第弐拾弐章 和解

 

 家出をし、お義父様(強制的に呼ぶように言われたので)のお屋敷に住み始めてから幾日も経った。だいぶお義父様のお屋敷にも慣れはじめてきた。彬は四六時中お義父様の元にいる。それほどまでにお義父様は彬のことを大変可愛がっておられるのだ。あたしはそれを見ながら女房達と遊びつつ毎日を過ごしていた。一方常葉は全然迎えに来ない。
 もうあたしという存在を諦め、女御と愛を育み始めたのであろう。
 あたしは心の中がぽっかり穴が空いたように寂しかった。帥の宮様はそんなあたしを心配して毎日お屋敷に足を運んでくれて面倒を見てくれる。あたしはそんな帥の宮様にちょっとだけ恋心を抱いた。それはどことなく常葉に似ているからだと思う。
 もうこうなったら不倫をしちゃおうって最近思い始めていたりする。
 そんな折だった。母様がテレパシーで実家に至急来て欲しいと言ってきたのは。あたしの立場で車なんぞ用意できないので、帥の宮様に相談し、あたしはこっそりテレポートを使い実家に帰ることにした。
「おかえりなさい。皇后」
 とテレポートした矢先、部屋で母様が優しく迎え入れた。
「もう。母様までそんな風に呼ぶのはやめてよ〜」
 あたしは嫌がりながら用意された畳の上に座った。母様はふふふっと含み笑いをしながら言った。
「何を言うの。あなたはもう貴族ではなく、皇族なのよ。そう呼ぶのが世の常ってものじゃないの」
「でも、母様だけにはそう呼んで欲しくないわ」
「あらあら。いつまでたってもあなたは子供ね」
 とあたしの言葉に扇を開き、苦笑する母様。あたしはそんな母様に頬を膨らませながら言った。
「で、至急の用って何なのよ?」
 あたしがそう言うと、母様は笑うのをやめ、真剣な表情で話を持ち出した。
「あなた、主上と喧嘩したそうね」
「どーして知っているの?」
「とある者から聞いたのよ。なんでも不倫が原因だとか」
「そうよ。あたしを愛してくれるって言った主上があたしを裏切って他の人と恋仲になってたのよ」
「それは違うわ、皇后」
「え?」
 あたしは優しく言う母様に目が点になった。
「違うってどういうこと?」
「あなたはとんでもない勘違いをしているって言いたいのよ」
「どこが勘違いだって言うのよ!!」
「主上が不倫しているというところよ」
 あたしは声を張り上げて言うと、母様は厳しい表情で言った。
「全く。思いこむとすぐこれなんだから。四児の母になったというのに昔とちっとも変わってないわね。……本当はこんなこと言わないと思っていたけど、言うわ。主上はね、あなたと子供達を守るために女御の元へ行ったのよ」
「え?!」
「主上は女御に脅されていたの。『もし私の元にこなければ、皇后や皇子を呪殺する』って。だから主上は身を挺してあなた達を守ろうとあんな行動をしたの」
「あんな行動って……どうしてその場にいなかった母様がそんなこと知ってるのよ?!」
「主上自身がそう言ったのよ。
 あなた、今まで自分のところに迎えに来なかったのは女御と愛を育んでいるからだと思っていたでしょう。それは大きな間違い。主上は手の尽くせる限り必死にあなたを探していたの。だけど、あなたは見つからず、ついに心身ともにお疲れになって倒れてしまったのよ」
「ええっ?!」
 あたしは母様の言葉に驚愕の声をあげた。
 あんなにぴんぴんしていた常葉が倒れた?!
