第二章 安らぎ

 

「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 あたしは自分の叫び声で飛び起きると、目の前に広がっていたのは三途の川の花畑ではなく、いつも普通に生活をしているあたしの部屋だった。
 え?ええ?!どういうこと?!あたし…生き返ったの…?!
 あたしは戸惑いながらも再度自分の置かれている状況を整理した。
 あたしの格好は死んだときの袿姿ではなく、寝着になり、切ったはずの左手首にはきちんと手当てが施され、包帯が巻かれている。慌てて立ち上がり、部屋をぐるりと見渡すが、部屋にはあたしが気に入っている櫛箱や鏡箱とかの調度品がきちんと整理されて置いてある。間違いなく、ここはあたしの部屋だ。
 ってことは、あたしは早めに気づかれて素早く自分の部屋に運ばれて今の状況といったところかしら。
 やっぱり…あたし現世に生き返ったんだ。
 ただこれだけは言える。
 あたしはその場にぺたんと座り込んだ。
 そのとき、渡殿の方がやけに騒ぎ出した。
 ???一体何の騒ぎかな?
 そう思ったとき、その騒ぎの声が、徐々にこっちに近づいてくる。
『千景―――――っ!!』
 と大声を張り上げ、息を切らして我先にへとあたしの部屋に入ってきた。その後に続いてあたし付きの女房の八重や播磨が入ってくる。
「…母様……父様……ただいま……」
 なんて言ったらいいのかわからなくて思いついた言葉を口にすると、父様は呆然とし、母様は涙を流しながらあたしに近づき、力強くあたしの体を抱きしめた。
「……よかった。心臓が止まるかと思ったわ」
「……ごめんなさい母様」
「いいの。こうやって現世に戻ってきてくれれば」
「………………」
 あたしは無言で母様に甘えた。
 生き返ってよかったぁ〜…。
「これで東宮もこちらに戻ってきてくれればいいのだが……」
「冬椰!!こんなところでなんてことを話すのよ!!千景があたし達のところに戻ってきてくれたのよ!!嬉しくないの?!」
「そりゃ嬉しいさ。だけど、未来の夫がいなくては淋しいだろう」
「淋しいってそれは千景が決めることでしょ!!やっぱりあんたは無神経さは若い頃と変わっていないわね」
「………白夜」
 母様の言葉によほどショックだったのか、父様はちょっとだけ後ろによろめき、顔が青くなるが、女房たちがいるにも関わらず、そっと母様の頬に接吻した。それをみて八重達はすかさず扇で顔を隠して見ないようにした。
「んもうっ!!そうやってあたしの機嫌を直そうとするんだからぁっ!!」
 とか怒りつつも顔は喜んでいる母様。
 あのぉ…ここでいちゃいちゃされても困るんだけど…。あたしの目のやり場にも困るわよ…。
「でもこうやって戻ってきてくれて嬉しいよ。千景。おかえり」
 といつもなら一時間以上は軽く越えていちゃいちゃしている二人だったが、今回はすぐに終わり、あたしの髪をなでる父様。
 ………これは言った方がいいのかな。あたしが三途の川で東宮に会ったってことを。
「…父様。信じてもらえないかもしれないけどあたしね、三途の川でとき…じゃなくて東宮様にお会いしたの」
「なに?!」
 あたしの言葉に案の定父様は身を乗り出して驚いた。
「それからどうした?」
「しばらく言葉を交わして、本人の口から謀反人に切りつけられたって言ってたのを覚えているわ。
 でも東宮様は途中であたしに『一緒に戻ろう』って言ってくださったんだけど、『あまりにもご身分が違うため、一緒に帰ることができません』って言って辞退しちゃった。
 それからあたしを必死に説得してくれたおかげであたしは戻る気になったんだけど、戻ろうとしたらいつの間にか消えてしまってそれから先はわからないの」
 と半分以上大嘘で三途の川の出来事を話すあたしに父様たちは信じられないと言わんばかりにあんぐりと口を開けてたまま固まっていた。
 しかし、父様は母様より早く我に返ると、あたしに向かって叱りつけた。
「大馬鹿者ぉぉぉっ!!千景!!おまえは近々東宮妃になるんだぞ!!将来の夫と帰らんでどうする!!」
 その言葉にあたしはかちんときて、
「だっれが?!いつ?!東宮妃になるって言ったのよ!!あたしの意見を無視してあたしが知らないうちに父様たち官僚が勝手に決めてたんでしょ!!」
「しょうがないだろう!!東宮がおまえを娶りたいって我儘言うんだから!!」
「東宮だから我儘聞けるっていうの?!しかも自分の娘をまるで政略結婚の道具のように扱うなんて信じられない!!父様がそんなに極悪人だとは思わなかったわ!!」
