|
第弐拾章 火災 |
| 平和な日々が続き、あたし達は毎日普通どおりの生活を送っていた。今日は弘徽殿にあたしと同い年あたりの男、常葉と容姿がそっくりな常葉の弟・帥の宮様がやってきた。目的は子供達の遊び相手であり、あたしや女房達のいい話し相手であるのだが、最近式部卿宮様が具合が悪いので代わりに母様の近状を報告してもらっていたりする。ついでに言うと、帥の宮もあたしや母様達と同じように能力者だったりする。 「というわけで、左大臣夫人様は育児に大変忙しい毎日を過ごしているそうですよ」 と束帯姿の帥の宮様が笑顔で扇をぱらりと開いた。 「いつもありがとう、帥の宮様」 「いーえ。僕個人でやったこですから気にしないでください。 兄上は今日もお忙しいのでしょう。今日も僕と遊びませんか?」 「八重達と楽しんでいるから無理しなくていいのよ」 「無理なんてしてませんよ。皇后様や女房達と遊びたいのです」 と笑顔で言うと、女房たちは黄色い声をあげた。 「皇后様。是非宮様とお遊びになったらいかがでしょう」 「そうですわ。囲碁とか双六とかやりましょうよ」 「……いいわよ。じゃあ貝合わせをしましょ。女の遊びだけど、帥の宮様も知ってらっしゃるのでしょ?」 「構いませんよ。僕、結構貝合わせは好きなんですよ」 と帥の宮様が言うと、女房たちはすぐさま貝合わせの準備をした。あたしが先攻で、帥の宮様が後攻である。 あたしは先に貝を合わせると、見事に合った。 「おや、合ってしまいましたか。じゃあ僕も」 と帥の宮様は貝を手に取り貝を合わせると、ハズレだった。 「ありゃりゃ…。外れてしまいましたか。次は皇后様の番ですよ」 「おたあたま〜!!」 と帥の宮様と吉良の声が重なった。 吉良はぱたぱたとあたしの元に駆け寄ってきて抱きついた。しかし、駆け寄ってきたのはいいのだが、貝合わせの貝が四方八方に散らばってしまった。それを見て女房達が悲鳴をあげた。 「あ〜帥の宮しゃまだ〜」 あたしに抱きつき、帥の宮様の存在に気づいた吉良はきゃっきゃと楽しそうに言った。 「あら愛子や彬たちはどうしたの?」 「ふじつぼであそんでいるの」 「そう。じゃああなたも藤壺で遊んでらっしゃい」 「いや。なんかいやなよかんがするの。だからおたあたまのそばにいるの」 嫌な予感?なにか不吉なことでも起きるのかしら? そう思ったそのとき、少し焦げ臭い匂いが部屋に漂ってきた。その匂いにこの部屋にいた誰もが気がついた。 「なんでしょう、この匂い。まるで何かが焼けたような匂いですわね」 「きっとどこかで何かを焼いているんですわ」 とほんわかと会話する部屋の中にどたどたと物凄い足音で緊迫した声で女房が駆け込んできた。 「大変でございます!!内裏内で家事でございまず!!皇后様!!輿をご用意いたしました!!早くお逃げください!!」 「何?!」 女房の言葉を聞いて、あたしも帥の宮様も驚愕した。 「どこから火が出ているの?!」 「分かりませぬ。それより早くお逃げくださいませ!!」 「彬や愛子たちもこちらへ連れてきなさい!!」 あたしは吉良を抱き上げながら言うと、女房の一人がまたこっちに来て報告した。 「申し上げます。藤宮様、有栖川宮様、桂宮様ご無事で主上の輿にお乗りでそうです」 あたしはその女房の話を聞いてほっとした。 「ならばこちらも早く脱出しよう。皇后様。ちょっと失礼」 帥の宮様はそう言うと、あたしをひょいっと抱き上げ、輿の方に向かった。吉良を抱いたまま輿に乗ると、武官達が輿を上げ、輿は内裏から出て行き太政官へ向かって行った。 燃える。住み慣れた内裏も何もかも……。炎は大切な物まで燃やしてしまうのか。子供達の前で見せて欲しくなかった。そして常葉にも見せてはダメ。見てしまったら常葉はショックのあまりきっと寝込んでしまうわ。 