第弐拾四章 難題

 

 香合わせに勝ってから麗景殿の女御は何も言ってこなくなった。あのときの勝負の緒が引いてちゃんと約束どおり何も言わずただ毎日を過ごすという感じになった。そして何かと相談にものってくるようにまで仲良くなった。
 そのおかげで前に比べてあたしは気ままに生活することができるようになった。しかし、皇后としての問題は山積みである。麗景殿の女御を倒しても、まだ宣耀殿の女御と桐壺更衣という存在がまだ残っているのである。そう思った矢先、とんでもない噂が内裏内で広まった。それは宣耀殿の女御が懐妊したということである。あたしはそれを聞いて常葉に問い詰めたが、常葉は物凄い勢いで否定した。本人曰くあたしのプレゼントを考えるために相談しには行ったが、それ以外は行っていないそうだ。それでもあたしはしばし常葉を疑いまくった。
「はぁ…。改めて帝の正妻って大変よね〜」
 とあたしは昼間から脇息に寄りかかりながら溜め息をついた。それを見て八重が笑顔で言った。
「皇后様。そのように溜め息ばかりついていますと幸せが逃げてしまいますわよ」
「分かっているわよ。でも、残りの二人をどう対処するかっていうのは大切だと思うのよ」
「確かにそうだと思いますが、何も溜め息をつかなくてもいいと思いますよ。マイナス面ではなくプラス面で物事を考えた方がまだいいと思います」
「そうね。マイナス思考でいったらどんどん悪い方向へ行きそうだものね」
「そのとおりでございます。明るく考えた方がよりよく考えがまとまると思いますよ」
「千景!!」
 とタイミングよく公務を一段落した常葉が嬉しそうな表情で部屋に入ってきた。
「はぁ〜。やっぱりおまえが傍にいないと、ろくに公務に手がつけられないよ。大臣たちもその辺は困っているようだけどな」
「歴代の帝は自分の妻を平等に満足させなければならないっていうらしいわね。でも、源氏物語の桐壺帝は常葉みたく一人の女性しか愛さなかったわ」
「そうだろうな。大臣たちは俺に嫁いだ自分の娘に寵愛を向けて、俺の子を設けさせて天下を取ろうと躍起になってるからなぁ。
 そうそう。子供で思い出したんだけど、あの話聞いたか?」
「あの話って?」
 あたしは常葉の言葉に首を傾げると、常葉は嬉しそうに言った。
「ほら。宣耀殿の女御が懐妊したっていう噂が内裏内で広まっただろ」
「あーそうだったわね」
 あたしはその話を聞いて急にむすっと機嫌を悪くした。
「おいおい。俺は宣耀殿にあれ以降一度も足を運んだことがないって何度も言ってるじゃないか。それにその話に続きがあるんだよ」
「続き?」
「そ。それも嬉しい続きだ。宣耀殿の女御は妊娠なんかしていなかったんだ」
「へ?妊娠をしてない?!でも、吐き気が伴ったって言ってたし、どう見ても妊娠にしか……」
「妊娠は妊娠でも想像妊娠だったんだよ」
「想像妊娠〜?!」
 あたしは常葉の話を聞いて目をぱちくりして驚いた。
「想像妊娠って自分は妊娠たって思いこんだアレ?!」
「そうだよ」
「でも、よく想像妊娠だって分かったわね」
「何でも女房の話だと女御は普通に月の障りがおきたらしいよ。妊娠したっていったら月の障りなんて起きないんだろ?」
「そりゃそうだけど……」
「これで俺の無実は証明されたわけだ。ちなみにむちゃくちゃ喜んでいた右大臣だけど想像妊娠だって分かった途端恥ずかしくて出仕してないそうだ。
 ほ〜れみ。俺の言っていたことは間違いなかっただろ?」
