ガ ジ ュ マ ル の 木 陰 で

主演:田仁志慧



 俺が釣りをしていると、たまに不思議な事が起こる。

 何故か知らないが、俺が用を足しに場所を離れると、バケツの中に入れていた魚の目玉が抜かれているんだ。

 しかもご丁寧な事に左目だけをくりぬいている。

 小学生の中ごろに気付いたんだが、あまり気にしていなかった。

 もとからあまり頓着しないってのもあるが、毎回そんな事が続けば気味が悪い。

 だから、俺は子供心なりに犯人を捕まえようと思った。

 名前は、仮名だけど「魚の目玉泥棒」って付けた。

 その「魚の目玉泥棒」と捕まえる計画はこうだ。いつものように場所を離れる。そして近くの茂みに隠れるんだ。

 巨体を隠しきれるかどうかは二の次だ。捕まえてやると、決心する俺の心は燃えていた。



 すると、計画は一発で成功した。

 魚の目玉泥棒を見つけて、犯行を盗み見た俺は、飛びかかって簡単に捕まえた。

 真っ赤な肌をした子供で、ぼさぼさな髪。俺よりも背が小さくて、幼稚園生かと思った。

 でも違うようだった。

 アイツは名前を「キジムナー」と名乗った。



 キジムナーは、すぐに一番の友達になった。

 さすがに最初に会ったときはケンカもしたけど、最高の友達だ。

 デブデブと馬鹿にされてた俺を、キジムナーは何の気なしに遊びに加えてくれた。

 海岸を歩いて、一緒に綺麗な貝殻を見つけて交換っこしたり、

 草むらを走りまわって、虫取りをしたり、

 山を歩きまわって、この島にはいないはずのでっかいアヤミハビルを見つけたりした。

 昼はさんざん海や山でちいさな探検をして、

 夜になるとこっそりと家を出て、かぶとむしを取りにに出かけたりした。

 そのときは、虫かごにいっぱいになって、裕次郎や凛、寛に分けた。永四郎は欲しがらなかった。

 春は一緒に一月の桜を見にいったし、

 夏は浜辺で泳ぎまわった。

 なかなかこない秋でも泳いだし、

 冬になればなるで、見たことがない雪を夢想して、語りあった。

 キジムナーは俺の知らない昔のことを知っていて、

 俺はキジムナーの知らない今のことを知っていて、

 お互いに教えあいっこした。

 中でも一番は、釣りのしかただった。

 キジムナーと一緒にやると、いつも漁に出たようにたくさんの魚が釣れた。

 魚の左目だけをあげるって約束すれば、どれだけ多くても釣らせてくれたんだ。

 これはどうやって釣るのかは教えてもらえなかった。

 聞こうとすると、「秘密」って言って、ガジュマルのある方へ消えていってしまうからだ。

 そんな平和な関係が、俺の中学入学まで、穏やかに続いていた。

 そしていまだに、俺はキジムナーの帰る場所を知らなかった。

 いつもガジュマルの生えている南の海岸ってしか、分からなかった。



 中学校に入学して、俺は木手に誘われてテニス部に入った。

 もともと武術をたしなんでいて、段はもうとっていたから、その実力を買われたんだと思う。

 テニス部は、最初はあってないようなものだった。

 今いる早乙女監督はいなかったし、当時の顧問は全くといっていいほど部活にこなかったからだ。

 でも木手が「かいかく」をして、俺達は全国を目指すと心にきめた。

 一位になってやると、みんなで誓い合った。

 もちろん簡単な道じゃない。荒れたコートを直さなきゃならなかったし、基礎練もおろそかにはできない。

 だから俺達は部活に打ちこんだ。

 キジムナーと会えなくなったのもその頃が始まりだった。

 私生活が忙しくなり、休みもなくなった。

 釣りにも行けなかった。

 でも「一位になる」「全国へ行く」という誓いで、俺達は動いていた。



 その頃だったか、あるとき南の海岸が新しい港になるという話しをきいた。

 でも俺はあまりそんなことには興味を持たない性格で、気に留めていなかった。

 それどころか、全国が終わって、新しい港ができたから、あとでキジムナーも誘って釣りに行こう、とまで考えていた。

 それは何も考えない自分の馬鹿さ加減の発露といえた。



 全国大会に出るために東京へ飛ぶ日の前日。俺は一年ぶりにキジムナーのいるガジュマルの木陰に座った。

 久しぶりじゃんか。キジムナーはそう言って口の端を持ち上げ、顔を輝かせる。

 本当に楽しそうな笑顔になる瞬間。

 その瞬間が俺も好きだった。

 全てを洗い流されるような、今まで来れなかった罪悪感も一緒に洗われるような、そんな清浄な気を、キジムナーが持っていた。

 というのはちょっと俺が見栄を張りたいだけで、実際は、素直に浜を駆けまわっていた子供に戻れるような気がするってのを、格好良くいいたいだけだ。

 キジムナーは俺の小さい頃から変わらない笑みを浮かべたまま、遊ぼうぜ、と誘いかける。

 でも、そのときの俺には時間がなかった。

 木手から、臨時練習のメールが届いたのだ。

 それは全国へ行くには絶対とされる木手からの召集で、行かないわけにはいかなかった。

 じゃあ、俺は東京にいってくるから、帰ってきたらまた会おうな。

 おう。

 優勝カップ、絶対持って帰ってやるからな。

 絶対だぞ。

 キジムナーと俺はそんな簡単な約束をして、拳を突き合わせた。



 空港のある本島から少し離れた島に住む俺達は、朝早くに船に乗らねばならない。

 海風の凪いだ海面を割り、船が飛沫を撒き散らす。

 その光景をぼんやりと眺めながら、俺は木手にサーブの精度を上げる方法を教わっていた。

 全国大会優勝のカップが、故郷への手土産だ。

 キジムナーにそのカップを見せてやると、昨日約束した。

 何が何でも勝たなくてはならない。

 船着場に停まった船の中に乗り込むと、足元がゆらゆらと揺れて、不知火が顔を青くしていた。

 木手にそいつの看護を半ば押し付けられた形で、俺は不知火を連れて外廊下に出た。

 胸あたりまでの柵にしがみついて、不知火は海に向かって、思いっきりケロケロケロ……

 その光景をできるだけ見ないようにしながら、俺は海を眺めていた。

 逆巻く波に泡が白く浮き立って見える。自分達の島が見えなければ、位置感覚を忘れそうなほどに、海はどこまでも続いていた。

 海と空の境を曖昧にする、絶対的な色が視界を一色に染め上げる。

 地球の形に沿って微かに歪む、平らにしか思えない水平線。

 少しずつ小さくなっていく、海の上の孤島。

 その景色の中に、俺は一つだけ違う景色を見つけた。

 何処までも蒼い海と緑の島の中に一つだけ、

 赤い肌の子供が伸び上がって、手を大きく振っているのを。




 全国大会が終わって、すぐ。

 俺はキジムナーのいるガジュマルの木陰に走った。

 2回戦で負けたけど、それでも全国へ行けた喜びを、キジムナーに伝えたかったのだ。

 しかし、そこには真新しい港のコンクリートが、光を反射しているだけだった。

 いつまで待っても、キジムナーはやってこなかった。

 それでも夏は、終わらなかった。


  *

 これは木手に教わった話だ。

 キジムナーは、ガジュマルという木の精らしい。

 古びたガジュマルに住み、その姿や行動は幼い子供だという。


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