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第壱章 裏切り |
| 運命の歯車が狂いだしたのはいつのころだろう。 あたしが…愛しい冬椰を裏切ってしまったのは……。 でも、あんなことをされれば、誰だって嫌になる。そう。二人で大喧嘩をしたのは愛の結晶である子供達がそれぞれの対屋で寝静まった水無月の雨が降り盛る夜だった。母屋でもあり、あたしと冬椰の愛の巣である寝殿で……。 「もういやっ!!」 あたしは外が雨の中部屋で叫んだ。一方冬椰は押し黙っている。 冬椰はこの度内大臣に昇進したが、あたしはちっとも嬉しくなかった。冬椰は昇進するたびにあたしにこう強要してきたのである。俺の子供を産めと。あたしはそれが嫌だった。あたしは冬椰が好きだから冬椰の子を産むのに、彼はあたしを道具として、そしてただ昇進の証としてあたしに子供を産ませようとしているのだ。 「どうして、昇進したから子供を作りたいって言うの?!」 「昇進したからこそ、その証を作り残しておきたいんだ」 と感情を剥き出しにして言うあたしに対して冬椰は静かに答えた。それがあたしにとって気に食わなかった。 「内大臣に昇進したことは凄いと思ってる。でもね、そんなくだらない証のためにあたしは子を産むんじゃない。 あたしはあなたの昇進の証明を残す機械じゃないのよ!!」 「……白夜。大人気ないぞ」 「大人気ないのはどっちよ!!あなたはあたしのこともう愛していないの?!」 「いや、愛しているさ。この世の果てでも君を愛しているよ」 「だったら証明のために子供を産めなんて普通言わないわよ!!」 「白夜、落ち着けよ。確かに俺は証明としておまえに子供を産んで欲しいと言ったよ。でも、これにはちゃんとした理由がある。 おまえとの繋がりが欲しいんだ。俺も大臣になってから仕事が忙しくなるだろうし……」 「だけどそんなもので納得できるわけないじゃない!! しばらく一人にさせてもらうわ!!」 あたしはそう言って呼び止める冬椰を無視して寝殿から出て行った。そして、無意識にあたしはテレポートをしていたのであった。 「…………白夜…姫……?」 テレポート先に着いたとき、目の前に屋敷の主が驚愕していた。その主こそ皇族であり、あたしと同類の能力者である式部卿宮様だった。あたしは宮様を見た瞬間、緊張の糸が切れたかのように一気に涙が出てきてしまった。 「………みや……宮様ぁ〜……」 「おいで。そんなところで立っていても仕方がないだろう。君が泣いている理由は分かるからこっちにおいで」 あたしは優しく言う宮様にすぐさま傍により、彼の胸元で更に声を張り上げて泣いた。そんなあたしに宮様は大きな手で泣きじゃくるあたしを優しく包み込んでくれた。そして、泣くあたしの髪を優しく撫でて言った。 「右大臣も酷な人だね。愛しているとはいえ、こんなに君を辛い思いをさせるなんて……。落ち着くまでしばらくここにいればいい。そして答えを見つけなさい」 「……宮様。……ありがとうございます……」 「さあ。もう夜も遅い。文使いを遣わせて連絡させとくから私の部屋でおやすみ」 宮様はそう言うと、あたしを抱き上げて自分の寝所に連れて行った。そして上の着ている着物を脱がせてあたしをその上に乗せ、寝るように催促した。あたしはだいぶ落ち着いてきて宮様の言うとおりに畳の上に横になった。 「……ごめんなさい。あたしのせいでご迷惑をかけてしまって………」 「いいよ。もう慣れてしまったから気にしないで」 宮様はそう言うと、あたしの横で横になった。そして、あたしを宥めるようにあたしを自分の元に引き寄せ、あたしを撫でた。 ………宮様って冬椰と違って優しい方だな。まるで昔の冬椰を見ているようだ。 