「主上は大丈夫なの?!」
「無理して働き過ぎたただけよ。命に別状はないわ。今、この屋敷で眠ってらっしゃるわ
 だけどね。主上は女房達や女御の看病を受けつけないの。食事も殆ど喉に通らないし、『看病を見るのは皇后だけだ』ってガンとして言いつづけるの。だからこうして呼んだのよ」
「悪いけどあたしは主上の看病を見るつもりなんてないわ」
「皇后?!」
 とあたしの言葉に驚く母様。
「どうしてそんなことを言うの?」
「だってあたしは今主上とは絶交中よ。それなのに倒れただけで面倒を見るなんて……」
「皇后。いい加減にしなさい!!」
 と急に怒り出す母様。あたしは思わず身を震わせた。
「つべこべ言わず、主上の看病をしてらっしゃい!!それが主上の正妻としての務めでしょう」
 母様はそう言うと、嫌がるあたしの手を引っぱり、あたしをとある部屋に連れて行った。その部屋には豪華な御帳台が置かれていた。
 母様は女房に御帳台の御簾を上げさせ、あたしの背中をそっと押し、常葉の看病をしてこいと催促し、部屋から出て行った。あたしはしぶしぶその御帳台に近づき、横たわる常葉の姿を見て愕然とした。常葉はしばらく見ないうちに痩せていた。母様が言ったとおり、殆ど食事をしていないことを覗わせる。
 あたしはそっと水に浸して絞った布で常葉の顔から噴き出る汗を拭いた。すると、常葉が目をつぶったまま、静かに言った。
「……誰だ。俺の体に触れていいのは皇后だけだぞ」
 そう言うと同時に常葉ははっと見開き、拭いていたあたしの手を掴み、起き上がった。
「……千景」
「………………」
 あたしは常葉に対して何も言わなかった。常葉は驚いたままあたしをじっと見ていた。
「……千景。この屋敷にいたのか」
「…………いいえ。あたしは帥の宮様のご配慮の元、大院の元で普通どおりに生活してます」
 とあたしは無表情のまま静かに言った。すると、常葉はあたしの頬をそっと触れようとした。あたしはそれに気づき、無表情のままきつく言った。
「触らないで。もうあたしに触れる必要なんてないでしょう」
「おまえがそう思っていても俺はおまえに触れたいんだ」
 常葉はそう言うと、愛しそうにあたしを抱きしめた。
「千景。俺はおまえしかいらない」
「あたしみたいな女性なんてこの世に沢山いる。だからあたしのことはほっといて」
 あたしはそう言うと、その場からテレポートを使ってすうっと消えた。

 次の日の朝、あたしの部屋に物凄い勢いの足音が近づいてきた。
 まさか……。昨日あんなにぐったりしてたのに、もうきたの?!
「千景!!」
 と御簾を払い、物凄い勢いで常葉があたしの部屋に入ってきた。
「やっと見つけた」
「もうあたしのことはほっといてって昨日言ったでしょ!!」
「ほっておけるわけないだろ。さ、一緒にあの屋敷に帰ろう」
「イヤよ!!帰るならあなた一人だけで帰って!!」
 あたしは手を差し伸べる常葉の手を振り払い、奥の部屋に逃げる。そのあとを追う常葉。
「兄上。待たれよ」
 と逃げるあたしと追う常葉の間に帥の宮様がテレポートして現れた。
「帥の宮。そこをどけ」
「退きません。僕は父上に襲い掛かる兄上から皇后を守れと仰せつかっておりますから、兄上には渡せません」
 と怒りを露にする常葉に対して帥の宮様は静かに言った。そして、あろうことか帥の宮様はあたしに近づき、あたしを抱き上げて常葉から一目散で逃げ始めた。
「ちょ……?!帥の宮様ぁ?!」
「すいませんっ。ちょっと揺れるので舌を噛まないようにしてくださいね」
「そーゆー問題じゃなくて、なんで逃げるんですか?!」
「まぁ〜気にしない、気にしない♪」
「十分に気になりますって……」
 とあたしは抱えられたままジト目でツッコミを入れた。しかし、帥の宮様は一向に走るのをやめない。その後を追いかけながら叫ぶ常葉。
「こらぁっ!!帥の宮!!俺の妻を強奪するなんてどーゆーつもりだ?!」
「強奪なんてしてませんよ。僕はお二人のためを思ってやってるんです〜」
 そう言いながら帥の宮様はとある一室に飛び込み、常葉が来る前に御簾を降ろした。
