巡り巡らぬ宵の内、凛は現世の夢を見る
巡り巡らぬ四季の内、甲斐は幻世の夢を見る




 旅客船は旅客船と言っても、船の名前がどでかくプリントされた割には余りに小さくて、見掛け倒しな船だ。離島桟橋で見上げた時もそう思ったが、降りてから見ると本当にそう思う。全体的に綺麗さを保つように努力はしているようだが、昭和の中期に作られてはガタの一つ来ない方がおかしい。白くペンキ塗りされた鉄板やボルトには錆が浮いているし、その色が白い船体に赤茶けた線を下に幾本も引いていた。横にプリントされてある「にしななつ号」の字と昭和の年号はすっかり色褪せていた。水平線に近づいてきた陽が船や空だけでなく島まで染めているようにも見える。
 スニーカーの底が、頼りない水面じゃなくてしっかりとした大地を実感して、靴底でアスファルトを擦ってみた。きゅっきゅっと滑り止めのゴムが鳴る。この舗装された道は、本当はアスファルトなんかじゃなくて、作って間もないぴかぴかのコンクリートかもしれない。ちゃんと船を停泊させる為だけに作られたのだろう。大人の都合で、だ。でもその大人がいるからこそ、自分はここ――波照間島まで来られた。
 波照間島――北緯24度2分25秒、東経123度47分16秒。石垣島離島桟橋から波に揺られて一時間の距離にある。
 甲斐は片紐のリュックを掛け直した。潮風に攫われていきそうな帽子を片手で押さえる。さあ、行こうか。数人の客に紛れて、甲斐は一人、そう決断する。
 果ての珊瑚礁ウルマと名付けられた、日本最南端の有人島と言えば、沖縄の波照間島以外にない。沖ノ鳥島は仮にも東京都の所属だし、そもそもあれが島と呼べるかは甚だ謎だ。波照間島なら、最南端の島として立派に客を寄せられる。甲斐が乗ってきた船の乗客も、出身を訊けばほとんどが県外からの旅行客だった。これから何処に泊まるのかと訊けば、ここだよと歪な丸の形をした島が印刷された地図を指差して、民宿の名を呼ぶ。民宿『しらなみ荘』、民宿『ねのふし』、民宿『ヤシガニ』。中には久しぶりに帰宅するから家に泊まる、と答えたうちなーんちゅもいた。
 波照間の白い道を歩く。家々を囲む石垣の奥には常緑樹が林立している。しかし道端にはやはり電柱が10メートルぐらいのスペースを開けて電線を渡していた。せめて電柱か電波塔さえなければ風景も最高なのに、携帯画面ではアンテナが三本も立っている。
 風が木の葉を揺らすざわざわとした音が絶えず穏やかな静寂に混じる。石垣を乗り越えて、ひとびとのゆんたくの声が届いてくる。お茶でも飲んでいるのか、老人特有のしわがれた声が時折楽しげに笑っている。
 長く伸びた影法師を踏んで歩く。予約した民宿までの道のりを歩く内に、オレンジ色のパーカーを掛けなおした。沖縄で桜が散った季節でも、二月ではまだ少し寒い。もう二月か、と甲斐は思いを馳せる。
 あの忌まわしくも幸せだった夏の日々が終わって半年近くが過ぎようとしている。平古場が、知念が、木手が、手の届かない所へ行ってしまった。今更悔やむ気持ちはないと言ったら嘘になる。何故なら平古場と知念と木手が死ぬには、神の悪戯にしては理不尽すぎた。
 平古場と知念の机に貼られていた学籍番号シールは剥がされ、誰も使わなくなったからといってプレハブに仕舞われた。木手の椅子だけに何故か花瓶があり、茎の元気な花が挿されて首を垂れていた。数日後に木手の葬儀が行われて、甲斐はそこで初めて知念もいない事に気づいた。ただでさえ平古場を目の前で失ったのに、帰ってから『木手は亡くなりました』『揉み合った跡も見られ、現在は警察で他殺か自殺かを捜査しています』と突然言われても、納得がいかないのだ。例えるなら記憶喪失のさなかに近親者の死を伝えられたような、そして実感が湧かないながらも人が死んでいるという事実を上辺だけで認識している、そんな感覚。しかし机に手向けられた花束と、葬儀中に泣きじゃくる周囲の人々、こんなときまで真面目さに真面目を厚塗りした遺影を見ていると、いやがうえでも現実感が戻ってくる。