今の冬椰はもう昔の冬椰じゃない。宮様があたしが好きだった昔の冬椰に面影が似ているわ。 あたしはそう思いつつ、眠りの世界に誘った。 次の日の朝、宮様がうちに送った文使いと一緒にうちに仕えている女房の一人がやってきた。 「奥方様。殿のご伝言により、お迎えにあがりました」 そう言う女房にあたしはさらりと言った。 「帰りなさい。帰って殿にしばらくの間屋敷には帰りませんと伝えなさい」 「そんな……」 「……姫」 「早く。そう伝えに帰りなさい!!」 「は…はいっ!!」 そう言うと、迎えにきた女房は慌てて退出していった。 「宮様、お言葉に甘えてしばらくここに置かせてください。しばらくあの屋敷に帰りたくないのです」 「いいよ。だけど郷に入りては郷に従え。この屋敷にいるからには私のことは『殿』と呼んでもらうよ。そして君は仮だけど、私の妻になる。いいね」 「はい」 あたしは迷わず返事をした。そしてあたしは宮様のことを冬椰を呼ぶときと同じように宮様を殿と呼ぶようになった。 それから次の日になっても冬椰からの使者は絶えずにやってきた。あたしはそれらを追っ払い、宮様と蜜月に花を咲かせていた。 「……白夜」 と夜になり、宮様がいつもに増してあたしに甘えるような声で言った。そしてあたしの髪を撫でながら言ったのである。 「君と契りを結びたい。あなたは私の行為を許してくれるだろうか?」 「ええ。いいわ。仮とはいえ、あたし達は夫婦ですもの」 とあたしはあっさり承諾したのである。このときあたしはわがままな旦那ではなく、旦那の昔の面影を持つ、他の男に抱かれてみたいと思ったのだ。ただ契りを結ぶだけだ。別に問題じゃないとそのとき思った。しかし、その安易な思いがこれからの運命の輪を狂わせる原因となったのだ。 あたしは宮様に裸体を曝すことを許すと、宮様はすかさずあたしの着ている服を引き剥がし、契りを結んだ。この夜の一回だけならまだなんとかなった。しかし、あたし達の罪なる行動は毎夜続いたのである。あたしは冬椰に少しだけ罪悪感を抱きつつも、この行為をやめられなかった。このときあたしは冬椰ではなく、目の前であたしを抱く宮様に心を奪われ、子供達のことも忘れ、宮様の女と化していた。その行為は約二ヶ月近く続けられた。 宮様の屋敷で暮らし始め、あたしの心は完全に宮様の物になっていた。宮様が宮中に参内するときも宮様の身を案じつつ、彼の唇に接吻をした。もうこれであたし達が夫婦だと言ってもおかしくない。 そんなある日、あたしはひどい吐き気に襲われた。吐き気だけならまだいい。同時に頭痛にも襲われたのである。それを見て、心配した宮様は薬師を呼んで診察させた。そしてその結果があたしと宮様の前で伝えられた。 「おめでとうございます。ご懐妊でございます」 懐妊?!あたしのお腹の中に赤ちゃんが?! 「今どれくらいなの?」 あたしは不安を隠せず、薬師に尋ねると、薬師は嬉しそうに答えた。 「はい。只今妊娠二ヶ月でございます。今の時期は母体が不安定ですからお気をつけて」 薬師はそう言うと、一礼をして退出していった。そしてその場にはあたしと宮様だけが残された。宮様は大層嬉しそうだが、あたしはショックだった。 あたしのお腹の中には宮様の子が宿っている。これは冬椰を完全に裏切ったことに値するわ。まさかこんなことになるなんて……。 そう思っていると、宮様がそっとあたしに近づき、あたしを優しく抱きしめた。 「懐妊おめでとう」 「……この子はきっと殿の御子です。時期的にもぴったり合いますもの」 「そうか。でも、こうなってはどうする?仮にもあなたは大納言(冬椰のこと)の正妻だ」 「このことを本人に言います。そして別れるつもりです」 と意を決したようにあたしが言うと、宮様は優しく言った。 「もし分かれてしまったら、今度は私の正妻になってくれ。