第五章 意外な使者

 

 常葉の爆弾宣言があった次の日から本当にあたしのところに文と品が届けられた。
 さすがのあたしも度肝を抜かれたけど、更に抜かれたのが父様だった。届いたその日、血相を変え、物凄い剣幕であたしに迫ってきた。おかげであたしは血相を変えた父様に式部卿宮邸での常葉とのやり取りをいちいち説明する羽目になってしまった。もちろん父様に常葉に無理矢理接吻されたことは言っていない。たださえこれだけ話しただけなのに、ヒステリーを起こしてその場にぶっ倒れた父様なのに、接吻のことを話したらもっと大変なことになってるわよ。
 そんなドタバタ騒動があってからも文や品は毎日のようにやってきた。文には自分がどれだけあたしのことが好きだということが書かれていた。文には必ずあたしが好きな花を添えられている。もっぱら文使いといったら、薫兄や冬兄が務めていた。
 兄達の件に関してはさすがのあたしも兄達に同情したわよ。本当は帝のお守り役なのにねぇ……。
「千景。入るぞ」
 ………今日も来たか。
 あたしは自室で脇息に寄りかかりながらはぁっと一つ大きな溜め息をつくと、声の主の方に振り返った。声の主は常葉と同い年ぐらいの青年で、衣冠姿だった。
「なんだ……冬兄か……」
 あたしは声の主に向かって溜め息をついた。
 そのことに冬兄はちょっとむっとなりがら、あたしのすぐそばにどかっと座り、あたしに豪華な飾りがされた文箱を手渡した。
「なんだとはなんだ。人が折角東宮の御文を持ってきているというのに……」
「別にいらないわよ、そんなモン」
「そんなモンって、仮にも東宮直々の文だぞ。ありがたくないのか?!」
「ありがたくないわよ!!もう三ヶ月も似たような文が毎日来るのよ!!飽きるに決まってるじゃない!!テレポートして直接東宮をぶん殴りに行かないだけマシだと思って欲しいわよ!!」
 そうなのだ。最初の一週間は違う文で興味は起きたけど、ここ三ヶ月、文がきても似たような内容で、何度となくテレポートして東宮御所に乗り込もうとしたことか!!母様や式部卿宮様の言葉がなかったら、今頃ぶん殴りに行ってるわよ!!
 それほどまでにあたしはヒステリー状態になっているのだ。
 しかし、どことなく常葉から来る文が嬉しかったりする。
 ついでに言うと、この文使いにからんで冬兄と薫兄が何かしに来ている。どんなことをしているかは読み取ることができなかったが、ひっきりなしにあたしの様子を見に来る。これもプラスしてさらにヒステリー状態に陥っていたりする。
 今日こそ絶対に白状させてやる!!
「…………冬兄」
「な…なんだよ」
 ジト目で言うあたしにちょっと引く冬兄。
「あたしに何か隠してるでしょ」
「え゛?!隠すって何を隠してるんだ?」
 とか言いつつ、視線が泳いでいる冬兄。
 やっぱり何か隠しているわね。
「冬兄。別にあたしに隠し事をするのはいいけど、あたしが絡んでいるなら素直に言った方が冬兄のためにいいと思うけど」
「え?」
 あたしの言葉にぎくりとなる冬兄。そんな冬兄を無視してあたしはにっこり笑顔で微笑て
「言うつもりがないのなら、冬兄とは一生口を利かないし、あのことを世間の皆様に言いふらしてやる」
 と言うと、冬兄の顔がみるみるうちにこわばっていった。
 ふっ。このセリフがあれば、大抵のことはベラベラとしゃべってくれるんだよねぇ。冬兄とは他の兄弟と比べて一際仲が良い。冬兄はあたしを可愛がってくれるからあたしも大好きで、ちょっとブラコン気味だったりするのよね。
 ちなみにあのことというのは、冬兄が七つになったときのこと。屋敷の庭で遊んでいたとき、草むらから自分の飼い犬・影丸がにゅって出てきたとき、あまりにもビビってその場で思いっきりちびったというものである。その光景の一部始終を見ていたのが兄弟の中でただ一人、あたしだけだったというわけである。それから二人でこのことは二人だけの秘密にしたわけである。
 あ、読者の皆様にしゃべっちゃった。これで皆様も共犯ということですね。
「千景、わかった、わかったから。俺が知る限りのことは全部話すから、そんな馬鹿げたことを他の人にべらべらとしゃべらんでくれ」
「わかってくれればいいのよ。これだから冬兄は大好きなのよ」
 と笑顔で答えるあたしの耳元で、冬兄が小声でそっと教えてくれたが、その内容に
「なにぃ―――――っ?!東宮にあたしの生活ぶりを全部報告しろぉ―――?!」
 あたしの叫び声に、冬兄はただ黙ってこくりと頷いた。
「呆れた。なんであたしの生活ぶりを東宮に報告しなきゃいけないのよ。まるでストーカーね」
「それは俺も同感だ。でも、東宮や帝の命令には逆らえないからな」
「薫兄もなの?」
「ああ。俺と薫兄弟揃って命令されたことだからな」
「大変ね、二人とも」
「そう思ってくれるなら、さっさと東宮と結婚してくれよ」
「はぁ?!なんでその命令と結婚が結びつくのよ?」
 あたしの質問に冬兄ははぁっと大きく溜め息をついて
「この命令はおまえが東宮の求婚を飲んだときにはじめて完了するものなんだ」
 げげげげっ?!
