第弐章 娘の入内

 

 朔夜をこの世に産み落としてから幾年が経った。冬椰は仕事熱心が評価され、一気に左大臣に昇進した。それと同時に罪なる行動したあの日以前と同じ生活に戻った。あれから冬椰はあたしのことを今まで以上に大切にしてくれた。それが式部卿宮様から思いを断ち切ることができた要素となった。思いを断ち切りつつもあたしは式部卿宮様と以前と変わりない付き合いをしている。
 そんなある日だった。冬椰が疲れた顔で帰ってきたのである。
「お帰りなさい。今日はいつになくお疲れのようね」
「ああ。疲れたよ。東宮がとんでもないことを強請ってきたんだ」
 と疲れの顔を見せながら、あたしに接吻をし、体に甘える冬椰。
「とんでもないこと?」
 あたしは小首を傾げて尋ねると、冬椰は更に溜め息をついた。
「社会勉強にと宮中に千景を出仕させただろ。そしたらたまたま内裏に参内していた東宮のお目に入ってしまい、あろうことか一目惚れしてしまったらしくてさ、妻にくれって言い出したんだよ」
「げっ!!」
 と冬椰の話を聞いてあたしは引いた。
 千景はあたしと冬椰の三番目の子供で、偶然にもあたしと似た容姿を持ち、能力まで受け継いでしまった子である。そして冬椰にとっても可愛い娘である。その下にも女の子はいる。樹璃という名の子供だ。しかし、樹璃は人見知りが激しく、逆に千景はとても社交的で面倒見がよく、冬椰にとってお気に入りのこであるのだ。
 その千景の行動が東宮のお目に入ってしまうなんて…。
「確か東宮って御年11歳になられるのよね?」
「ああ。もうすぐ元服を迎えられる。その東宮がよりにもよって千景を選ぶなんて……」
「あら、いいじゃないの。自分の娘を帝や東宮の元に入内させたいと思うのはどこの家も一緒でしょ。それに東宮が一目惚れしたということは浅葱のようにはならない可能性もあるってことじゃないの。
 そりゃ、宮中はあの子にとって嫌いな環境よ。嫉妬や憎しみが渦巻く世界ですもの。でも、あの子の性格だったらうまくいけるはずよ」
「確かにあの子の性格ならなんとかやっていけるさ。でもそれだけ繊細な面ももっているんだ。もし、その繊細な面が攻撃されたらどうする。あの子はたちまち脆くなるぞ。
 それに今の性格じゃ宮中にいつあの子の能力がばれてもおかしくないんだ」
「おかしくないって、もしかしてあの子、今日も能力使ったの?!」
「ああ。東宮のお目に入ったときも使ったみたいだよ。東宮ご本人が『どこからともなく現れた』って言っていたんだから」
「あちゃ〜」
 あたしは冬椰の話を聞いて頭を抑えた。
 あの子ったらホントあたしに似て能力使いまくるんだから。まるで昔の自分を見ているようだわ。その部分が噂人の公達に見つからなければいいのだけれど…。

