第弐拾九章 恋路

 

 朔夜が皇族として初めて宮中に出仕し、女房としてあたしに仕えることになって半月が経った。朔夜もだいぶ女房として板についてきたようだ。と言っても殆ど話相手だけだが、それでも八重たちと仲良くなり、毎日楽しくやっているようだ。
「お姉様。今日は麗景殿の女御様主催の歌合せの宴がある日ですね!!」
 とあたしの部屋で人一倍元気で言う朔夜。あたしは脇息に寄りかかり、苦笑しながら言った。
「そうね。あなたも参加しなさいよ。主上である常葉も是非参加しなさいって言っていたからね」
「はいっ!!でも、朔夜は公に出てしまったらまた男の人から文がきそうで……」
 と急にしゅんっとなる朔夜にあたしは元気付けるように言った。
 そうなのだ。実は宮中で噂が流れてからというもの毎日ように公達から求婚の文が絶えなく、朔夜はうんざりしているのだ。
「大丈夫よ。常葉もそのへんに関してはちゃんと配慮してあるのよ。もし恋文を出したら罰を与えるって言っていたから」
「わぁっ!!本当ですかぁ!!それだったら朔夜参加しますぅ!!」
「よかったわね」
 とお互い喜んでいると、そこに恵式部が駆け込んできた。
「どうしたの?そんなに息を荒らせて」
「そ…それが……宣耀殿の女御様の妹君が……!!」
「女御の妹がどうしたの?」
「ご…ご逝去しました………」
『ええっ?!』
 と恵式部の言葉にその場にいたあたし達全員が驚いた。そして恵式部は荒い息のまま続けて言った。
「それが……女御様の妹君様は頓死のご様子で……」
「頓死ってぽっくり逝っちゃったわけ?!」
 あたしは身を乗り出して尋ねると、恵式部はただ困ったように頷いた。あたしは呆然としたまま居住まいを正した。
「お姉様ぁ〜」
「まさかこんな宴のある日に頓死とはね……」
「はい。主上からは今日の宴は中止だとおっしゃってました」
「そりゃそうね。こんな日に頓死があったんだから中止に決まっているわ」
 とあたしが呆れていると、八重が加えて言った。
「となると宣耀殿の女御様もこれを機に一時里帰りですね。死者が出た場合は仮内裏といえども内裏は神聖な場所。退出するのは当たり前ですね」
「そうね。でも、お気の毒な女御ね。こんな日に肉親が亡くなるなんて…可哀想だわ。せめて魂だけでも成仏なさってくれるといいんだけど」
「そうですね。ですが、あまり情を与えてはなさっていけませんよ、皇后様」
 とちょっと厳しい口調で言う八重。
「もしかしたらこれを機に宣耀殿の女御様は主上のご寵愛をお奪いになるやもしれません。ご注意なさってくださいね」
「わかったわ。なるべく気をつけるようにするわ」
「そうしてくださいまし」
「皇后様」
 とあたし達の間に二条が入ってきた。
「どうしたの?」
「主上がお呼びでございます」
「わかった。すぐ足を運ぶわ」
「じゃあ朔夜も行きますぅ!!」
「あ、朔夜様はおいでにならないでほしいとのことです」
 と付け加える二条。それに納得がいかない朔夜は頬を膨らませた。
「え〜?!どうしてですかぁ〜?!」
「主上は皇后様にお会いになりたいそうです。少々心身お疲れになっているご様子で……」
「ぷぅ〜」
 とまだ二条の言葉に納得がいかない朔夜は頬を膨らませる。あたしはその様子を高見の見物をしながら常葉がいる部屋に向かった。

「常葉」
「千景!!」
 あたしが常葉の部屋を訪れると、二条の言葉とは違って疲れた様子を見せない常葉はあたしの姿を見るなり、あたしの元に駆け寄った。
「遅かったじゃないか」
「朔夜が駄々こねて自分もあたしと一緒に行きたいって言っててね、遅くなっちゃった」
「相変わらずわがままだな〜」
「あなたもあんまり変わらないと思うけどね」
 とあたしはさらりとツッコミを入れると、常葉は押し黙った。
「で、どうしたの?いつもならあなたがこっちに来るのに……」
 あたしは常葉の隣に座って尋ねると、常葉は少し頬を赤くして答えた。
「朔夜がいるからさ、おまえに甘えることができなくて、だからこっちに呼んだんだ。そうすればおまえにありったけ甘えることができるし……」
「今日の宴も全部ぱぁになっちゃったしね」
「ああ。あれはちょっと悲しいけど、しょうがないよ。頓死だから誰も責められないし、他殺と自然死の両面で調べさせているから」