「つまり、あたしが東宮の求婚に応じた文を遣さない限り、半永久的に遂行されるってこと?!」
「その通りだ。だからおまえがさっさとOKを出してもらわないとこっちも困るんだよ」
 冗談じゃない。なんで冬兄たちまで巻き込むのよ?!
 ってもしかしてこれも常葉の作戦?!家族を巻き込めばさっさとOKが出るって思っているのかしら?!
「冬兄。今から文書くから、それを東宮に届けて」
 この一言に冬兄はぱっと明るくなった。
「そうか。やっと東宮と結婚する気になったか」
「んなことあるわけないでしょ。その逆よ。一発ガツンと言わないと気が済まないわ!!八重、代筆お願い」
 あたしの言葉に傍に控えていた八重は困惑して
「ええ?!姫様がお書きになるんじゃないんですか?!」
「なんで東宮相手にあたし自ら書かなくちゃいけないのよ」
「普通はその逆だ」
 あたしの言葉に冬兄の鋭いツッコミが入る。
 それでもあたしは八重に無理矢理文を書かせ、その文を冬兄に託した。冬兄は呆れながらも常葉のところに持って行ってくれたらしく、それが功となしてか、次の日からあたしの監視はなくなったそうだ。でも、文の方は相変わらず来る。
 まあ、文くらいなら許してやるか。ちょぴり嬉しかったりするし。
 しかし、あたしは冬兄に文を託してから一週間、常葉の文に見る気がせず、部屋の隅に置きっ放しにしていた。
 久しぶりに読んでみるか……。
 あたしは八重に部屋の隅にある貯まった文を自分の元に持ってくるように命じて、持ってこさせると、テキトーに文を選んで開くと、そこには後拾遺和歌集の中の一つ、藤原義孝が書いた和歌が書かれていた。
 “君がため惜しからざりし命さへ
      長くもがなと思ひけるかな”

 『あなたのために死んでも惜しくはないと思っていた命であるが、あなたに逢った今では、長生きしたいと思うようになったものだ』という意味である。あたしはこの文を見て、ぷっと吹き出して笑ってしまったが、何故か涙が溢れ出てきて止まらなくなってしまった。
 変なの。他の人が作って書いた和歌なのに、まるで常葉が作って書いたみたい。
 常葉のことを考えると胸がちくりと痛い。
 あたし病気なのかな?
 常葉のことを考えすぎた病気なのかな。
 ……常葉。会いたいよ。
 って何常葉のこと考えてるのよ!!あたしはあいつと結婚する気なんてないんだから!!落ち着け!!常葉のことを考えないようにすればいいのよ!!
 あたしは自分に言い聞かせながら、違うことを考えようと努力したが、どうしても常葉が出てきてしまうのだった。
 うっき――――っ!!なんで常葉があちらこちらに出てくるのよ――――!!