「おたあたまぁ、こわいよぉ」 と燃えさかる炎を見て怯える吉良はあたしが着ている服をしっかりと掴んでいる。 「大丈夫よ。お母様がついているから、ね」 あたしはできる限り吉良を安心させようとした。吉良はあたしの言葉に安心したのか、こくんっと黙って頷く。そこに帥の宮様があたし達に言った。 「皇后様。これから太政官に避難するそうですよ」 「主上もそこに?」 「はい」 あたしの質問に帥の宮様は力強く答えた。 あたし達が乗った輿の後に女房達も慌てて内裏から脱出し、暫くして八重や利重、二条などあたしに仕える女房達全員が太政官で揃った。 「誰も内裏内に残っていないわね」 吉良を傍に置いたまま、落ち着くとあたしは全員がいることを確認した。すると、八重が答えた。 「はい。皆のこちらへ来ております」 「主上はまだ来ていらっしゃらないの?」 「はい。主上はまだいらしておりませぬ」 「そう……」 あたしは八重の言葉に不安を感じた。それを見て、今までずっと傍にいてくれた帥の宮があたしを元気付けようと言った。 「大丈夫ですよ。兄上はただちょっと人ごみに巻き込まれてしまって遅れているだけですよ。そんな暗いお顔をならさらないで、いつもみたく兄上に向ける明るい表情でいてください。もし兄上が来てその暗い表情を見たら何事かと思うでしょうに」 「……そうね。その通りね。あたしがしっかりしなきゃダメね」 あたしはそう言いながら、あたしの傍に不安そうな顔でいる吉良をしっかり抱いた。 「おたあたまぁ」 「大丈夫よ。お母様があなたをしっかり守ってあげますよ」 「僕もしっかりおたあたまをまもるね。だからおたあたまもあんしんしてね」 「ありがとう、吉良。その言葉だけでもお母様は嬉しいわ」 「ほんと?」 「ホントよ。お母様はね、あなた達が無事でいてくれればそれだけでいいの。お母様にとってあなた達は自分の命以上に大切なかけがえのない宝物なのよ」 「僕はおたあたまにとってたからものなの?」 「そうよ。だから失ってしまったら悲しくて毎日泣き続けてしまうわ。だから吉良はこの命を大事にしてね」 「うん。わかった。おたあたまからいただいたものだもの、だいじにだいじにするね」 と笑顔で言う吉良に、あたしはその笑顔だけで少しだけほっとした。 あとは愛子たちが来てくれれば、何も言うことはないんだけど。常葉や他の子供たちはまだ来ない。 みんな本当に大丈夫かしら? あたしは不安でたまらなかった。早くみんなの顔が見たい。それだけなのよ。 「内裏を燃やす火はどこまで燃えているの?」 あたしはぽつりと小さな声で尋ねると、答えたのは八重ではなく、帥の宮様だった。 「もう大学寮の曹司まで焼けてしまったそうです」 「なんで…こんなときに火災が起きてしまうの……なんでよ……院のときは起きなかったのに何故主上の時にはなってしまうの……」 あたしは辛すぎて涙がぽろぽろと溢れ出てきた。それを見て帥の宮は静かに言った。 「院のときもすでに五回火災が起きているのですよ。これは主上にとっての試練なのです」 「そうかもしれないけど、もっと時間が経ってからして欲しかった。この子達がもっと大きくなったときに……」 「火災は人の考えを聞いてはくれません。これも天が決めた定めなのですよ」 確かに帥の宮様の言う通りだ。でも、あたしは納得することができなかった。 そのとき、部屋の外がやたら騒がしくなった。 「何事だ?!」 帥の宮様は大声で言うと、八重が傍に来て 「申し上げます。只今主上がこちらに参られたそうです」 常葉が来た!! 「子供達は?!」 「はい。皆無事でこちらに参られるそうでございます」 よかった。 あたしは八重の言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろした。 そのとき、部屋に常葉と子供達が入ってきた。