「母様」
 と月日が経ったある日の朝、冬椰との最初の子である長男・冬輝と、二番目の次男・薫がひょこんっとあたしの部屋に顔を出したのである。二人とも成人の証である元服を終え、千景も裳着を済ませている。あたしは冬椰との新たに宿った子供をさすりながら二人に言った。
「まあ。二人ともどうしたの?こんな朝から二人揃ってくるなんて珍しいわね」
「実はね、母上にお願いがあってきたんです」
「お願い?」
 と薫の言葉にあたしはオウム返しで尋ねると、二人は顔を見合わせ、思い切って言った。
「あの…東宮に千景の顔を見せてあげて欲しいんです」
「東宮に?もう諦めたんじゃなかったの?」
「ううん。諦めるどころか更に千景命に燃えちゃって…。毎日のように千景の様子を僕達に訊いてくるの」
「ええ?!」
 と冬輝の言葉にあたしは驚いた。
 東宮が千景に恋をし、冬輝たちにあれこれ聞いてくるぅ?!ひぇ〜っ。やたら熱心な方だこと。
 う〜んっ。これは愛の手引きをしてあげるべきなのかしら?でも、ここで断ったら東宮が何をしでかすか分からないし。冬輝たちもほとほと困っている様子だし…。まあ部屋の隙間から覗いてもらうっていう形なら双方に害はないようだからしてあげるか。
 あたしはそう納得し、冬輝たちに言った。
「分かったわ。直接会わせるわけにはいかないけど、垣間見なら許してあげる。ただし、父様にはこのことを内緒にしておくからそのつもりでね。四日後にこちらが用意した牛車を御所へ連れて行くようにするから、東宮にもそう伝えておいてちょうだい」
『ありがとう!!』
 とあたしの言葉にやたら喜ぶ二人。その二人を見て、なんだかあたしまで嬉しくなった。
「千景には四日後釣殿で遊ぶように言っておくわ。そしたら東宮もあのこの姿を見ることができるでしょ」
『はいっ!!』
 二人は元気よく返事をすると、あたしの部屋から出て行った。
 やれやれ。あたしったら子供には甘いんだから……。
 
 それから四日後。あたしは従者に命じて冬輝と薫を付き添いに大納言クラスの牛車を東宮御所へ送った。そして裳着を終えた千景には理由を言わずに釣殿で遊ぶように言った。千景は最初疑問だらけで納得がいかなかったが、しぶしぶあたしの言葉に従い、釣殿で遊ぶことになった。それと同時に屋敷に東宮が着いた知らせが来たのである。あたしはそれを待っていた。そして、千景を連れて釣殿へ行き、自慢の娘を東宮に見せたのである。千景は女房と一緒に遊ぶことに熱中していて、わざとらしく造った茂みには眼中になかったが、あの子は何を思ったのかすぐに部屋の中へ引っ込んでしまったのである。
 あたしは少々残念に思いつつも、主人の代わりに東宮へ挨拶しに冬輝の部屋へ向かった。部屋に着くと、冬輝と東宮が話に花を咲かせていた。
「あ、母様」
 とあたしが来たことに気づいた冬輝。それを聞いて東宮はじっと真剣な瞳であたしを迎え入れたのである。
「お初にお目にかかります。私は左大臣の妻の白夜と申します。
 本日は我が娘を見るためにはるばるようこそおいでになりました」
 あたしはお辞儀をしながら東宮の瞳を見て直感した。
 なんて凛とした瞳だろう。この子は本気で千景に恋している。それも他の人とは比べられないほど熱く、切ない気持ちだ。この子なら……この子なら千景を幸せにしてくれるかもしれない。この子なら千景の不幸の足枷を外してくれるかもしれない。
 そう思っていると、東宮が口を開いたのである。
「こちらこそ。俺のわがままを受け入れてくださって感謝しています」
「いえ。お気になさらずに。
 息子の話だと、東宮は娘に恋したとか……」
「……はい。あの日、彼女の正義感と爽やかさに心惹かれ、眠れないほどになってしまった」
「そこまであの娘に恋したのですか?」
「そうです。俺はもう千景の君を忘れることができない。彼女ナシにどう生きろというのですか。俺はどうしても自分の傍にいて欲しいんです。
 奥方。お願いです。千景の君を俺の妻としてください」
 とあたしに熱く語るのである。それを聞いてあたしは再びこの子が千景の相手に相応しいと思ったのだ。そして、自分の勝手な判断で言ったのである。
「分かりました。まだ不束な者ですが、千景をあなたに差し上げましょう。今までもお妃教育を手解きしてきましたが、今日から更に力を入れてあなたに似合う女性に育てましょう」
「本当ですか?!感謝します!!」
 と東宮は心底嬉しそうに言ったのである。
 それから東宮が帰り、まるで入れ替わるかのように冬椰が帰ってきたのである。
「どうした?誰か来ていたのか?」
「ええ。冬輝のお友達がね、来てたのよ」
「そうか」
 と冬椰はあたしの言葉に何も疑わずに納得した。その冬椰にあたしはこう話を切り出した。
「ねえ、冬椰。千景を……東宮妃にしようと思うの」
「何だって?!」
 と当然の如く驚く冬椰。
「どうしてそんなことを……?」
「うん。冬輝たちの話を聞いてて東宮は本気で千景のことを恋しているみたいだし、きっと彼なら千景の全てを受け入れて幸せにしてくれると思うの」
「…………不幸になるかもしれない環境なのに?」
「きっと大丈夫よ。東宮ならどんな状況でも千景を守ってくれるわ。それにあたし達も信じてあげましょうよ。二人の未来に……」
「俺はあの子に不幸な目に遭って欲しくない」
「あたしも同じよ。でも、東宮妃なら多少苦労があるかもしれないけど貴族の中では一番の幸せよ」
「だが、廃れればただのお払い箱だ。それだったら右大臣や内大臣の子息の妻となった方がどれだけ楽か…」
「冬椰。貴族だって色々あるでしょう。その子息がよくない人だったらどうするの。例えば、内大臣の息子は凄く女たらしだと言うじゃない。それこそ千景が可哀想だわ