「姫様」
 八重が突然あたしに声をかけてきたので、あたしははっと我に返った。
「どうしたの?」
「はい。奥方様から至急寝殿に参られるようにとのことです」
「至急?なんでまた?」
「それが、大事なお客様がおいでになったとかで」
「お客?男だった?」
「いえ。女性の方でした」
「そう。すぐに行くわ」
 あたしは八重の言葉に安心して、ちょっと化粧を直してから小袿を翻し、寝殿に向かった。寝殿には母様と母様より少し年上で十二単の格好をした女性が畳の上で座り、楽しそうに言葉を交わしていた。女性はあたしの存在に気がつくと、顔をほころばせ、脇息に寄りかかりながらこっちに向かって手を振っていたが、あたしの方はその女性を見て、げっと思い、後ずさりしたくなった。
「お…お久しぶりです……。紗霧伯母様」
 顔を引きつったまま、あたしは床に座り、挨拶をした。
 この女性は母様の異母姉で、今の帝の妃である。
 なんで…女御である伯母様がこんな所にきてるのかしら?実家はじじ様のところでしょう。
 そう思っていると、伯母様はにこにこしながら口を開いた。
「今日はね、女御として来たのではなく、東宮の使者として参ったのよ」
「使者?あ゛!!」
 そーいえば、今日の分まだ来てなかった。
 なんつー人に使者を頼むんだ、あいつは!!
「東宮は姫のためにあれよ、これよと工夫して文を送っているそうですね」
「はぁ…一方的ですけど……伯母様にも頼んじゃったみたいで申し訳なくて……」
「東宮からの文は嬉しくないの?」
 意外そうな顔であたしに尋ねる伯母様。
 本来なら伯母様って呼んじゃいけない立場なんだけど、本人がそう呼べって言うからなぁ。
「嬉しいとかそういう訳じゃなくて、自分の気持ちがはっきりしないのに、こうも毎日文がこられては、逆効果になっちゃって……。
 でも、とき…じゃなくて東宮のことを考えると、なんか胸が苦しくて……。あたし…病気でしょうか……」
「まあまあまあ。あんなにちっちゃくておてんばさんだった姫がここまで目覚めるとはねぇ。東宮も嬉しいことでしょう」
「あの…それは…?」
「人に聞いちゃダメよ。これは自分で見つけなくちゃいけない感情なの。
 はっきりしないのであれば、今の東宮みたいな行動をすればいいのよ。東宮はあなたにたいして自分の気持ちをストレートに言ってくるのでしょう」
「はい」
「もやもやしている気持ちをはっきりさせたいのであれば、東宮と同じ行動をすれば、少しはさっぱりするはずよ。
 ん〜でも、今の立場でそんなことをやったら噂好きの都人の噂の的にされてしまうから、紙に書いてすっきりさせなさい」
「はい」
「あ、そうそう。いいこと教えてあげるわ」
「いいこと?」
 あたしは伯母様の言葉に眉をひそめた。
「そ。東宮に関してね。
 東宮は何をするにしてもストレートで来るのよ。それが好きな人になったらさらに鋭くなるの。それに加えて東宮は物凄い焼きもち屋なのよ。知ってた?」
「いいえ」
「なら、話し甲斐があるわね。自分が好きな人が自分以外の人と仲良くすると、好きな人ではなく、その仲良くした相手に誰であろうと八つ当たりをするの。文句をつけたり、無理な注文をしたりね。
 だから、あなたを好きになったとき大変だったのよぉ。
 兄である冬輝や薫にまで八つ当たりがきちゃって、冬輝は困惑して寝込むわ、薫は泣きじゃくって白夜から離れなくなったんだから」
「そんなこともあったわね〜」
 伯母様の言葉に懐かしそうに言う母様。
 あたしは常葉が兄達に八つ当たりしているところを目に浮かべて、思わず吹き出してしまった。
 知らなかった。常葉って意外に嫉妬深いのね。
「う……っ」
 笑いが飛び交う中、母様が悲痛の声を漏らした。あたしと伯母様ははっと母様の方に向いてみると、母様は腹を抱えて倒れこんでいた。
 もしかして陣痛?!
 母様は息が荒く、顔が蒼白になり、脂汗が滝のように流れ出てくる。
 伯母様はすぐさま母様の傍により、傍に控えていた女房達に向かって叫んだ。
「なにぼさっとしているの!!産気づいているのよ!