 とやたら嬉しそうにあたしの顔を覗き込む常葉。
「そうね。悪かったわ。疑ったりして……」
「分かればよろしい。だけど、タダでは許さないよ」
「どうすればいいわけ……?」
 ったく次の行動が手に取るように分かるわ。
 あたしは半分呆れながら尋ねると、常葉は嬉しそうに言った。
「明日は一日中俺の傍にいろよvv」
 あーやっぱり、そういう魂胆かい。
「分かったわ」
 あたしは脱力しながら返事をすると、常葉はガッツポーズをした。しかし、すぐにあたしをじーっと見て心配そうに言った。
「おまえ、最近大丈夫か?やたら元気がないぞ」
 とズバッと見抜く常葉。あたしは無理な笑顔で言った。
「ん。ちょっとね」
「おいおい。俺に隠し事ナシだって言ったくせに無理して隠すなよ。俺たちは宿世の夫婦だろ。おまえが辛いときは俺も辛い」
 常葉はそう言うと、あたしを自分の元に引き寄せた。
「おまえ、また側室のこと考えてたんだろ」
 とここまで見抜いてしまう常葉。あたしは驚きのあまり何も言えなかった。
「可愛そうに。俺がおまえをちゃんと守り抜いてやるって言ってるのに自分ひとりで解決させようとするんだから。おまえの悪い癖だぞ」
「でも…これが帝の正妻に課せられた使命なのよ」
「使命なんかじゃない。おまえはただ無理にやろうとしているだけだ。俺とおまえが三途の川にいたときおまえ俺に『他の女との戦いはゴメンだ』って言ってたじゃないか。それなのに今となってどうして戦おうとする?する必要なんてないだろ。おまえはただ俺を信じ、愛せばいい。俺はそれだけで十分なんだよ」
 と辛そうな表情で言う常葉。そして常葉はあたしの髪を優しく撫でた。
「初めておまえに恋心を抱いたときのことちゃんと話したことなかったよな。
 俺がおまえに恋心を抱いたのはおまえの正義感溢れる行動とこぼれる笑顔だったんだ。それは今も同じ。おまえの存在こそが俺の全てなんだよ」
「ぶ。びぇ〜ん…」
『?!』
 常葉の言葉に胸を打たれ、いい雰囲気になりかけていたとき、あたしと常葉の間に女の声が割って入ってきた。その声にあたしと常葉は眼が点になり、しばし硬直した。そして、ぎぎぎぎぃ〜っと首を動かしてみると、そこには涙を洪水のようにボロボロ流し、折角の化粧も崩れ、一瞬化物かと思うくらいすごい形相になっている恵式部が泣いていた。
「ど…どうしたの……?」
 あたしはちょっと引きながら恵式部に尋ねると、恵式部は泣きながら言った。
「じ…ずつ……ふた……」
「何言ってるかわからねぇよ!!」
 と何を言っているか分からない恵式部に対して不機嫌な表情で言う常葉。しかし、恵式部は泣き続けてばかり。
「誰かにいじめられたりしたの?」
 あたしはそっと恵式部の背中を擦りながら尋ねると、恵式部は泣きながら首を横に振った。
「ぢがう゛ん゛でず〜〜…」
「じゃあどうしたのよ?」
「実はぁ〜…私の彼氏がぁ〜……あんなに『君しか愛さない』って言ったくせにぃ〜…不倫してたんですよぉ〜…!!うえぇ〜んっ!!」
 と理由を言うなりまたもや大泣きし始める恵式部。もはや誰もこの状態をどうすることもできない。ただあたし達は恵式部が落ち着くまで黙って見守るぐらいしかできなかった。
 恵式部の彼氏って確か、中納言の息子だったけ?確か名前は〜藤原 清隆だったはず。
「常葉、これどう思う?」
「どうって言われても……。本人に確かめてみないと何も言えないよ」