「な?!誰が極悪人だ!!俺は半分おまえのためを思ってだなぁ……」
「ちっとも思ってないじゃないよ!!女の幸せっていうのはね、夫に永遠に愛されることよ!!」
「皇室にあがるのも女の幸せだ!!天皇の子供を授かることができるんだぞ!!」
「あんな野郎の子供なんて欲しくないわよ!!」
「東宮に向かってなんて失礼なことを!!」
「失礼じゃないわよ!!あの東宮には十分にお似合いな言葉よ!!」
「おまえはぁ〜!!」
「はいはい。二人とも喧嘩はその辺にしてちょうだい」
 とあたしと父様がいがみ合っている間に今まで高見の見物していた母様が割って入ってきた。
「千景。どうしてそんなに東宮と結婚はしたくないの?」
「だって宮中って女の嫉妬が渦巻くところでしょう。それに東宮には自分以外にも妃を迎え入れるから、いずれきっと自分を見なくなってしまう。だから行きたくないの」
「そうね。確かに宮中は嫉妬が渦巻く所だからあたしも嫌よ。自分に帝の愛情がくるように一生懸命になるのはいいけど、それを他人に嫌味として振りまくのは嫌よねぇ。あたしも千景と同じように一人の男性だけに愛されたいわよ」
「白夜!!おまえ千景の肩を持つ気か?!」
「そういうわけではないわよ。愛情に関しては千景の言い分が正しいと言いたいだけ。ほかは冬椰の方も合ってるかもしれないけどね」
「う……っ」
 ウインクをしながら言う母様にさすがの父様も何も言えなかった。
「千景。まだ入内まで4ヶ月あるから、それまでゆっくり自分の将来について考えなさい。それからでも遅くはないでしょ」
「う…むぅ……」
 納得いかないと言いたげな父様だったが、また機嫌を損ねては困るというかんじで何も言わなかった。
 そこに別の女房が息を切らして部屋に入ってきた。
「大変でございます!左大臣様!!」
「どうした?ちこうよれ」
 父様から許可がおりると、その女房は父様に近づき耳元でなにやら小声で何かを伝えると、父様の顔が驚愕の顔に変化した。
「どうしたの?」
「ちょっと俺は東宮御所へ行ってくる!!話はあとでする!!」
 とあたしの質問を遮って父様はいそいそと出て行った。
「東宮御所でなにか一大事があったみたいね」
「そうみたい」
「ところで千景。本当は三途の川でどんなことを話したの?父様にはあの口調で誤魔化せたけど、あたしには誤魔化せないわよ」
 う……っ。あたしの心の中を読んでたのね……。
 あたしはしぶしぶと母様に三途の川の出来事の全貌を話すと、母様は扇で口元を隠しながら笑い出した。
「ふふふふふ…東宮とそんな会話をしたの……。わ…笑える……」
「奥方様」
 と注意する八重だったが、母様はさらに笑い出してしまった。
「いいじゃないの。八重。おまえだっておかしいでしょう」
「それは……」
 と口を濁す八重。
 おまえまで主人の話を笑える話だと思っているの?!
「ともかく笑える話ではなかったの!!すっごくしつこくて迷惑だったんだから!!」
「そうかしら。東宮のことを話しているあなたの表情はやけに嬉しそうだったわよ。その表情は今まで見たことないわ」
「へ?!」
 母様に言われ、あたしは反射的に自分の頬を抑えた。
 そんなに嬉しそうな顔をしてたのかなぁ〜……。
「まあ、遅かれ早かれ自分の願いが叶ってよかったわね」
「はい?」
 母様の言葉にあたしは素っ頓狂な声をあげた。
「願いが叶ったってどういうこと?」
「さあ?それは自分で見つけ出すことよ。自分で行えば自ずから答えが見えてくるはずよ。
 あなたにとって必要な感情だから…。
 まあヒント代わりに人生経験が豊富な式部卿宮様のところへ行って訊いてみたら?いいヒントをくれるわよ、きっと」
「そうかなぁ〜」
「そうそう。あと朔夜に会ったらいつでもいらっしゃいって伝えておいて……。
 あと、もしかしたら式部卿宮様があなたにあたしと式部卿宮様の辛い過去のことを話すかもしれないけど、そのときは理由はどうあれ最後まで聞いてあげて。
 いずれ近いうちに話さなくてはならないことだから……」
 母様?どうしてそんなに辛そうな顔で話すのかしら?
 そう思っていると、母様は何もいわずに部屋から出ていてしまった。
「八重どう思う?」
「といいますと?」
「母様よ。なんであんな辛そうな表情をするのかわからない」
「存じておりません」
 がく…っ。聞いたあたしがバカだった。
 お母様は一体何を考えているのかしら。まあ考えても仕方がない。式部卿宮様のところに行けば分かるかもしれないし。