第一章 三途の川

 

 あたしの家にはたくさん兄弟がいるのに、生きているときはいつも貧乏くじを引いていたわ。
 なんでいつもあたしが不幸な目に遭わなきゃいけないの?
 こんな生活なんてもういや!!死んで浄土へ行った方がどんなにいいか!!
 あたしはこの思いを胸に、桜の花が咲き乱れたあの日、あたしは桜の木の下で手首を切って自殺した。
 死んで次に目を覚ましたときは見知らぬ場所だった。色々な草花が咲いた花畑の上にあたしは死んだときの格好のまま寝転がっていた。
 とてもキレイな花畑に対し、空は太陽が隠されてしまったように星一つない真っ暗な空がどこまでも広がっていた。
 もしかしてここが三途の川の入口?!ここから向こうに行けばあたしは浄土に行くことができるのね!!もう現世になんか未練なんか無い!!さっさと浄土へ行くぞ!!
 あたしは死んだことを後悔するどころか、浄土へ行けることにわくわくして足取り軽やかに三途の川へ向かった。
 しばらく歩いているが、なかなか三途の川に辿り着けない。
 な…なによ…これ……。
 だんだん歩くのが疲れてきたあたしは肩で息をして休んでいた。
 んも〜!!なんでこんなに遠いのよぉ〜!!
 あたしはじたばた暴れていると、ちょっと先に思いふけったような単(ひとえ)姿の男が立っていた。後ろ姿なのであんまりどうこう判断できないが、すらっとした程よい肉つきの体格だ。ということはだいたい10代後半か20代前半あたりの人だろう。
 あの人もあたしと同様に自殺したのかしら?でなきゃこんな所にいるわけないわよねぇ。
 でもラッキーかも。一人で行くのは淋しいものね。誰かと一緒に喋りながら行ったほうが飽きないしね。
 そう思っていると、男があたしの存在に気づいたらしく、やけに悲しそうな表情でこちらの方に振り向いた。
 でもなーんかこの人誰かに似てる。誰だっけなぁ…?
 お…思い出せない……。
「こんにちわ。あなたも死んだの?」
「え…あ、うん」
 突然さっきの淋しそうな表情が笑顔になったもんだから、一瞬どきって胸がときめいちゃったわよ。おかげで返事が貴婦人らしくない返事になってしまったわ。左大臣の娘としてはいけないことね。ってもうあたしは死んだ身だからが関係ないか。
「俺のことは常葉と呼んでくれていいよ。君の名前は?」
「あたし?あたしは千景。生きていたときには皆から千姫って呼ばれていたわ。
 あなたも三途の川へ行くんでしょ?ちょうど淋しかったのよ。一緒に行かない?」
「………いいよ」
 ちょっと思い考え、微笑みながら常葉は答え、自然に手をつないでいろいろな話をしながら三途の川へ向かった。
「どうして千景は死んだの?」
 と話し始めてからしばらくして、常葉はあたしに素朴な疑問を投げかけた。
 やっぱり。いずれこの質問が出るだろうと思ったわ。
「あたしはね、生きているとき散々嫌な思いをして、もう生きるのに嫌気がさして自殺したの」
「嫌なこと?」
「そ。こう見えてあたし超能力者なの。
 あたしの母親も超能力者で、モロ母親の血を引いちゃって知りたくないこととか、いろいろあったのよ」
「どんな能力を持ってるの?」
「あたし?テレポートとテレパシーとサイコキネシスだよ」
「うわ〜っ!!凄いじゃん!!生きているときに見せて欲しかったな」
「ざぁ〜んねんでした☆もう死んでるわよ☆」
「でもなんでそれだけで死んだの?」
「それだけならまだ許せたわよ。
 でも、よりにもよって見ず知らずの東宮と結婚する羽目になったのよ!!
 冗談じゃないわよ!!なんだって知らないヤローと結婚しなきゃいけないのよ!!」
 と生きていたときのことを話しているうちにだんだん怒ってきてはっと我に返ったときには、常葉は隣りで口を抑えて笑い泣きをしていた。
「んもぉ〜!!笑うことないじゃないの!!」
「ごめんごめん。急に熱唱しだすからおかしくって……。千景は東宮のことが嫌いなの?」
「嫌いというわけじゃないわ。あたしは見ず知らずの人とは結婚したくないだけ。あたしは母様みたく大恋愛をして結婚をしたいのよ」
「したの?」
「そうよ。それも波乱万丈な大恋愛でね。
 あたしの母親は今の帝様に見初められて、そのまますんなりOK出しちゃえば国母になれたのに、母様はそれを蹴っちゃって当時中将だったかな?父様と結婚したの。今じゃ万年新婚夫婦よ。
 そういえば常葉の位はなんなの?」
「位?ないよ」
「へ?なんで?誰しも位ってあるんじゃないの?」
「だって俺東宮本人だもん」
 は…い…?
「ええええええええええええっ!!!」
 常葉の言葉にあたしは心底驚いた。それに対して常葉はあたしの反応を笑って楽しんでいた。
