第壱章 初恋

 

 俺は父親である上皇と右大臣の長女(女御)の間に生を受けた第二皇子。元服まではこの世の慣わしで右大臣邸で住んでいたが、その邸は住む人から建物まで気持ちが悪いくらい気味が悪かった。俺は毎日ただ早く元服して、東宮御所に移り住みたいと願っていた。
 俺はまだ童だった頃からただ少しでもあの邸から離れたくて義兄上である帝に会うため、殆ど毎日と言っていいぐらい内裏に参内した。
 今日もそうだ。俺はただあの邸から離れたくて無茶を言ってきたんだ。
 俺はただ無心に内裏内を歩いていた。
 やはり、あの邸と違ってここは落ち着く。早く元服をすれば、あの邸から離れられるんだ。
 俺はそう思っていると、視野の中に女と複数の男がいた。
 あれは命婦と左馬頭達じゃないか。何やってるんだ?
 俺はしばらく命婦たちの行動を見物させてもらうことにした。声が聞こえないが、命婦はとても嫌がっている様子だな。ひょっとして左馬頭の奴、命婦に恋してるのか。
 そう思ったその時、どこからともなく少女の声が響いてきた。
「なーにーやってんのよぉ〜〜〜〜〜〜っ!!」
 その声に左馬頭達は辺りを見渡す。その瞬間、木の棒を持った女童姿の少女が天井から現れ、そして――――
 ごんっ!!
 と見事に木の棒が左馬頭の頭に直撃し、左馬頭はそのまま後ろに倒れた。
 ひゅぅ〜。今の音からいうと、けっこう痛そうだな。やるネぇ、あいつ。
 俺は叩いた少女に感心した。それと同時に叩かれた頭を抑え、物凄い剣幕で起き上がって少女に迫った。
「き……貴様ぁ―――っ!!何しやがる!!」
「何しやがるも何も、何命婦様に手を出してるのよ!!命婦様は高貴な方なんですからね!!おまえみたいな汚い手で触らないでよね!!」
 と少女は大の大人を相手に肩を張って言い返した。その言葉を聞いて、左馬頭はわなわなと体を震わせた。それを見て少女はさらに大口をたたいた。
「いくら命婦様に恋心を抱いているからって、暴力振って、無理矢理自分の物にしようなんて、馬鹿がすることよ。命婦様を自分の物にするなら、このあたしを倒してからにしなさいよね!!」
「はんっ!!おまえのようなガキなど一発で……」
「言っとくけど、あたしを殴ったら左大臣の父様が出てくるからね」
 ぎくぅっ!!
 と左大臣という言葉が少女の口から出ると、体が固まる左馬頭。それとは逆に俺は彼女の言葉によって彼女の存在に関心を持った。
 左大臣の娘か。そーいえば確か、左大臣には三人の娘がいるって言ってたな。そのうちの一人か。
「お…覚えてろよぉっ!!」
 と左馬頭は捨てゼリフを吐いて、その場から去っていった。それを見送って少女はふぅっと溜め息をついて叫んだ。
「一昨日きやがれ!!っていうか、退散するんだったら、もうちょっとマシなセリフを言え―――っ!!!」
 そりゃ、確かにそうだな。
 叫ぶ少女に命婦は笑顔で言った。
「ありがとう。助かったわ」
「いーえ!!命婦様が助かればあたしはどうなってもいいんです!!命婦様は内裏内で一番お優しくてお綺麗ですもの。あんな不細工な奴に指一本触らせませんよ。あたしはいつでも命婦様の味方です」
 と少女は笑顔で言った。
 その少女を見て、俺は胸がきゅんっとなった。
 な…なんだ、今の心地。彼女の笑顔を見てから急に心の芯が熱くなった。
「命婦様。先程内侍様がお呼びになってましたよ。早く行きませんと内侍様がお怒りになってしまいますよ」
 と少女は命婦の手を引いて、その場から立ち去ってしまい、その場に残された俺はただ呆然としながら彼女を見送っていた。
 こんな感覚、初めてだ……。
 それからというもの、俺は少女の笑顔を忘れることができなかった。寝ても夢の中で俺のことを笑顔で呼んでくれているぐらいあの少女に対して興味を抱いたのだった。俺は少しでもあの少女のことが知りたくて、内裏に毎日足を運び、彼女の存在を知ろうと努力したが、命婦さえも口に出して教えてはくれなかった。
 俺は知ることができなくてただ毎日悲しんだ。
 彼女のことが知りたい。彼女と話をして友達になりたい。
 俺はずっとそう思いつづけた。
 しばらくして俺は胸が苦しくなるほど彼女に対して恋心を抱いていることに気がついた。
 彼女の名前だけでもいい。彼女の名前さえ知れば、あとはその父親に言ってみれば、必ずすぐ彼女を俺の嫁にくれるはずだ。
 俺はそう思いながら毎日を過ごしていった。
 それと同時に夢の中ではあの少女が俺を呼び続けるのだった。
 待っていて。必ず俺が君を探し見つけてあげるから……。
「おまえも知らないか」
 俺は今日も内裏で情報を求めて色々な者に尋ねた。しかし、尋ねても答えは分からないだけだった。
 はぁ……。今日もダメか。
 俺が半分諦めかけたとき、俺の前に冬輝と薫が庭で戯れていた。
 俺の気持ちも知らないで、二人とも遊んでるんだもんな。
 そのとき
「冬兄、薫兄――――っ!!」
 この声は、あのときの少女の声!!
