第九章 過去の恋人

 

『あはは…あはははは……』
 子供の笑い声が聞こえてくる。
 あたしはゆっくり目を開けてみると、あたしは見知らぬ屋敷の庭で寝転がっていた。
 え?!あたし東宮御所にいたはず!!
「げげ?!」
 あたしは自分の体が透けていることに気がついた。
 どーゆこと?!あたしまた死んだの?!っていうか声が出てるし…。
 そう思っていると、あたしの前を水干姿の童三人と女童一人が走り回っている。しかし、あたしの存在には全く気づいていない。
 そりゃ幽霊じゃ気がつくわけないか。
 しっかし、よく見ていると、あの女童、童と一緒に遊んでいるようには見えないわねぇ。まるで淋しいから一緒にいるみたいに見えるし、童たちも女童のことを邪魔みたく思っているような感じだわ。
 そう思っていると、あたしの目の前で女童が立ち止まり、泣き出した。
「待ってよぉ。おいてかないでぇ」
 と泣きながらいっていると、一人の童が嫌そうな顔で言った。
「四の君は女の子だからきちゃダメ。これは男の子の遊びなんだから」
 は?あの女童は四の君なの?!そーいえばそんな感じがするわね。っていうか、嫌々そうに言った童以外の童はどっから見ても冬兄と薫兄の小さい頃の姿じゃない。ってことはあたし誰かの過去に来ちゃったこと?!
 うぞ――――っ?!なんで、なんで―――?!
 はっ!!もしかしてあの悲しそうな四の君のせい?!
(その通りです)
 とまた四の君の声が辺り一帯に響いてきた。
「ちょっと!!人を自分の過去に連れてくるなんてどーゆーつもりよ?!」
 あたしが叫ぶと、目の前に泣きながらさっきあたしを襲った四の君がすーっと現れた。
「私は四の君が悲しみのあまりに生まれた直霊(なおひ)と申します。先程は曲霊(まがひ)が女御様に大変酷いことをして申し訳ありませんでした。女御様の声は私がなんとか取り戻しました故、安心してください」
 と、泣きながら詫びる四の君というか直霊。
 一方あたしは頭の中がパニック寸前になっていた。
 え?直霊?曲霊?!一体どーゆーこと?!四の君は多重人格者なの?!
「少し違いますが、まあ似たようなものです。元々本体から生まれ、本体と離れて行動をしているので本体は私達の存在を気づいていません。曲霊は自分を見てくれない東宮様と東宮様が見初められた女御様を憎むあまり生まれた存在です。曲霊は東宮様を苦しめ、女御様を殺せば自分は楽になると思っているようなんです。だから曲霊はあのような行動に走ってしまったのです」
「ふぅん。だいたいの状況は分かったわ。で、直霊だっけ?あんたもあたしを消したいわけ?」
 あたしの質問に直霊とやらは首を横に振った。
「とんでもございません。私はただ、話し合いで解決したいだけなのです。
 そもそもこのように私達を生み出したのは四の君自身の未熟さの故に起きたこと。自分の行動を見返りず、ただ相手を暴力や憎むことで解決しようなどとはあまりにも自分勝手過ぎます。
 私は…四の君の行動が許せません。ただ四の君は東宮様に振り向いて欲しかっただけなのに!!」
 直霊がわあっと泣き出すと同時に、今までの風景ががらりと変わり、今度は屋敷の中の一室になった。部屋の中には、脇息に寄りかかり、心ばかりか嬉しそうな表情でいる男と、悲しそうな表情で男を見つめる姫がいた。
「これは…?」
「三年前の東宮様と四の君本体です」
「三年前?どうして?」
「そもそも私達が生まれたのはこの日だったのです。東宮様と四の君が15の時でした。
 脇息に寄りかかっている東宮様、とても嬉しそうな表情をしていらっしゃるでしょう」
「ええ。してるわね。どうして嬉しそうな表情をしているの?っていうか、なんで元服した東宮がここにいるのよ。元服したら東宮御所に住むのが慣わしでしょ」
「嬉しさのあまり、色んな人に言いふらしたかったみたいですよ」
 う…嬉しさのあまりねぇ…。
 あたしがそう思っていると、四の君が口を開いた。
「どうなさったんですか。とても嬉しそうですね」
「ああ。嬉しいさ。ずっと探し続けてきた女童の正体が分かり、その女童の兄の協力でその姿を垣間見することができたんだ」
「まあ。どこの姫でしたの?」
「左大臣の長女、千景という姫だ。薫や冬輝の妹でさ。二人の話だと今年で裳着を済ませたばかりだそうだ」
 とむちゃくちゃ嬉しそうに言う常葉。
 垣間見っていつ覗いていたのよ。全然知らなかった。
「それでは成人になられたばかりの姫なのですね。では、少々子供っぽさもお残りでしょうに」
「まぁね。でもそこがいい姫でもあるんだ。正義感が人一倍強くて、守ってあげたくなるような雰囲気を漂わせ、優しく甘い声をしている、とても美しい姫なんだ。あの甘い声で東宮ではなく、本名で呼んで欲しい。あの愛しい姫を自分の物にしたい」
 と、頬を赤らませ、うっとりしながら言う常葉。
 う…嬉しいけどさ。そーゆー例えはやめてほしいわね。
 ちょっと照れながらそう思っていると、四の君の心境があたしの中に響いてきた。
(どうして…?どうして私ではなく、左大臣の姫に恋心を抱くの?私はあなたのことずっと前から好きで慕っていたのに…。
 見ず知らずの女に私の東宮様を取られたくない!!)