「ちょっとどーゆーつもりですか?!」
「これは父上が考えたことなんですよ」
「お義父様が?!」
 あたしは帥の宮様の言葉に驚愕の声をあげた。そのときあたしの目の前にお義父様が現れ、常葉もあたしたちがいる部屋に追いついた。
「父上!!」
「入るでないぞ、惟守」
「何故、入れてもらえないのですか?!部屋の中には我妻がいるのに!!」
「ほぉ〜。不倫をしておいてよくそのようなことが言えるな。皇后はお主に渡せん。皇后はお主と別れ、帥の宮の妻になってもらう」
『な゛?!』
 お義父様の発言にあたしと常葉は驚愕の声を上げた。
 常葉と別れて帥の宮様の妻になれって……。
「皇后は俺の子を産んでいるのですよ!!そんなの納得できません!!」
「お主は納得できなくとも帥の宮は納得しておる。お主は皇后の存在を忘れ、女御と新しく愛を育めばよいだろう」
「よくないです!!皇后は俺にとって唯一心を許せる者なんです!!彼女がいなければ今の俺はないのに!!俺から皇后を別の男に、しかもよりにもよって自分の弟に奪われるなんて胸が押し潰されそうで死にそうな思いなんです!!」
 と泣きながら悔しそうに叫ぶ常葉。あたしはそれを聞いて胸を締め付けられるような思いになった。
 常葉があたしのことそんなふうに思っていたなんて……。
「では、何故女御に手を出したのだ?」
 とお義父様は静かに常葉に尋ねた。常葉は泣きながら答えた。
「あれは女御に脅されたんです。『自分の元に来なければ、あなたの愛しい者達を呪い殺す』って。だから彼女の元へ行き、交渉し続けたところ、皇后にあのような醜態を見せたことになってしまった。もう皇后を奪われるところを見るのはイヤなんです!!」
 母様が言っていたことは本当だったんだ。あたし……そんなこと知らないで常葉が不倫しているって勝手に思いこんで、常葉にあんな酷いこと言ってしまったんだ。
 そう思っていると、お義父様が罵声を常葉に飛ばした。
「ならば、皇后にも一言言ってあげればよかろうに!!おまえが言わないから皇后の心は深く傷つき、おまえに失望してしまったのではないか!!
 おまえは皇后の夫として失格じゃ!!お主は結局自分のことしか考えず、愛しい皇后の気持ちも分かっておらんではないか!!」
 もういい。もうそれ以上言わなくていいから。お義父様もこれ以上常葉を責めないで。もうこれ以上常葉を傷つけないで。お願い。もう……常葉が傷つくところ見たくないの。
「……もう、やめてぇっ!!」
 あたしは叫び、お義父様と常葉の間に割って入り、常葉を庇うようにお義父様を見た。
「お義父様、もうこれ以上言わなくていいです。もう……これ以上常葉を傷つけないでください!!」
「では、皇后はそこの優柔不断の男を許すと言うのか?」
 厳しい口調で言うお義父様にあたしは涙を流しながら訴えた。
「確かに何も相談しないで行動したことは許せません。でも、それはあたし達の為に行動したことなのでもうこれ以上責めることなんてできません。お義父様のお心遣いには大変感謝しております。
 でも、この人は…この人はあたしにとって掛け替えのない愛しい方なのです。離れるなんてできません。もうこれ以上責めるのはおやめください」
「…………分かった。皇后の顔に免じてこれ以上主上を責めるのはやめよう。
 しかし、主上の行動は許せぬ。今後このような真似事をした場合は今度こそ別れてもらうぞ」
 お義父様はそう言うと、帥の宮様を連れて部屋から去っていってしまった。
「……千景」
 といつの間にか泣き止んでいる常葉は御簾越しであたしをじっと見ていた。
 あたしも慌てて涙を拭って、常葉を見返した。
「入ってもいいか?おまえに触れたい」
 とう言う常葉にあたしは無言で頷いた。すると、常葉は御簾をちょっと持ち上げ部屋の中に入ってくると、すぐさまあたしを強く抱きしめた。
「ゴメン、千景。俺がちゃんと相談しなかったばっかりにおまえを深く傷つけさせてしまった。
 今度はちゃんとおまえに相談する。だからもう一度俺におまえを愛するチャンスをくれ」
