青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2009年6月>

(769) 駒込獅子踊り その2
(770) 駒込獅子踊り その3
(771) 駒込獅子踊り その4
(772) 駒込獅子踊り その5
 
(769) 駒込獅子踊り その2 2009年 6月 6日(土)
 【駒込獅子踊り その2】


 駒込の獅子踊りの大きな魅力の一つオガシコ(サル)について、高坂昊一保存会長に語っていただきます。2004年8月9日に取材がおこなわれ、文面については、高坂氏の承認を受けております。


  ◆駒込のサル その1

 駒込の獅子踊りの魅力の一つはオガシコだとよく言われます。私達は「サル」と呼んでいますが、他所の獅子踊りのオガシコに比べて、たいへんおもしろいと評判です。

 昔から、駒込地区では8月15日に村まわりをやることになっているんですね。村まわりの途中で獅子やオガシコ役が交替すると、踊り手が自分の持ち味を出したワザ比べのような感じになることもありました。特にオガシコは、それぞれのおもしろさを競い合うという伝統のようなものがありまして、それで他所よりもオガシコ、つまりサルの質が高まったのかもしれませんね。もっとも、昔はそうさせるような環境もあったんです。今と違って村の人の獅子踊りの関心も強くてね。駒込から嫁に出てしまったような人も、獅子踊りのときには、孫を連れて、わざわざ見に村に戻って来たりと地域の人の獅子踊りに対する関心が高くて、大いに盛り上がったものですよ。村まわりの際は、村の人も獅子の後をついてきて、ずっと獅子踊りの村まわりの様子を見てくれたものです。

 村まわりも、当時は朝から晩までやりましてね。駒込だけではなく、人気があったので、頼まれて近隣の村にも出張していきました。

 それで、一人でずっとやると大変なので途中交替ということになるのですけれど、汗をかいた道具をそのまま次の人に渡すわけですね。

 そうすると汗で湿った道具を次の人は身につけることになるわけですが、夏なのに「ヒヤーッ!」としてね。

 さらに面をかぶろうとして中を見たら、面の中に「青っぱな」がついていたり。これはマズイというわけで、慌てて川の水で洗ってからかぶったりと、そんなこともありました。

 今でも、ときどき、昔はあんなことがあったなあと笑い話の種にしていますが、とにかく昔は、駒込の獅子踊りの人気はこの近辺では大変高かったんです。

 このように獅子を見る目というか、関心度が高かったせいもあり、サル役はもちろんのこと、獅子役からお囃子まで、こうした声にこたえようと各自ワザを磨いたものです。


 (つづく)
 
(770) 駒込獅子踊り その3 2009年 6月13日(土)
 【駒込獅子踊り その3】


 駒込の獅子踊りの大きな魅力の一つオガシコ(サル)について、高坂昊一保存会長の興味深いエピソードが続きます。


  ◆駒込のサル その2

 サル役の中には変なことをする人もいましてね。
 今は住宅地になっていますが、昔はこの辺は全部畑でした。この畑にナスやキュウリ、これらをわざと大きくならしてぶら下げておいたものですよ。それは何に使うか・・・、まあ、想像できますでしょう。

 村まわりにサルが来て、各畑からそういった野菜を自由にとってもよいことになっています。無断で取ってもとがめられません。まあ、暗黙の習わしですね。その長い野菜の棒を使って、セクシャルな踊りをやる人もいたりと、まあ、昔はそれぞれ、サル役が工夫をこらして、おもしろおかしく、大いに盛り上がったものです。今は、こうした「馬鹿踊り」も消えてしまいました。

 でも、そういった駒込の獅子踊りのサルの「馬鹿踊り」の伝統は、まだ少し残っておりますので、猿賀神社の奉納大会に行ったときなども、ちらりとそのワザを出すこともあります。