「も…もしかして……惟守親王……かな……?」
「そ。君が嫌っている結婚相手でございます」
 こ…これが……これがぁ〜!!
「ってちょっと待ってよ!!なんで東宮がここにいるわけ?!」
「ん〜。ちょっと寝ようと思って部屋に戻る途中に侍みたいな奴に切りつけられて、気がついたらここにいた」
「ってことは未練たらたらあるじゃないの!!こうしてはいられないわ!!早く現世にもどりましょ!!」
「やだ」
 や…やだって……子供じゃないんだからさぁ〜…。
「俺が現世に戻っても千景は浄土へ行くんだろ?」
「そりゃそうよ。そのために死んだんだから」
 ま…まだ完全に死んだというわけじゃないけどさ…。
「だったら俺も戻らない」
「ねぇ。どうしてそんなにわがままなの?
 未練があるのに戻らないなんて変よ」
「俺の未練はね、君を俺のお嫁さんにすることができないことだもの」
「へー…あたしをお嫁さんにねぇ……は?」
 あたしは目が点になってしまった。
 い…今なんて言った?あたしをお嫁さんにする?
「なんで?あたしと会ったことなんてないじゃない」
「君はでしょ。俺も直接ではないけど君が内裏で女童として走り回っていたとき、いつも俺は部屋からこっそり見ていたんだから。
 まあ一番心を打たれたのがあの事件かな」
「あの事件?」
 あたしは常葉の言葉に眉をひそめた。
 確かにあたしは十のときまで内裏で女童として出仕してたわ。あの頃は他の人が手に負えないぐらいのおてんばだったわね。そのたびに父様にゲンコツ食らって怒られたんだよね。でも事件になるほど大暴れは記憶している中ではしたこないわよ。
「事件ってなんの?」
「ほら、宮中にも関わらず左馬頭とかが命婦に何かいちゃもんをつけたときがあっただろう。その時君は命婦を庇って大の大人に蹴り入れて、叱りつけたじゃないか」
 げげげっ!!思い出した!!
 あたしを可愛がってくださった命婦様が変な男達に絡まれてたから、見逃すことなんてあたしのプライドが許せなくて、ついつい蹴飛ばして怒ったのよね。そしたら運悪く一人の男がモロに顔面から倒れて騒動になったんだっけ。
 あのあと父様がえらい怒っちゃってしばらく屋敷から出入り禁止されたんだっけ。
 しっかし、よくそんなことまで覚えていたわね。常葉に言われてやっと思い出したわよ。
「あのときの千景に僕の心は打たれた。そのあとすぐに女房達に君について尋ねた。
 でもそのときはまだ名前が知らなくて女房達は首を横に振ってしまってさ、しばらくしょげてたよ」
 そりゃそうだ。内裏に出仕している女童がどれくらいいると思ってるのよ。響姫や澪姫だってやってたんだから。女童全員の名前を知っているほうが凄いわよ。
 あたしがそう思っているのとは裏腹に常葉はどんどん話を進めていく。
「君が冬輝と薫の妹だって分かったときは本当に嬉しかったよ。やっと念願の女童の名前がわかってさ。
 すぐに文を送ろうと思ったんだけど、左大臣からえらい反対されたんだ」
 そりゃあたしが能力者だということがバレたくなかったからでしょ。入内して冷やかしの的になるに決まってるんだから。
「五年くらいかけて左大臣を説得したよ。
 そしたらやっと左大臣が折れてくれてさ、念願の子が手に入るって思った矢先にこれだからね。笑えるだろ」
「確かに笑える話ね。でもあたしには関係ない話よ。
 あたしは女の嫉妬が渦巻く皇室に嫁ぐ気はこれっぽっちもない。
 もし仮にあたしがすんなり東宮妃になることを許したらあんたは気が緩んで他の女性にも手を出すんでしょ」
「そんなつもりはない。君だけしか愛さない」
 と真剣な表情で言う常葉。
 さすがのあたしも常葉の真剣な瞳にぐらっときたけど、それに怯むあたしじゃない。
「そう言いきる事ができて?男はそう言って女を騙し、他の女のところに通うじゃない」
 まあ…父様の場合は例外だけど……。
 しかし今のあたしの言葉に常葉は何も言い返してはこなかった。
 ほらね。やっぱり男というのはこーゆーモンよね。
「あたしもう行くわ。
 常葉はあたしについてこないで現世に戻ること。あんたにはこの世をまとめなくちゃならないんだからね。妃は新しい妃を見つけてその人と蜜月を過ごせばいいでしょ。
 それじゃあね」
 あたしは一方的に話を終わらせ、彼に振り返ることなく、三途の川へ向かった。
 あーあ。これでまた一人ぼっちかぁ…。
 そーいえば五つぐらいのとき、屋敷の外に一際綺麗な桜があって、母様のため取ろうとしたのはいいけど、降りれなくなっちゃってさ。一人で泣きながら夜を過ごしたっけ。そしたら母様が見つけてくれてさ、お腹に葵を身篭っているにも関わらず、テレポートを使って助けに来てくれたわ。

