第弐章 垣間見

 

 俺は思い続けていた少女の名が分かり、早速次の日内裏のある一室で左大臣を呼び出して少女に会わせて欲しいと言うと、左大臣は無表情のままキッパリと
「ダメです」
 と言った。
「どうして?」
「あの子はまだ未熟者です。それを東宮に会わせては世の恥ですから。それに東宮様が望んだだけで当の本人は望んでおりません故」
「未熟者なんかじゃない。あの子は立派な子だよ。身をていして暴力者を守ったんだぞ」
「それが未熟者なのです。まあ確かに正義に燃えるのはいいことですが、もしやられてしまっては元も子もないでしょう。今回はたまたま身分が低い者だったから私の名を出せば済んだものを、もし私以上のものに喧嘩を売っていたらとんでもないことになっていたでしょう」
「そうかもしれないが……」
「とにかく、娘とは会わすことはできません」
 そう言い切り左大臣は部屋から去っていった。その場に残された俺はただ呆然としていた。
 彼女と会えないなんて……。俺は今すぐ会いたいんだ。どうして左大臣は俺の気持ちを分かってくれない?こんなに辛いことを突きつけるなんて…左大臣は恋をしたことがないのか?!
 俺はずっとそう思いつづけた。そして、その日の夜から毎日右大臣邸で御帳台の中で静かに泣き続けた。
 それでもあの子に会えると思い、毎日内裏に足を運んだが、追い討ちをかけるように少女は内裏から姿を消してしまった。

 それから月日が経ち、俺は元服をし、待ちに待った右大臣邸から東宮御所へと住処が変わった。しかし、千景という少女に対する思いは募る一方だった。だから、住処が変わっても心の底から喜べなかった。
 しかし、俺は左大臣に説得させようと努力した。毎日左大臣を呼び出し、説得した。それでも左大臣は首を横に振り続けた。
 はぁ……。今日も左大臣は納得してくれなかった。どうしたら彼女を会わせてくれるんだろう。こうしている間に彼女は俺以外の男に恋心を抱いているかもしれない。早く彼女の姿を見たい。
 そう思ったとき、俺の部屋に薫と冬輝がひょこんっと現れた。
「冬輝、薫」
「また今日も父上は断ったんですね」
「なんだ、それだけを言いにきたのか?」
「違いますよ。東宮に良い知らせを持ってきたのです」
 と嬉しそうに言う薫。しかし、俺は何を言いたいのかさっぱり分からなかった。
「良い知らせってなんだよ?」
「実は一昨日母上に相談したら、母上が垣間見でよければ千景を見ても構わないと仰ってくれたんですよ」
「なに?!それは本当か?!」
 俺は薫の言葉に身を乗り出した。
 彼女に会える!!左大臣と違って左大臣の奥方はなんていい奴なんだ!
「はいっ!!明日、母上が垣間見できるように千景を部屋の隅で遊ばせるようにしてやると仰ってましたから大丈夫ですよ。御車はこちらが用意したのをお使いください」
 明日か。明日になれば彼女に会える。
「そーいえば、彼女はいくつになったんだ?」
「えーっとこの間裳着を済ませて13になりました」
 13か……。花も恥らうちょうど結婚適性齢じゃないか。(注:このときの結婚はとっても早かったのです)
 俺が浮かれ気分でいると、冬輝が現実に戻すかのように厳しい言葉を言った。
「でも、くれぐれも千景に見つからないように気をつけてくださいね。もし見つかってでもしたら計画した意味がなくなってしまいますし、父様の耳でも入ってしまったら俺や母様のフォローは効きませんよ」
「わかった。明日は見つからないように髪を下ろしていくよ。それで文句はないだろ?」
「見るときだけですからね。見終わったらすぐさま俺達の部屋に行ってもらいますから」
「分かった分かった」
 と俺は空返事をして二人を下がらせた。
 その日の夜、俺は嬉しさのあまり寝つけることができなかった。

