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第参拾章 実り |
| 「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 と快晴の中仮内裏である嘉稜院では毎日の如く薫兄の悲鳴と騒音が響き渡った。 今日もか……。 あたしは自分の部屋で常葉と蜜月を楽しみながら薫兄のことを哀れに思えてきた。 「薫も今日も大変だな。朝もはよから春日宮のラブコールに襲われるんだもんなぁ。それに比べ俺たちは幸せだな」 「ね〜」 と薫兄をよそにすっかり蜜月に浸っているあたし達。そこについに薫兄が物凄い勢いで逃げ込んできた。 「失礼しますぅ〜!!」 「おお。薫か。そろそろくるかと思っていたよ」 「薫兄もそろそろ春日宮様のラブコールに応えてあげたら?あんなに好きだ好きだ〜って言ってくれる人なんてそうそう出てこないわよ」 「だけどさ〜。こう毎日こられるとさすがに参っちゃうよ」 「好みじゃないの?」 「好みというわけじゃないけどさ、僕だって昔の好きな人こと忘れきってないんだよ」 「ああ。未亡人の若菜殿ね〜」 とあたしがさらりと言うと、薫兄はず〜んっと暗くなった。 あちゃ〜言わないほうがよかったかも……。 「千景。昔の傷つくこと穿り返さないでよ。たださえまだ引きずってるのに……」 「ごめん、ごめん。まだ引きずっているとは思わなかったんだもの」 とあたしは慌てて手を合わせて謝ると、薫兄はジト目でしばしあたしを見る。そこに常葉がけらけらと笑いながら言った。 「へぇ〜。昔はあんなに泣き虫だったくせに今はすっかり恋する男か〜。昔からは想像できない行為だな」 「ちょ…!!いくらなんでも主上も酷いですよ〜!!これでも一応大人なんですよ!!」 「そーだよな。もう何年も経っているんだもんな。変わっていてもおかしくないよな」 「そうですよ。それに主上も僕と同じようにすっかり変わっているじゃないですか。初恋の相手を少々苦労しつつも手に入れることができてこうして蜜月を過ごせるようになったんですから。これは僕達の功績でもあると思いますよ」 「そーだな。おまえ達があれこれやってくれたからこうして愛しい妻を手に入れることができたモンな」 と常葉はそう言いながらあたしを引き寄せた。そこに――… 「薫〜〜〜っ!!」 と春日宮様が探しにやってきたのである。それを聞いた薫兄は小さく悲鳴をあげて縮こまった。 「薫。俺達の後ろにある几帳に隠れろ。俺達がうまく誤魔化してあげるから」 と言う常葉だったが、時は既に遅し、春日宮様が勢いよく入ってきたのである。 「きゃ〜〜〜っ!!薫、みぃ〜つけたぁ!!」 「ひえぇ!!宮様、ご勘弁を〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 と悲鳴をあげるが、腰を抜かしたみたく身動きを取れない薫兄だったが、春日宮様は容赦なく薫兄に抱きついた。 「ねえねえ薫。私の愛を受け取ってよぉ〜」 「いくら宮様でも身分という差があるんですよ!!」 「なに言うかなぁ!!薫はお兄様やお義姉様をお守りする大将でしょ!!大将って公卿の登竜門じゃないの!ってことはいずれ公卿に遊ばすってことじゃないの!!だったら、皇族である私を今から娶ってもおかしくないってことじゃないの!!」 「しかしですねぇ……」 とすっかり困り果てている。そして何故かあたしをじーっと見るのであった。 あたしに助けを求めているのかしら?それとも違うこと? 「と…とにかく!!愛を受け取る受け取らないは僕が決めることです。宮様は大人しくお邸にお戻りください」 「じゃあ、戻ったら私と結婚してくれるのね!!」 「宮様!!」 と怒る薫兄に、ついに常葉が助け舟を出した。 「春日宮。これ以上大将を困らせてどうする。さっさと邸に戻って、花嫁修業でもしてたらどうだ?