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安藤誠二 英米法研究
談論アメリカ契約法〈第4講〉

 
イギリス契約法の継受(その2)
 
安藤 誠二
 
ある土曜日の午後、馬場壮年、千葉青年、土井青年の三人は連れだって荒井老人の家を訪ねた。暫くは、荒井老人ご自慢のバング・アンド・オルフセン製スピーカーを通して流れる華麗なピアノの音色に聞き入った。ウラディミール・ホロヴィッツの弾くショパン作曲変ロ短調のソナタ(作品番号35)である。最近荒井老人は、専らLPレコードを聞いている。以前からのコレクションが生き返った。プレストも終わったところで、アメリカ契約法研究会が始まった。
 
荒井(A)「前回に引き続き、テーマはイギリス契約法の継受です。今回は土井君に報告をお願いします。」
土井(D)「最初にお話しするのは、1864年に財務府裁判所が下した判決でラッフルズ対ウィッチェルハウス事件@です。」
馬場(B)「コモン・ローを学ぶ者なら誰でも一度か二度は見聞すると言われる有名な判例ですね。A」
千葉(C)「聞いたことがあるような事件名ですが、直ぐには思い出せない。」
荒井「イギリスやアメリカの契約法に関する教科書や判例集で、この事件に触れないものは皆無でしょう。」
千葉「今日は最初から私一人が仲間外れになってしまいました。」(笑い)
荒井「『トゥ・アライヴ・エクス・ピアレス』(to arrive ex Peerless)と言えば思い出すでしょう。」
千葉「判りました。綿花の先物売買契約で、当事者の合意が存在したか否かが争われた事件ですね。錯誤の問題として取り上げられることもあります。」
馬場「取り敢えず、千葉君も名誉回復です。」(笑い)
土井「判例集に登載されている判決報告は僅かに688語ですが、極めて難解な事件です。」
荒井「とにかく先に進みましょう。」
土井「原告のラッフルズと被告のウィッチェルハウスは、リヴァプールで、インド産中級品質の綿花125梱の売買契約を結びました。契約によれば、原告はボンベイ発のピアレス号で到着する予定の綿花を被告に売渡し、被告は貨物を埠頭で受取ることになっていました。代金は重量1ポンド当たり17-1/4ペンスと定められ、貨物がイギリスに到着後一定期日後に支払われることになっていました。」
千葉「売買の目的物は一応特定していたのですね。」
馬場「特定と言っても、『ボンベイ発のピアレス号にて到着予定の』(to arrive ex Peerless from Bombay)と表示された契約文言の語義解釈如何によります。」
荒井「話が進み過ぎます。」
馬場・千葉(異口同音に)「すみません。」(笑い)
土井「原告の主張によれば、当該貨物がボンベイ発の当該船でイギリス、つまりリヴァプール、に到着したため、原告は、その時点に同地で、引渡し準備が整い、引渡しの意思をもって当該貨物を被告に提供しました。」
千葉「被告は貨物を受取らなかったのですね。」
土井「被告が当該貨物の受領と代金支払いを拒絶したと原告は申立てました。」
千葉「原告としては契約違反を主張するでしょうね。被告はどう答えたのですか?」
土井「被告は、契約に表示された船舶を、10月にボンベイを出帆した『ピアレス号』の意味に取り、またそのように意図していたと言いました。ところが、その船で到着した綿花を被告に引渡す準備、意思、及び提供が、原告には全くなかったと抗弁しました。」
千葉「同名船が2隻あったのですか。」
馬場「どうもそのようです。(笑い)原告申立ての事実を被告は否認していないのですね。」
土井「原告が被告に対して引渡し準備を整え、引渡しの意思をもって、提供した125梱の綿花は、同じく『ピアレス号』の名を冠するものの、12月にボンベイを出帆した他の異なる船で到着した貨物であったと、被告は言うのです。」
千葉「争点を整理する必要がありそうです。」
荒井「千葉君には先見の明があります。」(笑い)
土井「原告の訴訟代理人は、ミルウォードという名の人ですが、おそらく訴訟戦術上の判断によるのでしょうが、被告の答弁が事実であると譲歩したうえで、争点を法律問題に限定しました。」
千葉「被告の契約意思が、12月ボンベイ発のピアレス号で実際に輸送された綿花ではなく、10月ボンベイ発のピアレス号で輸送されるはずの綿花にあったとの主張を、原告は容認したのですね。」
馬場「結果的にはこの戦術判断が裏目に出たわけです。」
荒井「先回りすると千葉君が追いつけない。」(笑い)
土井「原告の主張は次のようなものです。契約は特定した銘柄の綿花125梱の売買であり、原告はその引渡し準備を整えています。綿花が『ピアレス号』という名の船で輸送されたのであれば、それがどの船であるかは重要ではありません。『ピアレス号にて到着予定の』という文言は、本船が航海中に滅失したとき、契約が無効となることを意味するに過ぎません。」
荒井「この辺りから、裁判官が法的観点の指摘を行っています。馬場君が裁判官になって、土井君がミルウォード弁護士になったらどうでしょうか?」
千葉「問答の形を取るのですね。私には判り易い。」
荒井「若干トンチンカンな問答になっていますから、判り易いとばかりは言えない。」(笑い)
馬場「先ずポロック判事が発言します。両当事者が『ピアレス号』という名の同一船を考えていたかどうかは陪審が決定する問題です。」
土井「ミルウォード弁護士が答えます。契約が『ピアレス号』という名の船舶の売買を目的とするのであれば、ご指摘のとおりです。しかしこれはそのような呼称の船舶に積載された綿花の売買です。」
馬場「(ポロック判事)被告は特定船舶で到着する予定の綿花だけを買ったのです。原告の論旨は、売買契約がA倉庫内の特定物品を対象とするとき、B倉庫内の同種類物品の引渡しを以て契約が履行されたと主張しているのと変わりがない。」
土井「(ミルウォード弁護士)その場合には、AとBの両倉庫に物品があります。しかし本件では、他の『ピアレス号』には原告の貨物が搭載されていなかったようです。」
馬場「別の裁判官マーティン判事が口を挟みます。それでは、被告が結んだ契約とは異なる別の契約で被告を拘束することになります。更にポロック判事が言います。フランスまたはスペインの特定農場で産出したワインの売買契約で、同一名の農場が存在するようなものです。」
千葉「その辺りで、問答が急変しそうですね。」
荒井「察しがよろしい。」(笑い)