「そう。ねえ、常葉。あなたに甘えてもいい?実のところあたしもあなたに甘えたいわ」
「……意外だな」
 常葉はそう言うと、あたしを自分の元に引き寄せた。
「やっぱり朔夜がいると、目がそっちにいっちゃってあなたに甘えることを忘れちゃってた」
「明日もこうやって俺に甘えてくれよ。今のおまえは可愛い。それに明日は物忌みだから俺は一歩も外に出れないからな。一日中傍にいてくれよ」
「ええ。でも、明日は朔夜くっついてくるわ。物忌みということは公達全員がここに宿直するわけだから隙が大きくできる。みんな朔夜狙いだもの。危険すぎるわ。宮様からも守ってほしいって言われているし」
「そうだな。明日は八重に頼んで女房の一部を物忌みにさせておくのもいいな」
「そうね」
「今日は久々に契りを結ぼうよ。今日なら誰にも邪魔されないはずだ」
 とあたしの顔を伺いながら常葉は言った。あたしはしばしきょとんとなったが、すぐに笑顔になって答えた。
「ええ。いいわよ」
「本当に?」
「もちろんよ。子供達がいないから寂しいのでしょう?」
「ああ。でも、今度の子はできるだけ乳母で育てさせようと思う」
「どうして?」
「おまえとの時間がなくなるから」
 と顔を赤くして答える常葉。そんなときだった。薫兄の慌てふためく声があたし達の蜜月の中に入ってきたのは。
「どうしたんだろな」
「ええ。何かあったのかしら?」
 とお互い顔を見合わせていると、あたし達の部屋に朔夜より少し上あたりの少女が飛び込んできた。
「お兄様〜!!」
 と抱き合うあたし達に飛び込んでくる少女。あたしまで巻き込んで後ろに倒れた。
「げげげっ!!春日宮(かすがのみや)!!」
 頭をぶつけながらも、常葉はその少女を見て顔を強張らせた。
 春日宮?それって確か、お義父様の6番目の御子で、梨壺の女御様との皇女様じゃないの。それじゃこの子が常葉の異母妹……。
「いたたた…。一体何のようだ?」
 とあたしを抱いたまま常葉は春日宮様をどかして起き上がると、春日宮様は目をらんらんにして常葉を見た。
「お久しぶりです。お兄様」
「久しぶりも何も一体何のようだよ。人の蜜月を邪魔して」
「春日宮様!!」
 と薫兄が慌てて部屋に入ってきた。
「おお。薫か。久しぶりだな」
「何を呑気なことを言っているんですか、主上。こちらに春日宮様がおいでになりませんでしたか?」
「ここにいるが?」
 とあっさり答えると、薫兄の顔がみるみるうちに強張った。
「ん?どうした?」
「春日宮様!!あれほど主上の御前に御簾の奥に入ってはいけませんって申したでしょう!!」
 と御簾越しで怒る薫兄。しかし、春日宮様は平然として答えた。
「別にいいじゃないの。兄弟なんだし」
「兄弟といえども成人なさった女性は御簾越しで話すのが常識ですぞ!!」
「大将はいつもうるさいなぁ」
「いや、薫の言う通りだぞ」
 といつになく厳しい口調で言う常葉に、春日宮様はただ呆然となった。
「……酷い。お兄様まで大将の味方なのぉ。もう宮の心はずたずたですぅ」
「んだったら屋敷に戻って一人で泣いてろ」
 と常葉はめそめそする春日宮様に投げやりの口調で言った。それを聞いて春日宮様はあたしにずずいと顔を近づけ、あたしの手を取り、目をらんらんにさせて言った。
「お義姉様は同じ女性ですもの。宮の味方ですよね?」
「え?!」
 といきなり振られてあたしは困惑した。
 味方って今回に関してはこの人の味方になれないわよ。そりゃあたしも成人したてのときは御簾なんて嫌だったけど、常葉の元に嫁いでからは他の男に顔を見られたくないって思ったからなぁ〜。
「こら、春日宮。皇后を困らせてどうする」
「だぁって味方は少しでも多い方がいいでしょう」
「だからって関係のない皇后にまで火の粉を撒き散らすな」
「あら。今回のことに関してはお義姉様もちゃぁ〜んと関係しているわよ」
『は?』
 と春日宮様の言葉にあたしも常葉も目が点になった。
「一体それはどーゆーことだよ」
「私、蔵人頭に恋したの!!」
『はぁ?!』
 とその場にいた誰もが春日宮様の言葉に驚愕した。
「何を言うかと思ったら…。冬輝はもう蛍宮と結婚しただろうが」
