|
第拾七章 泥沼 |
| あたしが樹璃と右近の少将の所顕の日に懐妊したことが発覚し、それがあっという間に都中に広まり、都中喜びに包まれていた。 しかし、それはほんの一週間ほどで絶望へと変わってしまった。 それはあたしが流産してしまったことである。あたしは初めての懐妊と吏珀のストーカー行為、そして懐妊が発覚したことでさらに憎しみを増した曲霊が復活し、本格的に攻撃を開始したため心身ともに疲れてしまったせいであったりする。そのせいでお腹の中にいた赤ちゃんはその犠牲さを物語るようにこの世に生まれて来れなくなってしまった。 あたしが…未熟だったから……。ゴメンね……。あたしの赤ちゃん……。 あたしは流産したことがショックで毎日のように泣き崩れていた。常葉はそんなあたしを優しく包み込み、暫くの間公務をしないことにした。毎日あたしが少しでも元気になれるようにと傍にいてくれた。そして、夜になってもあたしを無理に強いらなかった。 「……千景」 今日も常葉は絶望感に浸っているあたしの元にやってきてくれた。本来なら愛想をつくはずなのに、常葉はあたしに愛想を尽かさずやってくれた。悲しみのどん底に突き落とされ、絶望感に陥っているあたしにとって唯一の救いだった。 「まだ……ショックか?」 常葉の質問にあたしは常葉の体に寄りかかりながら黙って頷いた。 「千景。もう死んでしまった子供のことは忘れろ」 「でも……あたしのせいであの子は死んでしまったのよ」 あたしは常葉の言葉に涙声になった。 「あたしが……あたしが未熟だったばかりに、あの子は死んでしまった。あたしが殺してしまったようなものよ……」 「千景!!」 と自分を責めつづけているあたしに、急に声を張り上げる常葉。あたしはその声にびくんっと反応した。 「おまえは流産してから自分を責めつづけてばかりだ。おまえを流産にまで至らせたのは曲霊と吏珀のせいだろ!!」 「でも…あたしが未熟だったからその行為に耐えられなかったんじゃない……」 「未熟だったら俺も同じだ。おまえを守りきれず、流産にさせてしまったんだからな!!」 「…………………」 と自分も責める常葉にあたしは何も言えなかった。そしてあたしに対して常葉は優しく言った。 「だからもう自分を責めるな。俺も責めつづけているおまえを見ていて辛い」 常葉はそう言うと、あたしを優しく抱きしめた。 あたしはその行為に泣くことしかできなかった。 ゴメンね、常葉。 「千景。今日星占いの結果が来る日だ。そしたら今度新しい命を宿してくれ。それがきっと流産した子の生まれ変わりだよ」 常葉は泣いているあたしに耳元で優しく言った。 そんないい雰囲気の中に――― 「失礼します」 とやっぱり邪魔が入るのであった。しかも、今回は八重が入ってきたのである。あたし達は八重を見ながら、目で「折角いい雰囲気なのに……」と訴えた。 「で、何のようなんだ?」 「はい。先程星占いの結果を持って右近の少将が参内いたしました」 「なに?」 右近の少将が星占いの結果を持って? 普通ならそれを担当した者がくるはず。なのになんで右近の少将なの? そんな疑問を抱きながら、常葉は言った。 「わかった。こっちに通してくれ」 「はい」 八重は一礼してその場から下がっていった。 「常葉」 あたしは泣きやみ、常葉に視線を送ると 「おまえも何故少将が持ってくるのか疑問なんだろ?」 「うん。本来なら占った本人が持ってくるはずよ。それにその本人が方違えでこれなくなったとしても、少将以上の位を持った者が来るはずだわ」 「またなにか、相談事でもあるんじゃないか。この間みたく『裁縫ができない〜』とか言い出したりしてな」 「もうっ。そんな縁起でもないこと言わないでよ!!」 あたしはふてくされながら言うと、常葉はけたけたと笑い出し、 「よかった。いつもの千景に戻ったな」 「ありがと。少しは元気になれたわ」 とお互いに笑顔を交わすと、それに合わせるように星占いの結果を膳の上に乗せて右近の少将が入ってきた。 「本日はお日柄もよろしく存じます。これより星占いの結果をご報告いたします」 右近の少将はそう言うと、膳の上に乗せられた書状を開き、中に入っていた紙をするりするりと手馴れた手つきで開いていく。そして、唾を飲み込みその結果の内容を読み上げた。 「東宮様のお子様は女御様から七人お生まれになります。男の皇子が四人。女の皇子が三人です。それ以外の者からはお生まれにならないそうです」 わっ!!七人も産むんだ。 あたしは産む数を聞いて後ずさりしたくなった。 まさかそんな大人数産むとは思ってみなかったわよ。 「そうか。ありがとう」 「しかしですね」 とまだ続きがあるような素振りを見せる右近の少将。 