大将の妻に相応しいのは夫に一身を捧げる良き妻ではなければならないからな」 「あ、そっか!!私屋敷に帰って早速花嫁修業してきますね!」 と嵐が去るように去っていく春日宮様。それを見送って、常葉は薫兄に同情するように言った。 「おまえも大変だなぁ〜」 「そうでしょう。それに僕は新しい恋をしているんです」 『えええ?!』 と恥ずかしそうに言う薫兄にあたしと常葉は驚愕した。 「薫兄、もう新しい恋をしてたの?!」 「相手は誰なんだ?!また人妻か?!」 と質問攻めするあたし達。薫兄は顔を赤くしながら咳き込んだ。 「失礼ですが、今回の相手は人妻ではありません。ちゃんとした未婚の方ですよ」 「だから相手は誰って聞いているんじゃないの!!」 「千景……あなたに仕えている二条という女房です」 「へぇ〜…二条かぁ。あの子は凄く面倒見がいいし、明るいから……へ?!二条に恋したの?!」 「そうだよ」 と薫兄ったらまるで恋した男のように答えるのよね。 「もう告白したのか?」 「はい。今朝方呼び出して告白しました」 「で、返事は?」 とわくわくしながら身を乗り出すあたしと常葉。薫兄はちょっと引きつつも答えた。 「OKが出ましたよ。でも、彼女は『春日宮様がお相手だなんて……』ってすっかり気落ちしてしまって……」 「だったら既成事実でも作って諦めさせればいいんじゃないか?」 と困っている薫兄に対して常葉はさらりと答えた。それに更に困る薫兄。 「でも、そんなことをしたら春日宮様の心が更に抉られそうで……」 「おまえな。そんなことしてたら両方とも傷つくぞ。おまえは二条を正妻として迎えたいんだろ?」 「できれば。でも春日宮様が……」 「確かに春日宮は失恋しているよ。でも、おまえが思い切って突き放さなければ向こうはずっと追いかけつづけるぞ」 「僕は……二人を同時に幸せにしてあげたいんですよ」 「………こうなったら両方とも娶ればいいじゃないか」 「でも……」 と気が引けている薫兄に常葉はついに切れた。 「いい加減にしろよ!!そーやっていじいじしているなんて男じゃないぞ!!同じ性を持った俺からしてみればすごく恥ずかしいよ!! 薫。これは命令だ。二条と結婚し、春日宮のことはすぱっと諦めろ」 しかし薫兄はただ黙り込んだだけだった。その場に重たい雰囲気が流れる。あたしは男のことだけに何もアドバイスをあげることができず、惨めだと思った。 それから次の日、薫兄は一大決心をし、今日も追いかけに来た春日宮様にはっきり「自分はあなたではなく、別の女性を愛し始めた」と言ったそうだ。言うまでもなく春日宮様は茫然自失。あたしの部屋で魂が抜けたような人形と化し、固まっていた。 「あの……春日宮様?」 あたしはあまりにも心配になって声をかけるが、春日宮様の反応は全くナシ。部屋にいた女房達や朔夜までお手上げ状態になっていたのだった。そんなとき、二条が慌ててあたしの前から去って行った。あたし達はその行動に興味津々になり、こっそり御簾から様子を覗いたのであった。 そして目と鼻の先には二条と薫兄がお互い見つめ合っていた。 「まあ。二条ったら、殿方がいらっしゃったのですね」 「しかもお相手は薫の大将よ」 と小声で驚く八重と恵式部。他の女房たちも黄色い声をあげている。そしてあたし達の目の前で、薫兄が二条に接吻をしたのである。それをモロに見てしまったあたし達は声を押し殺し、慌てて部屋の中に引っ込んだ。 そして引っ込むなり、女房達はその話題で持ちきりになったのであった。 「見ました?!見ました?!二条ったら薫の大将を恋人になさってたなんて!!」 「羨ましいわぁ〜!!天下の左大臣様の嫡男ですもの〜!!」 「そうよね。私も冬輝様とご結婚したかったわぁ〜!!」 「あら。まだ左大臣様にはご嫡男が一人いらっしゃいますわ!」 「ああ!!皇后様の弟君であらせられる葵様ですね!!でも、葵様が元服なさるときにはすっかり私お婆さんですわ」 と一同溜め息を洩らす。そこに話題の種である二条が頬を赤くして戻ってきたのである。