 そう思ったとき、俺を飛び越して、あのときの少女が冬輝に飛びついた。
 むかっ!!なんであの子は俺じゃなくてあいつなんだ?
 俺は彼女の行為に腹が立った。しかし、彼女は俺の存在を知らず、冬輝に甘えている。冬輝は呆れながら彼女に言った。
「おまえ、あれほど父様から暴れまわるなって言われていただろ」
「だってぇー、ここつまらないんですもの」
「つまらなくても静かにしてろよ」
「イヤ」
 と冬輝に対してキッパリ言う少女。それに対して冬輝は怒り口調で言った。
「このことあとで父様に言っておくからな」
「げっ!!そしたらあたしもうここにこれなくなっちゃうわよ」
「だったら、少しは静かにしろ」
「………わかったわよ」
 と納得いかないような口調で彼女は冬輝から離れた。
「分かったなら、次は命婦様の元へ早く行っておいで」
「命婦様?」
「さっきおまえのこと凄く探していたよ」
「うんっ!!」
 彼女は元気いっぱいに返事をすると、彼女は俺の横を通って去っていった。
「おや、東宮様」
 と少女を見送っていた冬輝が俺の存在に気づいた。
「こんなところで何してるんですか?」
「おまえ、あの少女とどういう関係なんだ?」
『は?』
 俺の言葉に冬輝達は目が点になった。
「どういう関係といいますと?」
「恋人なのか?!」
「はいぃ??」
 と俺の言葉にさらに首を傾げる冬輝たち。
「しらばっくれるな!!あれは俺が目につけてた奴なんだからな!!」
「ちょ、ちょちょちょちょっと待ってくださいよ!!あれは……」
「言い訳は無用だぞ」
 俺は言い訳しそうな冬輝に腕を組んでキッパリ言うと、冬輝はこう弁解した。
「違いますってば!!あの女童は俺達の妹なんです!!」
「なにが妹だ!!もう少しマシな………へっ?妹ぉ?!」
 俺は冬輝の言葉に驚愕すると、冬輝達はただ黙って頷いた。
 そういえば、あの子が自分で左大臣の娘だって名乗ってたような……。しまったぁっ!!こんなのだったら最初から冬輝達に聞けばよかったんじゃないかよ!!くぁ〜っ!!とんだ無駄足をしちまった!!
 俺は今までの行動を後悔した。そして、すぐさま冬輝達に攻め寄った。
「妹ってことはおまえたちあの子のことよく知ってるんだろ!!俺に詳しく教えろ!!」
 俺がそう言うと、冬輝達は「げっ!!」と言わんばかりの表情になった。
「え゛っ?!あの子のことをですか?!」
「そうだ。俺に事細かく詳しく教えろ」
「もしやあの子に恋心を抱いたとか……?」
「そうだ。悪いか?」
『絶対にやめたほうがいいです!!』
 と急に口を揃えて反対する冬輝達。
「なんでだよ?」
「どうしてもです。あの子にはこれ以上関わらない方が身のためですよ」
「身のためってどうしてだよ?!あの子は何もしてないじゃないか!!」
「確かにしてませんが、東宮様にはお薦めできません」
「薦める薦めないのはおまえらが決めることじゃないだろ!」
「そりゃそうですけど……」
 と俺の言葉に言葉を濁す冬輝。その冬輝に弁解するように薫が口を開いた。
「僕たちは東宮様やあの子の為を思って言ったんです。僕たちは別に東宮様の恋路を邪魔するつもりはありません。むしろ積極的にご協力する方です」
「なら、あの子のことを教えろ」
「う……っ」
 と薫も冬輝と同じようになり、冬輝と視線を交わすと、はぁっと大きく溜め息をつき、薫は言った。
「分かりました。お教えしましょう。先程の女童は左大臣家の三番目の子供、千景といいます」
「千景……。あの子の名は千景と言うのか。あの子に似合ういい名前だ。左大臣もいいセンスあるじゃないか」
「そうですね。ですが、千景は宮中を大変嫌っています。俺たちが薦めないのはこのせいなのです」
「何故宮中が嫌いなんだ?」
 俺は冬輝の言葉に眉をひそめた。
 なんであんなに楽しそうな顔をしているのに宮中を嫌うんだ?
「宮中は嫉妬や憎しみが渦巻く所だから嫌いだし、正妻以外に何人も側室を作る帝は嫌いだそうです」
「安心しろ。俺が帝になっても彼女しか愛さないよ」
「しかしですね、本人は帝という存在、そして側室を作る者を大変嫌っているんですよ。だから無理ですって」
「こちらに振り向くまで努力を重ねるまでだ」
「しかし……」
「安心しろ。俺は彼女の思いを裏切らないから」
 俺はそう言うと、その場から立ち去った。
 しかし、心の中はすっかり浮かれていた。ずっと捜し求めてきた少女の名を知ることができたからだ。これでやっと彼女に会える。もうこの嬉しさは忘れられない。一生俺の中で生き続けるだろう。
 明日にでも父親である左大臣に相談してみよう。もしかしたらすんなりと会わせてくれるかもしれない。
 俺はそう思いながら歩いていった。