「………分かった。しばらく物忌みで参内できないが、参内出来次第東宮に千景の入内を承諾したことを伝えよう」
 と冬椰もついに折れたのである。

 それから二年ほど月日が経ち、入内まであと一年を切ったところであたしは千景に東宮と結婚しろと言った。もちろん、彼女は大いに反対したことは言うまでもなかろう。言葉で反対するだけならまだいい。あの子は結婚するのがイヤで、ついには自分の手首を切って自殺しようとしたのである。思いがけない行動にあたしはこの身が引き裂かれそうな思いになった。ただ幸いなことに千景の傷は浅く、ただ昏睡状態に陥っているだけだそうだ。あたしは昏睡状態である千景が無事帰ってくるように無我夢中で仏に祈りまくった。そして願いが通じてか、千景は目覚め、あたし達の元へ帰ってきたのである。そして、とある話を聞いて気づいた。あの子は霊体験を機に変わったのである。今まで恋をしない普通の少女だったのに、帰ってきたら一人の恋する女になっていたのだ。そして変えた人物こそ、先に千景に恋した東宮だった。東宮もまた賊に切られ、昏睡状態だった。そんな二人が三途の川で出会い恋をしたのである。
 千景は日を増すごとに変わっていった。東宮に恋をし、東宮が送ってくる文を一つ一つ大切に保管したのである。
「……母様。あたし…心の病にかかったかもしれない。東宮のこと考えると胸が締め付けられるように痛いの」
 と千景はあたしの傍に来て今にも泣きそうな表情で言ったのである。これでもう分かっただろう。千景は気づいていないだけで、本気で東宮を愛するようになったのだ。
 結局、千景はあたしの思惑通りに東宮に恋していたことを自覚し、入内まであと20日というところで自ら進んで入内に承諾したのである。それからというもの、千景は東宮のためにあれこれあたしに相談しに来たのである。
「ねえ、母様。東宮はどんなことが好きなのかしら?結婚したら色んなことしてあげたいの」
「千景。そう慌てないの。あなたはあなたらしくして東宮を安心させてあげなさい」
「でも……」
「東宮はあなたがいるだけで幸せなのよ。あなたは自分がいることで彼が幸せにできると思いなさい」
「でもでも……。あたし…傍にいるだけじゃなくて違うことで喜ばせたいの」
「まあ……」
 とあたしは思わぬ千景の成長ぶりに感嘆の声をあげてしまった。
 そして千景はあたし達がいる屋敷から離れ、ついに東宮妃として入内したのである。あたしは千景が去ったことで自分の中で何かがぽっかりなくなってしまったような気がした。
 千景が入内してからすぐに千景は怨霊に呪詛され、またもや昏睡状態になってしまったという。それを冬椰の口から聞かされてあたしはショックのあまり倒れそうになった。
 呪詛される前日にあたしは不可解な声を耳にした。それが不安でたまらなかった分、その声の主が怨霊だとすぐに分かった。
 千景が呪詛され一週間がっ経った日の夜だった。あたしはいつもと変わらず眠っていると、耳元で千景の声が聞こえてきた。その声は普通の声ではない。男と女が交わるときに出たりする喘ぎ声だった。あたしはその声で目を覚ましたが、その声は止むことはなかった。そればかりか一向に激しくなるばかりだった。
『ん……あ……常葉ぁ……』
 と聞こえてくるのである。常葉と言うのは恐らく東宮のことだろう。千景もそう言っていたし……。
 あたしはその声を聞いて千景が目覚め、東宮に召されたことが分かった。何もかも受け入れ、受け入られ真の夫婦となったのだ。
 次の日の朝、冬椰にそのことを話すと、冬椰は大いに喜んだ。そして、すぐさま東宮御所へ参内してみたら、やはりあたしが考えていたとおり、千景は東宮に召されていたのだ。

