第参章 夫婦

 

 それから一週間か二週間が経ち、千景はついに産気づいた。出産のために特別に用意させた部屋の周りには鳴弓を配置し、祈祷僧も常識の倍を使って祈祷させた。そして白に統一された部屋にはあたしとあたしに仕える古参の女房三人、女童二人、千景付きの女房五人で千景に付き添っていた。他にも助産婦を二人つけた。千景は陣痛が酷く、苦しむばかりだった。あたしはそんな千景の手を取り、必死に励ました。
「千景、頑張りなさい。あと少しであなたが待ちに待った東宮の御子が生まれるのよ」
「女御様しっかり!!」
 と女房達も千景を励ます。そんなとき、一人の女童が暴れだした。そして、ねばりっけのある男の声で言ったのである。どうやら女童には怨霊が憑いたようだ。
「産ませぬ……。憎き惟守の子を産ませてはならぬ……」
 憎き惟守?この怨霊は千景ではなく、東宮を恨む霊なの?それに皐宮って確か浅葱の異母弟だったはず。それが何故?そういえば、浅葱が帝の位についた際に皐宮を退け、今の東宮を東宮にしたって冬椰が言っていたような…。確か皐宮と浅葱はとても仲が悪かった。だから東宮の位に就かさなかったって。
「憎い……。憎いぞ。我が皐宮を闇に蹴落とし、自分がぬくぬくと光の東宮の座に就くとは……。腹が違うだけでこのような処遇を受けることは真に憎いことじゃ!!」
「自分の怨み言でこの子を苦しめないでちょうだい!!皐宮とか言ったわね。そんな性格だから東宮になれなかったのよ!!」
「うるさい!!貴様に何が分かる?!身分の低い母から生まれ、帝になった兄には貶される気持ちが!!
 だから怨霊となり、東宮の大事な物を一つずつ奪ってやるのじゃ!!まず手始めにそこにいる東宮の子を産もうとする女を始末してやるわ。その腹にいる子は男皇子。なんとしでても殺してやる!!」
 と皐宮の怨霊はそう叫び、千景に襲いかかろうとするが、タイミングよく冬輝が部屋に入ってきて、怨霊が乗り移っている女童を押さえつけてたのだ。
「母様!!俺が抑えているうちに早く!!」
 あの…そんなこと言われても無理だから……。
 そう思いつつ、あたしは千景を励ました。その声が耳に届いたのか、千景は必死に力み、子を産む落とした。そして部屋中にその産声が響き渡ったのだが、その子はどこから見ても女の子だった。
 もしかして千景が産み落とそうとする子は双子?!
 あたしはそう思い、あたしの出産にも助産婦として参加した由梨女に向かって叫んだ。
「由梨女!!もしかして双子?!」
「はい……。もう頭はお見えになっています。あともう一息すればお生まれになるはずです」
「千景。聞いた?!あともう一分張り頑張れば待望の我が子に対面ができるわよ!!」
 とあたしは半分嬉しそうに言うと、女童は焦った色を見せ、冬輝を必死に振り払おうとするが、それはそれ。子供と大人の力の差で振り払うことが出来ない。その間にも千景は必死に力んで第二子を出産したのである。それと同時に暴れていた女童も静まり返った。
 消えた?いや逃げたのかしら。もしかしてあの怨霊は再びこの子を襲うつもりなの?