土井「(ミルウォード弁護士)契約文書が文面上明白であるとき、被告がこれと矛盾する主張を外部証拠(parol evidence)によって行うことは許されません。被告は問題が不実表示や詐欺にあるとは言わず、単に、違う船を考えていたと言うのです。意思は、契約時に表示しない限り、全く役立ちません。」
馬場「(ポロック判事)一船は10月に出帆し、他船は12月に出帆したのです。」
土井「(ミルウォード弁護士)出帆の時日は契約の一部になっていません。」
千葉「原告弁護士と裁判官の問答はまだ続くのですか?」
土井「いいえ。この後は被告側のメリッシュ弁護士が陳述します。」
荒井「それでは被告側の反論を聞きましょう。」
土井「メリッシュ弁護士は言います。契約上『ピアレス号』という名の特定船舶を示す文言は確かに存在しません。しかしながら、『ピアレス号』を呼称する二つの船舶が将にボンベイを出帆しようとした時点で、潜在的多義性(曖昧性)が契約文言に内在することになります。したがって、被告が或る『ピアレス号』を考え、原告が異なる『ピアレス号』を意味したことを証明するために外部証拠を提出することは許されます。そのような次第ですから、『意思の合致』(consensus ad idem)が存在せず、拘束力ある契約は存在しないことになります。」
馬場「そこで裁判所がメリッシュ弁護士の発言を突如として中断させたのですね。」
土井「そうです。裁判所は意見を附けずに、被告勝訴の判決を躊躇無く下しました。」
千葉「パー・キューリアム(per curium)ですね。」
馬場「そうです。裁判官は今までに挙げたポロック、マーティン両判事の外ピゴット判事が関与していたのですが、判決は裁判所の名で下されました。判決理由がないために後年様々な解釈が行われました。」
千葉「契約の解釈に関する主観説と客観説の対立ですか?」
荒井「いよいよ察しが鋭い。(笑い)解説は馬場君にお任せします。」
馬場「1881年に発表した名著「コモン・ロー」の中で、主観説を批判したオリヴァー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(Oliver Wendell Holmes Jr.)はピアレス号事件判決の事実関係を述べた後、次のように続けています。『このような契約は、目的物に関して相互に錯誤があるため、また当事者が同一物に対して同意していないため、無効であると一般に言われている。しかしこのように表現することは誤解を招くと思われる。法は当事者意思の実態と何らの関係がない。契約に於いても、他の法分野と同様に、法は外部事情で判断して、当事者を行為によって審理すべきである。(The law has nothing to do with the actual state of the parties' minds. In contract, as elsewhere, it must go by externals, and judge parties by their conduct.)・・・当該判決の真の根拠は、判決の説明から推論されるように各当事者が相手方と異なることを表現しようとしたところにあるのではなく、実は各当事者が異なることを言ったところにある。原告はあることを申込み、被告は他の異なることに合意を表したのである。』B」
荒井「後年ホームズは自らの外面的解釈手法(external approach)を弁護して、第一に、主観的解釈手法によれば契約の強制が過度に困難となること、第二に、外面的解釈手法であれば、話者は自己の言語が通常の用法によって解釈されることを常に期待できるため、公正であることの二根拠を挙げています。C」
土井「ところがホームズの客観説はギルモアの手厳しい批判を受けるのですね。」
荒井「そのとおりです。グラント・ギルモア教授(Prof. Grant Gilmore)は1974年に発表した著書『契約の死』の中でピアレス号事件判決を取り上げ、客観説を痛烈に批判しています。D 馬場君にバトン・タッチします。」
馬場「承知しました。ギルモアによれば、原告訴訟代理人の主張には理があって、『ピアレス号にて到着予定の』と言う契約文言が用いられたときは、ピアレス号滅失の危険を売主が負担する一方に於いて買主は引渡しのないことをもって損害の賠償を求め得ないことになります。つまり、「到着」文言は統一商法典の『到着無くば売買無し』文言("No Arrival, No Sale" Term)と同義であり、商業的理解は古今変わらないとギルモアを考えたのです。錯誤による契約の取消を正当化するためにはその錯誤が契約履行の何か重要な側面に関連していなければならず(For mistake to justify rescission of a contract the mistake must relate to some fundamental aspect of the contractual performance)、契約文言の商業的意味と履行期について争いのないことを考慮すれば、運送船の同一性は契約の真の条件ではなく(the identity of the carrying ship was not a true condition of the contract)、買主が仮に10月船を意図していたとしても、12月船で到着した綿花の履行提供を買主は拒絶できないとギルモアは言います。さらに、統一商法典の「着船渡し条件」(Delivery "Ex-Ship")の公式注解を引用して、綿花がピアレス号という名の船で着く必要すらなかったとギルモアは言い切っています。」
千葉「正否の判断は別にして、論理は歯切れがよいですね。」
馬場「ギルモアは更に続けて次のようにピアレス号事件判決を解釈しています。原告訴訟代理人が、訴訟戦略上の判断を誤り、契約文言の多義性(曖昧性)解釈に外的証拠を引証することは認められないとパロール・エヴィデンス・ルールを主張したため、混乱に乗じた被告訴訟代理人の作戦が功を奏し、原告訴訟代理人主張の真意が裁判官に通ずることもなく、原告敗訴の判決となったとギルモアは言います。」
千葉「ところで、ギルモアが難解なピアレス号事件判決に関して独自の解釈を提示したのは、どのような理由からでしょうか?」
荒井「それは、個々の『リーディング・ケース』に権威付けを与える前段階として『客観的』観点からの再評価を加えているホームズとその継承者に反論するためでした。元来裁判所は、意識することなく殆ど本能的に、『主観的』観点から契約を解釈していたと考えるギルモアから見れば、ピアレス号事件すら『客観化』できる魔術師たちにとっては、必要とあらば、何事でも客観化できることになる(The magician who could "objectify" Raffles v. Wichelhaus ... could, the need arising, objectify anything.)のです。」
