小さな旅―御殿場線

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クハ312-3102+クモハ313-3102JR東海自慢の電車は25‰の急勾配を時速80km/hでぐんぐんと登って行く。

山北駅を出発し桜のトンネルに向うクモハ313−3102

2008年 4月 5日 (土)

東海道本線9:21発普通列車、伊東行きに乗車した。この列車は9:15発の快速アクティー後の列車で、割りに空いている。品川駅で運転手が交代し、女性運転手になった。個人的な旅に出る時は、特別な事が無い限り先頭列車の一番前に陣取る癖がついていて、今回も15両編成1号車(クハ210-4)運転席の後ろである。

川崎駅手前にある多摩川の河川敷では野球が何チームも行なわれていた、この鉄橋から川崎駅までの間にある桜が満開であった。沿線には大手の工場がたくさんあり、敷地内には、今が盛りの桜が満開で人々を喜ばせている。

東海道線、横須賀線は15両編成で、1両が20mあるので列車の長さは300mになる。その為ホームの長さは当然300+αで出来ている。列車がホームに入る時はブレーキの掛け方によりダイヤ通りに運転が出来るかが問題になってくる。スタート時はノッチを最大にしても最初からMAXにならない、自動である。

長いホームに突入する際は定速で入線をするのでスピード感があり、早くブレーキを掛けてしまう傾向がある。すると停車直前で停車位置を合わせる為に、のろのろとゆっくり列車をころがす事になり停車時間が短くなる。ラッシュアワー時には遅れの原因となる事がある。(もちろん混んでいる時、ブレーキ性能により異なるが!)

平塚駅では後ろ5両を切り離し、10両編成になった。切り離し直後の運転では、スタート時にコントローラーを入れてからすぐ切り、確認をしてから再スタートした、マニアル通りなのであろう。国府津駅で女性運転手は交代した。

今回の旅は、国府津駅より御殿場線に乗り換え、JR東海の線区に入る。この御殿場線は現在単線であるが、丹那トンネルが出来る前までは御殿場線が東海道本線であったので複線であった。今でも線路は無いが土地はそのまま残っている。

山北駅裏の鉄道公園に満開の桜に囲まれた整体保存C5270 国府津駅を出た御殿場線は現東海道線と平行して小田原方面に走るが、間もなく北西に向きを変える、すると左側には大きな国府津車輌センターがある。下曽我駅、上大井駅までほぼ一直線の線路が続く。上大井駅付近では毎年8月の第一(土・日)にひょうたん祭りが行なわれている。以前は上大井駅構内にも立派なひょうたんがいっぱいぶら下がっていた。上大井駅から更に北西に直進して、小田急線の上を直交するように越えると松田駅。ここからは小田急あさぎり号が毎日4往復沼津駅まで乗り入れている。

松田駅を出ると線路は右へ左へと曲がりながら山を登って行き、東山北駅を経て蒸気機関車C5270号が展示されている山北駅に至る。このSLは日本で一番大きく力の強いテンダー機関車で、本来は貨物用ですが、御殿場線のように山線で勾配の大きい25‰(25/1000)の場合は旅客列車も牽いていた。山北〜御殿場間を登るのにSL1台では力不足なので、ここからはSLをもう1台補って後押しをしていた。

山北駅前で小学1.2.3年生が踊る 山北駅周辺では4月5日(土)第8回やまきた桜まつり“ソーラン山北2008よさこいフェスティバル”が開催されていた。駅前広場、駅裏の鉄道公園、駅前通り、桜並木通りで、19チーム600人が満開の桜の下で踊りはじけていた!見物人を含めると数千人が集っている。当然近所の道路は通行止めであった。

山北駅を出ると美しさは関東でもトップ3には入ると思われる桜のトンネルに入る。20年前(1998年8月号)に交通趣味(現在廃版)と言う雑誌に連載を書いていた事があった、テーマは“ローカル線途中下車”御殿場線編に書いた事がある。それ以来毎年のように来ているが、ここの桜は素晴らしい!

山北駅を出て谷峨駅、駿河小山駅と経るあたりは酒勾川に沿って山道を進む線路で、最高の景色です。童謡で有名な“まさかりかついだ金太郎”の石像がある足柄駅には変った硬券が20年前にはありました、“足柄から足柄行き”と言うキップです。御殿場線の足柄駅から松田乗換え小田急線の足柄行きなのです。

そして御殿場駅。ここは海抜457m御殿場線最高地点となり、夏の観光シーズンには観光客がどっと訪れます。この地名は、徳川家康がここを通る時、休憩所の御殿を作った事に由来しています。

南御殿場駅を過ぎて富士岡駅あたりまで来ると素晴らしい富士山の眺めです。富士岡駅の駅員さんの話では、この付近も急勾配なので、冬の一番電車がスリップするので凍結防止用の電車が沼津から山北まで朝一番電車が走る前に架線やレールの凍結を除去する為に今でも走っているようです。

富士岡駅に残っているスイッチバックの跡 富士岡、岩波両駅には、昔スイッチバックの設備があってレールは撤去されたが跡はそのまま残っている。裾野駅は大正4年に佐野駅を改称して付けられた駅名です。昔は駅構内に何本も貨物の入換用線路があったが、現在は駐車場、駐輪場に変っていた。補修用車が夜に使用するための線路が1本だけ残っている。

下土狩駅は丹那トンネル開通以前、東海道本線の三島駅で、伊豆鉄道(現伊豆箱根鉄道)の接続駅で修善寺や伊豆長岡方面への乗降客で大変賑っていたそうである。そして沼津の1つ手前の大岡駅は、近くに大きな工場があり通勤には欠かせない駅である。

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