 それから日が経ち、千景は東宮の子供を宿したが、あろうことか一週間で流産してしまった。原因は他でもない。怨霊である。きっとどこぞの貴族が千景に東宮の子を産んで欲しくないとそこらへんにいる陰陽師に頼み込んで怨霊を送り込んだに違いない。千景はしばらく泣き崩れていたそうだが、東宮の広い心に救われ、再び新しい命を宿したのである。そして、臨月が近づき、千景は我が家に里帰りしてきたのである。
 あたしは帰ってきた我が子を見て少々驚いた。入内する前はあんなにあどけなく、子供っぽかった千景が一人の女として、妻として、母としての表情になっていたのである。
「おかえりなさい」
 とあたしは動揺を必死に隠して言うと、千景はふっくらと膨らんだお腹を気にしながらあたしの前に座った。千景はもう貴族ではない。ほぼ皇族に等しい。なので、畳も繧繝縁の畳になった。
「どう?里に帰ってきた気分は」
「懐かしいけど、東宮の傍にいたかったな。でも、習慣だからしょうがないよね」
 と少々物寂しそうに言う千景。しかしすぐにぱっと明るくなった。
「でもさ、里に帰ってくるって事はあたしがお腹の中にいるこの『お母さん』に近づいていることだから嬉しいの」
「そう。初めてのお産だからあたしは不安かと思ったわ」
「不安は少しあるよ。でも、好きな人の子供が自分のお腹から出てくるのよ。それを考えると不安なんて消し飛んじゃうわ」
「あらあら。結婚する前はあんなに東宮のことが嫌いだって言ったくせに、今では本当に好きなのね」
 とあたしはからかい混じりで言うと、昔なら頬を膨らませて怒るのに、今回は怒らず堂々と言い返したのである。
「……うん。好き。大好きなの。東宮はあたしに知らないことをたくさん教えてくれた。人を愛することとかね。
 あたしはそれを知ってから結婚前以上に東宮のことが好きになれたの。母様が結婚する前に言ってくれた言葉の意味が今だったら分かるような気がするわ。
 あたしは東宮のことが好きだから東宮の子を産むの。決して父様が外祖父として権力を握らせるために産むんじゃないから父様にもそのつもりでって言っておいてね」
「わかったわ。あなたは知らないうちにすっかり大人の仲間入りをしてたのね。母様、少し淋しいわ」
 と扇を開きながら言うと、千景は苦笑しながら答えた。
「実はあたしもこんなに変わったことに驚いているの。愛の力って不思議。今までの態度は何だったんだろうって思わせちゃうんだもん」
「そうさせたのは東宮のよい人柄かしら?」
「うん。彼はとてもいい人よ。ちょっと自分勝手なところもあるけど、あたしのこといつも心配してくれるの」
 と千景は嬉しそうに言うのである。あたしはそれを見て、本当にこの子は東宮と結婚させてよかったと心底思った。東宮のおかげで千景は成長の殻を一皮剥けたのである。
 それからあたしと千景は千景の結婚生活について話の花を咲かせた。彼女の話だと、人目をはばからず東宮と蜜月を過ごしているという。それを聞いたとき、目が点になったが、それはそれでよかった。ただの形だけの夫婦にならずに済んだのであるから。