第拾伍章 結婚大作戦

 

 今日は父様が東宮御所に参内する日だ。
 というのも、あたしが呼び出したんだけどね。今回の呼び出しに関しては常葉も一緒に付き添うことになった。別にこのことに関しては誰も被害がこないので止めることはなかった。
 あたし達はあたしの自室で話すことにした。
「で、女御は私に何の用ですかな?」
「左大臣、別にここには俺たち以外誰もいないんだから、ここでは前にいたように千景って呼んでいいよ」
 とやたら他人行儀みたく言う父様に対して常葉はあっさりと許可を下ろした。
 そうなのだ。常葉はあえて親子で話したいということで他の女房達はさがらせたのである。
 その言葉に父様は少々常葉に目をやりつつ、前にいたときみたく普通どおりに話しかけてくれた。
「おまえが俺を呼ぶなんて何かあったのか?」
「あるから呼んだんでしょ。
 父様、樹璃と少将との結婚許してあげてないんだって?」
「な…?!どうしてそんなこと知っている?!」
 とやたらあたしの言葉に驚く父様。
 父様ったら自分では隠してたつもりだったんだ。
「樹璃がね、心底悲しくてあたしの耳元にまで泣き声を飛ばしてたの。それに他の女房も言っていたし…。あの二人の付き合いはあたしと常葉以上に長いじゃないの。父様だって二人の付き合いは認めてるんでしょ?
 それに樹璃は『お父様は私や聖の君様ののこと嫌っているんだわ』って思いこんでるみたいよ」
「別に俺は嫌ってはおらんわ」
「じゃあなんで結婚を許してやらないんだ?」
 と今度は常葉が父様に尋ねると、父様はやたら困った顔で言った。
「樹璃はおまえと違って貴族の必須教科が完璧でないのはおまえも知っているだろ」
「何が完璧ではないのよ……あ゛!!」
 父様の言葉に、最初あたしは首を傾げたが、すぐに思いだして声をあげた。
 しまったぁ!!樹璃の悪い癖の存在のことすっかり忘れてたわ!!
「もしかして今の今まで結婚を許可しなかったのはアレがまだ治ってないからなの?!」
 あたしは身を乗り出して問うと、父様は黙って頷いた。
 うわ〜!!まだ治ってなかったんかい!!
「アレってなんだよ?」
 とあたしの言葉に首を傾げる常葉。
「アレっていうのはね、樹璃はお客様と貝合わせとか双六など遊んでいると最初は普通におっとりしてやるんだけど、やっていくうちにだんだん性格が過激な性格に変わっちゃうのよ。
 例えば、貝合わせしてるときがあるじゃない。自分が有利のときは普段どおりにのほほ〜んってしているけど、自分が不利になった途端、あの子は切れて、今までやっていた遊びを壊しちゃうのよ。しかもその間のことの記憶がないっていうからさらにヤバイのよ」
「へぇ〜……」
 とあたしの話に絶句する常葉。
「それがまだ治ってないとなると、確かに結婚なんてできっこないはずだわ」
「俺の気持ちがわかったか?」
「うん。よぉ〜っく分かった。本当はお望みどおり結婚させたくてもアレが直ってなくちゃねぇ……。
 まず先に樹璃の悪い癖を直さなきゃね」
「他にも問題は山積みだ」
 とあたしの言葉に付け加える父様。
「まだ何か問題でもあるのか?」
「はい。千景は裁縫や香合わせなど殆どが完璧でございますが、樹璃の方は……」
「まーだそっちも片付いてないのぉ?」
 と、さすがに嫌になってしまったあたしだった。
「そーいえば、俺まだ千景に縫ってもらった服貰ったことがないなぁ」
 と別の意味で思い出す常葉に「げっ!!」と思うあたしだった。
 やば!!吏珀や曲霊のことで頭がいっぱいで常葉の服を縫ってあげること忘れてた〜。
「あ…あとで丹精こめて常葉の服を何着でも縫ってあげるわ。それよりまだ完璧になってないのってどれよ?」
 あたしは話題を元に戻しながら父様に尋ねると、父様は大きく溜め息をついた。
 も…もしかして……とってもいや〜な予感がするんですけど…。
「裁縫と香合わせだ」
「だぁ〜っ!!」
 あたしは父様の言葉と同時に頭を抱えた。
 よりにもよって貴族の必修中の必修がまだ完璧になってないなんて〜!!どういう神経してんのよ!