「最初にお生まれる皇子は星占いをした結果同じ日にお二人生まれるそうです」 「つまり双子ということか」 「はい。しかしその双子様は男と女の皇子でございます」 と畏まって言う右近の少将。 「その双子の片割れ・男の皇子はいずれ帝に遊ばすでしょう。帝になった折には世は繁盛するでしょうとのことです」 「ってことは生まれたらすぐに東宮にあげろというわけか」 「はい」 「他の子供たちは?」 「はい。残りのお子様たちは女の皇子は降嫁し、男の皇子は皆皇族としてお過ごしになされるようです」 「そうか」 と右近の少将の話を聞いて、ちょっと暗くなる常葉。 「ところで本来なら占った本人が来るはずなのに、何故おまえが持ってきたんだ?占いの結果とかこつけてまた相談事でもできたのか?」 「いえ。その逆です」 『逆?』 右近の少将の言葉に眉をひそめるあたし達。 逆って何よ……。 「今回の結婚に関して、東宮様や女御様には大変ご迷惑をおかけしましたが、結婚生活は順調だと報告しようと思いまして……」 「そうか。それはよかったな」 と少し淋しそうに喜ぶ常葉。右近の少将も少し言いづらそうだった。 やはりあたしが流産したので、気を遣ってくれてるんだ。 「それで……その……」 と急に口ごもる右近の少将。 「どうした?」 「あの……実は妻が懐妊しまして……」 え?!樹璃が懐妊した?! 「それは本当なの?!」 あたしが身を乗り出して尋ねると、右近の少将は顔を真っ赤にさせて黙って頷いた。 「今何ヶ月なの?」 「今……四ヶ月だそうです」 ほは〜〜〜… あたしは右近の少将の言葉に唖然呆然になった。 四ヶ月ってことは結婚する前にすでに妊娠してたってことになるじゃない。右近の少将の奴、上がりやすい割りには意外に手が早いじゃない。 あたしはちょっと右近の少将に対して敵意を感じた。 「じゃあ今は一番不安定なときだから、あたしの二の舞にならないように夫である少将がしっかり守ってあげてね」 あたしは少し笑顔で言うと、右近の少将は意を決したように強く頷いた。 そして、一礼をして部屋から退出した。 「はぁ〜…。少将の奴、なんだかんだ言ってやることはちゃんとやってるんだなぁ〜」 と右近の少将が出て行くなり、簡単な声を上げた。 「千景。聞いただろ。俺との子が七人も生まれるんだってよ」 「………あたし、陣痛で死ぬわよ〜」 と不安な声をあげると、常葉は嬉しそうに言った。 「大丈夫だよ。出産のときは必ず傍にいるからな。だから安心して元気な子を産むんだ」 「わかったわ」 あたしは笑顔で答えると、常葉も笑顔になった。 夜になり、今日は何故かいつもの夜御殿ではなく承香殿であたし達は流産する前と同じように交わった。常葉はあたしの体を考えてか、優しくあたしの体を扱った。 一通り行為を終え、あたしは荒い息を上げながら常葉の体に寄り添い、常葉も少し荒い息をしながらあたしを優しく見つめた。 「大丈夫?」 「うん。久々だったからちょっとだけ苦しかったかな……」 「久々だけによかったよ」 「もうっ。そんなことこんな所で言わないでよ〜」 あたしは顔を赤くしながら言うと、常葉はあたしを床に置いて、起き上がった。 部屋の中に入ってくる月の光で常葉の体に滴る汗が光り、常葉の体がより一層綺麗に見えた。 あたしは月に光る常葉の体に酔いしれ、常葉はしばし外を眺めていた。そして、あたしを裸のまま抱き上げた。あたしはその行為に驚いて、慌てて近くにあった単を手に取った。 「千景。愛してるよ」 「あたしも常葉のこと愛しているわ」 とお互い愛し合っていることを再確認する。しばらくそのままでいると、どこかの部屋の扉が開く音がして、あたし達の空気に緊張が走る。 おかしい……。まだ朝にもなっていないのに、なんで人がいるの?もしかしてまた吏珀が来たとか。 あたしがそう思っていると、ついに承香殿の戸も開くと、そこには短刀を持った吏珀が月の光に照らされて立っていた。 吏珀はあたし達の姿を見ると、きりっと歯を食いしばった。 「東宮……女御を犯したのですか……?」 怒りの感情を必死に押し殺して言う吏珀。それに対して常葉はあたしが咄嗟に出した単を着ながらきっぱりと言った。 「ああ。犯したよ。でも、これは女御も承諾していることだ。おまえには関係ないだろ」 「おのれ…私の女御を……ワタシノトウグウヲ……」 私の東宮?まさか!! 「常葉!!吏珀に曲霊が乗り移ってる!!」 「何?!」 あたしの言葉に当然の如く驚愕の声を上げる常葉。その言葉ににたぁっと曲霊のように不気味な笑みを浮かべる。 間違いない。吏珀に曲霊が乗り移ってるんだ。やっぱりこの間のことは本気だったのね。 「曲霊!!往生際が悪いぞ!!」 「ホホホホホ!!私は進んでこの男に乗り移ったのではないわ!!この男が私を利用したのだ!!」 はい?吏珀が曲霊を利用?