(927) 青森市20世紀合唱史 その15 |
2013年 6月 8日(土) |
【百年のあゆみ その14】
1980年代 その1
1981年(昭和56年)、ドクターズ・レディースコーラスが結成される。当初は医師・歯科医師の女性家族で結成するも現在は、広く団員を募集している。先の青森ドクターズ・ヨッチミラー合唱団に倣い、女声合唱版の結成である。ひとつの市に、医療関係の男声合唱団と女声合唱団が存在するのは、全国的にも非常に珍しいケースである。指揮は小倉尚継氏が創立以来つとめている。
1982年(昭和57年)、青森シルバーコーラスが青森市の高齢者生きがい事業の一環としてのコーラス団体として設立される。指揮者は平井一栄氏が昭和59年3月まで指導、同6月から現在まで長内クニ子氏が指導している。
昭和61年より青森シルバーコーラスとして独立し活動している。市民センター祭りや高齢者芸能大会を始め、市内の各種イベントへの賛助出演も多数こなし、函館市・八戸市・弘前市などの団体との交流も盛んである。現在、市内にある団体の中では最も団員の多い団体である。
1982年(昭和57年)6月、コール・しらかばが新城小学校PTA研修部事業の一環として設立。後にPTAを離れ、お母さんコーラスとして独立、現在に至る。お母さんコーラスのフェスティバル、市民センター祭り等に参加。指揮は黒瀧昭一氏が務める。
この年に確認されている団体に、グリチニー・フラウェンコールがある。指揮は市民オケの指揮者である藤井一志氏が務める。昭和60年頃まで活動が確認されている。
同じく、すみれコーラスが確認されているが、詳細は不明である。
1983年(昭和58年)、うとう女声合唱団が設立。小倉尚継・辻村成子氏を中心に青森西高校OG・青森東高校OGを中心に結成される。毎年の定期演奏会と合唱コンクール参加が活動の柱となっている。指揮者は小倉尚継氏から辻村成子氏へと変わり現在に至る。市内では唯一の一般女声合唱団として貴重な存在である。
1983年(昭和58年)、青森第九を歌う市民の会(現・青森第九の会)が結成される。初代の会長は故山内行雄氏(市民オケ団長)、事務局長(運営局長)は高橋博氏(ドクターズ・ヨッチミラー合唱団団長)が務める。指揮者は第一回から三回までは藤井一志氏、第四回から五回までが山田実次氏、第六回が井上道義氏、第七回から九回が松井真之氏、第十回から十二回が西尾聡治氏、第十三回から十六回が佐々木修氏、第十七回から十九回が櫻屋敷滋人氏へと続く。
かつての市民混声合唱団よりもスケールの大きな団体となる、青森市文化スポーツ振興公社(当時は文化施設管理公社)の自主事業として毎年の公演を行っている。公社のバックアップのもと自主運営で今日まで続いている。
1983年(昭和58年)4月、青森戸山高校が開校。同時に音楽部が設立され、鈴木雅子氏のもと活動が始まる。昭和62年から休部状態が続き、平成6年4月、三浦むつみ氏が顧問となり2・3年生を中心に活動が再開される。
同年3月、市民センター事業の「寿大学及び大学院」の卒業生を対象に、故今井孝氏が中心となり古き歌曲を楽しむ会が設立される。指揮者は鈴木東亜子氏から伊藤ふじ氏へと変わり現在に至る。市民センター祭り等に参加している。
(つづく)
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(928) 青森市20世紀合唱史 その16 |
2013年 6月15日(土) |
【百年のあゆみ その15】
1980年代 その2
1984年(昭和59年)、この年に佃ママコーラスが確認されている。指揮は五十嵐順治氏、翌年にはグーテン・フロイントネン・コールとして出演している。
1985年(昭和60年)、青森市合唱連盟が再結成される。
青森市合唱連盟加盟団体 青森市合唱連盟再建役員名簿
混声合唱団グリーン・コール 理事長 高 橋 博
うとう女声合唱団 副理事長 佐々木 恭 枝
みちのく銀行男声合唱団 事務局長 五十嵐 悟
青森ドクターズ・ヨッチミラー合唱団 理 事 渡 部 秀 雄
青森シルバーコーラス 〃 辻 村 成 子
はまなすマザースコール 〃 野 村 正 憲
青森コール・マミ 〃 小 野 雅 俊
あかしやコーラス 〃 野 坂 徹 夫
青森UMC 〃 福 士 貞次郎
グリチニー・フラウェンコール 監 事 山 田 惠 子
ドクターズ・レディースコーラス 〃 成 田 優 子
青森少年少女合唱団 顧 問 小 倉 尚 継
青森明の星短期大学合唱団 〃 石 見 普二男
青森明の星高校合唱団 〃 鹿 内 芳 正
青森高校音楽部 〃 間 宮 昭 佳
青森東高校音楽部
青森西高校合唱部
同年11月10日には、青森市合唱連盟の発足記念演奏会を真新しい、明の星高校の明の星ホールで開催された。