「………もし、東宮様の願いがお叶いにならなかったらどうなさるんですか?」
 と、自分の本心を隠し、四の君は笑顔で常葉に尋ねると、常葉は余裕の表情で答えた。
「そんなこと起こりやしないよ。あの左大臣が約束してくれたんだ。あの男は約束を破る奴じゃないよ。
 今の今まで反対し続けていたあの左大臣が俺の説得にやっと応じてくれたんだ。あとは入内をいつになるか決まるだけになったよ」
「大した自信ですね。では、入内した暁には、その幼い姫をどうなさるおつもりで?」
「……そんなこと、君に話してどうする?」
「私は少しでも東宮様の恋にお役に立ちたいのですわ」
 微笑みながら言う四の君にちょっと疑いつつ、黙り込む常葉。
 四の君…自分の好きな人が目の前にいるのに、どうして本人に言わないの?悲しすぎるよ。言わないと、あとで後悔するのよ!!
「何を言っても無駄です。女御様がどんなに叫んでも向こうには聞こえませんよ」
「分かってるわよ。でも、こんな…自分の感情を押し殺すなんて悲しすぎるよ」
「…………お優しいんですね」
「あんたもね」
 と、言い返すと、直霊はぷっと吹き出し
「もし友人として出会っていたのなら、親友になれたかもしれませんね」
「なれたらね。ところでさっきからなんで東宮は黙っているの?」
「ことときの間は私も長いなとは思っていたんですけどね」
 と二人で話し合っていると、黙り込んでいた常葉がついに口を開いた。
「あの姫を自分の物にすることができたのなら、俺はあの姫の足枷になる。俺から離れぬよう、俺しか見ないように教育するつもりだ。俺はあいつを手に入れたらすぐに指先から髪の先まで自分の物にするつもりだ」
 その言葉にあたしと四の君に衝撃が走る。
 あ…あいつったら、昔からそんな過激なこと考えていたなんて…。
 あたしは思わず顔から火が出た。
「何…真っ赤になっているんですか?」
 とあたしの顔を見てジト目で言う直霊。
「ごめん…ちょっと想像しちゃって……」
「まあ。いいですケド。この言葉が原因で曲霊が生まれたんですよ」
「この言葉で?」
 あたしがオウム返しに言うと、直霊は頷き
「あの言葉は四の君にとって大きな衝撃だったんです。長年共にいた自分にはそのようなことなど一つも言ってくれなかったのに、一目に惚れた方には愛の言葉を言ってばかり。そのことに憎しみを感じ、その時に曲霊が誕生しました」
 このときに曲霊が……
「そして、曲霊が四の君本体の精神を乗っ取りかけたとき、四の君は取り乱したのです」
「東宮様ぁっ!!」
 と¥直霊が言い切ると同時に四の君が常葉に抱きついたもんだから、あたしと常葉は驚愕した。
「何するんだ?!離れろよ!!」
「離れません!!私はずっと…ずっと前から東宮様のことを好きだったんですから!!他の小娘に取られるくらいなら……」
 と四の君が言い終わる前に、常葉が手を振り上げ
 ぱぁんっ!!
 と思いっきり四の君の頬を引っ叩いた。
 おおっ!!あの接吻魔の常葉が女の人に手を上げたぁ!!
 あたしは違う意味で驚いた。その行動を読み取った直霊はジト目で
「接吻魔って……東宮様はそんなに女御様に接吻してくるんですか?」
「してくるわよ〜。それも所構わず、人の都合も完全無視でやりたいときに無理矢理してくるのよ。
 しかもさ、人の口の中に舌を入れてくるわ、しながら片手で人の胸を揉むわ、し終わったら『子作りしよう』とか言って、女房がいる前で押し倒すのよ」
「………口の中に舌……胸……子作り………」
 あたしの言葉にどう想像したのか、直霊の顔がゆでタコのように真っ赤になった。
 何を想像したんだ、何を…?!