常葉はあたしの姿を見て、慌ててあたしの元に駆け寄ってきて、人目を気にせずあたしを力強く抱きしめた。 「千景。無事だったか」 「あたしは大丈夫よ。あたしの部屋に訪れていた帥の宮様の的確な判断で平気だったの」 「そうか。帥の宮、俺の最愛の妻を助けてくれて感謝するぞ」 「身に余る光栄でございます」 と身を低くする帥の宮様。 「帥の宮。他の者はいないんだから、そのように畏まらんでくれ。こっちの調子が狂ってしまうよ」 「しかし、このような状況でいつ人がくるか分かりませんから」 「そのときは、そのときだ。だから普通どおりに接してくれ」 「はい、兄上」 と畏まるのをやめる帥の宮様。それを見て、常葉は表情を緩ませながらも静かに言った。 「火元は雷鳴壺。出火の原因は放火だそうだ。さっき放火の罪で右馬頭が捕まったよ」 「右馬頭ですか……。どうしてあの者が?」 「分からん。だが、あいつは大層気に食わない奴がいたそうだ」 「もしや、右大臣では?右大臣と右馬頭は大層仲が悪かったですから」 「そんなに仲が悪かったのか?」 「はい。例えで言うのであれば犬猿の仲と申したほうがいいですね」 「犬猿の仲か……。それがどうして放火へ結びついたのだろう……」 と帥の宮様の言葉に頭を悩ます常葉。それを見て帥の宮様が優しくも厳しい口調で言った。 「明日にでも検非違使などが立ち入り検査や事情聴取をするはずですから、明日改めてお考えなさった方がいいと思いますよ。思いつめていると玉体に障ります」 「しかしだな……」 「兄上、こんなところでその話をしては皇后様や皇子様が不安になってしまわれますよ」 「……分かった。この話は明日にでもしよう。帥の宮、おまえに頼みがある」 「何なりと」 「俺が公務をしている間、もしかしたら賊が忍び込んで皇后を襲うかもしれない。だから俺がいない間、おまえが皇后と皇子を守って欲しい。これは俺と皇后が信頼するおまえしかできないことだからな」 「分かりました。して他の女御たちはいかがなさいますか?一応皆様無事みたいですが…」 ちらりと横目を見ながら言う帥の宮様。横には女御達の女房がこちらの様子を見に来ている。 女御や更衣もここに避難いるのね。 しかし常葉は女房がいることを知っているにも関わらず、物凄い発言をした。 「あんなもんどーでもいいよ。父親の政略結婚で来ただけだし。俺は相思相愛である皇后がいてくれれば、それだけでいいんだ」 「御意」 と一礼する帥の宮様。そして、どういうわけか親切にあたしと常葉を二人きりにするために子供達を連れて行ってくれた。 部屋に残されたあたし達であったが、常葉はあたしを優しく抱いた。 「よかった。おまえが無事で。子供達と輿に乗っている間、俺はおまえが無事であるか不安だったんだ」 「あたしも常葉が無事であるか不安でたまらなかった」 とあたしもまた常葉を抱き返した。そして接吻をしようとしてあと数センチというところで―――っ!! 「皇后様」 「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」 見知らぬ声に驚いて、あたしは常葉を突き飛ばしてしまった。そして顔を真っ赤にさせながらも声の主に振り返ってみると、そこにはあたしより少し年下の女と複数の女房がいた。 「あなたは?」 「女御!!」 あたしの質問をその女ではなく常葉が驚愕の声で答えた。 女御?これが? あたしは目を疑ったが、その女は答えた。 「お初にお目にかかります、皇后様。私は内大臣の娘でお恥ずかしながら女御の位を頂いております」 「その女御があたしに何の御用ですか?」 あたしは静かに尋ねると、女御は控えめに言った。 「皇后様の御力をお借りしたいのです」 『なにぃっ?!』 あたしと常葉は女御の言葉に驚愕した。 協力しろってどういうことよ?!またとんでもない騒動に巻き込まれるの――?! |