土井「客観説と言えば、最右翼のラーニド・ハンド判事(Judge Learned Hand)を思い起こします。ハンド判事は有名なホッチキス事件判決で『契約は、厳密に言って、当事者当人の個人的意思と何らの関わりがなく(A contract has, strictly speaking, nothing to do with the personal, or individual, intent of the parties)、使用文言にも法が通常与える意義(the usual meaning which the law imposes)だけが附与される。』と指摘しています。E 」
荒井「土井君の調べは行き届いています。(笑い)客観説を突き詰めれば、契約の両当事者が共に12月船を考えていたとしても、論理上10月船が契約上の正しい解釈とされることさえ有り得ます。」
千葉「思い出しました。」
荒井「何ですか突然大声を上げて?」(笑い)
千葉「完結された契約書でAとBがある特許権の売買を約束しました。Aはある発明に関するイギリスの特許権を売る心積もりでした。しかしBは、その発明に関するイギリス、フランス、及びアメリカの特許権を売る約束をAがしたものと理解しました。もし、契約文言がイギリスとアメリカの特許権の売買であり、フランスの特許権の売買ではないと、正当に判断力ある人(a reasonably intelligent person)に理解できるとするなら、契約は存在し、AとBの両者はその意義によって拘束されます。」
馬場「客観説によれば、当事者のどちらも意図しない意義が契約文言に与えられる顕著な事例ですね。契約法(第一次)リステートメント§230の公式注解に例示されています。」
土井「サミュエル・ウィリストン教授(Prof. Samuel Williston)の見解ですね。」
荒井「アーサー・コービン教授(Prof. Arthur L. Cobin)は、Aが甲土地を売るつもりであり、Bが乙土地を買うつもりであったのに、大多数の第三者によれば完結契約文書が丙土地の売買に理解できるとの理由で、AとBに丙土地の引渡しと受領を求めるとすれば、裁判所の判決が物笑いの種になる(to hold justice up to ridicule)と客観説を批判しています。」
千葉「以前論議した、契約文書の解釈とパロール・エヴィデンス・ルールに論議が逆戻りしたようですね。」
荒井「多少脱線したとすれば、それは千葉君の発言に一因があります。(笑い)ここで小休止をしましょう。」
 
荒井婦人心づくしのコーヒーを味わいながら、イーツァク・パールマンの演奏するヴァイオリン短編数曲を聴いた。セルゲー・ラフマニノフのヴォカリーズやアンリ・ウィニアフスキーのスケルツォー・タランテルなどである。
 
荒井「次は、ピアレス号事件判決の歴史的背景です。」
馬場「ブライアン・シンプソン教授(Prof. A.W.B. Simpson)の論文ですね。」
土井「シンプソン教授とはどのような方ですか?」
荒井「卓越したリーガル・ヒストリアン(legal historian)で、コモン・ロー契約法の歴史に詳しいミシガン大学教授です。1975年に著した"A History of Common Law of Contract"は有名ですし、"The Horwitz Thesis and the History of Contracts, 46 U. Chi. L. Rev. 533 (1979)"や、これから話題にする"Contracts for Cotton to Arrive: The Case of the Two Ships Peerless, 11 Cardozo L. Rev. 287 (1989)"などの優れた論文を発表しています。ご苦労ですが馬場君に引き続き解説をお願いします。」
馬場「シンプソン教授によれば、事件当時ピアレス号の名を冠する船は世界中に11隻あり、9隻が英国籍の帆船で、その中の2隻がリヴァプールを船籍港としていました。他の2隻は米国籍船です。」
土井「アニー(Annie)など、ごく一般的な名を付けた同名船が多かったことは聞いていますが、どのようにして同名船を区別していたのでしょうか?」
馬場「船長の名を附けて区別していたようです。本件で言えば、10月ボンベイ出帆船はピアレス(メイジャー)号(the Peerless (Major))、12月船はピアレス(フラヴィン)号(the Peerless (Flavin))でした。」
荒井「訴訟で問題となった取引に関する直接の商業的背景を説明願います。」
馬場「南北戦争(1861-65)の最中に、綿花の主たる供給地であったアメリカの南部諸州が北軍の海軍によって海上封鎖された結果、綿紡績産業の中心地ランカシャーに於いて綿花の品不足が生じたのだそうです。紡績業者は他の供給地特にインドに活路を求めましたが、価格は急騰し極端に不安定となりました。1862年は特に価格の急騰した年で、結果的に綿花市場で多くの投機的売買が行われました。」
千葉「当時から綿花市場では先物取引が行われていたのですか?」
馬場「いいえ。19世紀前半の綿花市場では未だ直物市場が主流でした。しかしやがて、品質、品種、梱包重量の多様性といった阻害要因が、複雑な取引形態や紛争解決のための仲裁手続きの発展によって解消され、先物取引が行われるようになりました。」
荒井「先物取引と言っても、運送中貨物の売買ですね。」
馬場「そうです。運送中綿花の先渡し売買は『到着契約』("contracts to arrive" or "arrival" contracts)と呼ばれました。当時のエコノミスト誌を見ると、1851年には既に到着契約の記事があり、1860年代に入ると市場報道に常態的取引として掲載されています。このような契約は、綿花を到着次第に売却したり、買取り権を事前に譲渡して、倉敷料を負担せずにすむため、投機家には魅力でした。代価の先払いが無いときは、資金の固定化を避けることもできました。」
荒井「汽船の発明や、電信の発達も先物取引に味方しましたね。」
