第参拾壱章 結婚ラッシュ

 

 あの一騒動が終わってから幾日経ったのだろうか。あたし達は平凡な日常を取り戻し、普通の生活を送り始めた。院のご病気も少しはよくなったそうだ。変わったといえば、あたしに仕える女房達が二条と薫兄の結婚を機に彼氏を作ろうと躍起になっていることぐらいだろう。しかも、その騒動にいつもあたしが振り回されて散々な目に遭っている。今日もそうだ。あたしの部屋には恋の話でいっぱいである。
「まあ、沙重は右大臣のご子息を狙っているのぉ?」
「ええ。もう頭脳明晰って感じで素敵なのよぉ〜」
 とうっとりしている沙重と利重。あたしと常葉はそれを呆れて見ていた。
「全く。二条の結婚を機にみんな躍起になっているなぁ」
「それだけみんな結婚に憧れているのよ」
「にしては皆やたら血眼になりすぎじゃないか?」
 と恋話に花を咲かせる女房達を見て、常葉は呆れて言った。そのことにあたしは何も言い返すことができなかった。
 まったく……。20過ぎても殿方が現れないからってそこまで躍起にならなくてもいいじゃないの……。女房だけならまだいい。朔夜まで恋愛に興味津々。いいのか悪いのか。複雑……。
「それじゃあ俺達も蜜月を過ごそうか」
 常葉はそう言うと、あたしの顎をくいっとあげて接吻しようとする。あたしは女房目の前にいるにも関わらず接吻することを許すと、常葉は待ってましたと言わんばかりに熱い接吻をしてきた。
 そして、まだ冬である今日の満月の夜、夜御殿に通されるなり常葉はあたしの服の結び目に手をかけた。
「えへへ〜。俺の千景〜〜〜♪」
「不気味な笑顔を向けるの気持ち悪いからやめてよ」
「気持ち悪いとは失礼な!!俺はおまえのことが好きで夜も俺の要望に応えてくれるからなぁ…!!」
「はいはい。あなたがあたしのことを好きだっていうことはよぉ〜く分かっているけど、そう言いながらちゃっかり服を脱がすのやめてくれない?」
「あ……」
 とジト目で言うと、常葉はやっとあたしの着ている服を脱がす手を止めた。
 まったく、自分勝手なところがあるんだから…。でも、そこがいいとこでもあるところだけどね。
 そのあとあたしと常葉は契りを交わしたのである。
「……千景。好きだよ」
「あたしもよ。今日は満月。月の精霊達もあたし達の行為を祝福してくれてるわ」
「ああ。今日も素晴らしい夜だな」
 とあたし達は抱き合う。
「ふあ〜千景の体っていつも温かくても〜たまらん!!」
 常葉はそう言うと、体にかけていた厚手の上着をあたし達の顔を隠すぐらいまであげ、更に力づよく抱きしめた。
「もうっ。そんな力まないでよ」
 そんなときこつんっと物音がしていたのはまさにそのときだった。
「お姉様ぁぁぁぁぁぁっ!!」
 と物音と同時に朔夜があたし達がいる寝室に飛び込んできた。
「どうしたの?!」
 あたしは慌てて単を着ながら飛び起き、尋ねると、朔夜は泣きじゃくりながら言った。
「酷いんですぅ〜。朔夜が寝ているところに公達がやってきて無理矢理朔夜を自分の物にしようとしたんですぅ〜!!」
『えええ?!』
 と朔夜の言葉に当然ながら驚くあたしと常葉。
「一体誰が襲ってきたの?!」
「暗くて分かりません〜!!」
 そりゃそうだ。蝋燭一本も灯されていない中でどうやって知れっていうのよねぇ。
「もう朔夜怖くって逃げてきたんですぅ〜!!」
「あれ?俺の物忌みはもう終わったぞ。なんでまた?」
 単をかぶったまま、横になって上半身裸を見せる常葉が不思議そうに言った。しかし、朔夜は常葉の裸姿を見て更に悲鳴をあげた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!主上がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ちょ、ちょっとなんで上半身だけなのにそうやって驚くわけ?!」
「馬鹿!!誰だって驚くわよ!!」
 とあたしは別の意味で驚く常葉に容赦なくツッコミを入れた。
「とにかく。今日はここで寝なさい。そうすれば向こうも夜這いしにこないでしょ」
「でも…お姉様達の蜜月を邪魔しそうなのですが……」
「平気よ。あたしは別に構わないんだから」
「いや。俺は十分困る」
 と横になったままジト目で言う常葉。
「仮にもここは俺の寝室なんだぞ。この部屋には千景だけ入室OKなんだから。お邪魔虫はお邪魔虫らしく俺達の蜜月を邪魔するなってーの」
「常葉。そんなこと言わないの。朔夜はこんなにも困っているのよ。これも人助けだと思って今日一日ぐらい我慢しなさいよ」
