Laboratory animals

 

 平成 日本 ―――――――中野 A.M.6:30
 雨がしとしとと降り続く明け方。ある一軒家の2階にある、部屋の明かりを消しきり、真っ暗の部屋の中で、詩澄紅という名を持つ、新宿で事故に遭った優姫の親友である少女が啜り泣きながらベッドの片隅に蹲っていた。姿は一瞬優姫と同じ容姿を持つ少女だった。部屋はアルバムと女子高生の間で人気のプリクラを貼り付けたプリクラ手帳、雑誌類が散乱していた。その部屋に母と思える40代近くの女性が階段を上り、部屋の前を立つと、沈痛な面持ちで、ドアをノックした。
「詩澄紅…。詩澄紅………っ。優姫ちゃんが意識不明なのはショックかもしれないけどね。ショックかもしれないけど…、事故に遭ってから貴女ずっと何も食べてないじゃない。食べないと、体がもたないわ。お願いだから食べてちょうだい……」
「ママは…ママは私の気持ちなんて分からないくせに!!ほっといてよ!!」
 と、ドア越しに逆上する詩澄紅に、母親は身をすくめてしまうが、めげずに言った。
「詩澄紅…。確かにママは貴女の気持ちは分からないわ。でもね、心配する気持ちは誰にも負けないの。
 だから、お願い。食事をとってちょうだい。貴女が何もしないでいると、病院で生死の境を闘っている優姫ちゃんが可哀想だわ」
 そう言って、母親は部屋から離れて1階に下りていってしまった。部屋に取り残された詩澄紅は母の言葉に呆然となっていたが、すぐに涙を浮かべて泣き出した。
「分かってる…。分かってるわよぉ…。だけど…私……何をしてあげればいいのか分からないのよぉ……」
「詩澄紅…」
 泣きじゃくっていると、どこからともなく親友の―――優姫の声が部屋に響き、はっと詩澄紅は顔を上げると、目の前に透き通った制服姿の優姫が立っていた。
「優姫……」
「詩澄紅…。ゴメンね……。私約束守れなかった……」
「いいよ。そんなことどうだっていい!!優姫さえこっちに戻ってきてくれればそれだけでいいの!!お願いまた笑顔を見せてよぉ!!一緒にプリ撮ったり、遊んだりしようよ!!」
「したいけど…。今の私じゃダメなの…。詩澄紅………助けて………」
 そう言って、優姫の身体は消えかけていった。慌てた詩澄紅は叫んだ。
「助ける!!助けるよ!!どーすればいいの?!優姫が助かるなら私なんだってするよ!!だから消えないで!!」
「ラシェルの館に行って…。そこに行けば………」
 そう言って、ついに目の前から優姫は消えていってしまった。
「優姫!!」
 手を伸ばして掴もうとするも、優姫は消えてしまい、ただ伸ばしたまま、しばらく固まっていた。
「………………っ。ラシェルの館ってなんなのぉ?!」
 と、悔しそうな表情で、髪をかきあげた。しばらく考えた後、何かを思い出したように顔を上げ、慌ててベッドから降りて、散乱している雑誌を掘り出して、ある雑誌を見つけると、その雑誌を小刻みに手を震わせながらも、ページをめくっていく。
「あった!!ラシェルの館!!『貴女のお悩み全て解決します!!』って、コレ…最近うちらで流行ってる占い屋じゃん!!ここ…まだ行ったことないのに!!ってこんなことしてる場合じゃないってぇ〜〜〜!!」
 と、占いの広告を雑誌から切り離し、適当なカバンに突っ込み、クローゼットから適当に服を出しつつも、格好を気にしていた。そして、服を選ぶ終えると、部屋から慌てて出て、風呂に入っていった。ぱ〜っと浴びると、リビングにきて、台所にいる母親に向かって言った。
「ママ!!私やること見つけたよ!!」
 そう言って、席に着いて朝ご飯を一気にかき込んで、上に戻っていった。
「いっひぇきまふ〜〜〜〜!!」
 と、勢いよく出て行った。
 これで、彼女に対する計画が動き出しそうだ。そう…あの計画が………。



