第弐拾壱章 嫉妬

 

「お願いってなんなのよ?」
 あたしは一瞬のうちに我に返り、女御に畏まって尋ねると、女御は細い目にしながら答えた。
「はい。私の妹と皇后様の兄上、薫の大将の恋路に協力して欲しいのです」
 は?
 あたしは女御の言葉に目が点になった。
 今、なんて言った?薫兄と女御の妹の恋路をに協力しろって?
「あなたの妹と薫あ…じゃなくて薫の大将は恋仲なの?」
「いいえ。妹が一方的に思い慕っているのです」
 あーつまり、薫兄に片思いしているってわけね。薫兄ああ見えて年上好みだからなぁ。随分と前にも未亡人に恋したし…。その薫兄にこいつの妹が恋したんでしょ。ってことはこいつより年下になるというわけだから、かなり年下。薫兄にロリコン趣味なんてあったかしら?
「悪いけど、そういう相談事はお断りするわ」
「どうしてですか?女房達の話ですと、皇后様は大変相談事には積極的にのってくれると聞いたのですが……」
「確かに相談事を持ちかけられたら最後まで責任を持ってのってあげるけど、あたしの家族が関係していることであればのらないことにしているの。
 だから、あなたの相談事にはのれないわ。ごめんなさい」
 とあたしが言うと、女御は悲しそうな表情を浮かべ、扇を開き、顔を少し隠す。
「そうですか。妹が恋煩いをし、今にも死にそうな状態なのに皇后様はご協力していただけないのですね」
「ちょっと待て。そんなこと一言も言ってなかったじゃないの」
「そりゃそうですわ。言うつもりありませんもの」
 とけろりとなる女御にあたしは脱力した。
 おいおい。普通言うもんでしょ……。
「わかったわ。でもあたしのできる範囲だけだからね」
「はい。ありがとうございます!!皇后様!!」
 女御は笑顔でそう言うと、あたし達がいる部屋から出て行った。しかし、去り際、女御は不適な笑みをこぼしていた。
 な…なんなのよ一体……。
 そう思いながら彼女を見送っていると、常葉が呆れたように口を開いた。
「おまえ……お人よしって言われたことないか?」
「あんまり」
「あいつの目、何か企んでいる目だったぞ」
「まさかそんな…あんなに小さいのに……」
「小さいからって油断するなよ。ここは権力が物を言う世界だ。あいつはおまえがお人よしだということに漬け込んで、おまえを俺の寵妃から引きずり落とし、自分に俺の寵愛を向けようとしているはずだからな。
 おまえは人がいいところが長所でもあるが、最大の弱点でもある。そこのところわきまえろよ」
「う………っ」
 あたしは常葉の言葉に反論できなかった。
 確かに本当のことだけどさ、そこまで言うことないじゃないの。
 そう思っていると、常葉はあたしの髪の一束を手に取り、自分のところに手繰り寄せ鋭い目であたしを見ながら言った。
「安心しろ。俺はおまえしか愛さないから俺を信じろ」
「うん」
 あたしは笑顔で言うと、常葉の胸に寄り添った。

 それから次の日になってから検非違使達が現場検証をしたり事情聴取をしたりと忙しい日々が続いた。そのおかげで薫兄はなかなか捕まらない。あたしは捕まらないので両親が出産祝いとしてあたしにプレゼントしてくれた嘉綾院の一室でのんびりと過ごしていた。この邸には常葉や子供達をはじめ、あたし付きの女房や何故か女御と更衣までも移り住んでいる。
 あーあ。こうしている間にも女御の妹は衰弱していっているのかしら……。早く解決させてあげたいけど、こうなってしまっては手も足も出ないわ。
 常葉はあまりこのことに協力しなくていいって言うけど、あんな風に言われたら退くに退けないわよ。常葉はあたしに向けられている常葉の寵愛を自分に向けるための罠だって言うけど、あたしにはそう見えなかった。心の中でもそう言っていたし……。だから今回のことはあたしを陥れるためじゃなくて本当に切羽詰っているからこそ、あたしに相談したんだわ。そうとしか考えられない。
 しかしこうも考え続けてると疲れるわね〜。太陽の光でも浴びてそれから考えるか。
 あたしはそう思いつつ太陽の光が浴びたくなったので立ち上がり、二条に御簾を上げさせ部屋から出た。
 う〜んっ。やっぱ太陽の光浴びないと体が鈍るわぁ。
 そう思いながら背伸びをしていると、あたしの視野に常葉と女御の姿が入ってきた。
 ん?!なんであんなところに二人きりでいるわけ?!
