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2005年10月4日(火)
練習

今日は大雨がふりました。
ちょっと涼しくなりました。

2005年10月5日(水)
初日

今日から本格的にブログを載せることとなりました。
これから、できるだけ、サボらずに、法律のことに拘らず、
いろんなジャンルの自分が興味を持ったことを
記載していこうと思います。

2005年10月6日(木)
甘い?

ここ最近、某ファンド会社が某会社の株式を3分の1超取得したことが話題となっています。3分の1超を取得すれば、重要な決議に対し否決権を行使できる、と報道されています。
これをもう少し詳しく言うと、会社は重要な決定をする場合には、株主総会を開催しなければなりません。その際、決議事項を承認するか否かは株主が決定します。承認されるための要件は、決議事項の重要性により異なり、普通決議と特別決議に分かれます。より重要な事項の承認を受けるための特別決議の承認要件が、「総株主の議決権の過半数を有する株主が株主総会に出席していて、その出席している株主が有する議決権の3分の2以上の賛成を要する。」というものです。原則的に1株には1議決権があるので、3分の1以上を所有する株主が、決議に反対してしまったら、その決議は否決されてしまうことになり、結局、3分の1超の株式を有する株主は、その会社に対し、大きな影響力を持つことになるのです。
来年には、
商法が改正され、新しく会社法が施行されることになります。新会社法は、使いようによれば、より容易に、企業の合併・買収などが行えるようになっています(一部適用が1年間猶予される条文も有りますが。)。今後、益々、外国会社による買収等が増加してくると思いますが、でも、やっぱり個人的には、人の感情や、思いを踏みにじるような、一方的なやり方は、最後には結果として、自分に返ってくると信じます。逆に自己の会社が敵対的買収の対処となってしまったら、どうでしょう(まあ、きっと、何らかの防衛策は既にとられているとは思いますが。)。自己の利益(金)のために、伝統や文化を無視して、突き進むのは、如何なものかといつも考えます。アメリカの資本主義が最も優れたものであるとは決して思えませんし。日本国民として広い視野で、物事を見て、考えていきたいと思います。

2005年10月7日(金)
頑張らないと
今日は色々と調べものをする1日でした。無銭飲食をした人から、飲食代金を取り戻すにはどうしたらいいか、とか、売買契約後、登記をする前に売主が死亡してしまった場合に、買主が自己へ所有権移転登記をしたいが、売主の相続人が登記に協力してくれない場合、どういう手続をとればいいか等です。相談者の望む結果を得るために、一番よい解決方法を選択し、アドバイスしなければなりません。正確に迅速に職務をこなすために、日々勉強の必要性をあらためて感じました。
2005年10月11日(火)
秋の深まりを感じた日

今日は一日中雨がしとしと降って、肌寒い一日でした。事務所内に電波温度計?(単に電波時計に温度計が付いているだけ)が置いてあり、事あるごとに横目でちらっちらっと見ていましたが、ついに25度を超えることは有りませんでした。一雨ごとに秋が深まり、そして今年も暮れていくんだなあ、年賀状の絵柄をどうしよう、等々ぼんやりと考えていました。頭の中で「そして僕は途方にくれる」という歌が繰り返し、繰り返し流れ続けていました。要するに当事務所は、今日は穏やかで、特に何もない一日だったと言う訳です。ただし、勉強は怠らずにやっています。