 サビイシイ…ヒトリハキライ……

 そういうことを内裏でもやってさ、そのときは人目を盗んでテレポートしたつもりだったんだけど、父様にモロ見られて思いっきり怒られたっけ。懐かしいなぁ、あのころ。

 ヒトリニシナイデ…
 ダレカアタシノカナシンダコノココロタスケテクダサイ…

 歩きながら昔を思い出していたあたしだったが、歩く足を止めた。
 目から涙が溢れ出てくる。
 本当は淋しかったんだ。誰もあたしの能力を見ても喜んでくれない。逆に迷惑がられてばかりだった。あたしはただ皆に自分の能力を認めて欲しかっただけなんだ。
 常葉はあたしの能力を言っても驚かなかった。あんなふうに皆もあたしの力を認めて欲しかった。
 あたし…自分では未練なんかないって思っていたけど、本当は現世に未練がありまくっていたんだ。
 ……現世に戻りたい。
 あたしがそう思いながら泣き続けていると、急に何か温かい物があたしを優しく包み込んだ。
 あたしは泣き止み、顔を上げてみると、あたしを包み込んでいたのは、見覚えのある手だった。
 もしかして…っ!!
「常葉?!」
 そう。あたしを包み込んでいたのは、行く途中で無理矢理別れた常葉だった。
「なんでここにいるのよ?!」
「……千景が…泣いていると思ったから……」
 う……っ。
 常葉に図星を突かれ、あたしは何も言い返すことができなかった。
「バカよ、あんた」
「バカだよ」
 とそう言いながら常葉はあたしの体を強く抱きしめた。
「本当にバカよ」
 あたしはそう言いつつも、何故か幸せだった。
 うー…不覚よ……。こんな奴に抱かれて幸せ気分になっちゃうなんて……。
「千景」
「何よ」
「好きだよ」
「………あ…っそ」
 耳元で囁かれる言葉にあたしは顔が赤くなった。
 なんだろう、この気持ち。今まで感じたことがない気持ち。すごく気持ちがいい。離したくない。
「って、いつまであたしを抱いてるのよ!!」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
「十分減るわよ!!」
 とあたしは肘鉄を食らわそうとするが、常葉はあたしから手を離してすんなりと避けたと思ったら、あたしの手を引っ張り、強引に自分のところに引き寄せた。
「ちょっと!!離してよ!!」
「離さないよ。一緒に現世に戻ろう。もう一人にはさせないから……」
「………あんた。なんかごたくを並べて結婚にこぎつけようとさせてない?」
「別にそんな風に思って―――……」
 え?!
 常葉が言いかけていたとき、常葉の体は消えてしまった。
 ちょっと、どういうこと?!いきなり常葉が消えちゃった?!
 そう思ったとき、あたしの体が透きとおり始めた。
 一体どういうこと?!
「常葉!!どこ!!一人にしないって言ったじゃない!!」
 あたしは無意識に常葉を探し求めた。そのとき
 がくんっ!!
「?!」
 急に体が沈んだと思ったら、あたしが立っていた花畑が消え、ただの闇にあたしの体は吸い込まれていった。
 いやぁぁぁぁぁぁっ!!地獄に落ちるぅぅぅぅぅっ!!
 地獄には落ちたくない!!落ちるなら現世にある自分の肉体に落ちたいの!!
 あたしはそう叫びながら吸い込まれていった。