 とあたしの質問に困り果てる常葉。一方恵式部は困り果ててるあたし達の横で湖ができるほど泣いていた。それを見て常葉がぼそっと言った。
「確かめてみるしかないか……」
「確かめるってどうやるの?」
「直接俺が本人に確かめる」
「待て待て待て!!直接常葉が訊いたってあっちはしらばっくれるだけよ!!適当に嘘をついてその場から逃げるはずよ」
「じゃあどうやって確かめるんだよ」
 と不機嫌顔で尋ねる常葉にあたしはちょっと自信アリげに言った。
「こーゆーときは囮を使うのよ」
「囮?」
 とあたしの言葉にオウム返しで尋ねる常葉。その常葉に対してあたしは言った。
「そ。囮を使って恵式部に対して愛しているかどうか真偽を確かめるのよ」
「ふぅん。で、その囮は誰がやるんだ?」
「あたし」
 とキッパリ言うと、常葉はしばし沈黙した。
「……大馬鹿者ぉ〜っ!!俺の正妻が動いてどうするんだよ!!危険すぎる!!」
 と突然ちゃぶ台をひっくり返すオヤジのように常葉が怒り叫んだ。
「なんで?!二条とか八重とか他の女房は昼内裏内を歩いてあっちに顔がわかってるのよ。こーゆーときはあまり外を出てこないあたしが動くべきなのよ!!そっちの方が油断するでしょ!!」
「もしおまえが俺の妻だってその段階でバレたらどーするんだよ!!世間のいい笑い者だぞ!!」
「そのときは本人を脅して口止めする」
 と怒る常葉に対してあたしはキッパリ言うと、常葉は呆れて脱力した。
「もーいい。これ以上言ってもおまえは実行するんだろ。もうこれ以上何も言わないよ」
 と完全に呆れている常葉。あたしを見ながら深い溜め息をつく。そしてぼそりと
「こーなるんだったらもう一度孕ませとけばよかった」
 と常葉は他の人には聞こえないような小声で言った。

 次の日。あたしは八重達に頼み、八重達が使っている服や化粧をし、女房に扮して八重達と内裏内を一緒に出歩いた。歩いていると公達の視線がやたらこちらに向けられている。
 ひょっとしてもうバレたのかしら?あんまりバレないようにいつもより少し濃い目のメイクにしたんだけどなぁ。
 そう思った矢先、あたしの目の前に20を越えたあたりのプレイボーイ系の男が現れた。
「おや、八重ではないか。それと……君なんて言うの?見かけない顔だね」
 と馴れ馴れしい口調であたしに声をかけてきた。あたしはちょっとムッとなりながらも答えた。
「三条と申します」
「三条か。君らしくない名前だねぇ。君だったらこう源氏物語みたく朧月夜と名乗った方がいいと思うよ」
 君らしくないってどこをどう見たらそう言えるのよ?!
 あたしはそう思ったが、口には出さず静かに男に尋ねた。
「……あの、失礼ですけどあなたは?出仕したばかりなので分からないんです」
「こりゃ失礼。私は左馬頭の藤原 清隆だ」
 こいつが、恵式部の恋人か?!ラッキー!こんなにも早く獲物に出会うなんて!!
 そう思った矢先、左馬頭はあたしの手を引っぱり、近くにあった今では使われていない承香殿の中に入っていった。
「ちょ?!何するんですか?!」
「気持ちいいことしてあげるよ」
「結構です。それに左馬頭様は確か恵式部殿の恋人だとか皇后様つきの女房が皆口をそろえて言っておりましたわ」
「確かに恵式部とは一応好きだから恋人関係になっているけど、あれはただの口実に過ぎないよ。私が本当に狙っているのは主上の寵愛を一身に受ける皇后様なんだから」
 な?!なにぃっ?!あたし狙いぃ?!ってことは恵式部はあたしに近づくためのただのエサだったの?!
