まだ開花していない朔夜の恋の花…。
その花は咲きたいと願っているのに、気づかぬ意思のおかげで咲けない…。
どうすれば…あの若い若葉を芽吹かせることが出来るのかしら…?
そう思いながらあたしは大きなお腹を抱えて脇息に寄りかかっていた。七夕の宴も終わってしまい、秋が近づき、宮中はいつもの物々しい雰囲気が漂っている。まあ、私らがいる後宮では相変わらず女房たちのサロンができて、色々な遊びにふけっていた。私がいる藤壺でもそうだ。恵式部や八重達があたしの前に色々な巻物を広げていたり、他の女房は音楽を奏でてその場の雰囲気を和ませた。一方あたし達の子供は別の部屋で遊んでいる。いつもどおりの生活だ。何も変わらない生活が毎日続いていて、四季の色合いの変化、あたしのお腹だけが徐々に膨らみを増していった。
「失礼します」
そんな中、藤壺に入ってきたのは常葉と顔立ち、容姿がそっくりな帥の宮様だった。女房たちはすすすすっと広げていた巻物を片付け、音楽を奏でるのをやめて叩頭した。あたしもまた、居ずまいを正して帥の宮様を迎え入れた。
「皇后様。遊びにふけっていたところ申し訳ありません」
「いえいえ。気になさらないで。帥の宮様も政で大変でしょう?」
「ええ。大変ですよ。大臣たちがまともな意見を出してくれないおかげで滞ってます」
「では、主上にもそのことを伝えておきましょうか?」
「そうしてくださるとありがたいのですが、僕も主上には意見を一応言える身なので、大丈夫です」
と帥の宮様は微笑みながら答えると、裾から結ばれた文をあたしに差し出した。
「これは?」
「式部卿宮様からです。例の姫君について書かれております」
「ふ〜ん…」
そう言って文をほどいて読んでみると、確かに朔夜についての侘びがかかれていたし、事の次第についても書いてあった。しかし、その事の次第の内容にあたしは感嘆の声をあげた。
「まあ、宮様ったら、まだくっついてもいないのにもう結婚のことを考えていらっしゃるの?!」
「そうなんですよ。もう衣装から調度品まで集め始めていて屋敷は凄いことになってますよ」
「そっか…。大事な一人娘ですもの。有頂天になってしまうのも、分かるような気がするわ」
「子を持つ親というのはそのようなものなのですか?」
「まあ、あたしの場合は子が居すぎて心配がてんこもりなんですけどね。あなたの兄上も酷いことをなさる」
「あはは…。それほどまで皇后を愛してくださっている証拠ではありませんか。私は独り身なので、淋しい限りですよ」
「あら。だったら、帥の宮様も妃を早く迎えたほうがよろしいのでは?」
「政のほうが忙しくて、それどころではありませんよ。向こうから猛烈アタックして夜這いをかけるぐらいの勢いではないと、私には妃を手に入れるきっかけがないんです」
「猛烈アタックですか…。ん???ねえ!!帥の宮様!!」
「はい???」
「あたしと一緒に面白いことしません?!」
「は???」
あたしの言葉に帥の宮様は目が点になっていた。
そうよ!!これよ!!この手があったわ!!
計画を立ててからしばらくして、あたしは宴を催した。もちろん、来る面子には事の次第を伝えて朧少将と朔夜の耳には入れないようにした。そして、側室の面々にも誘いを入れ、後宮での宴を開いたのである。
宴が始まってから、皆歌え飲めやの大騒ぎ。しかし、ちゃんと面々は飲む量を抑えているのである。
「皆様楽しそうですねぇ…。朔夜もあの中に混じりたいですぅ…」
と、あたしと一緒に御簾ごしに公達のどんちゃんぶりに羨ましがっている朔夜。これから起きることを知らないで…。
そう思った矢先、刀を片手で握り、面をかぶった公達姿の人間があたしたちが居るところに飛び込んできた。そして、あたしには目もくれず、真っ先に傍にいた朔夜を捕まえて叫んだ。
「やあやあ!!我こそは…」
「朔夜姫を離せぇ!!」
と、盗賊もどきが名乗る前に、真っ先に動いたのは、ターゲットの朧少将だった。刀をすらっと抜き、構えていた。
「姫を離せ!!さもわくば、おまえを切る!!」
と、目が本気で言っているので、犯人もかなりビビり気味。そんでもって、ギャラリーはちょっとざわめきながらも、様子を伺っている。
「姫を離せ!!」
「離せだと?おまえは何も関係ないではないか?」
「俺は宮廷に仕え警護している!!そこにおられる姫も宮廷に仕えている!!宮廷に仕える者は全て護る!!特にその姫は…っ!!」
「宮廷に仕えている者は万といる!!何故この女子にこだわる?!」
「それは…」
犯人の問いに答えが詰まる朧少将。ぐらりと身が揺れる。その隙を狙って、犯人は少将の刀を飛ばしてしまった。
「な…?!」
「どうだ?!この女子に何故こだわる!!答えよ!!」
「う…ううう…。俺は…俺はその姫を愛しているんだよ!!」
言ったぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!