馬場「はい。1840年にはキューナード汽船会社が汽船による大西洋航路を開設したため、先物取引の拡大が進みました。綿花は主要供給地であるアメリカの南部諸州から帆船によって大量に輸送されていましたが、高速力の汽船によって綿花の作柄情報や見本が大西洋を越えていち早く伝えられました。汽船のほかに電信と鉄道の発達も先物取引の発展を助勢しました。船舶の動静と貨物の情報は船より速く伝達され、船荷証券も早く入手できました。帆船はイングランド南西部コーンウォール州のファルマスやアイルランド南西部のコークに途中寄港したため、情報は電信で市場に伝えられました。1852年以降コークとリヴァプールは直接電信で結ばれていたそうです。」
千葉「法制史学者は、いろいろな資料を調査するので大変でしょうね。」
荒井「驚いてはいけません。これは序の口です。」(笑い)
馬場「国際電信事業の拡大も無視できません。インド・英国間の電信がペルシャ湾経由で結ばれたのは1865年の2月ですが、部分的にはそれより早く開設されていました。ヨーロッパから、コルフとマルタまでは1857年に、更にアデンまでは1859年に繋がっています。スエズとカラチ間の紅海ケーブルは、しばしば通信が途絶することはあっても、1860年には既に運用されていました。その他に、帆船相互の連絡によっても特定船の動静は本船到着前に英国に到達していました。」
千葉「成る程。(笑い)様々な方法によって、大量輸送中の綿花の情報は貨物の移動より早く市場に伝達されていたのですね。」
馬場「綿花の『到着』契約は先渡し契約であるため、時には『定期契約』(time contract)とも呼ばれました。商品が市場で入手可能となる期日は、買主にとってはこの上なく重要な事です。特に買主自身が商品を使用するときは尚更そうです。したがって、このような契約は、通常商品の引渡し期日を特定していたものと思いがちです。しかし、この『到着』契約が生まれた社会は、事実上期日の特定が不可能な社会でした。帆船が出帆した時、またはもっと漠然と、出帆予定期日を、後日時間を経て知ることがあっても、目的地に到着する期日は非常に不確かなものでした。更に船が目的地に無事到着しても、その後、貨物陸揚げの桟橋が空くまで延々と待つこともしばしばでした。このような事情もあって、当初『到着』契約は、商品の引渡し期日は勿論のこと、貨物到着の期日を、幅を持った期間によってすら、特定していませんでした。」
土井「それでは、契約で特定されるのは何でしょうか?」
馬場「綿花の先渡し売買契約で特定されるのは船積みだけでした。その理由を推測すると、どの船に積まれた貨物か判れば大凡の到着期日を買主自身で予測することができたからでしょう。勿論予測すると言っても、時日ではなく期間の単位です。元々このような契約は到着が間近いときだけに行われていました。リヴァプールから50マイル離れたライナス岬で船は必ず通過を報告することになっていました。おそらく信号所があったのでしょう。川で桟橋待ちの間に綿花の取引が行われたこともありました。そのようなときであれば引渡しの時日はかなり正確に想定できましたが、蒸気曳船を伴わない横帆艤装船であれば50マイル進むのですら長時間を要し、到着時日は予測困難でした。」
土井「契約方式も多彩だったのでしょうね。」
馬場「初期には、多彩な契約方式が用いられたことは疑いないようです。出帆の日を直接または間接に明確にし、到着予定日を予測できるように船積みを特定する方法にも様々なものがありました。船名を指定するのも一つの方法でした。これが『船名指定』契約("ship named" contracts)です。船名が指定され、出帆港が判れば、船舶の動静情報を通じて、大凡の到着日が推定できます。そこで船名に加えて出帆港も契約に特定されました。『ボンベイ発のピアレス号にて到着予定の』がこれです。更に契約に出帆時を(確定日ではなく期間で)特定することも行われました。『10月船積み保証のボンベイ発ピアレス号にて到着予定の』がその例です。」
荒井「事件当時の綿花市場の動向を話して下さい。」
馬場「1862年の7月には、差迫った綿花の品不足を控えて、綿花市場は非常に活気を帯びていました。エコノミスト誌の8月30日号はリヴァプール綿花市場を『狂乱状態と境を為す』と報じていますし、9月6日号はロンドン綿花市場を『投機が桁外れで熱狂的』と表現しています。このような事情ですから、『到着予定』綿花の取引はますます常態化しました。投機目的の取引も含まれていましたが、将来の安定供給を確保するための紡績業者の動向が背景にあったのは疑いありません。種類、品質、及び価格に加えて、期日が市況報道に表示されたのはこの時が最初です。船積み期日は出帆月で表示されていますが、かなりの長期間を経ないと到着が見込めない綿花の売買も散見されます。7月には翌8月積み綿花の報告すらあります。これですと、1962年12月か1963年1月の到着になります。しかし8月後半になると、市場は多少なりとも常態に復し、4月から8月の間に船積みされた綿花が取引きされました。」
千葉「興味深いお話ですが、事件の背景を詳しく検討するのはどのような理由からでしょうか?話の腰を折ろうとしているのでは決してありません。」(笑い)
馬場「ギルモア教授の説を論破するためです。例えばギルモアはこう言っています。『10月ボンベイ出帆船が12月出帆船より早くリヴァプールに入港する必然性はない。何れか一船のピアレス号は気まぐれな気象や海況の影響を受け易い帆船であったかも知れない。あるいは両船ともに帆船であったことも考えられる。また一船が(または両船が)中間港に寄港した可能性もある。リヴァプールで売主が行うべき引渡し提供の期日に関して買主が争っていないところを見ると、引渡しの期日は争点とはなり得なかったと判断して差し支えない。』しかしこれは証拠に基づかない誤った推論です。」
千葉「成る程。」(笑い)
荒井「ギルモア自身が、紛議の発生した歴史的背景がどのようなものであれ、それに注意を払わないとすれば道理に適わないと、いみじくも指摘している一方に於いて、『商業的理解は古今変わらない』などと法的史実に無関心な態度を示しているものですから、シンプソン教授には我慢がならないのでしょう。」
千葉「成る程。(笑い)シンプソン教授はコモン・ロー契約法制史が専門でした。」
土井「事件の一般的背景はよく理解できました。判例集では理解できない事件の具体的事実関係をご説明願います。」
馬場「シンプソン教授の検証は詳細を極めます。ピアレス(メイジャー)号、つまり10月ボンベイ出帆船は、1863年2月18日にリヴァプールに到着し、2月26日に着桟、揚げ荷役を行っています。3,800余梱の貨物は主として綿花でした。当時の綿花市況は沈静化していました。市場は閑散とし、取引数量も少なかったようです。ロンドン市場でのインド産中級品質綿花の直物相場は徐々に下降線を辿り、2月28日の価格が15ペンスでしたから、本船が綿花貨物を陸揚げした時のリヴァプール市場価格は契約価格を可成り下回っていた筈です。」