2005年10月12日(水)
名前とは
最近、大きな病院では、患者を呼び出す際に名前を呼ぶのではなく、予め交付しておいた番号札に記載されている番号で呼び出しを行っているところが増えている様です。これは、個人情報保護法との関係によるものです。この流れは様々なところで見ることが出来ます。最近資格試験の合格発表などは、名前を貼り出さず、受験番号だけを掲示するようになっています(事務処理の手間を省くために以前からそうであったものもありますが。)。これから先、益々個人情報保護の傾向は強くなっていくと思います。そうすると、今の法律がどんどん厳しくなったと仮定して、何十年か後には、例えば、学校のテストの答案には名前を書かず番号だけを記載したり、出席をとる時には、名前を呼ばず、番号だけを呼んだり、スポーツ選手の名前が分からず、番号でしか本人を特定できずに「584番が先制のホームランを打ちました。」とか「大関267番は寄り切りで勝ちました」とテレビの中継でアナウンサーが叫んだり(全くつまらん)、さらには、友達に対しても「190番君、今日夜一杯どう?」という感じで、友達の名前さえも知らない、もしかして、自分が自分の名前をも忘れた、とかいう日が来るのかもしれません。自身が自分の名前すら全面的に出せず、その重要性がなくなる時代が来て、僕自身に特定番号(住民票コードではなく)が与えられたら、せめて語呂で憶えやすい番号にしてほしいものです。
2005年10月13日(木)
指来たす?
自分で書いていて何ですが、ずっと「ブ゙ログ」が何の略か、どういう意味かが分かりませんでした。ログ(LOG)は「日誌」であるけれど、一体「ブ」は何だろうと考えていました。この業界に入る前、外航海運会社に勤務していて、その時、「アブログ(アブストラクション・ログ=航海日誌)」という業界用語があったので、そこから来ているのかなあ、と何となく考えていましたが、今日ちょっと調べたところ、「WEB」と「LOG」を一語に綴った「WEBLOG」という言葉が誕生し、それが略されて「BLOG」になったとのこと。そしてブログの意味(解釈)は、「時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。」と書かれていました。ということは、僕がここに記載している内容は、果たしてブログと呼べるものではないのでは?と言う疑問が浮かびますが、あまり気にせず、時には「ブログ」的であったり、時には「日記」的であったり、思いのままに書いていこうと思います。しかし、最近、外来語やその略語が、そのままカタカナ表記で新聞などに記載されることが多くなりました。最近、僕が最も心を奪われた言葉が「ユビキタス」です。何となく響きが好きです(意味は一応知っています、念のため)。
2006年1月17日(火)
今日と言う日の意味
1月17日は様々な出来事が発生し、発生した日です。阪神淡路大震災が発生した日、連続幼女殺人事件で罪に問われている被告人の最高裁判決が言い渡される日、東京地検によるIT企業及びその社長に対する、証券取引業法違反容疑による強制捜査がされた日の翌日、そして、昨年末来世間を騒がせているマンション耐震偽装問題に関して、販売会社社長に対し国会で証人喚問が行われる日。これらの全てが、国民が関心を非常に高く持っている、いわゆるニュースです。このような見方をすると、地震で犠牲になられた方、事件で被害者にあわれた方及びその関係者の方々には不謹慎かもしれませんが、なぜ、全てが、今日に固まっているのか?単なる偶然か、もしくは、人為的な何か大きな力が背後で働いているのか。もし、人為的な力が働いているとしたら、ちょっと、背筋が寒くなる気がします。僕はこれら全ての出来事、事件を同じように注視していこうと思っています。
2006年1月18日(水)
会社の人格
人(自然人)はそれぞれが個々に異なった性格を有します。それは、それぞれが育った環境や習慣、その人が持つ能力など様々な要素が複雑に絡みあって、長い時間をかけて育まれるものだと思います。それを人格と呼ぶのならば、株式会社等の会社(法人)は、法律によって技術的に作られた法人格というものを有します。会社を人に見立てて、会社が会社自身として社会の中で権利義務の主体となり、円滑にそれを果たすために法技術的に作られたものです。僕は、それとは別の(法律によって擬制された法人格とは別の)、人の人格に似た法人格が会社にはあると思います。その会社が設立されてから今日に至るまでの経緯や事情等様々な要素によって形成された精神的・感情的なものです。その別の人格を全く無視して、お金を出すことにより自己の手中に収めるやり方が、昨今、巷ではよく行われています。M&A(企業合併・買収)と呼ばれるものです。極端な話、優秀な子供をお金を出すことによって、自分の養子にしてしまうようなものだと思います。養子の場合ならば、実際には養子となる者の縁組の意思が必要とされ、一方的に縁組をすることは出来ませんが、企業の場合には、お金さえ出せば、相手会社の意思は無視してなされることもあります。設立されてから長い時間をかけ、多くの努力をした結果、漸く利益を得られるようになり、やっと会社として軌道に乗ってきて、今後益々業務を拡大していこうといった矢先に、それを遠目から眺めていたお金持ちが、「君のところは利益が上っていて優秀だから、明日からは僕のものにする」と言ってくるのです。手塩になって育てた、我が子を、あとからひょっこりやってきた他人に自分の意思に反して、お金だけで奪われてしまったら、どんな気持ちになるでしょう。このような強引なやり方にはかなり抵抗を感じます。もっと、相手の会社の別の人格を尊重してもらいたいものです。ただお金儲けのためだけに何でもやってしまうという今の風潮は、何とかしたいものです。
2006年1月19日(木)
勝ち組・負け組
最近よく「勝ち組・負け組」という言葉を耳にします。テレビのニュースや新聞等のマスメディアにもしばしば登場していて、当たり前の言葉として定着しそうな勢いです。この言葉の意味するところの勝ち負けの判断は、全てお金によってです。この言葉を聞く度にいつも思うのが、なぜ、お金を持っている、あるいは持った者が勝ち組で、そうでないものが負け組なのかということです。これも、昨今の拝金主義によるところがおおいにあります。勝敗をお金だけで判断するのなら、勝ち組もいつ負け組に転じるかもしれないし、その逆も有り得ます。もっと別の次元で勝敗を語りたいものです。