 しかし、何故、平古場には花も涙も手向けられないのだろう。いつの間にかいなくなった知念は、平古場と共に、皆の記憶から忘れ去られているようにも感じた。結局、平古場家で葬儀は行われず、知念は行方不明として一応のかたはついた。しかしあの狭い島をどう捜索したとしても面積はたかが知れている。一隻の船も出ていないし、島から見つからないのならば、生存している可能性は限りなくゼロに近い。そして暫くの後、警察から、木手の死因は有力な証拠がないため自殺という報が伝えられた。学校側は世間体に敏感に反応して、ためにならない道徳の授業時間を拡張し、スクールカウンセラーが毎日のように来校するようになった。甲斐と田仁志は学校側の配慮でスクールカウンセラーの元に回されてPTSDを疑われた。平古場と知念が使っていた教室のロッカーにはその内サッカー部がボールを入れるようになり、部室のロッカーには繰り上がりでレギュラーになった部員がジャージなり制服なりをハンガーにかけるようになった。
 全てが目まぐるしく動いていって、気付いた時には全てが跡形もなくなっていった。
 早乙女に頭を下げて見せてもらった名簿には、平古場凛、知念寛、木手永四郎の名前の上に取り消し線が二重に引かれていた。
 春の修学旅行で撮った写真を思い出す。班分けはクラスの別なく自由だったため、木手、平古場、甲斐、知念、田仁志の五人で長崎を歩き回った時の写真だ。黄色の花畑に囲まれたハウステンボスをバックに、平古場は知念の首を左手で固めて、木手の肩に右腕を回して、それこそクソガキのように笑っていた。木手は微妙な口角の変化で分かる不機嫌な色を浮かべ、知念は困ったような顔で自信なさ気なVサインを地面に向けていた。その上で田仁志と肩を組み、歯を剥き出してピースサインを突き出す自分が猿よりも馬鹿に見える。ああ馬鹿だったよ、本当に。
 考え事をしている内に景色が変わり、目的としていた家屋の前に着いた。背の低い石垣とフクギに囲まれた沖縄家屋の屋根では、もちろんシーサーが大口を開けて悪霊を祓っている。風雨に晒されてすっかりと墨の消えた『ねのふし』という木製の看板が、ごく普通の民家の門扉に立て掛けられている。僻地とも言える場所だから、民宿に瀟洒な名をつけても浮くだけだ。それに『ねのふし』は、つまり『子の星』……北極星の事を指す。北極星は古来方角の指標とされてきた。
 引き戸を滑らせて、「ちゃーびらさい(ごめんください)」と甲斐は少し遠慮した声量で呼びかけた。写真を撮ったら座敷童子が破顔して写っているような黒い床板が、玄関の明度を下げているのかもしれない。そして無人の沈黙が積み重なる度に、本当に誰もいないのではないかという不安に変わる。
 すると、とたとたとスリッパの音が近づいてきた。おばちゃんとおばあちゃんの中間のような女性が、皺の深く刻まれた目尻にはんなりとした笑顔を浮かべて応対する。短い髪はくるくるとパーマをかけられているが、白髪混じりで一見しただけでは雨雲色に見える。
 客商売であるのと、訪れる人のほとんどが沖縄病という経験からか、女性は気を利かせて琉球方言で返した。
「たーやみしぇーがやー?」
 女性のイントネーションが余りに標準語に近かった。甲斐は口調を標準語に改めて答えた。
「はい。あの、今晩泊めて頂きたいと思って予約しました、甲斐裕次郎です」