「はぁ……はぁ……。母様……。あたしの赤ちゃんは……?」
 と荒い息であたしを呼ぶ我が子の声にあたしは我に返った。そして優しく手を取り、言った。
「大丈夫よ。元気な女の子と男の子が産まれたわ」
「ホント……?星占いの通りに……なっちゃった……。
 でも……嬉しい……。赤ちゃんが無事に生まれて……」
 と初産だというのに千景は嬉しそうに言うのである。そしてへその緒が切られ、産湯に入れられ綺麗になった赤ん坊が由梨女と楓に抱かれ、あたし達のところにきたのである。
「女御様。待望の皇子様たちですよ」
「早くお抱きになってください」
 と二人は産声をあげる二人の赤ん坊を千景の胸に置くと、千景は涙ぐみながら二人の赤ん坊を抱きしめた。
「……よかった。無事に生まれて………。あたしと常葉の愛の結晶だわ。
 初めまして。あたしの赤ちゃん。あたしがあなた達のお母さんよ」
 と千景は二人を見ながら言い、赤ん坊二人は不思議なことにぴたっと泣きやみ、母である千景をつぶらな瞳でじっと見ていたのである。あたしはそれを見て心が和んだ。そのとき、楓があたしの傍に近づき言った。
「東宮様にはいかがお伝えいたしましょう?」
「怨霊が出たことは伏せておきなさい。ただ怨霊も出ずに無事健やかな皇子がお二人お生まれになりましたとでも言っておきなさい」
「かしこまりました。ではそのように東宮にお伝えしに参ります」
 と楓は一礼をして部屋から出て行った。
 そう。怨霊のことは伏せておかなければならない。それがたとえ自分の子であっても。怨霊という言葉を口走れば確実に二人は気分が沈むはずだから…。
 そう思ったそのとき、外で安産を祈願していた冬椰が部屋の中へ入ってきた。そして、あたしの隣りに座って尋ねた。
「どうだった?」
「女の子と男の子の双子よ」
「双子…か。一度に二人の子供が授かるとはなぁ。これで俺とおまえは祖父母になったんだな」
「おじいちゃんになったご感想はどう?」
 と綻ぶ冬椰を見ながらあたしが尋ねると、冬椰はもじもじしながら答えた。
「う〜ん。なんて言うか、嬉しいの一言かな。しかも宝のように育てた子が産んだ子だからなぁ。男皇子も生まれて廃れる心配もなくなったし…。我が家は安泰になるよ。
 でも、一番喜んでいるのは父君であらせられる東宮だろうな。幸いなことに東宮は千景のことをとても気に入っているらしく大事にしているし、なにより俺たちがいようが千景を手放さないっていうのが凄いな。
 きっと、50日が経たない間に来たいと申されるはずだぞ」
「まあ……」
 と冬椰は言うのだが、あたしはそこまでしないだろうと思ったら、三日もしないうちに東宮から直々に赤ん坊を50日になる前に見たいと言ってきたのである。それにあたしは驚いた。冬椰の言った通りになったのである。
 そして今日は生まれてきた子の名を何にしようかと、思っていたらまだお産で体が大丈夫でない千景が男の赤ん坊に母乳をあげながらこう言ったのである。
「吉良、美味しいねぇ」
 吉良?まだあの子達には名前をつけていないというのに、あの子は自分でつけてしまったというの?
 そもそも今回の子育ては千景自身から自分の手で育てると言い出した。あたしは少々困惑したが、千景はガンとして一歩も譲らなかったのである。そしてとりあえず形だけということで乳母をつけたが、殆ど乳母には頼っていないらしい。
「千景」
「あ、母様」
 と赤ん坊を抱きながら千景は笑顔であたしを迎え入れた。それに対してあたしは呆れ返りながら言った。
「勝手に名前をつけちゃだめじゃない。
 赤ん坊達の名前は父様が決めるのよ」
「あら、この子は吉良よ。そして女の赤ちゃんの方は愛子よ。吉良と愛子以外の名前なんて似合わないし、イヤよ」
 と千景は人の言うことに耳を傾けるつもりなどなかった。父親である冬椰に相談せずに子供達の名前を勝手に決めてしまったのである。このままだと何言っても無駄ね。
「ねえ、その名前はあなたがつけたのかしら?」
「ううん。東宮よ。東宮がね、あたしが里帰りするときに言ったのよ。『男の子だったら吉良、女の子だったら愛子という名前がいい』って。
