第七章 入内と襲撃

 

 あたしが常葉に自分の本当の気持ちを告白したあの日から一ヶ月ぐらい経ち、ついにこの住み慣れた屋敷から離れ、常葉が住む東宮御所へ入内する日となった。この日のために新調された数々の高級な服や装飾品。これらは全て父様と式部卿宮様が用意してくれたものである。あたしはそれらを身に纏って屋敷で待機している。その後に父様、母様、それに八重を含む才色兼備の四十名の女房、女童、婢女、小者など六十余名が付き従っている。
 そのあたしの入内の行列をひと目見ようと、物見高い京人たちが沿道をうずめ、何かあっては大変と、検非違使が警護に追われつつも、周囲に鋭く目を光らせている。
 日本では浄闇とよんで、闇を尊ぶ。浄闇は神のものとされ、帝や皇太子は神のような存在であった。
 それゆえ、皇太子が伴侶を迎えるのは、夜でなければならなかった。
 あたしの輿は酉の刻(午後六時)に屋敷の門を出て、亥の刻(午後十時)に東宮御所の藤壷に通される手筈になっている。
 亥の刻(午後十時)刻限どおり、あたしの輿は東宮御所に到着し、あたしは大和絵の和歌屏風に囲まれた藤壷御殿に何事もなく入った。
 入内と同時に、帝から蔵人を通じて祝いの宣旨が伝えられた。
 翌日。
 右大臣、内大臣、大納言たちが祝いの品々を携えて藤壺御殿にからだを運び、祝賀を述べる。帝からも常葉からも使者がつかわされた。
 しかし、あたしにとっては嬉しいけど、つまらなくてしょうがないことだった。
 ありがたいんだけどねぇ〜。心の中で「次は私の娘が入内する番だ。この娘以上の寵愛を握るのは私の娘だ」とか思ってるのがこっちにまで聞こえてくるわ。
 こんなことされたら誰だっていい気分にはなれないわよ、まったく。
 三日目になって、母様は藤壺を退出していった。
 ちょっと淋しいと思いつつ、母様を見送った。
 さらに四日後、あたしは帝から女御の宣旨を賜った。入内七日目というもの、異例の早さらしい。
 その夜。
 常葉はあたしがいる藤壷に渡ってきた。
 常葉はあたしの姿を見るなり、ぽっと顔赤くし、あたしの手をとりあげた。
「綺麗だ」
「……ありがとう」
 常葉に言われてあたしは照れてしまった。
 う〜こんな人が沢山いる中で言われると、照れるじゃないのよ〜。反則よ〜。