「そうよ。そうなのよ!!蔵人頭ったら私という者がありながらお姉様と結婚しちゃったんですもの〜!!酷いわ!!」
「酷いって、二人とも政略結婚ではなく、相思相愛になって結婚したんだぞ。それに二人の間にはもう子供いるじゃないか」
 そうなのだ。冬兄は常葉の妹宮である蛍宮様と結婚し、惟隆が生まれた同じ年に蛍宮様が女の子を出産したのである。確か名前はあたしの名前を一字取って、千秋と名づけられた。そして現在では惟隆の乳母子として左大臣邸で仲良くやっているらしい。それに母親である蛍宮様とも何度となく交流をしていて、何でも分かち合える親友状態でもあるのだ。
 しかし、春日宮様は常葉の言葉を聞いて更に怒り、とんでもないことを口にした。
「それが許せないのよ!!ラブラブにも程があるわ!!こうなったら明日の物忌みを利用して蔵人頭のところに夜這いしにいく!!(※注意:夜這いは男がするものです)そして蔵人頭の子を設け、お姉様を側室にして、私が正室にになるのよ!!だから妹に当たるお義姉様に協力して欲しいの」
「アホか!!いくら恋したからって相手は既におまえと同じ皇族と結婚してるんだぞ。正室も側室も皇族だなんて聞いたことがないぞ!!それにあっちは一途で通しているんだ。無理矢理やっても向こうが困るだろ」
 と常葉が言うと、春日宮様はうるうると涙目になり、ついには泣き出してしまった。
「だって…好きになったんだからしょうがないじゃない。どんな手段を使ってもいいから振り向かせたいと思うじゃないの」
「その気持ちは分かるけど、相手が悪かったと思いますよ」
 とあたしは泣きじゃくる春日宮様を宥めたが、春日宮様は泣いたまま声を張り上げて言った。
「どーして?!どうして結婚してしまった人を好きになっちゃいけないの?!」
「いけないとかそーゆー問題じゃなくて。冬輝は父上である左大臣と同じように一人の女性しか愛さないと言っているんだよ」
「だからって!!」
「俺が何か?」
 とあたし達の会話に冬兄が不思議そうに入ってきた。それを見て、春日宮様は顔を真っ赤になった。
「兄上。どうしたんです?」
 といきなりの冬兄の登場に薫兄は呆然としたまま尋ねた。
「え?どうしたもこうしたも主上に書状をお持ちしただけなんだが?」
 と状況が掴めていない冬兄。そこにあたしがこう質問を切り出した。
「ねぇ、最近千秋ちゃんの様子はどう?」
「ああ。千秋はとても元気だよ。惟隆の皇子様とも楽しく遊んでいるみたいだし、蛍宮ともうまくいっている」
 とタメ口で父親顔をしながら嬉しそうに言った。冬兄は常葉と親友なんだって。だから常葉とあたしの前では常葉の許可でタメ口になる。しかし、今回の場合は春日宮様の存在をすっかり忘れているようだ。
 あたしはそんな冬兄に別の質問を吹っかけた。
「そんな生活の中に一人の女性が冬兄にラブコールをしてきて二人の蜜月生活を邪魔してきたらどうする?」
「そりゃ困るよ。蛍宮のためだもの、全身全霊をもってその人をお断りするよ」
 とキッパリ答える冬兄にショックを受ける春日宮。それを知ってか知らないでか、冬兄は常葉に向かって言った。
「そうそう。言うのをすっかり忘れてました。主上、実は妻である蛍宮が第二子を妊娠しました」
「おお。そうか。それは嬉しい知らせだな。俺たちもそろそろ五人目を作ろうと思っている。もし、千景が今年中に身篭ったときはその子の乳母と乳母子して頼むよ。そう蛍宮にも伝えといてくれ」
「はい」
 と二人で会話する中で、ショックのあまり春日宮様はすっかり溶けてしまった。
 第二子ができたっていうのが一番ショックだったみたい。そして冬兄は常葉に書状を手渡すと、ようやく春日宮様の存在に気づいた。
「おや。春日宮様いたんですか?気づかなくてすいません」
 と申し訳なさそうに言うと、今まで溶け切っていた春日宮様が元に戻り、うっとりと冬兄を見た。
「春日宮様、どうしてこの嘉稜院に?」
「え…えと、お兄様に会いに来たんです」
 と優しく尋ねる冬兄に猫をかぶる春日宮様。この様子を見て改めて彼女が冬兄に恋していることが伺われる。
 いいなぁ。あたしもあの頃に戻りたいかも〜。ってあたしの場合、女房たちの目から見たらしょっちゅうこんな状態にいるか。
 そう思っていると、春日宮様は意を決したように冬兄に告白した。