「『だぁ〜っ』て叫ぶことは、予想してたのかな?」
「だいたいね…。まさかまだ完璧になってなかったなんて……。よくまぁ式部太夫のとこに攫われたときに縫い物ができたわね…。父様も大変でしょうに……」
「まったくだ。俺は早く樹璃に必修教科ができて欲しいわ」
 とさらに溜め息をつく父様。
「だったら、あたしが他の女房と代わって樹璃に縫い物とか香合わせ教えてあげようか?」
「できることならそうして欲しいよ。だが、おまえはもう女御となった身だ。やすやすと御所から出るわけにもいかないだろ」
 確かにそりゃそうだわな。
「だったらこっちに来てもらえればいいんじゃないのか?」
 と無謀なことを言い出す常葉。あたしと父様は思わず冷たい視線を送った。
「あのね…こっちに連れてきてどうするのよ。世に恥を曝すだけじゃない」
「そっか…。そうだな……。じゃぁどうする?」
「それを今考えているんでしょ。さぁて、どうするかどうかよね。母様ですら無理だったんでしょ?」
「ああ。白夜も裁縫とか香合わせにはほとほと困っているんだ」
 母様ですら困り果ててるって事は今まで以上に酷くなっていることかしら…。これじゃああたしが教える以外どうにもならないじゃない。早く結婚させたいならお妃教育並みに教え込まないと絶対あの子じゃ飲み込まないと思うし……。あと他に裁縫を得意とする女房を数人連れてくか。
「しょうがない。あたし一回実家に帰るわ」
『?!』
 とあたしの言葉に当然の如く驚く父様と常葉。
「おまえ、女御の身だから帰るわけにいかないってさっき言っただろ!!」
「そりゃそうだけど。母様でも困り果ててるんでしょ。だったら帰るしかないじゃない」
「そりゃそうだけどさ……。俺から離れるなんて…もし吏珀が襲ってきたら……」
「大丈夫。いるのは三、四時間程度にするから」
 とあたしが笑顔で言うと、常葉ははぁっとため息をついた。
「わかった。だけど、あんまり無理をするなよ」
「わかってるって!つーわけだから、明後日か明々後日にでも実家に帰るわ」
「…………おまえなぁ」
 とあたしの言葉に呆れる父様。
「早く結婚させたいんでしょ。だったら実行あるのみよ」
「う…うむぅ……。分かったおまえの言う通りにしよう」
 と父様も一応納得するのだった。
 一つ思ったのは、よく付き合っている間、ばれなかったことよねぇ。とにかく実家に帰って樹璃の成長ぶりを見てからやるしかない。ついでにあたしも常葉の服を縫ってあげよう。どんな柄の布で縫おうかしら。明日にでもゆっくり選んでやろう。

 そして明後日になり、あたしは常葉の服用によりによりをかけて選び抜いた最高級の布を持って、女房なしで久々に左大臣邸に帰ってきた。帰ってきた早々、まだ裳着を終えていない妹達がこぞって出迎えてくれた。
「あ〜お帰りなさい!!千景お姉ちゃま!!」
 と第一声に大声をあげたのは四女の琴音だった。
「元気にしてた?」
 あたしは笑顔で尋ねると、琴音はちょっと照れながらこくんと頷いた。
 それからあたしは樹璃がいる部屋に向かうと、樹璃が丁寧に挨拶をして出迎えた。
「お帰りなさいませ、女御様」
 こ…ここでも女御扱いなんて……。
 あたしはそう思いながら、用意された畳の上に座り、すぐに脇息に寄りかかりながら言った。
「樹璃。今日は女御としてきたんじゃないんだからそんな畏まらないでよ。やりにくいじゃない。
 今日はね、あんたの教育係としてきたのよ」
「教育係…ですか?」
 とあたしの言葉に顔を上げ、首を傾げる樹璃。
「樹璃。あんた早く右近の少将と結婚したいんでしょ?」
「……はい」
 とあたしの言葉に急にしょげこむ樹璃。
 なるほど。
「樹璃。どうして右近の少将と結婚できないのか分かってる?」