出演団体は次のとおりである。青森シルバーコーラス(混声90名)、青森明の星高校合唱団(女声50名)、あかしやコーラス(女声27名)、青森西高校合唱部(女声38名)、みちのく銀行男声合唱団(男声40名)、うとう女声合唱団(女声35名)、混声合唱団グリーン・コール、はまなすマザースコール(女声35名)、青森東高校音楽部(混声36名)、青森UMC(女声16名)、グリチニー・フラウェンコールンコール(女声20名)、青森ドクターズ・ヨッチミラー合唱団(男声24名)、青森明の星短期大学合唱団(女声87名)、青森コール・マミの各団体である。
1985年(昭和60年)には、青森大学混声合唱団が確認されている。この頃は活動もある程度活発であったが、指導者が確立されていなかったためか、団員不足もあり最終的には4名の混声アンサンブルで1999年に活動を終えた。
同年、筒井小学校PTAコーラスが確認されているが、詳細は不明である。また、この年にACAが確認されている。翌年に連盟加盟となるも、平成6年まで独自の活動を続ける。
1989年(平成元年)、戸山レディースコールが設立される。青森市戸山公民館(現・戸山市民センター)の講座として開設され、後に独立した合唱団となる。指揮者は、山田実次氏・岡田照幸氏・村川芳信氏、鹿内芳正氏を経て現在、山田惠子氏が務める。市民センター祭りやおかあさんコーラス・フェスティバル、市合唱祭等へ参加している。
(つづく)
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(929) 青森市20世紀合唱史 その17 |
2013年 6月20日(木) |
【百年のあゆみ その16】
1990年代 その1
1990年(平成2年)、沖館中学校PTAが中心となり、「沖中賛歌を歌う会」を結成。後にコールそよかぜとなる。原子隆子氏・古川容子氏・安田利子氏・渡辺隆子氏・石戸良治氏と指導者が変わるも、中学校の文化祭を主活動に合唱祭にも参加している。
1992年(平成4年)10月、小倉尚継氏を指揮者に青森アカデミー混声合唱団を結成。当初は入団資格制限・団員定年制を導入するなど本格派指向であったが、その制度もいつしか撤廃、現在は広く団員を求める。合唱コンクール(県大会・東北支部大会)を始め、アンサンブルコンテスト、単独演奏会やジョイントコンサート、合唱祭等めざましい活躍をしている。
1993年(平成5年)、第九を歌う市民の会(現・青森第九の会)有志数名が白崎良治氏を指揮者に青森市に合唱団を作ることとなり、第九を歌う自主トレの会を結成。翌年、青森ベートーヴェン・スコラーズと改名する。古今東西・和洋に拘わらず名曲を歌い継ごうとの趣旨で活動している。第一回演奏会は、ベートーヴェンの「ハ長調ミサ曲」、第二回演奏会はヴィヴァルディの「グローリア」を演奏。第三回はモーツァルトの「レクイエム」を予定している。
1995年(平成7年)、沖館マザーコーラスを結成。1992年の「沖小まつり」のオープニングを飾るママさんコーラスを結成。2年間活動するも、指揮者の転任により解散。翌年、学校の協力の下「沖館マザーコーラス」として再結成される。指揮者は難波智賀子氏から北川信一氏へと変わり現在に至る。敬老会や市合唱祭へ参加している。
(つづく)
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(930) 青森市20世紀合唱史 その18 |
2013年 6月29日(土) |
【百年のあゆみ その17】
1990年代 その2
1996年(平成8年)1月、あすなろ尚学院教養課程終了時(前年11月)に合唱クラブに参加していた院生を中心にあすなろコーラスを結成。「楽譜が読めなくてもみんなで楽しく生き生きと歌を歌おう初級コーラス」をキャッチフレーズに活動している。
1997年(平成9年)11月、混声合唱団グリーン・コール、あかしやコーラスのメンバーを中心にリノスアンサンブルを結成。その年のアンサンブルコンテストから本格的活動をする。毎年のアンコンを始め、市・県合唱祭はもちろん最近
は結婚披露宴等営業活動も盛んである。
1998年(平成10年)6月、油川楽しいコーラスが結成される。前年の6月、油川市民センターのスクールとして合唱講座を開設。翌年のスクール終了目前に合唱を続けたいと願う有志が結成へと動く。指揮者は牧純子氏。
スクール開設前に、市職員から青森市合唱連盟にスクール開設の打診があり、指導者の選考・練習会場等連盟として相談を受けた経緯がある。できるだけ連盟が前面に出ず、市民センターとスクール受講者が中心となって自主的活動をするようアドバイスしてきた。現在、市民センターの行事を中心に活動している。
(つづく)
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