 あたしも彼の言葉を聞いて、これしかないって思ったの。それ以外の名前なんて絶対イヤ。この子達はあたし達の子よ。親なんだから子の名前を決める権利だってあるはずよ」
 と邪魔立ては許さないと言わんばかりに千景は言ったのである。
 結局冬椰も千景の推しに負け、二人の子は吉良と愛子に決まったのであった。
 それからしばらくして東宮があたし達がいる左大臣邸にやってきた。そしてあたしが案内する中、東宮を千景と赤ん坊がいる部屋に案内した。東宮は興奮しているのかあたしにひっきりなしにあれこれ聞いてきた。
「奥方殿。女御はどうですか?」
「母子ともに健やかにお過ごしですよ」
「そうですか。ああ。早く会いたい」
「そう焦りなさりますな。女御達は逃げも隠れもいたしませぬ。ただあなた様を首を長くしてお待ちですよ」
 あたしは東宮の興奮を抑えながら千景の案内すると、東宮は我先にと千景がいる場所へ駆け込んだ。そして、女房達に早く御簾を上げるように命じ、千景と対面すると、東宮は喜んだ。千景もまた嬉しそうに東宮を見つめた。
 そして東宮は自分の子を抱くと感激の声をあげた。吉良や愛子を抱きながら千景にも接吻する。
 東宮は本人の希望により、一週間ほどここに在住することになった。夫婦水入らずの生活をしたいそうだ。
 あたしと古参の女房の楓は娘夫婦の様子を一望できる部屋から覗き見していた。
 東宮は千景にべっとりくっついていて離そうとはしない様子だった。そして、髪を愛撫し、千景を優しく見つめているだけだった。千景もまた東宮にまるで子猫が甘えるようにうんと甘えていた。そして、あたし達がいるにも関わらず熱い接吻をしたのであった。
 あらあら。初めの頃とはうって変わってラブラブだわ。人目を気にせず真っ昼間からあんな大胆なことをするなんて……。こっちが恥ずかしいわ。

 それから一週間があっという間に過ぎていき、東宮は御所へと戻っていった。それと同時に千景は物凄い吐き気と頭痛に襲われた。それだけならまだいい。同時に食欲も失せていってしまったのだ。
 あたしはそれを千景の女房から報告され、女の勘でまさかと思い、薬師を呼び、診察させた。そして、冬椰と別室にて薬師に報告させた。
「おめでとうございます。第三子目をご懐妊致しました」
 と薬師は嬉しそうに言った。それを聞いて冬椰は顔の表情が綻んだ。それは薬師が下がった後も緩みっぱなしだった。
「そうか〜。第三子ができたのか!!千景のなかなかやるな!!」
「それだけ東宮の寵愛を一身に浴びているってことよ。よかったじゃない。これで我が家も安泰って言いたいんでしょ?」
「それは三人目が男だったらの話だ。女だったら話は別だよ」
「んも〜っ。千景が東宮の御子を妊娠したのよ!!そう易々とぽんぽんっとできるんじゃないのよ。素直に孫ができたことを喜びなさいよ」
「……そうだな。孫がまた増えるんだな。千景には感謝しなくては可哀想だな」
「そうね。千景にはあたしから言っておくわ。あなたはそろそろ内裏に参内する時間じゃないの」
「あ…そっか。時間か。じゃあそっちの方は頼んだよ」
 と冬椰はそう言いながら足取り軽く内裏に参内しに行った。
 そしてあたしは千景の部屋に向かい、千景に妊娠したことを話したら、千景はきょとんっとなった。そしてぽそっと一言。
「……ウソ」
「女御様、嘘じゃないですよ。女御様の御腹には東宮様との間にできた新しい命が宿っておられるのですよ」
 と千景の女房が言うと、千景はまだ疑いつつも自分のお腹に手を置いた。
「……あたしのお腹に赤ちゃんが?まさか…」
「まさかってどうしたの?」
「初日に会ったときに契ったのが、そのまま妊娠に繋がっちゃってことよ」
 がくっ
 千景の言葉にあたしはその場で脱力した。
「何言っているの。あなた達ここ一週間べったりで契ってたんじゃないの?」
「そりゃ…そうだけど……」
「だったら初日にできたなんてアホらしいこと言わないの。いいわね」
「……はい」
 と千景は納得がいかないような返事するが、内心はとても喜んでいたのだった。それから三日も経たないうちに今度は長男の冬輝の嫁である皇族出身で、先帝の娘である蛍宮が懐妊したと報告されたのであった。