 あたしはそう思いながら二人を凝視していると、急に二人はあたしの目と鼻の先で抱き合い始めた。
 なぁっ?!
 あたしは思わず大声をあげそうになったが、慌てて口つぐんだ。
 ちょっとちょっとちょっとぉっ?!どーゆーことよ?!
 そう思っていると、麗景殿の女御があたしに対してまるで勝ち誇ったように目を細め、常葉の体に甘えた。
 ……ムカツク。すっごくムカツク。
 あたしはこめかみに怒りマークが出ていることを感じながら、物凄い不機嫌な表情になった。
 それと同時に二人は離れ、常葉はあたしの方に振り向いたとたん、あたしと目が合い、あたしが見ていたことに気づき、「見られた!」と言わんばかりの表情で驚愕した。
 あたしはそれと同時に慌てて部屋に隠れた。
「……皇后様、いかがなさいました?」
 とあたしの不機嫌さを見て、何も知らない二条がおずおずと躊躇いながらあたしに尋ねた。
「なんでもないわ。二条、恵式部、八重、利重。悪いけど気分が悪くなったから寝床の用意してちょうだい」
「ええっ?!大丈夫ですか?!」
 と心配そうにあたしの身を心配する八重。
「ちょっと横になれば大丈夫だから早く用意して」
「はい。只今」
 とてきぱきとあたしの部屋の中に御帳台を用意し、あたしの上着を取った。
 あたしは横になる前に八重達に言った。
「もし、あたしが横になっている間に主上が来てもこの部屋には通さないでちょうだい。多分『なんで?』って聞かれると思うけど、『皇后は気分が優れない上、しばらく主上の顔は見たくない。理由は主上自身がご存知のはずです』と言っていたと伝えなさい。いいわね」
「はぁ…分かりました」
 と困惑しながら八重は答えた。
 八重はあたしから離れ、御帳台の御簾を下げてさがった。
 あたし……常葉の愛に自惚れすぎていたわ。常葉はあたしか愛さないって信じすぎてた。やっぱり常葉も他の男達と同じように不倫するのね。
 あたし……女御にすごく嫉妬してる。腸が煮えくり返りそうで、恨み憎むくらい嫉妬してる。今の自分が憎いよ。
 あたしはそう思いながら瞼を閉じ深い眠りについた。

「ん……」
 どれくらい時間が過ぎたのだろう。あたしがゆっくり目を開くと、まわりはもう暗かった。
「八重」
「あ、皇后様。お目覚めになったのですね」
 と御簾越しで八重があたしに言うと、すぐに御簾をあげた。
「そろそろご夕飯のお時間なのでそろそろ起こそうかと思っていたんですよ。
 ところで皇后様。ご気分の方はどうですか?お夕飯いただきになりますか?」
「さっきよりだいぶいいから食べるわ」
 あたしは起き上がり、二条に上着を着せられながら言うと、八重はぱんぱんっと手を叩き、食事の準備をするように合図した。あたしは恵式部が用意した畳の上に座り、脇息に寄りかかると、それに合わせるように膳があたしの前に置かれた。
「そういえば、あたしが寝ている間に主上は来た?」
 あたしは蒸しアワビを口にしながら傍に控えていた八重に尋ねると、八重はちょっと困った風に答えた。
「はい。皇后様がお眠りになさった直後にすぐおいでになりました。『皇后はどうした?』とお訊きになられたので、私どもは皇后様が仰っていた通りにお伝えしましたら、主上は大層ショックを受けたようにその場に座り込んでしまわれました。
 一旦は諦めたように出て行ったのですが、それから一刻もしない間にまたおいでになさりとその行動を繰り返しておりましたわ」
「そう。よくやったわ、ありがとう」
「一体どうなさったのですか?急に主上に対して冷たい態度を取られるなんて…」
「ちょっと腸が煮えくり返りそうなことがあってね」
「はぁ…。深入りはいたしませんけど、お早めに仲直りしてくださいまし」
「考えておくわ。そういえば八重とか利重とか女房から見てあの麗景殿の女御はどう思う?」
「え?麗景殿の女御様ですか?そーですねぇ。一言で言わせてもらいますと、権力が全てって感じで皇后様に対してえらく嫉妬を抱かれております。なので、私ども皇后様付きの女房が女御様の前を通りますと、暴言や罵声が飛んできます」
 八重…全然一言で言ってないわよ……。
「そんなに凄いの?」
「そりゃもう凄いんですよ」
「そうそう〜」
 とあたしと八重の会話に恵式部と二条が割って入ってきた。
「一度香炉を投げつけられたこともあったんですよ」
「えっ。そんなに凄いの?!」
 あたしは二条の言葉に身を乗り出して驚いた。