二条が戻ってくるなりさらに溜め息をつく女房たち。 「まあ。幸せ者の二条よ」 「え?!え?!」 と状況が飲み込めない二条は困っている。そこに恵式部たちがにやにやと笑って尋ねた。 「ねぇ、二条さん。あそこで薫の大将と何をなさっていたの?」 「え?!それは……」 「教えなさいよぉ。仮にも大将の妹君であらせられる皇后様の御前よ。ちゃんと言わなくては皇后様も困ってしまいますわよ」 と皆で話すように促す。二条はしばし考え込み、意を決したように言った。 「皇后様。私…薫の大将様に求婚されたんです」 「なにぃ〜〜〜〜〜っ?!」 本来驚くはずのあたしではなく、今まで茫然としていた春日宮様があたしの代わりに驚愕の声をあげた。そして、二条をぎろりと睨みつけ、すかさず近づき、襟首を掴み吠えたのである。 「この泥棒猫!!よくも私の薫をぉ〜〜〜〜っ!!本当は私と結婚するんだからぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」 「そんなこと申されても……」 「酷い!!皆して私の好きな人を奪ってくなんて!!」 「春日宮様落ち着いてください!!落ち着いて話を……」 「嫌よ!!私が何日もラブコールを送ったのに、薫は私を見ずに違う女を見ていたなんて!!許さない!!許さないわ!!」 と人の話を全く聞こうとしない春日宮様は我を忘れて二条に暴力を振るう。あたし達が慌ててその間に割って入っても、春日宮様の怒りは静まるどころか、更に酷くなる一方だった。そして必死に止める女房たちを跳ね除け、更に二条に暴力を振るおうとする。そのとき、この騒音を聞きつけて、右近の中将、薫兄が駆けつけてきたのである。しかし、愛しい薫兄が現れても一向に怒りを納まらない春日宮様。ついには物を投げようとしたが、そこに薫兄が割って入り、春日宮様が持つ物を引き離し、そしてあたし達の目の前で、春日宮様を引っ叩いたのである。 予想外の行動にあたし達は驚愕し、茫然と立ち尽くした。 「……いい加減にしてください、春日宮様」 と肩で息をしながら薫兄は静かに言った。 うっひゃぁ〜。珍しく薫兄が切れた〜〜!!男兄弟の中で一番おっとり系だもんなぁ。切れるときって本当に怒ったときだけだもの。滅多に見れないのよね。 「………薫。どうして…?どうして私ではなく、お義姉様に仕える女房なの?!血筋なら私の方が高貴なのよ。貴族は高貴な血族を好むじゃない!!」 「……それは他の貴族がすることでしょう。僕は愛しい人のためなら身分や血筋など関係ない。ただ一途に愛すだけです。 前までは主上の命令に背き、あなたも二条と一緒に幸せにしようと思った。でも、今のあなたは憎しみに支配された亡者だ。そんな人を自分の元に娶る気になど到底なれない。 もう…これ以上僕のことに首を出さないでください。あなたの行動がとても迷惑なんです」 おおっ!!ついにいじいじしてた薫兄が言ったぁ!! と別の意味で喜ぶあたしだったが、春日宮様にとってはまさに寝耳に水。ただ信じられないように立ち尽くすだけだった。そんな春日宮様を横目に薫兄は傷ついた二条にそっと近づき、あたし達がいるのにも関わらず、目の前で二条を抱き上げたのだった。 「ごめんなさい、二条。僕のせいでこんなに傷だらけになってしまって……」 と泣きそうな薫兄に二条は何も言わずに抱き返すだけだった。 その後、薫兄は常葉の命令どおり、春日宮様を娶らず、ただ一人の妻、二条と結婚をしたのである。結婚してからというもの二条は相変わらずあたしに仕えてくれているが、あたし達の目の前だというのにも関わらず、ラブラブぶりを見せつける。そしてその行為を見て競争心を芽生えさせるのが一人。そう。常葉である。おかげで薫兄達に対抗するようにいちゃいちゃしてこようとするのであった。 一方、春日宮様は薫兄の言葉にすっかり落ち込んでしまい、屋敷で毎日泣いているそうだ。 やれやれ。いつになったら恋路の悩みは尽きるのやら。 |