「あら、学生さん? お一人で来ましたの?」
「あい? えっと、まあ、そうです」
「偉いわねぇ。ま、立ち話もなんでしょうから、上がってくださいな。今お茶を用意しますゆえ。居間の方で少々お時間を頂けると嬉しいんですが」
 女性は右の部屋を指し示し、またぱたぱたと廊下の奥に引っ込んでしまった。
 縁側に面した部屋には、しっかりとした低いテーブルが一つ置かれていた。壁を覆うように背の低い煩雑な棚が並び、大き目のコニャックグラスに毬藻が浮いていたり、沖縄製と見える置物が置かれていたりした。畳敷きの間に敷かれた座布団に胡坐をかくと、すぐにさっきの女性がお盆を持ってビーズのすだれをくぐった。甲斐の前に黒砂糖のお茶請けと湯飲みを置き、急須で茶を注ぎながら自己紹介をする。
「ここのしがない民宿を経営しています、阿波根あはごんと申します。怪獣みたいな名前でしょ? よくそれで遊ばれたけれど、今ではもう良い経験だわ」
 と、女性は目尻に皺を浮かべた笑顔になる。急須を置いた指先が揃えられ、入ってきたドアの向こうを指す。
「ここの向かいがお部屋になります。ああ、そんな急がなくともお茶でも飲んでからでよろしいですよ。お眠りになる時は左手の押入れから布団を出して下さい。今夜と翌朝に食事をお出ししますから、ごゆっくりお過ごし下さい。清算は明朝にお願い致します」
 それでは、と女性は同じ年代の女性には見られないたおやかさで立ち上がり、向かいの部屋のふすまを横に引いた。何でもない、生活感の溢れる六畳間がそこにあった。ぽつねんと立ち尽くす縦長の棚にはクッキーの平べったい缶やハードカバーの書籍らが積み上げられ、頂上では綿の詰まったふくろうがうたた寝をしている。古びた木で作られた化粧台の鏡には紅型染めの端切れがかけられて、もう少しは広く見えただろう視界を狭めていた。靴下を通して、使い古された畳の感触がする。
 一面を覆う障子戸を開けると、光の足りなかった室内が急に明度を取り戻した。ガラス戸越しに、今にも落ちそうな太陽の光が縁側の板を焼いているのが分かる。板に塗られたニスが光を拡散・反射して、部屋を光に染め上げた。空気中に浮遊する無数の粒子が光を浴びて、あちらこちらへと迷いながら身の落ち着ける場所を探している。甲斐はガラス戸も開けて、障子を半分ほど開けた状態にしておいた。夕方の大気から流れ込む冷涼な風が首筋をすり抜けた。光る粒子が渦を巻いた。
 畳敷きの間に寝転がる。天井には気の早いヤモリが張り付いていて、その姿をぼんやりと凝視していた。まだ部屋の中は薄暗い。しかし電気をつけるほどでもない。でもやっぱりこんなのじゃ太古の昔から木手に借りっぱなしの本も読めないし、携帯用ゲーム機に面を突き合わせても目を悪くするだけなので電気をつけることにした。入り口の壁に据えられた蛍光灯のスイッチを押すと、天井からぶらさがった電灯がちかちかと瞬いて、やがて部屋を明るく染め上げた。びっくりしたのか、ヤモリがするすると天井板を這って逃げていってしまった。
 甲斐はとにかく畳敷きの間に寝転がって暫し天井を眺めた。似たようでいて全く紋様が違う木目だ。穏やかに部屋を満たす静謐が、壁一つ隔てた廊下からスリッパの音を届けている。こんなゆっくりとした時間を過ごすのも去年以来だと身体が実感する。今年が始まってから、早乙女のイビリ対象が変わったかのように、甲斐には一抱えのワークを与えられた。それの処理にあくせくしている間に冬が終わり、一月の桜が散ろうとしていた。こうしてゆっくりとした時間を過ごすのも、いつ最後になるかわからない。
