鹿島鉄道

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鹿島鉄道の車両基地

左から、キハ432、キハ502、キハ601、

2006年 8月20日 (日)

2006年8月20日(日)曇。鹿島鉄道が来年(平成19年)3月末で廃止になるとの情報が入り、とりあえず状況確認のため乗りに行く事にした。台風10号が通過した後とあって蒸し暑い。1時間半かけて起点駅となる常磐線の石岡駅に来た。

石岡駅は学生時代、友人が石岡に住んでいた関係もあり何回か来ている。駅舎は昔と変わっていないが駅前の道路は整備され立派になっていた。

石岡駅に着いてから、情報集めにと思い、観光案内所に行き、鹿島鉄道が来年3月に廃止になるのってほんと?・・・と聞いてみた。3人いた案内人の内1人が、残念なんだよね〜と言って、「列車から見る霞ヶ浦に沈む夕日は素晴らしいから見た方が良いよ」と教えてくれた。

キハ601

キハ601

JRと共同の改札を通り跨線橋を渡り奥の5番線に行き、鹿島鉄道1日フリーキップをそこで購入した。

待つ事20分、製造から70年の歴史ある「キハ601」号車が入線して来た。鉾田駅から石岡駅まで来た列車である。乗客を降ろすとすぐに車庫の方へ移動し、変わりに「キハ602」号車が入線して来た、11:31発の列車に乗って終点の鉾田駅に向けて出発する事にした。

スイッチ類が所狭しと並んでいる・・・間違えないのかな?

キハ602の運転台

早速602号車に乗り運転台のすぐ後ろに陣取りまず写真を撮った。運転台は列車を動かすコントローラーの他にいろいろなスイッチがむき出しに付いていて、非常に興味が湧いて来た。昔小学6年の時にお年玉でHOゲージを購入し、モーターから手作りで列車を作った事があった。その時代を思い出してしまった。

石岡駅を出ると常磐線の上野方面に向けて並行して走るが、すぐに進路を東に向けエンジンを轟かせて驀進する。しばらく線路の状態を確認、路盤状態の手入れ状態はまあまあであるが上下左右の揺れが激しい。これは路盤の整備状態よりか台車に問題があるのではないかと思われる。このキハ601、602号車は70年前の製造技術である事が影響しているかも。

15分位乗っていただろうか、常陸小川駅に着いた、昔使われていたのだろうと思われる貨物用のホームと側線があり、そこには興味深いディーゼル機関車が保存されていた。今は時間がないので帰りにでも降りて観察をしたいと思っている。

しばらく田園風景の中を進むと夕日が素晴らしいと言われる霞ヶ浦が見えて来た。15分位湖岸を併走して行き、浜駅を出るとすぐ東にカーブして玉造町駅、そして終点の鉾田駅へ向かった、およそ53分の旅であった。

関東駅百選に選ばれた駅

鉾田駅

鉾田駅は木造駅舎で、関東の駅百選に認定されている。駅前でたこ焼きを売っていたので、写真を撮り終えてから食べた。

鉾田駅から町内を散策ついでに新鉾田駅(鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線)に行ってみる事にした。駅前から20分位歩いたであろうか、高い高架線が見えてきた、道路の脇には花壇がきれいに手入れされており、心の豊かさが感じられた。

時間もあるので高架下にある待合室で缶コーヒーを購入して休んだ。しばらくしたら列車が来たので写真を撮り今来た道を帰り鉾田駅まで戻った。すでにこれから乗ろうとしている列車が入線していた。

デーゼル機関車DD901

DD901

帰りは行きに十分時間が取れなかった常陸小川駅で降り、ディーゼル機関車の写真を撮る事にした。このディーゼル機関車DD900形は昭和33年に製造され現在は静態保存されている。同機関車は歴史的価値の観点で残そうと、愛好家の方々がメンテナンスを行なっているそうです。

*新聞によると:
鹿島鉄道は2007年4月1日付けでの廃線を国に届け出ている。最盛期に約3百万人いた鹿島鉄道の輸送人員は自家用車の普及などの影響で05年度は77万5千人に落ち込んだ。経常損益は1300万円近い赤字だ。親会社の関東鉄道は秋葉原とつくば市を結ぶ鉄道新線「つくばエキスプレス」(TX)が昨年開業した影響で収益源の高速バスが苦戦。06年度限りで鹿島鉄道への支援打ち切りを決めた。鹿島鉄道は「地域などの支援による存続」に含みを持たせつつ、今年3月に1年後の廃止届けを提出した。

*参考資料1:
キハ601は1936年(昭和11年)10月、国鉄キハ42000形(キハ42032)として川崎車両で新製された。1964年(昭和39年)3月31日に廃車され長野工場に保管された。1965年(昭和40年)3月15日には鹿島参宮鉄道が譲受し、液圧化、座席のロングシート化を施し1968年(昭和43年)6月1日、キハ42500形(キハ42503)として関東鉄道鉾田線で運用を開始した。その後、1970年(昭和45年)に室内灯を蛍光灯にし、1972年(昭和47年)に総括制御化を行い、1982年には日本電装による車体更新をし、これまでの丸みを帯びた顔を乗務員扉と貫通扉を設けた切妻にしてキハ600形(キハ601)に改番しました。当線では年子の兄弟車両キハ602とともに在籍し、国内の現役内燃車両の中で最も歴史ある車両として多くの方々に愛されています。

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