逆じゃなくって?! 「この男は私にこう言ったのだ。『東宮を苦しめる代わりに女御を自分の伴侶にして欲しい。それが飲めるのなら、私は半永久的におまえに協力してやろうと』な。 最初は私がこいつを利用しようと思っていたが、まさか形勢逆転されるとはな……。だから今ここで二人を殺してやるわ!!」 そう言うと、短刀をあたし達に向かって刺そうとしたその時!! どしゅっどしゅしゅっ 「かは……っ」 十数本の矢が曲霊に乗っ取られた吏珀の体を貫いた。それに驚愕する曲霊。 「な……っ」 曲霊は口から血を吐きながら矢が打たれた方向に視線を送ってみると、そこには弓矢を構えた二十人近くの武官がいた。指揮を執っているのはあの右近の少将と冬兄だった。 「冬兄!!右近の少将!!」 あたしは服を着ながら叫ぶと、冬兄がきっと厳しい表情で言った。 「我らが貴様の行動など読めぬと思ったか」 『く………っ』 冬兄の言葉に声を重ねて舌打ちする曲霊たち。 「おのれ……あと一歩というところなのに……」 「いえ……もう私たちの負けですよ……曲霊……」 と一つの体に交互で悔しがる曲霊と覚悟を決める吏珀。 「もう……最初から……私たちに……勝ち目など…なかったの……です……。それでも……私は……女御様を……振り向かせたかった。東宮に見せる……あの笑顔を……私にも………向けて欲しかった………。もう私たちは……終わりなんです……」 体中に矢が刺さったまま荒い息を上げ、苦しそうに言う吏珀に対して、曲霊は入れ替わり強気な態度で言った。 「いいや、終わらぬ!!私は霊的存在だ!!憎しみさえあれば私は永遠に生き続ける!!」 「いいえ……。そんなことは……させません……。もう命の灯火が消えかかっている……私の全身全霊を込めて……女御……をお守り……します……」 吏珀はそう言うと、自分の体を抱きしめた。 「私と共に滅びを迎えるのです……」 「嫌だぁ!!私は……私は……」 「共に地獄へ参りましょう……」 吏珀はそう言うと、先程まで持っていた短刀を手に取り、自分の喉元に近づけた。 まさか……っ!! 「ダメ!!吏珀!!」 あたしは慌てて止めようとしたが、吏珀はあたしが止める前に喉元を掻き切り、床に倒れた。夥しい血が傷口から噴水のように出てくる。 それでも吏珀は笑顔で言った。 「最後の……お願いを………して……いいですか……?最後だけ……あなたの中で……眠らせて……ください……」 あたしは無言で今にも消えそうな吏珀を常葉の前で抱いた。それに吏珀は最後に力を振り絞るように言った。 「も……もっと……早く……お会い……したか……」 吏珀は言い終わる前に力尽きてしまうと、二度と動くことはなかった。あたしは静かに彼から離れ、常葉の傍に行った。 「……常葉。…ゴメン……」 あたしは静かに謝ると、常葉は怒らなかった。 「別に怒りはしないよ。俺もああ言われたらああすると思うから気にするな」 と常葉が苦笑しながら言う中、冬兄たちは二度と動かなくなった吏珀の骸の撤収を始めていた。そして吏珀の骸が部屋から出ていくと、冬兄が改めてあたし達に言いにきた。 「お怪我はありませんか?」 「怪我はない。ただ女御の服が謀叛人の血で染まっているから新しくさせてくれ」 「では、女房達にそう伝えておきます。 今日は何もお伝えしないでこのようになってしまってすいません。敵を欺くにはどうしてもこのような形になってしまって……」 と、申し訳なさそうに冬兄が言うと、常葉は優しく言った。 「気にするな。敵を欺くにはまず味方からとも言うからな。ま、謀叛人が自殺してしまったというのが今回の失態かな。今度このようなことが起きたらこの失態を挽回しろよ」 常葉がそう言うと、冬兄は一礼をし、下がっていった。常葉はそれを見送ると、いきなりあたしの着ている血塗れの単を脱がし、常葉の前に再び裸体を曝した。 「あ……。常葉……?」 常葉はあたしの体に吏珀の返り血がついていないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろし、あたしを後ろに押し倒して再びあたしの体を求めた。 「……常葉」 「ごめん…あんなことを言っておいて、俺は吏珀が許せないんだ。死の間際におまえに悲しみを与え、自分の死を記憶の中に焼きつかせさせたのだからな。俺はそれが悔しくてしょうがない。気に食わないことがいつも自分がこんなことして千景を困らせてばかりだ。情けないよ」 「あたしは常葉があたしに求めてきてくれて嬉しいのよ。強いて言えば何の前触れもなくいきなり服を脱がせるのはやめて欲しいぐらいかな。だから気にしないで」 「ありがとう……。千景は最高の妻だ」 常葉はそう言うと、またもやあたしを置いて先に寝息をたててしまったのであった。 |