 常葉はそう言うと、あたしの唇を貪り、そのままあたしを後ろに押し倒して、あたしの体を舐めまわすようにあたしの体を抱きしめた。
「このままおまえと夜の世界に誘い、おまえの体を一つ一つ感じたいよ」
「ダメよ。ここはお義父様のお屋敷よ」
 とあたしの体を求める常葉を抱きしめながら言うと、その間に―――
「ん〜。別に夜の世界に行くのは構わんが、時と場所を考えてやって欲しいものだな」
『?!』
 いきなり愛し合うあたし達の間にお義父様の声が割って入り、あたしと常葉はその姿勢のまま、声がするほうに視線をやってみると、そこには御簾越しでお義父様と帥の宮様があたし達の様子を笑顔で見ていた。
 一方あたし達はというと、予想外のことでしばしその姿勢で硬直していたが、すぐに我に返り、顔を真っ赤にし、慌てて離れた。
「ち……ちちちち父上……?!」
「全く、仲直りしたらしたでむちゃくちゃ凄いな。女房達がこぞって羨ましがる訳じゃ。今度はちゃんと時と場合を選ぶんだぞ」
 とお義父様はにこにこしながら今度こそ本当に部屋から去っていった。その場に残されたあたしと常葉は顔を真っ赤にしたまましばらくそのままにいた。
「………千景」
 あたしに視線をやらないまま、あたしの手をおずおずと握りながら常葉はあたしに話し掛けてきた。
「……愛し合うときはちゃんと時と場合を選ぼう」
「……そ…そうね」

 それからしばらくしてあたしは嘉綾院に戻り、常葉といつものラブラブぶりを発揮した。子供達は母様の配慮でしばらくの間左大臣邸で暮らすことになった。おかげで、誰にも邪魔されず愛し合うことができた。
「千景。こっちだ」
 常葉はあたしの手を引いて、庭連れて行く。そして、庭にある一本の木を指差した。そこには二羽の小鳥がせっせと巣を作っていた。
「あそこの木にいる小鳥の夫婦が巣を作り始めたんだ。その夫婦俺たちのように仲睦まじいとは思わないか?」
 と常葉はそう言いながらあたしを自分の元に引き寄せた。そのときに後ろの方で「きぃーっ!!」と嫉妬する声が聞こえてきた。
 この声、どっかで聞いたことがあるような……。
「女御を見るのがイヤだったから外を見ていたら、ここであの二羽を見つけたんだ」
「まぁ」
 あたしはぷっと吹き出し、それと同時にさっき聞こえてきた声の主も誰かわかった。
 なるほど。ここは女御の部屋の前だったのね。
 そう思っていると、急に常葉はあたしを抱え、その場に座った。
「全く、誰かさんのおかげで喧嘩したけど、すぐに元に戻ったし、今まで以上に愛し合うことが出来たからなぁ。やってくれた人に感謝しなくちゃなぁ」
 とわざと女御に聞こえるくらいの大きな声で言う、常葉。
 こんなこと言うなんて、あのことまだ恨んでいたのか。
「千景。今日は誰もが羨ましく思うぐらい愛し合おうな」
「まさか、五人目作ろうとか言わないわよね」
「言わないよ。まぁ、ついでにできてくれると嬉しいけどね」
 そう言うと、あたしを自分の胸に押しつけ、あたしの髪を愛撫した。
「ああ〜。女御のあの臭い香の匂いよりやっぱり千景の香りのほうが俺の心を和ませてくれるよ。もうダメ。この香りと千景なしでは生きてけないよ」
 とぐりぐりとあたしの体に摺り寄せた。
 そこまでやらなくても……。
 と思うあたしだった。そのとき、今まで部屋の中で我慢(?)し続けていた女御がついに痺れを切らして、部屋から出てきた。
「おや。女御いたのか?」
 と知らぬフリをする常葉に女御はわなわなと体を震わせ、指をあたしと常葉に指差した。
「いたとはなんですか!!いたとは!!ここは私の部屋ですよ!!そんなことは自分の部屋でやってください!!」
「何を言うのかと思ったら、そんなことか。そんな言える立場ではないだろ。ここは皇后の両親が皇后に与えた屋敷だ。おまえはそこの居候の身なんだから、文句言うな。そんなに文句を言いたいのなら、ここから出ていってから言えばいいだろ」
「うぬぬぬ……」
 とあたしを無視して常葉と女御は火花を散らす。
 あのぉ〜。本来あたしと女御がする場面じゃないのぉ?