「嫌だね。それじゃあまるで世間に千景を捨てつつ二股かけているような素振りを見せていることになっているじゃないか。それだけは絶対嫌だね」
「もう、常葉ったら……」
 あたしは一歩も譲ろうとしない常葉にすっかり困ってしまった。そして何を思ったのか、常葉は起き上がり、朔夜の目の前であたしに接吻したのである。
「ん〜〜〜…っ!!」
 あたしは常葉の行為にただ驚いた。顔を真っ赤にさせ、接吻された口を抑えた。
「これだけ本気だってことだ。分かっただろ」
「分かったけど、何もこんな朔夜の目の前でやることないでしょ」
 そう怒っていると、朔夜は申し訳なさそうに言った。
「あのぉ、朔夜お部屋に戻りますぅ。お二人に迷惑をかけては元も子もないと思うんで……」
「あ…そう。じゃあ部屋まで送っていくわ」
 そう言いながらあたしは立ち上がり、朔夜と一緒に朔夜に与えられた部屋に行った。
「静かですね」
 と歩きながら朔夜は言った。
「そうね。でもあたしはこんな夜が好きよ。物の怪も出ず、澄んでいる夜だからね」
「えへへ。実は朔夜もこんな夜が好きなんですぅ。やっぱ姉妹だから好きな物も似ているんですね」
「そうね。あたし達はお父様が違うけど、立派な姉妹よ。だからあなたが困ったときはいつでも相談しにいらっしゃい」
「はいっ。……ところでお姉様」
「なぁに?」
「契りって何ですか?結婚するときにするものでしょう?朔夜契りというものがよく分からなくて…。もしかして主上とお姉様が裸の付き合いをするってことですか?!」
「…朔夜。そーゆーことは公達の前では絶対に言っちゃダメよ」
 あたしは念を押すように言うと、朔夜は小首を傾げて更にあたしに質問した。
「え〜?!どうしてなんですか?」
「そんなこと公達の前で言ったら、さっきのように貞操を奪われるわよ」
「え゛っ?!そ…それだけは絶対に嫌ですぅ!!朔夜、絶対に公達の前では言いません!!」
 と思いっきり首を振って約束する朔夜。そこにがたんっと物音がし、あたし達は思わず足を止め、声を押し殺し、緊迫となった。
「だ…誰…なの?大人しく出てきなさいよ」
 あたしは朔夜を後ろに回し庇うように前に出た。その瞬間、影が動いた。
「私だ、私」
 とあたし達の前に出たのは朔夜の父様である式部卿宮様であった。あたし達は予想外な人物に口をぽかんとあけて驚いた。
「お…お父様?!どうしてここに?」
「ちょっと朔夜の様子が気になってね。こっそり忍び込んで来たんだよ」
「じゃあ襲おうとしたのもお父様?」
「いや。襲おうとしたんじゃくてあまりにも朔夜の寝相が悪いから直そうと思ったのに、朔夜は夜這いする男と勘違いして出て行っちゃうし……」
 と苦笑しながら言う式部卿宮様。その言葉にただ呆然とするあたし達。そこにひょこんと帥の宮様が現れた。
「あれ?なんか騒がしいと思って来てみれば、式部卿宮様と、皇后様、朔夜姫ではありませんか。どうしたんです?こんな夜更けに?」
「そっちこそ、何でここにいるの?」
「いえ、実は左近の中将に頼まれまして、代わりに今日の宿直をすることになってまして…」
 とあたしの質問に帥の宮様は少々困り気味に答えた。
「皇后様。そろそろお戻りになってはいかがですか?主上も心配なさっているはずですよ。部屋まで私が送っていきますから」
「そうしてくれ。私は朔夜を部屋まで送っていくから、帥の宮は皇后を部屋まで送っていってやりなさい」
 と朔夜を連れてすたすたと朔夜の部屋に向かう式部卿宮様。おかげで朔夜に「おやすみ」の一言も言えなかったわ。
 そう思っていると、急に帥の宮様が足を止めた。
「どうなさったんですか?」
「いえ。なんか妙に胸騒ぎがして……」
「胸騒ぎ…ですか?」
「はい。とてつもなく……」
 と緊迫した口調で言う帥の宮様。その間にくすくすと微笑する少年の声が辺りに響き渡った。
「誰?!」
「僕だよ。僕。まだ分からないの?」
 と声の主はあたし達をからかうが、全く姿は見えなかった。
「どこ?!どこにいるんだ?!」
 とさすがの帥の宮様も刀を引き抜いて構えた。それを見て、声の主はふてくされながら言った。
「こんなか弱い子供に向かって武器を使う気?ひどいなぁ」
 そう言うと、声の主はあたし達の目の前にある庭にすぅっと姿を現したのである。年の頃ならだいたい吉良達より一つか二つ上あたり。水干の服を身に纏い、一瞬女の子かと見間違えしそうなくらい可愛い顔をし、くりくりとした瞳でこっちを見ていた。
「誰?」
「……分からないの?」
 と急に真剣な瞳でこちらを見る少年。
 この顔誰かに似てる。誰だったかしら?
