第弐拾五章 疑惑

 

 毎日平和な日々が続く。あたしも常葉も子供達がいない分思う存分愛し合った。だが、最近その中に帥の宮様が乱入してくるようになった。常葉にとってはそれが頭痛の種らしいが、あたしにとってみれば、おちゃめな兄弟のやり取りにしか見えなかった。だからあたしは止めに入ることもないし、常葉の味方につくわけでもない。二人のやりとりを面白おかしく見学させてもらっている。今日もそうになるに違いない。だってもう帥の宮様があたしの部屋に来ているんだもの。あとは常葉が来るのみ。しかし、常葉はなかなかあたしの部屋には訪れなかった。いつしかあたしと帥の宮様は女房と一緒に遊んでいた。
「どうしたんでしょうか?ちょっと様子を見てきますね」
 と帥の宮様も心配して立ち上がったが、その拍子に足を服に引っ掛けてしまい、あたしの方に倒れてきた。あたしは逃げることができず帥の宮様もろとも後ろに倒れ込んでしまった。しかし、その拍子にあたしと帥の宮様はあろうことか接吻をしてしまったのである。その行動にあたしも帥の宮様も目が点になり、硬直した。
 え……。今、あたし帥の宮様と接吻してるの…?それって……それって一種の不倫?!ぎゃーっ!!どうしよう!!あたしは常葉だけの女のつもりなのにぃ〜!!
 常葉早く来てよ〜!!どーしてこういうときに限ってこないのよ〜!!いつもならすぐ飛んでくるのに……。
 そう思っていると、帥の宮様はようやく我に返ったらしく、顔を真っ赤にさせて慌ててあたしから離れた。
「す…すすすすすすいません〜!!」
 と口元抑えて必死に謝る帥の宮様。あたしもようやく女房の手を借りて起き上がることができた。あたしはちょっと動揺しながら言った。
「だ…大丈夫よ。それより帥の宮様、お怪我はありませんか?」
「大丈夫です!!ですが、主上の寵妃である皇后様を傷物にしてしまったような……」
 傷物って……。確かに常葉以外の男と接吻したのは傷物の部類に入るかもね。
 あたしはそう思いつつ笑顔で言った。
「しょうがないですよ。これも運命だったんですから。そう思えば何ともありませんよ」
 とか言いつつ、本当はかなりショックを受けて納得できない状況だったりする。それから幾時間が経ち、あたし達は変わらず遊んでいると、やっと常葉があたしの部屋に訪れたのである。
「常葉!!」
 あたしは思わず顔を綻ばせて呼ぶと、常葉は少し寂しそうに笑顔を向けた。
 ???
 あたしは彼の表情を理解することができなかった。そんなとき、常葉は顔を出すだけで再び部屋から出て行ってしまったのである。
「どうしたのかしら?」
「さあ?何か物思いにふけていらしたようですが……」
「変ね。最近はあんなことしなかったのに……。あたし様子を見てくるわ」
『え?!』
 とあたしが立ち上がった途端、帥の宮様を含め、女房達の目が点になった。
 な……なによ……。
「皇后様とあろう方がこんな昼間から顔をお出しになっては……」
「別にいいでしょ。とにかくあたしは清涼殿に行ってくるから」
 あたしはそう言い切り、止める女房達を無視してあたしは部屋から外に出て行ったのである。
 あたしはとととっと素早く行き、簾子からそっと常葉のいる部屋を覗き込んだ。扉は何故か開いており、そこには常葉が脇息に寄りかかっている後姿があった。常葉は何度も溜め息をついている。そしてぼそりと呟いた。
「俺は…恐れているのだろうか。千景が帥の宮に取られてしまうことを。だが、千景は俺のことを思ってくれているみたいだけど本当なのか?」
 な…?!なんですって?!なんで帥の宮様とあたしが恋仲にならなきゃいけないのよ!!
 と心の中で怒っていると、常葉は続けて呟いた。
「俺は千景が俺しか見ないように四人目を身篭らせたけど、もしこれ以上子供が身篭らなければ、俺と千景の繋がりがなくなってしまう。そうすれば千景は俺を見なくなり、俺から離れていってしまう。それが現実になることが俺にとってとても怖い」
 あたしが知らない間、そんなことをずっと思い続けていたのか。あたしはエスパーなのにそんなこと気づきもしなかった。
 でもね。あたしは常葉から離れるつもりなんてないんだよ。常葉はあたしにとって最初の人で大切な人なんだから。あとで常葉が来たらちゃんと告白しよう。
 かたんっ。
 あたしが後ろに下がり、自分の部屋に戻ろうとしたとき、たまたま持ち合わせていた扇を落としてしまった。その音に驚いて、常葉が後ろに振り向いた。
「……千景。今の話、聞いていたのか?」
 驚く常葉にあたしは申し訳なさそうに頷いた。それを見て常葉は手を差し出し、
「そんなところで立ってないでこっちにこいよ」
 あたしはその言葉に甘えて常葉の元へ行くと、すかさず彼に抱きついた。
「千景。聞いてたんだ」
「ごめん。聞くつもりは無かったんだけど、聞いちゃった。でもね、常葉は誤解しているわ」
「え?!」
 とあたしの言葉に驚く常葉。あたしは抱きついたまま苦笑し続けて言った。
「常葉は子供で繋がりを保ちたいと思っているけど、あたしは最初からそんな風に思っていないわ。あたしは常葉のことが大好きだから常葉の子供を産むの。
 だから子供は二の次ってことなのよ。あたしが一番大事にしているのはあなたとの愛を育み続けること。あたしはあなたから離れるつもりはないわ」
「………本当に?」
 と不安そうに尋ねる常葉。
「本当よ。だって常葉はあたしにとって最初の男性なんだもの。兄達は兄弟だからそんなこと思ってもいないんだからね」
 あたしがそう言うと、常葉は力強くあたしを抱き返した。
「だからね、常葉。そんなに不安がらないで」
「うん」
 と抱きしめながら常葉は頷いた。
「千景」
「ん?」
「膝枕して」
「いいわよ」
 あたしは笑顔で言うと、常葉から離れ、膝を立てて座り直すと、常葉はあたしの膝に寝転がった。
「ゴメンな。おまえを疑ったりして」
「いいわよ。誰だって疑ってしまうことがあるわ」
 あたしがそう言うと、常葉が手を伸ばし、あたしの頬を触った。