「はい。ま、私どもは皇后様という大きなバックがおいでになさっているので、相手にしてませんけどね」
「じゃあ、あっちの女房とは気が合わないのね」
「まあ大半はそうですね。中にはこっちに付きたいと思っている女房も少々いますけど…。
 向こうの女房の話だと、普段の女御様は四の君様のように人を罵ることしかしないそうですよ」
 と恵式部が言った。
 第二の四の君ってわけね……。
 はぁ〜、悩みの種がどんどん増えそう……。
 あたしはそう思いながら夕食を早めに終わらせ、ちょっとばかり子供達と遊び、寝てしまったが、すぐに目を覚ました。
 ったく。結局、寝ていてもあの二人の行為が夢にまで出てくるなんてムカツクわね。
 これからどうしよう。常葉はああだし、この際思いきって出家でもしちゃおうかな。でも、そうすると子供達のバックがいなくなって廃太子になってしまうかも。かといって、二人の目に余る行動をみすみす見逃すなんてもっと嫌だし……。
 あ、常葉も不倫してるし、あたしも別の男と不倫しちゃおうかな!!って相手いないから無理か。
 と頭の中で色々な思いを廻らしていると、ごそごそと物音が耳に入ってきた。
「誰?八重なの?それとも吉良?」
 あたしは目をこすり、そう言いながら起き上がると、目の前に単姿の常葉が御簾を上げてあたしを見ていた。それを見たあたしは声が出ずに驚愕し、動けないでいると、常葉は何も言わぬまま、御帳台の中にずかずかと入ってきた。そして、あたしの唇をそっと触って言った。
「何故ここにいるんだ?」
「そ…そっちこそなんでここにいるのよ?ここはあたしの寝床よ!!」
「何を言う。ここはおまえが寝る場所ではないだろ。おまえが寝る所は俺のすぐ傍だ」
 そう言いながらあたしの手を掴み、御帳台から出ようとする常葉にあたしは手を振り解いて言った。
「いつ、誰がそんなこと決めたのよ。あたしとじゃなくて今日の昼みたく女御と寝ればいいでしょ!!」
「誤解だ。あれは……」
「イヤ!!言い訳なんか聞きたくない!!」
 あたしは言い訳しようとする常葉の言葉が聞きたくなくて、耳を手で塞いだ。それと同時に涙が滝のように流れた。
「……千景」
 とあたしに手を伸ばす常葉にあたしは耳を塞いだまま叫んだ。
「触らないで!!不倫した奴に触られたくないわ!!」
「だからあれは事故……」
「どこが?!二人とも愛し合うように抱き合っていたじゃないの!!
 あたし…常葉を信じすぎてた。常葉も結局他の男達と同じように他の女性に手を出すのね!!」
「千景、冷静になって俺の話を聞いてくれ」
「あんたの言い訳なんて聞きたくないわ!!往生際が悪いわね!!さっさと認めてよ!!そうすればあたしは清々するのに!!」
「千景!!」
 常葉はそう叫び、あたしの口を自分の口で塞いだ。
「ん……っ」
 あたしは常葉に抵抗し、常葉の下唇とがぶっと思いっきり噛んだ。その痛さに常葉はあたしから離れ、口を抑えた。あたしが噛んだ下唇からは少量の血がつっと流れ始めた。
「……千景」
「もうここにはこないで!!もうあんたの顔なんか見なくない!!出てってよ!!」
「ヤダね。おまえが俺を嫌おうと俺は毎日おまえの元にくるよ」
「あなたが出て行かなければあたしが出て行く!!せいぜい女御と愛を育んでなさいよ!!」
 あたしはそう言い捨てると御帳台から出て行き、八重達に向かって叫んだ。
「八重、二条起きなさい!!」
「どうなさったんですか?!」
 と眠気眼ながらも飛び起きる八重と二条。
「車の用意をして!!」
「ええっ?!この時間にどこか行かれるのですか?」
「ここから出て行くのよ!!」
「へ?!」
 とあたしの言葉に目を丸くする八重。その八重にあたしは構わず叫んだ。
「早く用意しなさい!!そんでもってあんたと二条はあたしに付いてきなさい!!二条はあたしの上着と彬を連れて車に乗りなさい」
『は…はいっ!!』
 と二人は慌てて部屋から出て行った。
「千景、どこへ行くんだ?!」
「あんたが知らないところ」
 あたしは常葉の顔を一切見ずに答えた。すると、常葉はあたしの腕を掴んだ。
「出産でもないのになんで行く?!おまえは俺の妻だろ?!」
「離してよ!!あんなこと目の前でされたら誰だって辛いわよ!!あたしは信じていた者に裏切られて嫉妬と恨みを抱いてしまったのよ。こんな思いをするんだったら……こんな思いをするんだったらあんたと結婚しないで、帥の宮様と結婚すればよかった!!」
 やばっ!!