「ごめんなさい。覚えていないの」
「…そう。だったら別に思い出さなくてもいいよ」
 少年はそう言うと、ひらりとあたしの目の前に飛び移った。
「わた…じゃなくて、僕は…紫苑っていうの。ここに迷い込んだんだ」
 紫苑。あたしが好きな重ねの組み合わせの仕方だわ。でも、どうしたんだろう。この子を見ているとなんだか懐かしいのよね。
「小童のくせに主上の御座所に入るとは!!」
「待って、帥の宮様。しばらくこの子をあたしに預けさせてください」
「皇后様?!」
 とあたしの発言に驚愕する帥の宮様と、にやっと含み笑いをする紫苑。
「皇后様。身分も分からない子供をむやみに……」
「わがままを言ってごめんなさい。でも、この子を見ているとなんだか懐かしいの」
「懐かしい…ですか?」
「ええ。だから身元が判明するまで、あたしのところで預からせてください」
 あたしはそう言うと、紫苑をすっと抱き上げ部屋に戻った。帥の宮様は呆れつつもあたしの意見を尊重してくれた。そして部屋に戻ると上着を着ていた常葉が嬉しそうに出迎えた。
「遅かったじゃないか。心配したぞ。ってどうそたんだ。そこ子供?」
「さっき送っていったときに出会った子なの。なんでもここに迷い込んできちゃったんだって」
「で。それで連れてきたってわけか」
「帥の宮様は反対したんだけど、あまりにもこの子が懐かしい雰囲気を漂わせているからこっちに連れてきちゃった」
「ふぅん。この子はなんて名前なの?」
「紫苑」
 と質問に答える紫苑。その名前を聞いて常葉は眉をひそめた。
「紫苑…か。千景が好きな重ねだな。子供も皆左大臣邸に出払ってしまっているし、子供が居たほうが楽しいだろうから身分が判明するまでおまえの元で預けてていいよ」
「ホント?!ありがとう!!」
「ただし。身分が判明するまでだからな。あと子供達が参内したときは平等にしろよ」
「ええ」

 それから一ヶ月が経ち、紫苑はだいぶ邸に住み慣れてきた。あたしの事は「姉様」と呼び慕い、夜もあたしの傍を離れようとはしなかった。無論常葉は嫉妬の嵐だった。いつもむっすーっとしており、たまに子供相手に口喧嘩をしだすのだ。そんな中でも紫苑はあたし達の目の前で女房達とすっかり溶け込み遊んでいる。たまにというかしょっちゅう手を焼けるような悪いことをしでかすが、それでもとても可愛かった。しかし、時折遊ぶ手を止め、あたしのことをじーっと見ているのである。そしてあたしもこの子の存在に対し、記憶の隅に何かと引っかかるのである。
 一体この子は誰なのかしら?どこかの子?怨霊?生霊?未だに思い出せない。でも、これだけなら言える。紫苑は男なんかじゃない。れっきとした女の子よ。でもどうして性別まで変えてまでここに?
