇から謝罪の言葉が出ることはなかった。唇はもう千切れて、歯が剥き出しになっている。しかもその歯さえも、容赦のない攻撃によって大半が折れて、血液を流出させていた。男は咳き込んでいる。折れた歯が気管に入ったのかもしれない。
 許す許さないの問題ではない。感情なく、その男を破壊することだけを考え、実行している。周囲の人垣が徐々に広がっていく。
 その中の一人が、地を蹴った。次の瞬間、背中から、ドス……という重い衝撃の後に、服を染める赤を見た。胸の生地を内側からテントのように持ち上げ、あまつさえその切っ先が布の先からはみ出ている。銀色の、刃だった。
 遅れて生々しい鉄の味が口腔に広がった。唇の端から一筋流れる液体を拭ったとき、それは血なのだと、理由もなく納得できた。
 そして突き立てられた刃が、力任せに抜かれた。反動でふらついた。その拍子に、柵に身体がぶち当たった。世界が反転する。
 数秒のダイブの後に、俺の背中は、水面に叩きつけられた。やっぱり派手な水音がした。水に浸食される視界の中に、星空を見た。年に一度しか会えないという織姫と彦星が、殊更くっきりと見えた。そして割り込んできた、緑色の一組の炎。
 七夕にしか会えないのならば、遺念火と同じように、常に一緒にいてはいけないのかな。
 最後の意識を残し、俺の全ては濁った川面に没した。





      *





 ねえねえ、聞いた?
 何が?
 あのね。この前に××ちゃんが、あの例の橋で人魂を見たんだって。
 例の橋? うっそー。あそこに夜に行った事あるけど、そんなの見なかったもんね。
 嘘じゃないって。それにね、あの橋って、少し前に人死にが出たらしいよ。
 人死に? それって何の話なの?
 あのね、ある七夕の晩に、暴漢に襲われた美男美女のカップルがいたらしいの。でもその二人は殺されて、今でも遺念火っていう人魂になって、今もその橋の近くを彷徨ってるらしいんだって。



 
かくして、フォークロアは今も生き続ける


























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