 あたしは自分が言ったことに慌てて口をつぐんだ。
 今の言い過ぎた。今のは誰だって傷つく。
 案の定常葉はあたしの言葉にショックを受け、あたしの腕を掴んだまま呆然となっていた。
「……ご……ごめ…………」
 あたしは動揺をして言葉にならなかった。そのとき八重が入ってきた。
「皇后様、車の用意できました!!」
 あたしは八重の言葉にはっと我に返り、慌てて常葉の手を振り払い、用意された車に飛び乗った。

「皇后様。これからどちらにいかれるのですか?」
 車に乗って走り出してからしばらくして彬を抱きながら八重が不安な表情で言った。
「とりあえず左大臣邸に向かいなさい」
 あたしがそう言うと、従者の一人があたしに言った。
「あの、向こうから帥の宮様らしきお方が馬で近づいてきてますけどいかがなさいますか?」
「え?!すぐに止めなさい!!」
 あたしが命令すると、従者はあたしから離れて止めに行った。
「やはり皇后様だったんですね」
 と聞き慣れた声があたしの耳に入ってきた。
「帥の宮様。このお時間にいかがなされたのですか?」
「いえ、寝ているときに皇后様の声が響いてきたのでまさかと思ってこちらに参ったのですよ」
 あ。そっか。帥の宮様もあたしと同じように能力者だったけ。すっかり忘れてたわ。
「あの屋敷にはもうお戻らないおつもりなんでしょう。でしたら私の屋敷にいらしてください」
「でも、そんなこと悪いわ」
「気にしないでください。さっき女房達に言って準備させておきましたから」
「そう。……じゃあお言葉に甘えて行かせてもらいます」
「じゃあ私が案内しますので付いてきて下さい」
 帥の宮様はそう言うと、馬の手綱を引き、ゆっくり歩き出した。

 二条ぐらいだろうか。
 車が走り始めてあたしはふと思った。
 このへんは皇族の方々や大臣クラスの人たちが住む場所なのよね。
「さ。着きましたよ」
 と御簾があがり、帥の宮様があたしの手を引いた。あたしは恐る恐る帥の宮様に従って屋敷の中に足を入れた。
 さすが皇族だけに豪華な造りだわ。
 あたしはそう思いながらとある部屋に通され、用意された畳の上にちょこんと座った。その横に何故か帥の宮様も座ったのだった。
「あのぉ。ここって帥の宮様のお屋敷ですよね」
「ええ。昔はここに住んでいましたよ」
 と「昔は」のところをやたら強調しながらあたしの質問に笑顔で答える帥の宮様。
 昔は?!ちょっと待って!!昔ってことはこの屋敷……。
「父上、皇后様を連れてまいりました」
 うわーっ!!やっぱりぃ〜〜〜っ!!
「そ…帥の宮様?!」
「すいません。先程皇后様のところへ行く前に、父上に言ったらこっちに連れてこいって言われちゃいまして……。皇后様に父上の名前出したら嫌がってこないと思いまして私の名前を出したんです」
「それならそうと言ってくださいよぉっ!!」
「あはは……すいませ〜ん」
 と舌を出して謝る帥の宮様。そのとき御簾があがり、そこから現れたのは常葉と院とそしてあたしの隣りに座っている帥の宮様のお父上・大院様だった。
「よくぞ参ってくれたな、皇后。心から歓迎するぞ」
「お心遣い大変感謝しております」
 とあたしは一礼をして礼を言った。
「皇后。そのように畏まるな。今日からここがそちの家じゃ。内裏や実家と同じように過ごすがよい」
「はい」
「しっかし、惟守も恨めしい奴じゃ。あんなに皇后のことを愛していると言っておったのに、手の平を返したように浮気するとはな。
 まぁ。私も正妻以外の側室に手を出し、子を設けてしまったから人のことも言えん立場だがな」
 と苦笑する大院。
「皇后。ここにいる間私のことはそちの父と同じように『父上』と呼びなさい。いいね」
「はい」
 あたしは少し困惑しつつも返事をした。
 今日からここがあたしの家になるんだ。
 常葉はあたしのことについてどう出てくるのかしら。心配で迎えに来てくれる?それとも女御と愛を育みつづけるのかな。