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第一章 療養 |
| どんな花でも美しく花開き、私たちの心を魅了してくれるけれども、寿命が来ると儚く散ってしまう。私(わたくし)の恋も同じ。恋の花が美しく花開き、あっという間に散っていった。いいえ、散らされたと言った方が正しいのかもしれません。あのお方が一方的な別れ話を持ち出され、それまで美しく咲いていた私の恋の花は無残に踏みにじられ、散っていったのだ。 私の心は深く抉られ、もう生きていく気分すらない状態だった。そんな私にお母様は少しでも生きる気力が出るようにと、別荘がある吉野に私とまだ小さい弟達を連れて来てくださった。 私はそれだけが救いだった。お母様はもうすぐ新しい生命の誕生するお腹にも関わらず、来てくださったのだから。私はそのおかげで吉野に訪れてからというもの少しずつ回復していった。今までは外へ出歩けるほどになった。私はお母様にうんとお願いをして花が咲き乱れる場所へ数人のお付きを連れて行かせてもらった。 私はその場所に着くなり、花畑をかけ遊び、色々な花を摘んではその匂いを楽しんだ。 この花、とても良い香り。お母様にも見せてあげたいわ。 私はお母様にプレゼントするためにその花を沢山摘んだ。そのとき遠くの方から馬の蹄の音が近づいてくるのが聞こえてくる。 お母様からの使いかしら? 「姫様、お逃げください!!」 突然女房の一人・陽子が悲鳴を上げるように叫んだ。 え? 私は花を持ったまま辺りを見渡した。そのとき目の目に馬にまたがった一人の少年が私のほうに物凄い勢いで近づいてきた。 足が震えて動けない。どうしましょう!! 私は思わず目を閉じた。 お母様!! そう思ったとき、馬の鳴き声が私の耳に届いた。 私は恐る恐る目を開き、上を見上げた。すると、そこには大人しくなった馬と少年がいた。 私……生きているの………? 私は自分が生きていることに嬉しいような残念のような複雑な心境のまま、ただ呆然としていた。 「申し訳ないっ!!大丈夫ですか?!」 呆然としている私に馬にまたがっていた少年が馬から慌てて降り、私の元に駆け寄ってきた。 そして私が怪我一つしていないことを確認すると、彼はほっと胸を撫で下ろした。 年のころなら私と同じくらい。狩衣姿で、この時代では珍しく立烏帽子をしていない(※この時代の成人した男性は立烏帽子をしてないことはとっても恥ずかしいことでした。)。澄んだ瞳に美しい顔、そして首のところで結われた漆黒の髪。 なんてキレイな人なのでしょう。 今まで社交辞令で相手のことをただの言葉だけで誉めていたけれど、心底キレイだと思ったことは今回が初めてだわ。 私はしばし彼の姿を見ていると、お供の者どもが彼に向かって罵声を上げた。 「無礼者!!姫様にお怪我があったらどうするのだ!!」 「そこにおわす姫君は左大臣様のご息女・樹璃姫にあられるぞ!!」 「ええ?!」 下々の言葉に彼は心底驚き、私のほうを見るなり、彼は跪いた。 「これはとんだご無礼をいたしました」 「あなたの名はなんというのですか?」 彼が謝るのに対し、私は思わず彼の名前を尋ねてしまった。 彼はそんなことを気にせずに答えてくださった。 「橘 聖と申します」 「……橘 聖。では女房達が噂している右近少将様ですわね」 「はい。恥ずかしながらそのような位につかせて頂いております」 彼の言葉を聞いて、下々のものは声にならない悲鳴をあげていっせいに顔が青くなり、後ろに退いていった。 逆に私は彼の名前を知って、ますます彼に興味を持ち始めた。 橘聖。噂では彼が宴で奏でる笛は皆の者がうっとり聞き入ってしまい、彼が舞う舞は裾から花が舞うほどの美しいお方だとか。本当に噂通りの方なのね。 お兄様も彼の働きは素晴らしいとも評価していたわ。 そういえば、女房達がいくら女性から文がきても一切読まず、お相手をしないつれない方とも言っていたわね。 「皆の者、私はこのお方と二人きりでお話がしたいから下がってちょうだい」 『姫様?!』 「下がりなさい」 私の発言に驚く下々だったが、私の押しに負け、しぶしぶ後ろに下がっていった。 私は全員下がっていったことを確認すると、跪いた彼に話し掛けた。 「聖の君様。もうお顔をおあげくださいな。 あなたは悪くございません。私も周りに注意を配っていなかったのですから、あなたが一方的に謝る必要なんてございません」 「しかし…!!」 「あなたが私のことを本当に心配してくださっただけで十分です」 「……姫」 私の言葉に何を思ったのか突然聖の君は立ち上がり、私の両手をそっと優しく握った。 「……姫。あなたみたく心が広い女性は今まで言葉を交わした女性の中でいなかった。 私は…いや…俺は一人の男としてあなたのことをもっと知りたい」 「私もあなたのことをしりたいですわ」 私は恥ずかしくて自分の顔から今にも噴火しそうのに気づき、顔を背けながら言い返した。 「何故、あなたはこの吉野にいるんですか?」 突然聖の君が私に尋ねた。 私は即答することができなかった。、 恋人に振られたから療養に来たって言ったらこのお方は笑うのかしら?それとも優しく慰めてくれるのかしら? でも……聖の君なら…… 私は意を決して答えた。 「私は京で負った心の傷の療養に来たのです」 「心の傷……。誰にやられたのですか?」 とさらに質問してくる聖の君。彼の目は真剣そのもの。 「あなたも内裏に参内しているなら噂などでご存知でしょう。 『左大臣の姫と式部太夫が付き合っている』と」 「では、あの太夫様の………」 「今では太夫様と別れていますけどね……」 「ええ?!どうして別れたんですか?!」 「太夫様が一方的に別れ話を持ち出されて……」 私がそう言うと、聖の君様は私のことをそっと抱きしめた。 「あなたも俺も悲運の運命に弄ばれたのですね。 俺もあなたと似たような遭遇でここにきているのです」 「まぁ。これもまた運命なのかもしれませんわ。 きった菩薩様が悲運をたどった私達に生きる道があるようと私達をここに導いてくださったのですわ」 「そうかもしれないですね」 私を抱きながら聖の君は苦笑した。 ああ…このまま時が止まっていてくれたらいいのに…… 「ひ…姫様ぁ〜!!一大事でございますぅ!!」 と私達のところに陽子が飛び込んできた。 そして、当然といえば当然ながら、ふたりして抱き合っているところを見て、 「ぎゃっ」 と叫び、顔を真っ赤して慌てて後ろを向いた。 「し、し、失礼しました。急いでいたもので」 「なにかあったの?」 さすがに私達は抱き合うのをやめて、ちょっと欲求不満になりながらも私は陽子に尋ねた。 「それがつい先程白夜様の使いが大慌てて参ったもので…もしや白夜様のお体になにかあったのだと思います」 「お母様に?!」 「そういえば、左大臣さまの正妻様はご懐妊なさっていると聞いていましたが…もしや物の怪が付いたのかもしれません。 姫、急いでお戻りください!!」 「また…会えますか?」 「必ず会いに伺います。記念にこれを…」 と聖の君は近くに咲いていた月見草を摘み取り、私に手渡した。 私は陽子に手を引かれながらも聖の君をずっと見ていた。 |