曲目解説A -舞楽-

 

○青海波(せいがいは)
 天竺にて、浪の下に楽の音があり、婆羅門僧正(ばらもんそんじょう)がこれを聞いて、漢の帝都に之を伝え、舞曲を伝えたといわれています。平調の曲であったのを承和の帝の時に、勅に盤渉調に遷しました。一説には和邇部太田麿(わにべのおおたまろ)が楽を、良峯安世(よしみねのやすつぐ)が舞を、そして小野篁(おののたかむら)が詠を作ったとも伝えられています。源氏物語の紅葉賀の帖で、光源氏と頭中将が青海波を舞う情景は有名です。舞人二人、青海波独特の襲装束(かさねしょうぞく)に太刀を佩いて舞います。装束には千鳥が多数刺繍してあり、とても豪華です。演奏も鞨鼓の奏法に、千鳥懸(ちどりがけ)・男波(おなみ)・女波(めなみ)があり変化に富んでいます。
○貴徳急(きとくのきゅう)
 漢書には『神爵年中(紀元前61〜58)に、匈奴の先賢が漢に降り、漢は日遂に封じ帰徳候(きとくこう)と為した。』と伝えられています。曲は、出手(ずるて)・破・急で構成されていますが、本公演では、出手と急を奏します。舞人一人、毛縁の裲襠装束(りょうとうしょうぞく)に面と甲を着けて太刀を佩き、鉾を持って舞います。
○蘇利古(そりこ)
 高麗壱越調の曲ですが、曲の由来は不明です。この舞の曲がないので、狛桙の返付(かえしづけ)以下を奏します。通常四人舞ですが、四天王寺聖霊会(してんのうじしょうりょうえ)では五人で舞います。そして演奏中に御上帳と御手水の所作があります。右方襲装束の諸肩を袒ぎ、冠に巻纓(かんえい)と緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌おいかけ(すいません。字が出ません。・そして雑面(ぞうめん・和紙に絹を張り、墨で幾何学模様の顔を描いた長方形の面で、上部に着けた絹紐で冠に留める。)緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌緌をつけ、白楚(すばえ)を持って舞います。通常は舞人が降台するまで演奏しますが、この曲は舞い終わって曲を止め、無音で降台します。