さっさと部屋を用意し、験者と左大臣を呼んできなさい!!」
『は…はいっ!!』
 伯母様の的確な指示に女房達は慌てて部屋から出て行き、出産のための部屋をすぐさま用意した。
 その部屋は几帳から壁、着物など、全て白に統一されていた。(当時、血は不浄のものだと考えられていて白いもので隠すという習慣がありました)あたしや伯母様も白い着物と袴に着替えて片時も母様の傍にいたのだった。
 しばらくして内裏にいた父様や兄達、他の兄弟達もこの部屋の外に集まり、部屋を御簾越しで部屋の様子を見守っていた。験者たちも早く来て、お祈りしまくる。(当時の安産法はこれでだったのでした)
「由梨女。どうなの?」
 陣痛が始まってから5時間近く経った。母様の手を握りながら伯母様は助産婦の一人に尋ねた。
「かなりの難産でございます」
 由梨女は唇を噛みながら険しい表情で言った。
 早く出てきなさいよ!!早く母様を楽にさせてあげて!!
 (……早く出たい……)
 ?!
 あたしは突然耳元で聞こえた幼い女の子の声に驚いた。
 こんなこと今までの出産でなかったのに……。もしかして今回の子供はあたしと同じエスパー?
 そう思っていると、その声は泣きながら
 (早く外に出たい……あなたはだあれ?)
 あたしはあなたの姉になるものよ。
 (お…お姉ちゃん……?)
 そうよ。あたしはあなたと早く会いたいの。だからあなたも一生懸命外に出るように努力しなさい。
 (だってここ狭いんだもん)
 狭いんだもんって………我儘言うんじゃないの!!母様はあたしと同じようにあんたに会いたがっているのよ!!
 (母様って……あたしをここで育ててくれてる人のこと?)
 そうよ。あんた母様に会いたいとは思わないの?
 (……会いたい!!ずっとあたしのこと育ててくれたんだもん……優しく声翔けてくれたんだもん……!会いたい!!会いたいよぉ!!)
 と力強く、彼女が叫んだとき――――
「うぎゃぁ!!ほぎゃぁ!!」
 部屋全体に赤ちゃんの泣き声が響き渡る。それと同時に女房達がいっせいに胸を撫で下ろし喜んだ。
「奥方様。可愛い女のお子様です」
 由梨女が汗だくになりながらも、嬉しそうな声で言った。赤ちゃんはすぐさま産湯に入れられ、白い布に包まれて母様の傍に連れてこられた。母様は一仕事を終えて、疲れたのにも関わらず、人の手を借りて起き上がり、生まれたばかりの赤ちゃんを愛しそうに抱いた。
「初めまして。あたしの赤ちゃん」
 母様は優しく赤ちゃんに向かって言うと、それに応えるように大きな声でなく赤ちゃん。
 そこに父様が部屋に入ってきて、母様に近づき、人目を関わらず母様の頬に接吻をした。あたしと伯母様はすかさず、母様たちから離れ、部屋の隅にちょんっと座った。
 父様は母様の髪を愛しそうに撫でながら
「お疲れ様」
 と優しく言った。それを見て、伯母様はあたしに小声で言った。
「いずれあなたもああなるのよ」
「女の性ってやつですか?」
「そ。私の場合はないけどね」
「どうしてですか?」
「主上は自分の子は白夜でないとダメだと今も仰っているの。だから無理なのよ」
「……母が憎いですか?」
 あたしの質問に伯母様は首を横に振った。
「私はね、白夜を憎んでいないわ。昔はとても不幸な生い立ちであったから、私は白夜が幸せでいて欲しいだけなのよ。
 だから、白夜の娘であるあなたも白夜と同じように幸せになって欲しいの」
 伯母様の言葉にあたしは何も言い返すことができなかった。
「私としてはあなたが東宮妃になってくれれば一番いいのだけれど、あなたはまだ自分の感情をはっきりしていなからしたくないのよね。だから私も無理に強要しないわ。
 でもね、これだけは言っておくわ。東宮はあなたを諦めるつもりはない。どんな手段を使ってもあなたを手に入れるつもりよ。そこのところは覚悟しておきなさい」
「どんな手段を使っても……」
 あたしはその言葉に他の言葉以上に重みがかかったのを実感した。
 あたしは常葉と結婚したくない。でも、常葉のことを考えると胸が苦しい。
 あたしは本当に何をしたいんだろう。