あなたほどいい人はいない」 「ええ。できればあたしも殿の正妻になりたいです」 そして次の日あたしは宮様にお願いして牛車を用意してもらい、大納言邸に帰った。帰ると、子供たちが嬉しそうに出迎えた。そして後から旦那である冬椰が来ると、家族揃って寝殿に移った。 「母様、母様!!見て見て!!」 とあたしのまわりではしゃぐ子供たち。そんな子供達にあたしは申し訳なさそうに言った。 「冬輝、薫、千景、樹璃。ごめんね。今はお父さんとお話がしたいの。あとでゆっくりお話を聞くから向こうの対屋にいっててくれる?」 『はぁいっ!!』 と純粋な子供達は元気よく返事をして出て行った。そしてその場には微妙な空気が流れた。 「……やっと戻ってきてくれたんだな。嬉しいよ」 「…あたし冬椰にお願いがあって帰ってきたの」 「どんな願い事だ?俺ができる範囲で叶えてやるよ」 と心底嬉しそうに身を乗り出して尋ねる冬椰にあたしは申し訳なさそうに言った。 「あたしと……別れてほしいの」 「え?!」 と意外な言葉に冬椰はしばし固まった。そして我に返ると、あたしの肩を掴み、迫った。 「どうしてだよ?!俺がおまえに子供を産めと強要したから愛想を尽かしたとか?!」 「違うわ」 「じゃあ、何故?!」 「……あたしのお腹の中にね、宮様の子が宿っているの」 「嘘……だろ?」 と現実を受け入れない冬椰にあたしは首を横に振った。 「本当なの。薬師が妊娠二ヶ月だって言っているんだもの。あたしはあなたを裏切ってしまった。だから別れてほしいの」 「別れてどうするつもりだ?まさか式部卿宮のところに嫁ぐとか言わないよな?」 「宮様が別れたら自分の正妻になってほしいって」 「白夜。俺、離婚するつもりはないよ。たとえおまえが俺以外の子を身篭ろうとも」 冬椰はそう言うと、あたしを優しく抱きしめた。その瞬間あたしは涙を流した。 「俺は君を愛してる。それに君が本当に裏切ったとは思えない。本当に裏切っているのならもうここには戻ってこないはずだ。 俺はおまえの腹に他の男の子が宿っていても許せる。だから俺の元から離れないでくれ」 あたしの中に冬椰の思いが流れてくる。冬椰が言っていることは本気だ。その思いにあたしの心は罪悪感でいっぱいだった。 「……ごめん。ごめんね冬椰。言葉で何万回も言っても謝り切れない。本当にごめんね」 「いいよ」 それでもあたしは今まで自分のしてきたことを後悔し、責めた。そして出家をしようと思ったが、冬椰は出家させることを許さなかった。なんて心の広い男だろう。あたしはこの人の妻になってよかった。宮様にもこのことを伝え、宮様の正妻を断ったのである。宮様も残念そうだったが、理解してくれた。だけど、二つ約束してほしいことがあると言った。一つは生まれてきた子供の名前を一緒に考え、冬椰の子供と一緒に育てていってほしいということ。二つ目は今までどおりの付き合いをしてほしいということだった。冬椰にそのことを話すと、冬椰もあっさり承諾した。 それから月日が経ち、子を宿している間、宮様の屋敷でお世話になりつつ、宮様と蜜月に花を咲かせてしまった。そしてあたしは臨月を迎え、女の子を出産した。その子を抱いたとき、改めてこの子が宮様の子だとわかった。目元とか表情がどことなく宮様にそっくりなのだ。そして生後一週間が経ち、その子は宮様と考えに考えた末、あたしの名前を一字取り「朔夜」と名づけられ、それと同時に宮様と冬椰の計らいで生み親を死亡とさせた。そしてあたしを育ての親としてでっちあげたのである。それを聞いたとき、あたしは感心のあまり声が出なかった。 それからあたしは宮様と自分の子である朔夜を育てるために宮様の屋敷を訪れながら、せめての罪滅ぼしに冬椰の子供も産んでいったのであった。 |