あたしは朧少将の発言に思わず陰でガッツポーズをした。一方朔夜は、朧少将の発言にぽ〜っと顔を赤くして、朧少将の方を見つめていた。
その場にいた全員がその発言に目が点になり、しんっと沈黙が走る。その隙を狙って、朧少将は、囚われの身になった朔夜を助けたのである。そして、片方の手で朔夜を護り、利き手で刀を握り、犯人の喉元に刃を当てる。
「さあ、刀を放せ!!」
「く…っ」
あらら…。潮時かしら………。
あたしはそう思い、口元に当てていた扇をぱしっと閉じて、静かに言った。
「おやめなさい。もうそこまででいいでしょう」
「皇后様?!」
「朧少将。貴方の勇気と朔夜への愛情、確かに見届けました。もういいでしょう。その言葉が聞けたから良いのです。犯人のふりをしてくださった薫の大将もご苦労様です」
「え?!」
あたしの言葉に朧少将は驚き、犯人に顔をやった。すると、犯人は顔につけていた面を外して正体を明かした。その姿に朧少将は絶句した。そう。仮面をつけていたのは、少将の上司に当たる薫兄だったのである。
「大将…。も…申し訳………」
「僕に謝る前に、朔夜にちゃんとしたことを言ってあげなよ。それが詫びになるかな」
「大将…」
「さ。早く」
と諭す薫兄に、意を決したかのように頷いた朧少将は、抱いた朔夜を離して、面と向かって恥ずかしそうに言った。
「初めて会ったときから、ずっと貴女のことを好きでした…。自分とずっと一緒にいてください」
「はい…です………」
そう言いあうと、二人は自然に抱きしめあったのであった。
ふぅ…。これで大仕事は一つ減ったかな…。ちょっと淋しいけど、あの子が幸せならいいや…。
「お姉様。お呼びになりましたか?」
宴が終わって一週間ぐらい経ち、あたしは自分の部屋に女房職にだいぶ板についた朔夜を呼んだ。あたしは読んでいた文を閉じて、あたしの前に座るよう諭すと、朔夜は戸惑いながらちょこんっと座った。
「まずはおめでとう。両思いになれてあたしはほっとしたわ」
「お姉様も酷いことをなさいますぅ…。恥ずかしかったんですよぉ〜〜〜!!」
「あはは…。ゴメンゴメン。ついね」
「ついってヒドイですぅ!!」
「でも、嬉しいでしょ?好きな人が傍にいてくれるってこと」
「はい…。なんかココロがぽかぽかするんですぅ」
「なら、よかった。でも、付き合ってすぐに結婚って話に発展するとは思ってもみなかったけどね」
「お父様の気が早いだけです〜…」
「でも、結婚は決まったのでしょ?」
「はい…。お互いの両親の了承を得られたので…」
「そっか。じゃあ、これは言うしかないわね………」
とあたしが意を決したように言うと、朔夜は小首を傾げた。その純粋な仕草と瞳があたしの心を痛めつける。だけど、言わなきゃいけないことだから意を決して言った。
「貴女を本日付で暇を与えるわ。荷物をまとめて式部卿宮邸に帰りなさい」
「え………?お姉様………?どうして…」
「あなたは朧少将の奥方になる。そんな人がこんなところで女房仕えしていたら、世間からなんて言われるか分からないわ」
「お姉様!!朔夜のこといらないのですか?!」
と今にも泣きそうな声であたしを問い詰める。あたしも辛くてしょうがないけど、言うしかない。
「いらないんじゃないの。貴女はココで待つより、式部卿宮邸で待っていたほうが幸せなのよ。ここは仕事が多すぎるし、貴女の居場所はココじゃない。貴女の居場所は朧少将を迎えるための邸なのよ。ここは待つための場所じゃないの。分かる?」
「分かります…。分かりますけど…。朔夜はここにいたいんですぅ!!」
「いい加減にしなさい!!」
あたしが声を張り上げてぴしゃりと言うと、怯えるように身を縮ませる朔夜。あたしは顔を俯かせて言った。
「ここは避難場所じゃないの…。ここはあたしの住居であって貴女の住んでいる場所じゃない。
確かに貴女とはあたしは姉妹だわ。だけどね。貴女は結婚する身なの。邸からいつでも手紙をくれえばいつでも親身になるわ。だけど、この部屋には私情を持ち込んでは主上がきっとお怒りになる。
だから…貴女に暇を与えるわ。今すぐ荷物をまとめて邸に帰りなさい!!もうここには来ないで!!」
「………………分かりました。今までお世話になりました。落ち着いたときには文を送ります」
あたしが言うと、朔夜も苦渋の決断をしたようで、一礼をしてあたしの顔を見ずに部屋から出て行った。
朔夜………っ!!
言った自分が苦しくて、あたしは今にも泣きそうになった。朔夜の心を傷つけた罪悪感が余計あたしの心を押し潰そうだった。
「ふぇ…」
つぅっと頬に伝う涙があたしにも分かった。あたしは今泣いている。
「千景?」
泣いていると、常葉がひょっこり現れて、あたしの傍に駆け寄った。
「どうした?誰かに酷いことを言われたのか?」
「違うの…。朔夜に暇を与えたの…。もう来ないでって酷いことを………」
あたしは常葉の胸の中に飛び込んで、泣きじゃくった。
あたしは酷いことを言った。そう言葉を胸に朔夜は私の手から離れた。小鳥が籠から放たれて、自由を得たように、朔夜もまた私の手から離れたことによって朧少将の元に飛び立ったのだ。
あたしはそう悟り、ずっと泣いていた。きっと朔夜はもうここには来ない…。
あたしが幸せになったように朔夜も、あたしが産んだ子供たちも幸せになって欲しいと願った。
そう願いながら、あたしは子供を星占いの予言どおりに後に産んでいった。
巣立った子供たちはいつまでも幸せになってほしいと願いながら、あたしは朔夜が去った日から日記を書くようになった。それがあたしの心の均衡が保たれるような気がしたから…。
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