 比嘉島には中学校まではあるが、高校へ通うには本島か隣接する島に渡らなければならない。そして高校でも部活はテニスを選択する。いまだ立ち直れていない田仁志も、テニスを選ぶとやつれた笑みを浮かべて答えた。運動部に所属すれば必然的に練習に追われる。木手に太古の昔に言われた「考えること」さえ忘れてしまうかもしれない。いまや骨壷に収められているだろう木手に。
 木手は昔言った。何があろうとも、別れた人を思い出さなくなる日はいつか、必ず来るのだからと。
 忘れてしまうのだろうか。木手を、知念を、そして平古場でさえも。彼らが追憶の中だけに生きる偶像になったら、果たして生き残った自分を許してくれるのだろうかと。
 考えると考える度に思考がループしていく。動いていれば忘れられると思って上体を起こし、とにかくバッグの中を漁った。ゲーム機……は電池がなくなるのを避けたいからやらない。そもそもここまで来てゲームをしようなんて考えるのが間違いだ。せっかく石垣島を経由して一時間もの間船に揺られてきたのに、波照間を味わわないのは損に違いない。代わりにリュックの奥底に沈んでいた一冊の本を取り出した。
 表紙いっぱいに夜空を印刷した中央に、縦書きで題名が青く抜き出されていた。
 "星空の名前" 写真:林祐次 文:高橋彰浩
 木手が中学校入学してきて仲良くなった頃に初めて勧められた本だ。学術書というよりも写真集に近くて、夜の写真の余白に星の説明をされた本である。甲斐はそれを何度も読み返すことによって星に興味を持つようになったようなものだ。そのページを捲る。The fragments of nightという昼色の英字ゴシックが印字されている。何処で撮ったのか、背景にはエメラルドの夜空が写っていた。
 読み耽りすぎて横から綿飴に似た繊維が飛び出している紙を、更に繰っていく。しかし目的のページを探り当てるために、甲斐は内容にろくに目を通さずに、本の左側を薄くさせていく。
 The fragments of winter
 その章を読み進めていくと、探していた赤く輝く星の名前が写真付きで説明されていた。
 カノープス。中国語で南極老人星。内地、特に房総半島では布良星(めらぼし)や、南の村の名前を取ってどこどこの横着星とも呼ばれている。揚子江流域でも見られたらしいが地平線に近かった為、この星を見られれば長寿になると言われている恒星だ。半年前の夏の終わりに、なかなか花火の始まらない浜辺で平古場に語った星の名だ。平古場にあの星を見せられたら、きっと今頃は平古場も一緒にこの民宿に泊まって、星を見に来られたかもしれない。
 しかし平古場が今ここにいないからこそ、甲斐は果ての珊瑚礁まで辿り着いた。
 まだ短針は六時を過ぎたばかりである。目的の時間になるには少し余裕がある。
 甲斐はふっと笑って本を閉じ、畳に仰向けに寝転がった。どうせ後数時間待たねばならないのだ。夜になったら自転車を借りて、あの場所へ行こう。
 目を瞑る直前に見た天井は夕方に染まっている。

 はっとして起きたら、まだ八時を少し回ったぐらいで安堵の息をついた。寝ている途中に自然と外れた帽子を被りなおし、掌でぐいぐいと押し戻す。船の中で何度か確認をしたのだ。民宿『ねのふし』から、最南端にある石碑までは二キロ半しかない。自転車で行けば、目と鼻の先というよりも目と眉の先といった方がしっくりくるものがある。
 甲斐は片紐のリュックを背負い、部屋を後にして台所に向かった。女性が独り皿洗いをしているだけだ。自転車の有無を阿波根の女性に尋ねる。すると女性はこれまたはんなりしたすまなさそうな表情で首を傾げた。
「ごめんなさいねぇ、うちにはないのよ。でもここから近い島袋さんの所で貸してくれるから」