 そう思っていたある日。突如紫苑はとんでもない行動に移ったのだった。不思議な力というかまるであたしみたく能力者が使うようなサイコキネシスを使って、あたしと常葉がいる中、恵式部を宙に吊り下げたのである。それを見て、その場にいた誰もが悲鳴をあげた。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!!」
「紫苑!!」
「……まだ…気づいてくれないの?千景お母様
 お母様?今まであたしのことをそんな風に呼ばなかったのに…。もしかして……。
「あなた……初めてお腹に宿って流れてしまった子?」
 あたしが言うと、紫苑はにやっと笑った。それを聞いて常葉は驚愕した。
「そんな…この子が俺達の最初の子?なんで今更?」
「吏珀とかいう男のせいで僕はこの世に生まれずずっとずっと一人ぼっちで彷徨ってた。やっと見つけたと思ったら、二人とも僕の存在なんてちっとも覚えてなくて、運良くこの世に生まれてきた弟達に熱中してた。
 このとき僕はお母様たちに捨てられたんだって分かった。そしたら無性に黙って見ていられなくなった。だからこうして姿を現したんだよ。そしたらお母様ったら自分の子供のように僕の姿を見てくれた。それがどんなに嬉しいことかわかる?どんなにいたずらしても可愛がってくれる。だからやめられない。こんなことをしてもお母様はちっとも怒らないんだもの」
「紫苑!!恵式部を離しなさい!!」
 あたしはそう叫びながら前に出た。紫苑は予想外の行動に少々驚きつつもすぐに満面の笑みを浮かべたが、常葉の的確な判断で験者を呼び出し、除霊させようとしてすぐに苦痛の表情に変わった。
 ダメ。そんなことしてもこの子は成仏しない。むしろこの子を傷つけないで!!
 あたしは苦痛の表情を浮かべる紫苑の手を引っ張り、優しくも力強く抱きしめた。すると、験者は読経するのをやめたのである。
「……ゴメンね。ずっと一人ぼっちで寂しかったんだよね。性別を偽り憎んでまでこうして会いに来てくれたんだよね。あたしとても嬉しいわ。
 でもね、あたしはあなたを完全に忘れたわけではないのよ。心の隅にちゃんといるわ。だってあなたはあたしと常葉の初めての子。あなたが宿ったとき初めてお母さんになれるってわくわくしたの。最初の子はいつまでも忘れないわ。でも、そんな子がこんな悲しいことを目の前でやられたらとても辛い。
 だからあなたももうこんな馬鹿げたことをやめて。そしてあたし達のところに生まれ変わって帰ってきて」
 あたしがそう言いながら髪を撫でると、紫苑はぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。
「……ごめんなさい。……ごめんなさい。悪い事をすればお母様はずっと私のこと忘れずに見てくれると思ったの。本当は…お母様たちの元に帰りたかったの……」
「帰っておいで。あたしの愛しい子供よ」
 あたしがそう言って更に力をいれて抱きしめると、あたし達のところに常葉も近づきそっと抱きしめた。
「おまえは…最初の子供だったのか。知らなかったよ。もうやりたいことは済んだだろ。俺達の元に戻っておいで」
「戻りたいよぉ…」
 と紫苑はそう呟くと、あたしの中に吸い込まれるように消えていった。
 そっか…。この子は……。
 あたしは常葉に抱かれながら自分の体を抱きしめた。
「……消えた?」
 と紫苑が消えたことに気づく常葉はゆっくりと離れた。そして、吊り上げられていた恵式部も開放され床に倒れて気絶していた。
「あの子はあるべき場所に帰ったのか?」
「ええ。あたしのお腹の中に宿っているわ」
「え?!それって一体?」
 とあたしの言葉に心底驚く常葉。あたしはくすっと笑い、お腹をさすりながら答えた。
「つまりあたしのお腹に五人目の子が宿ったってことよ。それも女の子であたしと同じ能力者よ」
「女ってあの子は男じゃないのか?!」
「いいえ。あの子はねちゃんとした女の子よ。ずっと性別を偽っていたの」
「なんでまた?」
「さあ。そこまでは分からないけど、きっと男の子の方がすんなりいけると思ったんじゃない?」
「そっか。でも五人目ができたなんて嬉しいな」
「ええ」
「今日参内する父上にこのこと言ったら飛び跳ねて喜ぶだろうな」
「そうね。蛍宮様のところよりあたし達の子供を何より可愛がってくださっているし、喜ぶでしょうね」
「きっと『次こそ私の屋敷で育てさせろ〜』とか言い出すんじゃないの?」
「あはは……」
 と後処理をする女房達を尻目に二人で喜び合っていた。そのあと参内した父様とお義父様に子供が宿ったことを報告すると、常葉の予想通りにお義父様は大喜びして飛び跳ね、外祖父である父様の前であたし達に次の子は自分達の手元で育てるように言ってきたのであった。そのあと父様とお義父様が火花を散らしあったのは言うまでもなかろう。