「お父様が聖の君様のことお嫌いだから……」
 がくっ
 あたしは樹璃の言葉に脱力した。
 この子ったら根本的に理由が分かってないわ。こりゃちゃんと説明してあげないとやる気が起きないかもね。
「あのね、父様は右近の少将のことが嫌いだから結婚を反対しているわけじゃないのよ。まだ樹璃が貴族の必須教科が完璧じゃないから、まだ結婚させるわけにはいかないっていうだけなのよ」
「私のせい…ってことになるんですか……?」
「まぁ。手っ取り早く言わせてもらえば、そうなるわね」
 あたしがそう言うと、樹璃は涙を浮かべた。
 げっ。ちょっと言い過ぎたかしら……。
「え…あ……ちょっと……樹璃?」
「私の悪さが……聖の君様との結婚を遮っていたなんて………」
「いや……だからね、その悪いところを今日直しちゃおうねって思って来たのよ」
「でも…お母様でも呆れてしまったほどなのに……直せるなんてできないです……」
「できないってどうして最初から言えるの?そういうことはやってみてから言いなさい」
 とあたしは厳しく言うと、樹璃は涙を浮かべたまま黙って頷いた。あたしはそれを見て、近くに控えていた陽子にあたしが持ってきた布を持ってくるように言った。
「じゃあ、早速裁縫を直していこうか。あたしも一緒に縫っていくから安心して」
 あたしがウインクをしながら言うと、樹璃はちょっと不安になりながらも、用意された布を手に取った。
「その布で右近の少将の服を縫ってあげるのよ」
「ええ?!最高級の布でですか?!無理です!!使い物にならなくなっちゃいます!!」
「だから、そういうことはやってみた後になってから言えって言ってるでしょ。実践あるのみよ」
 あたしはそう言いながら、自分も布を手に取り、手馴れた手つきで布を縫い始めた。その後に遅れて樹璃も制作に手をかけた。

 しばらくしてあたしは両手の裾まで縫い終わったが、樹璃は未だ右裾で悪戦苦闘をしていた。あたしはひょこんと樹璃の縫い目を覗いてみてぎょっとした。
 ま……マズイ……。この子の縫い目はまさに初心者並みだわ。まさかここまで下手くそだなんて……。
 あたしは思わず頭を抑えた。
「どうしたんですか、お姉様」
 とさすがにあたしの行為に不安を感じた樹璃はあたしの顔を覗き込んだ。
 こ…こうなったら……心を鬼にして教育していくっきゃない。
 とあたしは一大決心をした。
「樹璃!!あんたの縫い目はまさに初心者並みよ!!これから心を鬼にして教え込むから覚悟しなさい!!」
「は…はい…!!」
 と心を鬼と化したあたしに少しビビりながらも返事をする樹璃。それを聞いてあたしはすかさず次々に厳しくマズイ所を指摘した。
「そこ!!縫い目が「ハ」の字になって笑ってるわよ!!もう少し丁寧な「ハ」の字にしなさいよ!!
 あ、そこ!!糸がぐにゃぐぎゃに蛇行してるんじゃない!!最初からやり直し!!」
 とびしばしと注意するあたしに半泣き状態ながらも一生懸命直していく樹璃。
 しかし、そのおかげで、常葉と約束した三、四時間だけいるつもりだったが、結局一日中左大臣邸に居座り泊まることになってしまった。それほどまでに樹璃の状態が悪かったのである。

「ん……」
 久々に実家で寝入ってしまった。
 早く起きて、今日は樹璃に香合わせを教えなきゃ。
 あたしは御帳台の中ででそう思いながらゆっくり目を覚ますと、起きるなりぎょっとした。それは東宮御所にいるはずの常葉があたしの布団の中にいるのだった。
 え?!幻?!
 あたしはそう思って、確認のために常葉の肌に触れると、幻ではなく本物だった。
 な…なんで…ここにいるのよ……。
 そう思っていると、常葉の手が動き、あたしの手を掴んだ。
「ん……千景……」
 どっきゅーんっ!!