土井「ラッフルズとウィッチェルハウスが合意した価格は重量1ポンド当たり17-1/4ペンスでした。」
千葉「もし原告のラッフルズがこの船に契約仕様の綿花貨物を持っていたとしたら、当然引渡しの提供をしたでしょう。経済的に有利ですから。」
荒井「被告との売買契約はこの船と無関係であると原告が信じていたことは真実なのでしょう。」
土井「逆に被告のウィッチェルハウスはこの時点で引渡し提供のないことを抗議できた筈です。訴訟だって起こせます。しかし抗議や訴訟を行う経済的動機は存在しなかったのですね。」
荒井「要するに、被告は不利な取引(bad bargain)をしてしまったのです。」
馬場「第二の船ピアレス(フラヴィン)号がリヴァプールに入港したのは1963年4月19日のことです。4月23日には揚げ荷を行っています。4,700余梱の綿花が積まれていました。このときは相場も若干回復し、16-3/4ペンスでした。」
千葉「2月後半の時点に比べれば幅が少ないとはいえ、損失は膨大ですね。」
土井「被告には原告から綿花を引き取る経済的利益がありません。もし利益なら受領していたでしょう。」
千葉「今更原告が第一船の綿花を提供しなかったことを悔いても遅すぎます。それに実際自分の貨物を持っていなかったのでしょう。」
土井「ミルウォード弁護士は10月出帆のピアレス号には原告の貨物が搭載されていなかったようだと認めています。」
荒井「馬場君ご苦労様でした。事件の詳しい背景は全員が理解できた筈です。纏めの部分は私が引き受けましょう。」
千葉「シンプソン教授の所論ですか?」
荒井「そうです。シンプソン教授はこう説いています。『以上述べてきたところから、船と名前が明記された到着契約では、運送船の同一性が最重要視された(the identity of the carrying vessel was of central importance)ことは全く明らかです。到着と引渡しの時日を決めるのは運送船の同一性です。変動の激しい綿花市場では、時日が相場取引の成否を左右するのです。』」
千葉「ギルモア教授は、運送船の同一性は重要でないと言っていましたね。」
荒井「シンプソン教授によれば、契約に期日が直接特定されていなかったのは科学技術上の問題であり、技術の変革に伴い、『船積み』(shipments)は期日を直接特定する新しい契約方式『引き渡し』(deliveries)に取って代わられたのです。」
土井「シンプソン教授は、ラッフルズとウィッチェルハウスの争いをどのように解決すべきだと考えているのでしょうか?」
荒井「商業人による仲裁を想定して、解決策を模索しています。」
土井「訴訟では得られない解決ですね。」
荒井「何れの当事者も当初はボンベイで綿花を船積みする同名船が二隻存在する事を知らず、意思の不一致が真実であったとの前提を設けて、それが被告に及ぼした損害をシンプソン教授は検討しています。ウィッチェルハウスが意図していたと主張するピアレス(メイジャー)号から綿花の引渡しを受けていたとすると、争いとなっているピアレス(フラヴィン)号から引渡しを受けるより多大の損害を被告は被っていたでしょう。意思の不一致はある意味に於いて、被告の有利に作用しました。第二船からの提供に至った意思不一致の結果、被告の損失は減少こそすれ、増大していません。彼が投機に失敗したのは、意思の不一致が原因では全くありません。」
馬場「ミルウォード弁護士はその点を指摘したかったのでしょうね。」
荒井「仲裁人は通常であれば、問題解決の賢明妥当な方法、即ち衡平な解決策として、被告に対して第二船の綿花を受領するよう求めるでしょう。金銭裁定であれば、契約価格と市場価格の差額をラッフルズに補償することです。」
馬場「訴訟と違って、仲裁であれば更に踏み込むこともできますね。」
荒井「そうです。原告には不利となりますが、契約と市場の価格差を二分して両者が負担するよう求めることさえ可能です。」
千葉「ピアレス(メイジャー)からの綿花提供がないことを、もしウィッチェルハウスが意図的に見過ごし、第二船到着時には相場が自己の有利に変わることを密かに期待していたとして、その希望が無に終わったからと言って、今になって綿花受領の拒絶を許容するとすれば公平とはいえません。」
荒井「千葉君は明晰です。(笑い)綿花を受領するか、あるいは仲裁を申立てるなど、ウィッチェルハウス側に適正な行動のないことに立腹したラッフルズが裁判に訴えたとの筋書きを、シンプソン教授は想定しています。」
千葉「ピアレス号事件判決に対するホームズ、ギルモア、それにシンプソンと著名な学者の見解を紹介して頂きましたが、その他にも同事件に関する論文はあるのですか?」
荒井「三つ挙げておきます。バーミンガム教授の『ピアレス号事件に対するホームズ見解:ラッフルズ対ウィッチェルハウス判決と契約の客観理論』F 、パーマー教授の『契約の成立に於ける意思不一致の効果と契約法(第二次)リステートメントの下に於ける文書補正』G 、とヤング教授の『契約作成上の多義性』H があります。第一の題名については今までの論議で理解できると思います。また第二、第三の題名はこれから取り上げる判例で納得される筈です。」
 
再度の休憩中は、ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンの大公トリオから第1,第2楽章に耳を傾けた。ヴィルヘルム・ケンプのピアノ、ヘンリック・シェリングのヴァイオリン、ピエール・フルニエのチェロであった。
 
荒井「それでは土井君、ピアレス号事件判決に従ったアメリカの判例を紹介して下さい。」
土井「最初に、1969年の第2巡回区連邦控訴裁判所判決オズワルド対アレン事件I について報告します。」
馬場「スイス・コインの事件ですね。」
土井「そうです。スイス貨幣の蒐集家であるスイス人のオズワルド医師はニュー・ヨーク州に住むアレン夫人のコレクションに興味を抱き、訪米しました。アレン夫人のコレクションは銀行の貸金庫に保管されていたのです。夫人に連れられて、貸金庫に赴いたオズワルド医師は、最初に『スイス・コイン・コレクション』に納められたスイス貨幣を調べました。次に医師は『稀少コイン・コレクション』から幾つかの高価なスイス貨幣を見せられました。」
千葉「コレクションは二つに分かれていたのですね。」