 と、泡だらけの指先で窓の外に小さく見える家を指してくれた。しかし電気は落ちている。女性は「ちょっと待ってね」と蛇口を捻り、水の溜まった桶に手を浸し始めた。甲斐は、そこまでしてくれなくても大丈夫です、と両手を横に振った。女性は拭き終えた片手を頬に当てて「あら、そう? ごめんなさいね」と困ったように返した。
「そうだ。あの、ちょっと外に出てもいいですか?」
「え? あ、いいわよ。波照間の夜空は星に近いから、ゆっくりと見てらしてね」
 甲斐は玄関でスニーカーに踵を押し込み、戸を横に引いた。屋外へ一歩足を踏み出した途端、圧倒的な静謐が鼓膜に耳鳴りを起こした。歩き出す。フクギの木と、石の門扉の横をすり抜け、星月夜の道を往く。向かう場所へ星を眺めながら歩む。夜の波照間は星の光が強すぎて、月もないのに足元が明瞭だった。半年前に遠征で行った東京は夜が明るすぎて眩暈がした。冷たいビル群に夜空を奪われ、星は姿を消し、人々は星を眺めることもなく足早に通り過ぎていく。夜空は肩身が狭そうに、頭上で薄雲の如く留まっているに過ぎなかった。
 しかしここは違う。文明の僻地、鄙(ひな)の島だ。
 一際はっきりしたオリオン座の形すらも、雑多な星に紛れて姿を維持できなくなっている。そういえば祭壇座の方角に、観測史上最遠の星が見つかったといつぞやの新聞に載っていた。ここで祭壇座は見られるのだろうかと星に耽る。ここではかなり多くの南半球の星座を見られる。南十字星はもちろん、遠い未来に南極星になるだろう星もかなり高い位置に見えるそうだ。
 少し歩いた後にふと気付いた。流石に薄手の長Tシャツ一枚では足りなかったかもしれない。甲斐は自分の腕を抱いた。南の島では季節の変動は少ない。しかし夏と冬の平均気温の差よりも昼と夜の気温差の方が大きい。南島では、夜は南国の冬と呼ばれている。
 北極星と反対の方角へ歩いて、どれくらい経ったのだろう。一時間ぐらい経ったようにも思えるが、実は十分ほどしか経過していないと言われたらあっさり騙されるかもしれない。集落を出る前にも後にも、時速三十メートルぐらいで歩く老婆を一人見かけただけだ。
 路はフクギと石垣の庇護から離れ、茎の太い砂糖黍畑を通り過ぎ、圧倒的なしじまの滞る草原に姿を変えていた。芝生目的か短く刈り取られた原には海風の靡く草がない。コオロギも二月ではいささか季節外れだ。その上所々から白い砂が覗いている。風が音を立てて吹きすさぶようになってきた。海風の吹く場所へ行くからそれは当然かもしれない。
 そして路の果てには、碑が鎮座しているだろう。場所は高那崎。『蛇の道』が低い石垣に挟まれて曲がりくねった形をしている。まさしく蛇だ。路の入り口に隣接する『最南端の碑入り口』と彫られた一本の石の杭が、いよいよその場所が近づいているのだと先を急かしている。甲斐はその蛇の道を始めは歩いていたが、徐々に足が先へ先へと勝手に進んでいくのに任せた。波音が響き始めた静けさに、足音は存外に大きく響いた。
 そして、最南端。縦長の石に、左右不均衡な逆三角形を乗せた『日本最南端の碑』が、物言わず佇んでいた。
 夜目にも墨痕鮮やかな「日本最南端の碑」の先は崖で、そこから先がビロードのような黒い海に覆われていた。あの時と同じように、海は果てしなく大きく見えた。水平線は目線の高さにあって、海と空の境界を生み出している。星空と海が接している、そしてその性質の違いを決定的に分かつ境界だった。
 しかし甲斐はその先へと進んだ。黒ずんだ岩が直に空気と接している島の端だ。外見からして今にも崩れそうな足元だったが、歩んでいくうちに意外に頑丈だと判明して、ざくざくと進んでいった。