 平成 日本 ―――――――上野 P.M.3:00
 ごっごがっきぃん…っ
「…………………………」
 ゲーセンにある格闘ゲームが設置されているテレビゲームの画面を前に、足を組みながら、無言にプレイしている依澄がいた。依澄に喜怒哀楽の表情はなく、淡々とレバーとボタンを機械のように動かしてプレイしていた。
 あの日の事故から一週間も経っていないが、依澄の傷は切り傷が1、2箇所ぐらいで入院することはなかったが、友人の冬羽は複雑骨折、内臓の損傷などで意識不明の重体で、人工呼吸が外せない状態だった。その状況を見て、依澄は自分を責め続けたが、答えは何も見出せなかった。それきり、依澄は冬羽がいる病院に近づくだけで事故のことを思い出してしまい、脚が竦んでしまうのであった。そのせいか、事故があった日から依澄は病院へ入って冬羽の元には行っていない。
 やり場のない思いと共にゲーセンに入り、毎日のように格闘ゲームに明け暮れていた。自分の部屋にこもると恐怖が蘇るという理由で…。
 ただ、二つの瞳はぼんやりとしていて、格闘ゲームには集中していなかった。ただ、見ていたのは事故のときの記憶を辿っていた。
 あのとき、冬羽ではなく、自分が意識不明になっていれば、きっと冬羽は生死の境目を苦しむことにならずに済んだのに…。自分が冬羽を傷つけた。償うことが出来ず一生消えぬ傷を…。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「!!」
 依澄が使っていたキャラがやられたときに叫ぶ悲鳴に、依澄は我に返った。既にそのときには敵キャラが勝利のキメ台詞を言っていたところだった。
「ち…っ!!」
 舌打ちをし、ゲームをコンテニューすることもなく、椅子を蹴り飛ばしながらゲーセンを後にした。
(冬羽…。なんでおまえが意識不明なんだよ…っ!!いつも遊んでいるだろ!!)
 何も出来ない自分に対する苛立ちとその苛立ちを誰かにぶつけることも出来ないもどかしさにやり場のない気持ちが溢れんばかりにいた。
 歩いて暫くすると、タバコの自動販売機の前を通り、ふとタバコに目をやり、お金を入れようとする依澄がいた。このタバコを吸えば、この苛立ちも少しは紛れるだろうか?と疑問を投げかけながら。
 しかし、入れる直前に後ろから依澄自身をじっと見つめる気配があった。お金を入れようとする手を残したまま、恐る恐る振り返ると、透き通った冬羽が悲しそうな目で立っていたのである。
「冬羽………」
 いるはずのない人物に恐怖と喜びが入り混じり、手が震えて自動販売機に入れようとしたお金が手から零れ落ちる。
「依澄………」
「………っ。冬羽………っ!!」
「驚いた?実は俺も驚いてるんだよね…。気づいたらこんなスケスケになって、目の前に自分の身体があるんだぜ?俺死んだかと思ったんだけどさ、どうやら俺生死の狭間にいるっぽいんだよネ。あはは…」
「…………………………………………………」
 悲しそうに笑いながら言う冬羽に依澄は何も言えなかった。
「まあ、あんまり笑える事態じゃないんだけどさ…。おまえのことが心配でサ………。
 依澄、いつも自分が責任があると感じると必要以上に自分の事責めちゃうだろ?
 あれは偶然の事故だ。依澄の責任じゃない…。だからタバコを吸っちゃダメだ…」
「でも、あれは俺の………っ!!」
「注意力不足じゃない………。強いて言えば、単に運が悪かったのさ…。それでも自分を責めることなく。俺を助けてくれるなら頼みがある」
「はは…。なんだよ。俺たちマブダチだろ?じゃんじゃん言えよ」
「……………ここから新宿に戻って、都庁を少し通り過ぎたところにラシェルの館という占い屋がある。そこにいるエルヴィーネって人から言われる事をクリアして欲しい…」
 そう言って、冬羽は消えてしまった。
「ラシェルの館……。そこにかすかな希望があるのか?」
 依澄はそう言って、虚空に目をやり、駅に向かって歩き始めた。


 実験動物が全て動き出した。どのように動き出すのかはラシェルの館によるのである。