「ど…どうして皇后様に?」
 あたしは少し動揺の色を見せつつも尋ねると、左馬頭は自慢げに言った。
「公達の噂では君みたく皇后様は絶世の美女らしいんだよ。なんでも太政大臣様のご子息でその姿を主上がいらしたとき、突風で御簾があがってしまったとき現れた姿を見初められて入内したらしいんだ。その美しさは四人の皇子を産んでも変わらないそうだ。だからそんな絶世の美女だったら、主上よりこの私と並んだ方が更に美しさが増すと思うのだよ。君もそう思うだろ?」
「いいえ。私としたら皇后様にとって本当にお似合いなのは主上しかおりませんわ」
 とあたしは左馬頭の言うことをつーんっとそっぽを見ながら否定した。
 あんたみたいなナルシストと誰が並んで歩くかよ!!あたしは常葉だけで十分なの!!
「どうしてそんなことが言える?主上より私のほうが顔よし、姿よし、性格よしなんだぞ。それに皇后様は顔がいい方しか相手しないそうではないか!」
 顔がいい者しか相手しないぃ?!冗談じゃない!!あたしはどんな顔であってもちゃんと皆隔てなく平等に相手してあげてるわよ!!
「皇后様はあなたのような下心有り気の方とはお相手しませんわ。皇后様は誠実の方しかお相手しないんですよ」
「な゛っ?!」
 と驚愕する左馬頭。
「どこが下心有り気なんだ?!私はピュアに思ってだなぁ!!口答えをするのにも程があるぞ!!」
「どこがピュアなんですの?!下心ありありじゃないの!!」
「貴様ぁっ!!言わせておけば付け上がりよって!!その口を言わせないようにしてやる!!」
 とあたしに襲い掛かってくる左馬頭。そのとき――
「左馬頭」
 とタイミングよく常葉の声がすると、襲い掛かってきた左馬頭がぴたっと止まった。そして恐る恐る左馬頭が振り向いてみると、そこにはむちゃくちゃ不機嫌というか怒り顔で所々怒りマークが散らばって腕を組んで部屋の中に入って立っていた。
「お…おおおおおおお主上?!」
「なぁにやってるんだぁ?こんな真っ昼間から…しかも後宮で俺の愛妻に手を出すとはなぁ〜」
「せ…ああああ愛妻?!も…もしかして……?!」
 と常葉の言葉に驚愕し、慌ててあたしを凝視する。そんな左馬頭にあたしはにっこり笑顔で言った。
「はい。あたしが主上の愛妻の皇后よ」
 とそう言ってやると、左馬頭はムンクの叫びの如く青ざめていった。そして、常葉の目の前で土下座をし、
「おおおお主上!!どうか…どうかこのことは父にはご内密に!!」
 と必死に懇願するのであった。常葉は不機嫌で腕を組んだまま静かに言った。
「……俺の愛妻に手を出すとはな。まぁ未遂だったし、今日のところは見逃してやる。だが、おまえには恵式部という恋人がいるだろうに…。そーいえば、おまえ恵式部には『おまえしか愛していない』と言いつつ、他の女に手を出しているそうではないか」
「そ……そんなことは決してございません!!私は恵式部殿しか愛さないのでございます!!」
 と、しどろもどろで言う左馬頭。しかし、それだけで怒りが収まる常葉ではない。常葉はあたしのことに関すると人一倍に嫉妬深くなるから……。
「ほう。ならば今後一切恵式部以外の女をナンパするなよ。毎日内裏に出仕する女におまえが手を出したか訊くからな。もしナンパしているのが分かってみろ、今度こそおまえの父に言い、おまえを除籍するからな」
「はは〜っ」
 と厳しく言う常葉に深々とお辞儀する左馬頭。
 それからというものの、左馬頭は他の女性との交際を全て清算し恵式部一筋になったそうだ。これでラブラブな二人になると胸を撫で下ろすあたし達だったが、
「皇后様ぁ〜っ!!左馬頭様が後宮に仕えていない他の女に手を出したんですよぉ〜っ!!」
 と泣きじゃくりながらあたしと常葉がいる部屋に入ってくる恵式部。しかし泣き叫ぶ恵式部に対してあたし達はもう呆れて何も言わなかった。
 やれやれこの二人の問題はこれからも続きそうね。はぁ。頭痛の種がまた増えそう。