 行ける限り崖に近づいて、甲斐は海を眺めた。足元から崖は急に海に落ち込んでいる。その岩で波が砕け、白波が押しては引いている。それに対応して海鳴りが島を包み、強く吹きつける海風が潮の匂いを逆巻かせている。さらわれる直前に帽子を押さえて、海から空へ視線を上げた。空では数ある星の中で、カノープスが他の星を主導する輝きで赤き光を瞬かせている。水平線ぎりぎりではなく、少し首を上げて見なければならない。平古場と一緒に「見よう」と約束した星。伸ばしっぱなしで久しく切っていない癖毛を海風に委ねた。髪は激しく頬を打った。
 海の先には、ニライカナイがある。地図には載っていない。地図はこの先にフィリピン海があることを記している。しかしニライカナイが載るはずがないのだ。
 ニライカナイは楽園、死者の国、理想郷、そして神々の国だと語られている。平古場の往ってしまった世界だった。そして恐らく、木手も一緒にいるだろう。知念の安否は未だに分からないが、狭い島にいたのに場所が分からないとなると死んでいる可能性は高いだろう。何処かで生きているかもしれないが、生きているような感じでは決してない。
 ニライカナイは死者の国、魂の来る里だ。そして神々のおわす理想郷。
 そこに平古場はいる。神の抜け殻として消滅し、彼の岸へ魂だけとなって辿り着いたのだろう。
 ふと、風の記憶が脳裏を掠める。平古場と初めて会った夜、あの時も風が夏草を靡かせていた。会ったばかりの平古場は、自分から他人を拒否していたようにも思えた。そして平古場と友達になれた理由に思いを馳せる。消去寸前で引きずり出された記憶の中に、蝉の形をしたおもちゃが一つ残っていた。
 一瞬だけ呼吸を忘れて、胸が苦しくなった。全ての始まりは、自分が遊ぼうと誘ったことで。
 いまだ心の底にしつこくこびりつく未練は、平古場を忘れるなと叫んでいる。高校生になっても、大人になっても、齢を幾ら重ねても、決して忘れるなと叫んでいる。
 しかしそんなわけにはいかない。人間は揺らぐ生き物だ。幾ら心に深く刻み込んでも、いつかは忘れてしまう。それは何故か。記憶に縛られていたら、人はいつか壊れる。その策として、時は何事であろうと人に忘却を強いる。死者も生者も、別れればいつか忘れなければならない。全ての人は記憶の住人になる。生者は現実という居所がある。死者には、死後の世界に生きていると気休めの世界を作る。でも気休めでもいいのだ。そこにいるのだと信じられるのなら、人は誰だって生きている。そして残された者も生きる選択肢を自ら自然に選ぶからだ。
 何処かにいると信じる事で、人はその人を忘れても生きていられる。甲斐の場合は、そこがニライカナイだというだけだ。
 哀しみは、とうに尽きた。涙はあの日から頬を伝わなくなった。これこそが時間に擦り切れて古びていく記憶なのだと知った。知らず知らずの内に朽ちていく、しかし想いに追憶を委ねればいつでも色鮮やかに黄泉帰る。
 邂逅した浜辺から、星語りの夜を、そして太陽の島まで、甲斐は永劫忘れないだろう。思い出さなくなる日々が来ようとも、忘れるまいと、肝の奥の奥にまで、深く刻み付ける。
 甲斐はリュックを下ろし、中に手を突っ込んだ。木の棒の感触。それを抜き取ると、繋がれたタコ糸がフィルムケースを引っ張り出した。平古場の生き写しにしか見えない姉に渡された、平古場凛の宝物であるたった一つのおもちゃだ。木の枝に結び付けられたタコ糸がそのままフィルムケースに繋がれている。詳しく言えばフィルムケース自体に結びつけられているわけではなくて、丸く空いた片方にぴんと張られた紙の真ん中に結び付けられていた。そのケースに描かれた絵は、小さい頃は上手に描けたと思えたのに、今となってはちゃちな線と点の羅列にしか見えない。白いフィルムケースを茶色の油性マジックでぐちゃぐちゃに塗り潰している。翅は雑に切った学習ノートの切れ端が黄ばんだセロハンテープではりつけられていた。子供といえば子供らしいおもちゃだ。これをあげたことまでは何とか思い出せるのだが、それから先が分からない。自分は祖父に引き摺られていく直前、何を平古場に伝えようとしたのだろうか。