 そして、待ちに待った明日となり、左大臣の奥方が用意してくれた車に乗り、俺は左大臣邸に向かった。到着すると、俺は冬輝の案内で東の対屋のすぐ傍にある柵の中に身を隠し、東の対屋を見ていると、そこには大人っぽくなったあのときの少女が三毛の子猫を抱いて何人かの女房と一緒に遊んでいた。
 俺は彼女を見て、胸がときめいた。
 なんて美しいんだろう。艶やかで豊かな漆黒な髪。綺麗な顔。それに似合うように纏った衣装。俺が会えない間にもこんなにも美しく成長したんだ。
「……綺麗だな」
 俺は彼女を見ながら呟いた。
「確かに綺麗に成長しましたね。母様の指導が行き届いていますから」
 と冬輝が言った瞬間、彼女はその場にコケた。
 綺麗になってもお転婆ぶりは健在か……。
 俺がそう思ったとき、彼女とそっくりで、彼女の母親らしき女性が現れた。
「母様」
 と少し驚く冬輝。
 あれが冬輝達の母親か。左大臣も意外に面食いだな。
「母様!!」
 とそのとき彼女の口が開いた。その声を聞いてさらに胸がときめいた。
「母様。お腹は大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫よ」
「赤ちゃんがいるんですものね」
「そうね。赤ちゃんはあなたと似て元気よ」
「そんなにあたしと似ているの?」
 と母親に対して小首を傾げる千景。その仕草がこれまた可愛かった。その仕草を見ながら冬輝達の母親は笑顔で言った。
「そうよ。この子と同じように、あなたがお腹にいたときは、あたしのお腹をひっきりなしにばしばし叩いていたのよ」
「ふぅ〜ん。ってことは今度生まれてくる赤ちゃんはあたしにそっくりなのね」
「そうかもね」
 と笑顔で答える母親が思いっきり話を切り出した。
「ねえ、千景はもし、東宮様に愛を告白されたらどう出す?」
「東宮様?なんで?」
「ちょっとあなたの恋路はどうなっているのかなぁって思って。母様にだけでも教えてくれない?」
「母様だけならいいよ。あたし、東宮様に告白されてもお断りする」
 ががぁ〜〜んっ!!
 俺はキッパリと言う彼女の言葉にショックを受けた。
 確かに彼女が帝が嫌いだっていうのは知っていたけど、ここまではっきり言われるとかなりキツイ。
「どうして?」
「あたしは母様や父様みたく大恋愛をして結婚をしたいの。
 帝の妻なんてただ父様たちが当の本人を無視して勝手に決めただけだからイヤなの」
 あ。そういうことか。
 俺は彼女の言葉にちょっとだけ立ち直った。そのとき、彼女に抱かれていた子猫がぴょんっと彼女の腕からすり抜けた。それに気づいた彼女は慌てて追いかけた。
「あ、待ってぇ常磐!!」
 常磐?あの子猫は彼女から常磐と名づけられたのか。
 そう思ったその時、彼女が俺のいる方に近づいてきた。
 わわわわっ!!見つかるぅぅっ!!
 俺は冬輝と共に慌てて身を低くし、隠れた。
「みゃぅ〜〜…」
「常磐、捕まえたぁっ。んもぉ、ダメじゃないの。外には冬兄の影丸や藤丸がいるんだから食べられちゃうわよ」
 と彼女は常磐という猫を優しく抱き上げ、部屋に戻ってしまった。それから彼女は二度とその部屋から出てこなくなったので、俺たちは冬輝達の部屋に移動した。
「どうでしたか?」
 部屋に着き、すぐさま冬輝が俺に尋ねた。
 俺はしばし考え笑顔で答えた。
「いい娘になった。益々彼女に惚れた」
「諦めないんですか?」
「諦めるものか!!ずっと思い慕ってきたんだ!!今更諦めるなんてできない!!」
「………わかりました。できる範囲で東宮様にご協力しましょう」
「本当か?!」
「ええ」
 冬輝はそう言うと、直衣の裾から香袋を取りだし、俺に差し出した。
「これは?」
「これは千景が愛用している香です。本人に頼んで少しだけ分けてもらいました。東宮様が少しでも思い人の傍にいれるようにと思いまして」
「そうか。ありがとう。冬輝、これのついでに二つ頼みがある」
「なんですか?」
「一つは千景姫が飼っている猫と同じのを飼いたい。もう一つは二人きりのとき、俺のことは常葉と呼んで欲しい」
「でえぇぇぇぇぇぇっ!!」
 と俺の言葉にさすがの冬輝も驚いた。
「猫のほうはなんとか見つけられますが、東宮様をそのように呼んでは……!!」
「いいんだ。親しい者にはそう呼んで欲しいんだ」
「しかし……!!」
「冬輝。俺はおまえのことを信頼しているから言っているんだ。あと俺が思い慕っていたあの子にもそう呼んで欲しいんだ」
「………分かりました」
 と苦渋な声を漏らしながらも冬輝は承諾してくれた。

 それから二、三日して冬輝から千景が抱いていた猫と同じ模様の子猫が届けられた。ただし、彼女が飼っていた猫は雄だったが、届けられたのは雌だった。猫と一緒に添えられた手紙には同じ模様の猫は雌しかいなかったと書かれていた。それでも俺はよかった。千景と同じ猫が飼えるのだから。俺はその子猫を抱きながら言った。
「おまえの名は『千景』だ」
「みゃう〜…」
 俺の言葉に反応するように猫は鳴いた。その鳴き声に俺は少し嬉しくなった。