 猿賀の奉納大会に出ると、やっぱり勝ちを狙っていきますから、そんなに踊りを崩すことはできないので、村でリラックスして踊っているのとは違った踊りを見せる団体がほとんどです。一般的には、サルの「馬鹿踊り」の所作は邪道だとか、何だとか言われますので、我々も大会ではマジメにやるのですけれど、あまりにまじめにやりすぎてもつまらないでしょう。そこで、私がサル役で出たとき、ところどころに、ひょうきんなシグサを混ぜました。

 大会では、踊りが始まる前に、獅子とサルが整列するでしょ。もうその段階から、サルはお客さんをキロッと眺めて意識するわけです。囃子が鳴り出すもうその前からサルの演技は始まってるんですよ。この時点で笑い出しているお客さんもいます。

 こうして、“少しばかり”駒込のサルの真髄をご披露したわけですよ。そうしたら、お客さんに大変喜ばれましてね。ある本にも、駒込のサルは、最高だと書かれてしまいました。


 (つづく)
 
(771) 駒込獅子踊り その4 2009年 6月21日(日)
 【駒込獅子踊り その4】


 駒込の獅子踊りのオガシコ(サル)について、高坂昊一保存会長が語ります。


  ◆駒込のサル その3


 駒込の伝統ともいえる、ひょうきんなサル芸ですが、そのワザを今の若い人に伝承するとなると、小学生と中学生ですが、なかなかみんな、ひょうきんなしぐさを恥ずかしがってやらないでしょう。こうしたわけで、だんだん駒込の獅子踊りも、おもしろみのない踊りになりつつあるのは少し残念な気持ちです。

 さっき、ここに来ていた人がいますでしょ。あの人も若いのですが、「馬鹿踊り」は本当におもしろくて、ものすごくうまい人です。しかし、そのような人も駒込では少なくなってきました。昔はもっと、サル役の層が厚かったんです。みなさん、他のサル役に負けるものかと、切磋琢磨されましてね。あちこちにサルの名人がいました。

 サル役は、背の小さな人の方が似合うし、「馬鹿踊り」を踊ってもかわいらしいということもあり、駒込の分家筋の青森市松森地区にはサル役専門のおばあちゃんもいたくらいです。

 実は、最初は私も獅子頭をかぶって獅子をやっていたのですが、あるときから、もうサル役専門になりましてね。サル役を一回やったら、もうやめられなくなりました。サル役は一回やったら、おもしろくて、もう獅子頭はかぶれなくなります。私は根はマジメなんですが、サル面をかぶると、なぜか変身してしまいます。自然にひょうきんなしぐさが出てきます。私は、身体も小柄ですし、顔もサルみたいで、ピッタリだといわれていますよ(笑)。

 サル役は笑われるものだと思って踊っていますけど、笑わせようと思って無理に道化してもダメです。また、サルにも決まった型があるので、道化だからといって、全部は崩せません。

 また、サルは獅子の誘導係でもあるので、全体の流れを客観的に眺める目をも、持たなければダメですね。ひょうきんなしぐさもしますが、そういったしぐさに溺れることなく、冷徹に踊り全体の流れを監視する冷めた目を持つことも必要です。

 あんまりサルがお客さんに受けすぎて獅子がかすんでしまうようではまずいでしょう。獅子を立てるところでは、引いて、獅子にお客さんの注意を向けるようにしなければいけません。サルは、どこで出て、どこで引くか、こうしたバランス感が重要になってきます。こうしたことは今の子供達はなかなか指導してもわからないようですね。もっとも、そういったことは場数を踏んで自然に体得すべきもので、指導できないものです。場の雰囲気を自分でつかんでいくしかありません。とにかく、獅子踊りを生かすも殺すも“サル役”にかかっています。獅子踊りがまとまってよくなるのも、物足りないものになるのもサル次第なんですね。そういった意味で、ただの道化でないという重責があるので、サルはやりがいがありますよ。



 [3年女子生徒の声]