土井「そうです。二つのコレクションはラベルが貼られた別の葉巻たばこ入れに納められ、貸金庫の鍵も別々だったようです。」
千葉「誤解が生じそうな雰囲気ですね。」(笑い)
土井「オズワルド医師は余り英語が得意でない。」
千葉「ますます怪しい。」
荒井「二人で何の問答をしているのですか?」(笑い)
土井「銀行からの帰途、医師は弟の通訳を介して夫人とスイス貨幣コレクションの売買交渉を行い、両者は譲渡価格$50,000で合意しました。ところが、夫人は彼女の『スイス・コイン・コレクション』を売るものと考え、医師は彼女のスイス貨幣を全て買うものと考えていたのです。」
千葉「希少価値のあるスイス貨幣が売買契約に含まれるかどうかの問題ですね。」
土井「契約の特定履行を訴求した医師が事実審で敗れた後控訴しました。」
千葉「損害賠償請求ではなく、貨幣の引渡しを求めたのですね。」
土井「医師の請求を斥けたムア巡回控訴裁判所判事は次のように判示しています。『斯かる事実関係の下では確立した法があり、契約は存在しない。・・・契約成立のために当事者の内心意思の合致は要件とならないが、・・・事実関係は・・・本事件を〈衝突する理解の間から選択する適当な根拠〉が存在しない例外的事例の小群に含めることが明らかである。・・・本件ではラッフルズ対ウィッチェルハウス原則が適用される。』」
千葉「〈衝突する理解の間から選択する適当な根拠〉とは何を指すのでしょうか?」
荒井「文書補正(reformation)の一つで、ここでは契約法(第二次)リステートメントのセクション20「意思不一致の効果」の(2)項を指すのでしょうね。」
土井「セクション20の私訳を準備してきました。」
荒井「それは用意周到です。披露して下さい。」
土井「(1)項は第二の判例で取り上げますから、ここでは(2)項だけを読み上げます。『当事者の表示は下記何れかの場合に一方当事者が附した意義に従って効果を生じる。(a)その当事者が相手方当事者の附した異なる意義を知らず、相手方当事者が第一当事者の附した意義を知るとき、または(b)その当事者が相手方当事者の附した異なる意義を知るべき理由が無く、相手方当事者が第一当事者の附した意義を知るべき理由のあるとき。』J 」
馬場「要するに不完全な契約文書を無効とすることなく、補正して解釈することですね。衡平の観点から行われる救済の一種です。」
千葉「するとラッフルズ対ウィッチェルハウス原則が適用される例外的事例の小群とは、おそらくセクション20の(1)項ですね。」
荒井「お見事。もし予習をしていなかったとすると、抜群の推理力です。(笑い)ただし内容は土井君がこれから報告する第二の判例までお預けにします。」
土井「私から補足します。ムア巡回控訴裁判所判事は判決文の中で先ほど荒井さんが示されたヤング教授の論文から一節を引用して、ラッフルズ対ウィッチェルハウス原則は『契約を表現する何らかの文言が意義不確定であって、当事者が異なって理解するときは、一方当事者が相手方当事者の理解を知らない限り、契約は存在し得ない。』ことであると述べています。千葉君が問題提起した〈衝突する理解の間から選択する適当な根拠〉も実はヤング論文からの引用文です。原文は、"no sensible basis for choosing between conflicting understandings"です。」
千葉「大凡の輪郭が見えてきました。」(笑い)
土井「第二の判例は1985年にアイダホ州控訴裁判所が下したコーニック対スポケーン・コンピューター事件判決Kです。」
千葉「州最高裁判決ではないのですか?」
土井「違います。しかし原告が治安判事判決に敗れ、控訴した州地裁でも敗れたため上訴した第三審判決です。」
荒井「先ず事実関係から説明願います。」
土井「被告のスポケーン・コンピューターは電圧・電流の急増からコンピューターを保護する電子機器であるサージ・プロテクターの購入を考え、従業員のDYに調査を命じました。調査の結果$50から$200の価格帯の複数製品が候補に上りました。しかしその何れも被告の要求する仕様を充たさなかったのです。その後DYは原告に照会し、適当な性能の製品を見つけました。価格を尋ねられた原告の販売員は"fifty-six twenty"と答えました。」
千葉「金額に誤解が生じたのですね。」
土井「そうです。販売員は$5,620のつもりで言ったのですが、DYは$56.20と受取りました。販売員から購入権限の有無を尋ねられたDYは上司の許可を取った後発注すると答えました。」
千葉「代理権の有無も問題となるのですか?」
土井「イェス・アンド・ノーです。(笑い)価格$56.20と記入した注文書を準備したDYは、上司の発注許可を取った後、原告に電話で注文し、注文書番号も伝えたのです。原告は製品を納入し、被告はそれを事務所に設置して運用を開始しました。」
千葉「値段の違いに直ぐ気付かなかったのですね。」
土井「製品が納入されてから2週間後になって、会計処理をしていた被告のコンピューターが注文書と納品書に表示された価格の相違を発見しました。DYには発注権限がないこと、及び製品を必要としないことを理由に、被告はサージ・プロテクターの撤去を原告に求めました。しかし原告は、製品の所有権が既に被告にあることを理由に、代金の支払いを求めました。被告が支払いを拒絶したため、原告はこの裁判を開始しました。」
千葉「原告と被告のどちらも価格の思い違いを指摘していないのですね。」
土井「事実審理を行った治安判事は、DYは無権代理人であるうえ、この取引に表見代理は認められないと判断しました。更に治安判事は、事態に気付いた被告が即時に購入を否認した事実を認定しました。原告が控訴した州地裁も治安判事と同意見でした。しかしアイダホ州控訴裁判所は、治安判事判決の結論は是としたものの、その理由を、表見代理ではなく、より基本的な契約原則に求めたのです。」
千葉「代理法と契約法は違う法領域ですね。州控訴裁判所は原審に差戻したのですか?」
土井「いいえ。『事実審裁判所が異なる理論によって正しい結果を得たときは、州控訴裁判所は正しい理論を用いて、これを承認する。』との先例Lがアイダホ州にはあるのです。」
馬場「それはアイダホ州に限ったことではないと思いますが、ここでは深入りを避けましょう。土井君が要領よく説明してくれたので、事実関係は理解できました。これから判決理由ですね。」