 あたしは常葉の可愛さぶりに、あたしの胸は高鳴った。
 ひゃ…ひゃ……可愛い……。って胸を高鳴らせている場合じゃないでしょ!!
 あたしは慌てて飛び起きて、常葉の体を揺すり起こした。
「んみ……」
「可愛い声をあげないで、起きてよ!!な…なんでここにいるのよ?!ここは左大臣邸よ!!」
 あたしはさらに常葉の体を揺すると、さすがに常葉も目を覚ました。
「あ…うはよう……」
 と起き上がり、あくびをしながら常葉はあたしに向かって挨拶した。一方あたしは正座をしてぷぅ〜っと頬を膨らませてじろっと睨んだ。
「なんでここにいるのよぉ……」
「おまえナシで寝れなくなっちまってさ、おまえの体を求めておまえの実家までに来てしまったよ」
「あのねぇ…!!そんな理由でこないでよ!!ってわぁっ!!」
 あたしはいきなり常葉に押し倒され、無理矢理接吻させられた。
「ん……んん……」
 とあたしが声があげても常葉はやめようとしなかった。そのとき、あたしの部屋に三女の椿と三男の葵が勢いよく入ってきた。
「姉様〜!!朝だよ〜!!早く起きて〜!!」
 マズイ!!この光景を二人に見られたら!!
 あたしはそう思い、力を込めて思いっきり常葉を突き飛ばし、無理矢理接吻をやめさせた。それと同時に御帳台の几帳が上げられ、二人が入ってきて、あたしに飛びついてきた。
「姉様〜!!おかえりなさい〜!!それと東宮様ようこそ〜!!」
 と笑顔で椿が言うと、常葉はちょっと苦笑した。
「姉様〜。今日は葵と遊べる?遊べる?」
 と小首を傾げて尋ねる葵。あたしは苦笑しながら言った。
「ごめんね。今日も樹璃に教えなきゃいけないことがあるの」
 あたしがそう言うと、葵はぷぅ〜っと頬を膨らませた。
「え〜っ。今日もなのぉ〜。つまんない〜」
「だったら千景の代わりに俺がおまえと遊んであげよう」
 と常葉が言うと、その言葉を聞いた頬膨らませ不機嫌状態だった葵はぱぁっと機嫌をよくした。
「ホント?!いやったぁ!!東宮様、ありがと!!」
「あ、ズルイ!!私も〜!!」
「分かった、分かった。二人まとめて遊んであげるよ」
『やった〜!!』
 と常葉の言葉に大喜びする二人。その喜びぶりに常葉は苦笑するが、どこか嬉しそうだった。二人は部屋から出ていき、再びあたしと常葉だけになった。
「いいの。あんな約束して」
「いいよ。おまえの弟達と交流を深めたいしね」
 と笑顔で言う常葉に、あたしも笑顔になった。

 服も調え、食事も終わり、休む間もなくあたしは樹璃を呼び出し、早速樹璃の目の前に香料と火取を並べて今日の課題を出した。
「こ…これは……?」
「今から薫物を作ってもらうわ。作ったら、火取にかけてその匂いを嗅がせてちょうだい」
「は…はい」
 と慌てふためきながら樹璃は香合わせをはじめた。あたしはそれを横目に昨日できなかった服を再び縫い始めた。
 それから50分後、意外に早く樹璃は香合わせを終え、遊んでいた常葉や葵などを呼んで早速火取にかけたが、
『臭っ!!』
 あまりにも臭い匂いにその場にいた者達は思わず鼻を抑えた。
 一体どんな調合をしたらこんな臭い匂いになるのよぉ〜!!
「凄まじい匂いだな」
 と鼻を抑えながら呆れて言う常葉。
「あう〜っ。これも最初から教えていかないといけないなんて〜」
 あたしは泣きたい思いだった。
 結局、このあと裁縫と同じように心を鬼にして教え込んだのは言うまでもなかろう。
 そして、あたしの努力の甲斐があってか、樹璃はようやく貴族の必須科目をまだ完璧には劣るものの、父様から結婚OKのサインが出たのだった。