「どうして小娘なんかを恋するんですか?!」
 声を張り上げ、泣きながら尋ねる四の君。常葉はむちゃくちゃ怒った顔で
「あの姫を悪く言うな!!
 おまえは昔からいつもそうだ。自分以外の女性のことを話すと、その女性を悪く言う。俺はそんなおまえが昔から大嫌いだったんだよ!!」
 そう叫ぶと、常葉は怒ったまま四の君を突き離し、その四の君の横を通り過ぎていく。その通り際に
「おまえなど、生まれてこなければよかったのにな」
 と呟き部屋から去っていった。部屋には呆然としたまま座り込んだ四の君だけが取り残されていた。
「酷い!!いくらなんでも言い過ぎよ!!」
 あたしがそう叫んだとき、四の君は我に返り、わぁっと今まで以上に大きな声で泣き出した。
「どうして…?!どうして東宮は私を見てくれない?!私を見ても酷い言葉しかかけてくれない!!東宮はどうして小娘のことが好きになったの?!酷い!!酷すぎる!!」
 四の君……あんたは本当に常葉のことが好きだったんだね……。
「ええ。四の君は心底東宮様のことを愛していたんです。
 ですが、あの酷い言葉によって、悲しみのどん底に突き落とされ、私という存在が生まれたのです」
「なるほどね。
 で、あたしに四の君と東宮の過去を見せてどうしろっていうのよ。まさか、これを見せて四の君を東宮妃にしてくれって東宮に頼んでくれとか言うわけじゃないわよね?」
「全くそのとおりでございます」
 その通りかい!!
「なんであたしが敵に塩を撒かなきゃいけないのよ。
 そりゃ確かに東宮が四の君に対して酷いことを言ったところは同情できるけど、後のことは自分がいけないんじゃない」
「それはそうなんですけど…。ですが、このままでは曲霊の力が強くなり、あなたも今まで以上に攻撃されてしまいますよ」
「それは……」
 あたしは直霊の意見に反論できなかった。
 直霊が言っていることは合っている。このまま曲霊を野放しにしてたら、あたしは痣だけじゃ済まされない。確実に死ぬかもしれない。だからと言って、宿敵を作るのも嫌だ。宿敵を作らず、曲霊を制圧する方法しかないか。でもどうやって…はっ!!そういえば!!
「直霊。曲霊は本体を狙うことはないの?!」
「……これ以外に一回だけありました。もしかしたら今回もあり得るかもしれません。それがどうかしたんですか?」
「曲霊と本体を会わせるのよ!!」
「曲霊と本体をですか?!」
 あたしの提案に驚く直霊。
「そう。今回の騒動で右大臣にも曲霊の存在がバレた。ひょっとしたら明日にでも寺に連れて行かれ除霊されるはず。
 でも曲霊は憎しみから生まれた存在だから東宮とあたしへの恨みが消えない限り生き続けることになる。だったらそれを逆手にとって曲霊と本体を会わせ、二人を納得させれば――」
「曲霊が消える」
「そういうこと。曲霊を呼び出すならあたしに任しといて!!
 そーいえば、ちょっと気になったんだけど、直霊はこれが成功したらどうなるの?」
「曲霊と共に消えます。
 でも残念がらないでください。私は自分の消滅を望んでいるんですから。
 さぁ、そろそろあなたも元の世界に戻る時間になったみたいですから戻ったほうが良いですよ」
「戻る時間って?」
 あたしが尋ねると、直霊は微笑み
「女御様の旦那様が、先ほどから女御様のことを呼んでいるのですよ。聞こえませんか?」
「え?!」
 あたしは直霊に言われ、耳を澄ませてみると、確かに常葉の声が響いてきた。
『……千景。目を開けてくれ……。俺の名をその声で言ってくれ。おまえを失ったら俺はどうすればいいんだ……?!』
「ね。言った通りでしょう」
「ホントだ」
「だから戻る時間だといったんです。
 あなたに会えて本当によかった。もう二度と会うことはないでしょうけど、私のこと忘れないでくださいね」
「忘れるわけないでしょ!!なんであんたまで……!!」
「………………」
 あたしの言葉に直霊は無言のまま、あたしに近づきあたしの目を右手で覆うと同時にあたしは意識を再び失った。
 直霊……どうして……。