 その日の夜、あたし達は久々に契りを結んだ。常葉はいつにも増して凄かった。しかし、その日あたしは何故か不安がよぎった。
 こんなに胸騒ぎがするなんて……。今までこんなことなかったのに……。こんな雰囲気もしかしたら吏珀みたいな感じだ。
 そう思いながら、あたしは常葉に全てを預けて抱かれていた。
「んん……」
「可愛い声」
 常葉はそう言い、あたしの唇を塞いだ。そして、離れるなり、あたしは抱き返した。
「常葉。もっと抱いて」
「いいよ」
 常葉は苦笑し、あたしを更に強く抱きしめてくれたのだ。そんなとき、部屋の中がまるで曲霊が現れたときと同じように空気がどんよりとなった。それに常葉も気づき、あたしを抱きながら起き上がった。
「なんだ?まるで曲霊みたいな空気が漂ってるな」
「曲霊は吏珀と一緒にもう消えたはずよ。なのにどうしてこんなときに?」
「千景。俺から離れるなよ。もしかしたら皐宮の怨霊かもしれない」
「皐宮?それって……?」
「俺の異母兄だ。俺が東宮に指名された時に入水自殺した第二皇子だよ」
「第二皇子?!え?!じゃあ常葉って第三皇子なの?!」
「そうなるね。結構年が離れてるから……。それにその人の母親が身分の低い更衣というのもあるから……」
「その通り」
 と声が部屋中に響き渡る。
 げっ。また似たようなことが起こるのぉ〜。
 あたしはそう思いながら常葉から離れなかった。
「やはり。惟隆や彬が生まれるときに現れて消えたわけじゃなかったんだ」
「当たり前だ。私はおまえを憎んでいるんだ。血筋がいいだけに東宮にあげられ、そして帝の地位にあがるなど、これほどまでに腸が煮え繰り返るほどはないわ。そして、今日もまた子を設けようとしている」
「別に設けようとしていない。俺達はただ愛し合っているだけだ」
「そうよ。別に子を設けようとしてにわよ。勝手に決めつけないでよ。それに姿を出さないなんて卑怯な方ね」
「そうか。ならば見せてせんじよう」
 とあたし達の目の前に10代前半の束帯姿の凛々しい男性がすうっと現れた。
「……義兄上」
 とその姿に驚愕の声をあげる常葉。あたしもまたその姿に驚いた。
 これが、常葉の兄上。母親が違うのに凄く常葉に似てる。なんか瓜二つって感じが漂ってる。
「どうして常葉を恨みになさるの?!恨むなら院をお恨みになさればいいじゃないの。常葉を東宮に指名したのは院なのよ!!」
「そうじゃ。だから院を呪ってやったわ」
『?!』
 あたし達は皐宮の言葉に驚愕した。
 呪った?!じゃあ院に呪詛がかけられているの?!
「だから次はおまえだ」
「残念ながら、俺はあなたにやられるつもりはないですよ。だって愛する人がいるのですからね。
 もっとも、あなたは恋をしたことがないから分からないでしょうけどね」
 常葉のその言葉に皐宮はかちんときたらしく、むちゃくちゃ怒った顔で言った。
「言わせておけば、腹をたつことしか言わぬな。その口を黙らせてやる!!」
「?!」
 皐宮がそう叫んだとき、常葉が急にびくんっと痙攣し、そのままあたしに倒れ込んだ。
「常葉?!常葉どうしたの?!ねぇ、しっかりして!!」
 あたしは常葉の体を揺するが、常葉は気を失ってぴくりとも動かなかった。
「ふははははは…!!やったぞ!!惟守を倒したぞ!!これで私の恨みを晴らすことができたぞ!!」
「酷い!!あなたは自分の恨みを晴らすことしかできないの?!」
 あたしは襲い掛かる恐怖と戦い、常葉を抱きしめながらきっと睨みつけると、皐宮はにたぁっと笑い
「うるさい女の子じゃな。おまえも惟守の元に送ってやろう!!」
「悪いけど、あたしが常葉をこっちの世界に連れ戻すの!!それまで死ぬことなんてできないわ!!」
「そうか。それは残念だな」
 そう言い、手をかがける皐宮。
 ダメ!!常葉を連れ戻すまでは死ねない!!誰か!!
 あたしは常葉をしっかり抱きしめ、目をつぶった。しかし、あたしは意識が飛ぶどころか、全然無傷だったのである。あたしは不思議そうに目を開くと、そこには皐宮が消え、誰もいなかった。
 え…?!どういうこと?あたし、皐宮に何もしてないわよ。
 そう思っていると、どこからともなく皐宮の声が部屋中に響き渡る。
「おもしろい。貴様がどのように惟守を取り戻すか見所だな。せいぜい頑張って取り戻してみろ。ま、無理だと思うがな……」
「無理なんかじゃないわ!!絶対常葉の御魂を取り戻してみせるわ!!」
 あたしがそう叫ぶと、皐宮は高笑いをして消えていった。
 常葉。絶対あなたの御魂をこっちの世界に連れてきてあげるから!!それまで待ってて!!