「あの!!蔵人頭殿!!」
「はい?」
 と何も疑わず首を傾げる冬兄は春日宮様の顔を伺う。それに対して顔を真っ赤にして怖気つつも春日宮様は続けて言った。
「あの…私……。私!!あなたのことずっと…ずっと好きでした!!お姉様が正室でもかまいません!!私を娶ってあなたの側室にさせてください!!」
 と一気に言ったのである。冬兄は最初そのまま目が点になって状況が飲み込めていなかったが、春日宮様の真剣な目を見つつ、やっと状況を理解することができたようだ。そして、申し訳なさそうに答えた。
「ごめんなさい。春日宮様の気持ちは嬉しいけど、俺はその気持ちに応えることができない。俺はあなたの姉宮である蛍宮を心の底から愛しているんです。だからその状況の中であなたを愛することなど到底できない。それではあなたは不幸な状況に置いてしまうことになる。だからごめんなさい」
「そう……ですか」
 と相当ショックを受けた。
 ま、相手が悪かったとしか言えないわね。でも、初恋の相手が冬兄なんて、ううん〜。妹としては嬉しい(?)かも。
 それから冬兄は常葉から書状を受け取ると、薫兄と一緒に部屋を退出していった。そして、この部屋にはあたし達夫婦と、春日宮様だけが残された。その場に残されたあたし達は物凄くショックを受けている春日宮様に元気付ける言葉すら出ず、ただ沈黙が部屋中に充満する。
「……あの。春日宮様」
 あたしは勇気を出して春日宮様に声をかけたが、春日宮様はぴくりとも反応しなかった。それでもめげずにあたしは続けて言った。
「初恋は破れてしまったけれども、そう気を落とさないで。また次がありますよ」
「……次っていつよ。次っていつにあるのよ!!初恋が叶ったあなたに言われたくないわ!!薫の大将はそんなこと言わないわ!!薫の大将は優しく宥めてくれるもの!!」
 と失恋した怒りをあたしにぶつける春日宮様。泣きながらあたしをぽかぽかと叩き、次第にあたしの元に崩れて大声で泣き出してしまった。あたしはただ春日宮様の頭を撫でて落ち着かせることぐらいしかできなかった。
「確かにあたしは初恋が実り、主上と愛を育むことができました。でも、これだけは言えます。恋は前途多難ですよ。多難であればあるほど大きな幸せを掴むことができるんです。
 今回は失恋してしまいましたが、これは次の恋を実らせるステップだと思えばいいんですよ。それに宮様はもう次の恋をしているじゃありませんか」
「え?!」
 とあたしの言葉に春日宮様は泣きやみ、あたしの顔をじっと見た。
「いつ私が次の恋をしたのよ?」
「もうすでにしてらっしゃいますよ。薫の大将という殿方にね」
「そ!!そんなこと!!……そんなことない…わよ」
 と最初は大声を張り上げていた春日宮様だったが、次第に顔を真っ赤にし、声も小さくなっていった。
 やっぱり。春日宮様ったら薫兄に恋しているのね〜。ってちょっとまて。春日宮様ったら二股かけてたわけ?
 ひゃ〜意外におませさんだこと!!
「千景」
 といきなりにやにやと常葉があたしに声をかけてきた。そして、あたしも耳元で小声で言ったのである。
「どうやら、おまえが言ったこと…ビンゴみたいだぞ」
「そうみたいね。さっきの言葉にも薫兄が出てきたみたいだし、もしかたら今度は薫兄にラブコールを送るわよ」
 とあたしも小声で応対すると、春日宮様ははぁっと大きく溜め息をついた。
「………お義姉様の言う通り、私……薫の大将に惹かれてると思う。だって冬輝の蔵人頭のことを考えながら大将のこと考えてたし……」
「それでいいじゃないですか。乙女というものはそういうものですよ。あとは思った通りに行動すればいいじゃないんですか」
「そうよね!!そうですよね!!私、明日から頑張ります!!」
 と宣言するのだったが、次の日、どうあたしの言葉を理解したのか、春日宮様は薫兄に直接ラブコールをしに行ったそうだ。それだけならまだいい。四六時中薫兄の傍を離れずラブコールをし、邪魔立てする者に対しては噛み付いているらしい。そのおかげで薫兄はむちゃくちゃありがた迷惑を食らっているそうだ。
 なーにやってんだか二人とも……。
 一方、あたしと常葉はというと薫兄の悲鳴を聞きながら蜜月を過ごし、夜は子作りに勤しんでいたのであった。