土井「ウォルターズ首席裁判官は、本事件に本質的な関係があるのは当事者間に於ける相互理解の欠如(a failure of communication between the parties)であり、類似の相互理解欠如が100年前に有名なラッフルズ対ウィッチェルハウス事件で現れたと述べています。続いてウォルターズ判事はピアレス号事件の事実関係と判旨を要約しています。」
千葉「要約すると言っても、ピアレス号事件判決は元々簡略に過ぎたのでは?」
荒井「混ぜ返してはいけません。」
千葉「すみません。」(笑い)
馬場「ピアレス号判決はどのような判断をしたとウォルターズ判事は言っているのですか?」
土井「各当事者が契約締結時に異なる船を考えていたため、強制力ある契約は事実上存在しないと裁判所は判断し、そのピアレス号原則が後に契約法リステートメントのセクション71に取り入れられ、更には現在の契約法(第二次)リステートメントのセクション20に発展したと判事は言っています。」
千葉「待ちに待ったセクション20です。」(笑い)
馬場「そうそう。(1)項はお預けを食っていたのですね。」
千葉「そうです。納得を装ってはいましたが、(2)項だけでは真実消化不良でした。」(笑い)
土井「再び私訳ですが、内容は次のようなものです。『取引に対する相互合意の表示は、当事者が表示に著しく異なる意義を附し、且つ何れの当事者も相手方当事者の附した意義を知らず、または知るべき理由のないときは、無に帰する。』 M更に、セクション20の注解(c)は、『当事者が相互合意を契約書の同一語句で表示したときと言えども、交換取引の条件に関して著しく異なる理解を抱いていたが故に、契約が無効となることがある。』N と記述しています。」
馬場「ウィリストン教授も、契約の成立が錯誤によって妨げられる事情について論説して、『契約の文言に・・・異なる解釈が合理的に可能であるときは・・・契約が存在しない。』O ことを認めています。」
荒井「コロンビア大学のヤング教授は、ピアレス号事件法理の適用は慎重であるべきだと主張して、諸判例から帰納した3原則を推奨していますね。P 」
土井「はい。ウォルターズ判事もヤング教授の3原則に注目しています。」
千葉「それはどのようなものですか?」
荒井「第一は、当事者が契約の表現を異なって理解していたときだけに、法理が適用されることです。第二に、一方当事者に過失があるため、その理解が相手方当事者の理解に比べて理に適わないときには、法理は適用されません。第3は、法理適用に必要な事実の証明に外部証拠の提出が容認されることです。」
千葉「この事件では何れの当事者の理解も理に適っているようですし、両当事者共に問題発生に同様の寄与過失がありそうですね。」
土井「判決は次のように言っています。『この事件では"fifty-sixty twenty"と言う同一語句に当事者は異なる意義を与えている。従って当事者意思の合致はない。二つの価格には100倍の相違があるため、明らかに価格は大いに重要な条件となっている。"fifty-sixty twenty"と言う指定は、明らかに二つの意義が与えられる曖昧な形で表現された重要条件であるため、当事者間には契約が成立しなかったものと判断する。』」
千葉「被告従業員の代理権限についてはどう言っていますか?」
土井「判決は契約の成立を認めなかったのですから、従業員に発注権限があったか否かの判断は不要であると言っています。」
千葉「何れにせよ原審判決は承認されたのですね。」
土井「そうです。私の報告はこれで終わります。」
荒井「ご苦労様でした。ヤング教授の言う第2原則で契約を救うためには契約の解釈が問題となります。契約の解釈には諸々の原則がありますが、それについては別の機会に議論したいと思います。」
土井「私に割り当てられたイギリス契約法判例がもう一つあります。」
荒井「勝手を言って申し訳ないのですが、実はこの後、急の所用で外出しなければならないのです。後日に回すことで了解願います。」
千葉「最後に一言発言をお許し下さい。」
荒井「どうぞ。何か思い出しましたか?」(笑い)
千葉「そうなんです。先程から気になっていたのですが、ピアレス号事件で被告側の訴訟代理人であったメリッシュ弁護士は、後に控訴院判事になったメリッシュ卿(Mellish L.J.)と同一人ではないのでしょうか?」
荒井「良く気づかれました。イギリス契約法を学んだものなら誰でも知っていいるカーボリック・スモーク・ボール事件判決Qで控訴院のボーエン卿(Bowen, L.J.)は、ハリス事件のメリッシュ判決Rに言及しています。」
馬場「メリッシュ卿の判決なら、デニング卿(Lord Denning M.R.)やウィルバーフォース卿(Lord Wilberforce)も引用していますね。」
荒井「皆さんは良くご勉強されています。(笑い)デニング卿は除外約款に関するソーントン対シューレーン・パーキング事件控訴院判決S でパーカー対南東鉄道会社事件のメリッシュ判決?、ウィルバーフォース卿は錯誤に関するガリー対リー事件貴族院判決? でハンター対ウォルターズ事件のメリッシュ判決? を論じています。」
土井「歴史に残る名裁判官がそれぞれに注目する判決を残したのですから、我が親愛なるメリッシュさんも大したものです。」(笑い)
千葉「それに比べて、ポロック外の判事はピアレス号事件判決以外には名前が現れませんね。皮肉なものです。」(笑い)
荒井「話題は尽きないようですがこれで終わりにします。」
馬場・千葉・土井(異口同音に)「お疲れさまでした。」
 
荒井老人の外出までしばらく間があると言うので、大公トリオの後半第3,第4楽章を聞き終えてから、馬場、千葉、土井の三人は帰途に就いた。それぞれに満ち足りた気分で。
 
・・・ 了 ・・・
 
(註)                                  
@ Raffles v. Wichelhaus, 159 Eng. Rep. 375 (1864)
A ブライアン・シンプソン教授はピアレス号事件判決について次のように述べている。"one of the best known old chestnuts of the common law ..... No student of the law of contract could regard his education as complete without either reading the case in the reports themselves, or, more commonly, acquiring some acquaintance with the case from one of the abbreviated, and sometimes garbled, accounts which appear in the legal casebooks or hornbooks." A.W.B. Simpson, Contracts for Cotton to Arrive: The Case of the Two Ships Peerless, 11 Cardozo L.Rev. 287, 287-88 (1989)