 入内七日目の夜にして、あたしは常葉の夜御殿(よるのおとど)に通された。
 常葉はあたしが部屋にくるなり、あたしを自分の傍に引き寄せ、寝所に入ると、あたしの髪を弄びながら無言であたしを見つめていた。あたしは常葉に自分の体を全て預け、幸せに浸っていた。
 ……やっぱりあたしは常葉と結婚したんだなぁ。
 とあたしは実感していると、
(………ニクイ………)
 え?!
 あたしは憎しみがこもった女の声にはっと飛び起きて、あたしを見渡した。しかし、あたし達のところには常葉以外誰もいなかった。
 ……気のせい?
「……どうしたの?」
 寝転んだまま、きょとんと驚いたまま、あたしを見る常葉。
「う…ううん。ちょっと変な声が聞こえただけ」
 と慌てて微笑みながらあたしは常葉に言うと、常葉はすぐに微笑み
「こんな日に変な声なんて聞こえるわけないじゃないか。空耳だよ。空耳」
「そ…そうよね。こんないい日にあるわけないか…」
 と常葉の言葉に納得するあたしだったが、その憎しみがこもった声は空耳ではなかった。
(ヨクモワタシノトウグウヲウバッタナ。サダイジンノムスメ!!ニクイ。ニクイゾ。トウグウノチョウアイヲウケルノハコノワタシダケ!!)
 な…何よ…。このどんよりとした気持ち悪い空気と憎しみがこもった声は。寒いし、気持ちが悪い。常葉にはこの声が聞こえてないみたい。エスパーのあたしにしか聞こえてないみたい。
(…ニクイ。オマエナドイナケレバトウグウハワタシノモノ!!)
 ばちぃっ!!
「あうっ!!」
 憎しみがこもった声と同時にあたしの体に鞭で叩かれたような激痛が走った。あたしは痛さのあまり悲痛の声をあげた。
 その悲痛の声を聞いて、浅い眠りにつきかけていた常葉が飛び起きた。
「千景?!どうした?!」
「な…なんでもないわ……。ちょ…ちょっと頭をぶつけた…だけよ……」
 激痛を必死に堪え、荒い息をたてながら、あたしは少しでも常葉を安心させようと嘘をついたが、常葉にはすでにバレてしまってた。
「頭をぶつけただけで、そんな荒い息遣いになるものか!!」
「ほ…本当に…大丈夫…だから……」
 とあたしはそれでも嘘をつきつづけたが、激痛は更に酷くなり、ついには痛みに我慢できなくなり、悲痛の声をあげてその場に倒れ伏せた。
「千景!!しっかりしろ!!」
 常葉は必死にあたしを呼びかけるが、あたしは激痛のせいで反応することができなかった。それを見た常葉は意を決したようにあたしの着ている服に手を伸ばし、服を脱がせていく。
「ちょ…ちょ……?!」
「?!」
 あたしの服を脱がせていた常葉の手が急に止まった。常葉は険しい顔で
「千景……背中どうしたんだ?!痣だらけだぞ!!」
「?!」
 もしかしてあの声のせい?!
「千景…一体何があったんだ?!」
 あたしは痛みのせいでうまく声に出して言うことができない。
「待ってろ。今、医師(くすし)を呼ぶから」
 と外に行こうとした常葉の服をつかみ、あたしは必死に首を横に振った。
 結婚初日からこんな騒動を起こしたら、父様の面目がつかないし、常葉だって―――
「…………………」
 常葉は辛そうな顔でしばしあたしを見つめると、あたしを力強く抱きしめた。
(オオオオ……)
 あの憎しみがこもった声は常葉に抱かれると同時に感嘆の声をあげ、気配が消えていく。それと同時にあたしを苦しめていた激痛が引いていった。
「……常葉」
「大丈夫?」
 常葉はゆっくりあたしから離れて尋ねると、あたしはこくんと頷いた。それを見て常葉はほっと胸を撫で下ろした。
「ごめんなさい。初夜にこんなことになって……」
 あたしは脱がされた服を着なおしながら、常葉に申し訳なさそうに謝ると、常葉は首を横に振って
「気にするな。おまえが無事でなによりだ。
 それより一体何があったんだ?急に背中が痣だらけになるなんて……」
「わからない…。でもあたしのことを憎いって言っている女の声が聞こえた」
「女?怨霊か?!」
「…………そうなのかな?」
「たぶんそうだろうな。怨霊なら辻褄が合うし。その女の怨霊は他に何か言ってたか?」
「……『常葉の寵愛を受けるのは私だけ』って言ってた」
「俺の寵愛?」
 常葉がオウム返しに尋ねると、あたしはこくんと頷いた。
「たぶん、その女の人は常葉に恋しているんだと思う。だから最初に入内したあたしを憎んで……」
「それで自分の欲望のために俺の千景を襲った、と。くそっ!!」
 常葉は悔しそうに畳を叩いた。
「そんなに怒らないで。折角の初夜が台無しになっちゃう」
「怒らないでいられるか!!大切な妻が怨霊に襲われたんだぞ!!もしかしたらあいつがやったことかもしれないのに!!」
「心当たりでもあるの?」
 あたしが尋ねると、常葉は落ち着きを取り戻し、あたしの質問に答え始めた。
「ああ。千景、俺の母親の家柄知ってるか?」
「えーっと、確か右大臣の長女…だっけ?」
「そうだ。その右大臣には俺の母親以外に姫が四人いる。そのうち上二人はすでに結婚しているからいいんだけど、残る二人は東宮妃候補に含まれているんだ」
 げっ!!ってことはあたしの一生の宿敵?!
「一番下の五の君は他の殿方に恋心を抱いたらしくてさ、このあいだ恋煩いで倒れたっていうから東宮妃になる可能性はないだろう。でも四の君は……その……」
 と急に口を濁す常葉。
「なに、どうしたの?」
「その四の君は小さい頃から俺の嫁になるって言っててさ。俺が元服するまで右大臣邸にいたとき、毎日のようにしつこく愛想を振り撒いてきたから困ったよ。その上、俺と似て嫉妬深いから。
 俺が千景を見初めたことを話したときえらい狂乱して大騒動にまで発展したよ。
 あいつの怒りを買ってしまった女房はただでは済まされない。なんかしら暴力をふるわれるらしいよ。聞いた話だと眼球を抉り取られた人もいるらしいしな」
 うげっ。眼球を取ったの?!そんな極悪姫と対決するなんてイヤだよ〜。
「ねぇ、その人いくつ?」
「俺と同い年だよ」
「げげげげっ!!あたしと同い年の人ならまだなんとか対決できそうだけど、年上なんてあたしやってけないわよ〜」
「大丈夫。俺はいつでも千景の味方だから」
 とあたしが弱気になっていると、常葉は嬉しそうに言いながら、あたしを後ろに押し倒した。
「さーて。続きを始めよ――」
「へ?!続きって?!」
「もちろん。子作り」
「こ…子作りぃっ?!」
 あたしは嬉しそうに言う常葉の言葉に驚愕した。
 いつから子作りの雰囲気に入っていたのよぉ?!
「やっぱ最初の子供は千景と俺両方にそっくりな男がいいよなぁ」
「ちょ…?!また怨霊が出てきたらどうするのよ?!」
「大丈夫。またさっきみたく抱いてあげるからさ」
 と、常葉はうきうき気分であたしの服を脱がせようとする。
「やめーいっ!!」
 どべしっ!!
「あだ?!」
 あたしは常葉を思いっきり突き飛ばした。
「いったー。普通初夜に子供を作るもんだろーに」
「作らないわよ!!それにあたしは今生むつもりなんてこれぽっちもないわよ!!」
「え―――…。俺と千景の愛の結晶―――…」
 と、やたら悲しそうに言う常葉。
 こ…こいつは…頭の中、自分の欲望だけしかないのかしら?!しかも変態なことばっかり!!
「とにかく!!あたしはもう寝る!!」
 とあたしはそう言い切り、さっさと横になって寝た。
 折角の初夜なのに、こいつとあの女の声のせいで台無しよ!!」