 はじめて獅子踊りをやりました。最初は正直言って、本当にできるかどうか不安でした。私はサルを担当するため責任感があります。練習が本格的になり、学校の先生のご指導のもと月曜日の5時間目の「選択の授業」や、土曜日の夜7時からは、駒込の保存会の皆さんにご指導していただきました。首の振り方や足の上げ方など1から10まで教えて下さいました。すごく難しく大変でしたが、私自身もこの獅子踊りをやってみて、おもしろく楽しくできました。10月の創造祭に向けてがんばります。最高の獅子踊りにしたいです。これからも獅子踊りを守っていきたいと思います。

(資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(772) 駒込獅子踊り その5 2009年 6月28日(日)
 【駒込獅子踊り その5】


 今回は、駒込の獅子踊りの由来について高坂昊一保存会長が語ります



 駒込の獅子踊も雄獅子2匹、女獅子1匹、ここにサルがつくという津軽獅子の定型を踏んでいます。

 獅子には、熊獅子タイプと鹿獅子タイプがありますが、駒込は鹿獅子です。岩木から五所川原、そして青森市一帯はだいたい全部が鹿系統です。例外的になぜか青森市の荒川だけが熊獅子なんですけどね。

 さて、その我々の駒込の獅子踊りがどこから来たかというと定かではないんです。だいたい我々の知っている伝承、わかっている範囲ということでいえば100年ぐらいです。それ以前のことは、定かではないんですよ。由来として次のような伝承が残っています。



 約400年前、茂助(もすけ)というマタギがあった。彼は矢をもたせたら、百発百中のすごい腕で、マタギ仲間からも恐れられる存在であった。
 冬山の堅雪の日、茂助はカモシカを発見。矢を放ったが、なぜかそのときは急所をはずしてしまった。カモシカは苦痛に耐え、血痕を残しながら山奥へ山奥へと逃げていき、湯気のもうもうたる田代元湯(たしろもとゆ)温泉に傷ついた体を入れ、力尽きていた。茂助が近寄ると、カモシカは、一羽の鶴となって飛び立った。その瞬間、ひげもじゃらの茂助も驚きとともにこの神秘に心を打たれ、その場でカモシカを手厚く供養した。
 こうして茂助は里に帰り、村人とともにカモシカのしぐさを交えて語り伝えたのが、駒込獅子踊りのはじまりと伝えられている。それ以来、茂助は弓矢を持つことがなかったという。
 ところで元和元年の頃、駒込をはじめとし津軽一帯に低温が続き、食料もなく飢えに苦しむ人が増え、たいへんな月日を送っていた。そこで茂助の獅子が村の端々の東西南北の4ヵ所に御幣をさして、塩・米・水で「地固(じがため)踊り」でお払いをしていたところ、その翌年から豊作となり、村も繁栄した。
 深沢の三社大祭として名高い大杵根(おおきね)神社が冷害のため四散。その身代わりとしてご神体をもらい、当鎮守の八幡宮は現在地に立派に奉献された。
 大杵根神社は8月15日に建立とあり、それにちなみ、当八幡宮も8月15日に落成され、地固踊りで祈願した。それを記念として8月15日に村まわりをするのが定例となり、現在も続いている。



 [2年男子生徒の声]

 私はこれまで、伝統文化に触れるという機会がほとんどなかった。そんな中、学校で獅子踊りを始めることができるという話が舞い込んでき、すぐにやる決心を固めた。
 実のところ、始める前までは、ここまで良いものだとは想像もしていなかった。笛の音色、太鼓の音、そして力強く舞う獅子達。どれをとっても素晴らしいものである。これは、実際に見ないことにはその良さは伝わらないとは思うが、儀式としてだけでなく、鑑賞するための舞としても完成されたものである。
 初めて見たときには、自分にこんなことができるのかと、少し後向きな気持ちであったが、少しずつ形はできてきていると思う。確実に「手ごたえ」がある。そんなところも魅力の一つではないかと思う。だが、いくら言葉を書き連ねても、本当の良さは実際に見ないことにはわからない。

 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)


←前月     バックナンバートップ     ホームへ     次月→