B Oliver Wendell Holmes, The Common Law 242 ([1881] Howe ed. 1963)
C Oliver Wendell Holmes, The Theory of Legal Interpretation, 12 Harv. L. Rev. 417, 419 (1899)
D Grant Gilmore, The Death of Contract 35-41 (1974)
E Hotchkiss v. National City Bank, 200 F.287, 293 (S.D.N.Y. 1911)
F Robert L. Birmingham, Holmes on "Peerless": Raffles v. Wichelhaus and the Objective Theory of Contract, 47 U. Pitt. L. Rev. 183 (1985)
G George E. Palmer, The Effect of Misunderstanding on Contract Formation and Reformation Under the Restatement of Contracts Second, 65 Mich. L. Rev. 33 (1966)
H William F. Young Jr., Equivocation in the Making of Agreements, 64 Colum. L. Rev. 619 (1964)
I Ozwald v. Allen, 417 F.2d 43 (2d Cir. 1969)
J Section 20 of Restatement (Second) of Contracts (1981) by the American Law Institute,
"(2) The manifestations of the parties are operative in accordance with the meaning attached to them by one of the parties if (a) that party does not know of any different meaning attached by the other, and the other knows the meaning attached by the first party; or (b) that party has no reason to know of any different meaning attached by the other, and the other has reason to know the meaning attached by the first party."
K Konic International Corporation v. Spokane Computer Services, Inc., 708 P.2d 932 (Ct. App. Id. 1985)
L Goodwin v. Nationwide Insurance Co., 656 P.2d 135 (Ct. App. Id. 1982)
M Section 20 of Restatement (Second) of Contracts (1981) by the American Law Institute,
"(1) There is no manifestation of mutual assent to an exchange if the parties attach materially different meanings to their manifestations and (a) neither knows or has reason to know the meaning attached by the other."
N Comment (c) to Section 20 of Restatement (Second) of Contracts (1981) by the American Law Institute, "Even though the parties manifest mutual assent to the same words of agreement, there may be no contract because of a material difference of understanding as the terms of the exchange."
O 1 S. Williston, Contracts § 95 (3rd ed. 1957)
P William F. Young Jr., Equivocation in the Making of Agreements, 64 Colum. L. Rev. 619 (1964)
Q Carlill v. Carbolic Smoke Ball Co. [1893] 1 Q.B. 256
R In re Imperial Land Co. v. Marseilles (Harris's case) (1872) 7 Ch. App. 587
S Thornton v. Shoe Lane Parking, Ltd. [1971] 2 Q.B. 163
? Parker v. South Eastern Rail Co. (1877) 2 C.P.D. 416
? Gallie v. Lee [1971] A.C. 1004
? Hunter v. Walters (1871) 7 Ch. App. 75
 
(註)初出:「海事法研究会誌」(第150号)「やさしく学ぶアメリカ契約法〈第4回〉」1999.6.1 (社)日本海運集会所
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