 蝉のおもちゃを回してみた。蝉が空中に円を描き、それに合わせてミンミンと夜型の蝉が啼き始めた。
 瞬間つむじ風が吹き、甲斐は帽子を押さえた。海が強く薫る風が蝉とたわむれて、白波と蝉が夜風のメロディを奏でる。こうして玩具と戯れるのを、どれほど続けたのだろうか。
 映画のように、平古場との四日間がゆったりと胸の内へ去来する。夢を見て早乙女に怒鳴られた。屋上の給水塔で平古場がカッターナイフを取り出した。図書室に籠城していたら平古場と早乙女が追いかけっこをして、平古場を屋上に逃がした。そこで夢を語った。テニスをしていたら熱中症にかかって保健室に運ばれていた。ベッドを囲む紐のような間隙から、田仁志と知念が口喧嘩をしていた。血を飲まされた。木手に全てを教えてもらった。平古場と一緒に那覇に行って遊びまくった。あれほど楽しい日はそうそうなかった。夜になったら星を語った。カノープスを、南十字星を見ようと約束して拳を突き合わせた。しかし米兵と喧嘩して、予想よりずっと早い羽化が始まって、平古場は死に掛けた。そして翌日の朝になって、平古場と最後に海へ行った。泣きたくなるぐらい、海が青かった。足元からずっと彼方まで広がる海で、平古場はニライカナイへ往ってしまった。戻ってくることはないだろう。仮に戻ってきたとしても、甲斐には戻ってきたものが平古場だと確証できなくなる。
 哀しみはなかった。不思議と平静が心を包みこんでいた。これまでにないくらい無為に、静かに、独り虫の聲を聴いていた。
 蝉が呼んでいた。夏の記憶を。
 初めて会った時の、海のざわめきを。
 つい半年前まで見ていた、あの太陽のような笑顔を。
 夢を見ていたような、短夏を。
 しかし、それは棄てなければならなかった。
 故人を偲ぶのは、別にいい。それは近しい者を失った人には必ず膨れ上がる情動だ。追憶をするのは人のみだ。しかし過去は、時に人を縛る。
 高校という世界に出ることは、社会に順応して生きていくための一つのステップだ。そのステップを上るのに、過去を背負いきれずに踏み外すわけにもいかない。甲斐は全てを背負って生きていくなどできないと悟っていた。忘れることは、一つの区切り。そして、境界。今までは夢のように甘い世界だった。
 前に進まなければならなかった。いつまでも過去に縛られているだけでは、いつまでも子供のままだ。
 回す手を下ろすと、蝉が啼きやんだ。啼き続けていた蝉から、指を離す。蝉は枝を巻き込んで重力に従い、岩肌を転がって、波の狭間に紛れて消えた。
 甲斐は帽子を深く被りなおして、口元に微かな苦笑いを浮かべて、背を向けた。そしてニライカナイに背を向けて歩き出す。
 甲斐にはまだ、還るべきところがある。


 記憶は、永遠に残り続けるから。



 海風はニライカナイの風を運んでくる。
 同じ風に吹かれている。
 同じ星を見上げている。
 
 

Fin













We are not alone
You are somewhere
We are under the same sky
We can see same stars





















TOP > 小説目録 > 海風TOP